Barbara Buttrick in Florida. Photo courtesy of wow (hull), Copyright Dana Goldstein.

1949年のモノクロ映像のなかで、身長約150センチの小柄な19歳の女性、バーバラ・バトリック(Barbara Buttrick)は、カメラの前に座り、レンズを睨みつけていた。「女の子はボクシングなんてやらないという考えは古いと思います」。バトリックは強いヨークシャー訛りで語っている。「女の子は今までのように繊細な花ではありません。なにより、私のボーイフレンドは気にしていません。だったら私が気にする必要がありますか?」

バトリックはそれから15年にわたり、女性ボクサーの草分けとしてプロボクシングの世界に身を置いた。当初は〈女性らしさへの侮辱〉としてイギリスの新聞各社に愚弄されていたが、1952年に拠点を米国に移し、遂に女性初の世界チャンピオンの座を手に入れた。2010年、フロリダ州のボクシング殿堂は、モハメド・アリ(Muhammad Ali)に続き、彼女の殿堂入りを発表した。

バトリックが初めてボクシングと出会ったのは、まったくの偶然からであった。ヨークシャーにあるコッティンガムとホーンシーといった村で育った彼女は、サッカーの女子チームを結成し、友達にもサッカーを薦めていた。(「ボクシングと同じくらい冷ややかな目で見られた」という)そんなある日、ぬかるんだ道でひとしきりボールを蹴ったあと、友達の家に寄ったバトリックは、泥まみれの靴を新聞紙できれいにするよういわれる。その新聞には、移動遊園地でボクシングをするポリー・フェアクロー(Polly Fairclough)の写真が掲載されていた。バトリックは大いに興味をそそられ、こういった。「そのページは使わないで。読みたいから!」

バトリックは〈リングの鉄腕アトム(Mighty Atom of the Ring)〉という愛称で親しまれ、娯楽のために開催されるエキシビジョンマッチで、女性はもちろん、男性とも対戦した。女性にもプロの門戸が開かれると、米国でプロ選手になり、競技として試合を重ね、ついには女性初の世界タイトルを獲得した。バトリックはいち度しか負けなかった。

現在87歳の彼女はフロリダ州に居住し、世界有数の世界的ボクシング団体である女子国際ボクシング連盟(Women’s International Boxing Federation:WIBF)の代表を務めている。イングランドに住んでいた子ども時代には、外で男の子と喧嘩ばかりしていた。そんな過去を考えると、ずいぶん遠くまで来たものだ。バトリックは、ヨークシャーのハルで開催されていた『WOW HULL(Women of the World)』のトークショーに参加するため、久々に懐かしの故郷を訪れた。このイベントでは、彼女の生涯を綴ったひとり芝居『Delicate Flowers』も披露された。そんなバトリックが、女性ボクシングの先駆者としてのスポーツキャリアを振り返った。

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子どもの頃の話を聞かせてください。

6歳までコッティンガムで暮らし、それから沿岸のホーンシーに引っ越しました。ちょうど第二次世界大戦の前ですが、ホーンシーで過ごした3年間は私の人生で最高の時期でした。7歳とか8歳くらいの頃でしょうか、夏休みになるとひとりで出かけ、歩いてビーチまで行ったり、腰を下ろして桟橋を眺めていました。私はホーンシーのあらゆる移り変わりを知っていました。学校は住んでいた場所のすぐ裏にありました。先生たちはとても若く、非常に現代的な学校でした。当時としては珍しい男女共学の学校だったんですよ。

1949年、スパーリングの様子.Photo by Keystone/Hulton Archive/Getty Images.

子どもの頃から常にファイターだったのですか?

外で遊びながら、ボクシングや喧嘩はしていました。今より酷かったですよ! というのも、ベアナックルで口を殴られると、歯の根元の方まで切れてしまいます。当時のほうが手荒でしたね。両手にボクシンググローブをはめているほうが、文明的な感じがします。

子どもの頃は男の子と女の子、どちらと戦っていましたか?

外で遊ぶときは、主に小さな男の子たちと行動していました。私よりも少しだけ年下の男の子がいて、たぶん1歳半くらい下だったと思いますが、その子は身長と体重が私とちょうど同じでした。ですから集まったときには、必ずその子と対戦しなければなりませんでした。この男の子はちょっと乱暴でしたが、私は対処できる気がしていました。この男の子が主な対戦相手でしたね。私が10歳とか12歳くらいの頃だったと記憶しています。

あなたの身長は150センチほどしかありませんが、自分より大きく、立派な体格の相手と戦うのは怖かったですか?

対戦相手のほとんどは私よりはるかに大きい人たちでしたが、まったく不安はありませんでした。たくさんの男性たちとトレーニングし、エキシビジョンで対戦していましたよ。ライト級の男性ボクサーは、私をノックアウトしようとリングに上がっているのではありません。男性との対戦は、ただのエキシビジョンですから。相手が女性でも、まったく不安はありませんでした。そもそも、自分と同じ体格の相手との対戦はまったくなかったんです!ジョアン・ヘーゲン(JoAnn Hagen)との試合には負けてしまいましたが、彼女は170センチあって、体重は私より13キロも重かったのです。カナダで行われたこの試合では、8ラウンドも戦いました。彼女のパンチ力とか、攻撃方法については特に心配していませんでした。

ボクシングをやってみたいのですが、秘訣などありますか。なんだかちょっと怖いんですが。やはり、傷めつけられる恐怖を克服しなければいけませんか?

リングのコーナーに立ったら、あなたは「私はここで何をやっているんだろう」と考えてしまうでしょう。でも反対のコーナーには、絶対に倒さねばならない相手がいる! 大事なのは、傷めつけられる恐怖より、自らの力を尽くし、しっかり戦うこと。恐怖を感じるより、相手を倒そうと集中するのです。殴られて負けてしまわないように頑張るだけ。やりたい気持ちがあるのなら、ボクシングをやるべきですよ!

故郷の旧友にとっては、かつて遊びで戦っていた仲間が、ボクシングの殿堂入りを果たしたわけですよね。彼らはなにかいっていますか?

私と同じような反応ですね。女性のボクシングに対する考え方が、こんなにも変化したのにとても驚いています。私が今の時代の若者だったら、とても嬉しいでしょうね! サッカーチームでのプレーも、ボクシングジムにも行けるのですから。当時、スポーツなんてものはありませんでした。おかしな対戦をして、おかしなジムを使うしかありませんでした。私の友人たちはとても喜んでいます。昔はマスコミに酷評されましたが、今は受け入れられています。デイリー・ミラー紙からは、当時の記事について謝罪がありました。ほら、女性ボクサーのことを「みっともない」などと書いていた記事です。ずいぶん進歩したものですね。マスコミはまったく好意的ではありませんでしたから。

悪くいわれたりして、ボクシングをやめたくなりませんでしたか?

ありません。なぜなら、誰にでもやりたいことをやる自由があると常に信じていましたから。怪我をしたとしても、そうなった状況を選択したのは自分ですからね! 女の子が何かをやってみたくても、好意的な反応は得られず、好き勝手できる自由がなかったのは嫌でした。

ボクシングで大きな怪我はしませんでしたか?

大きな怪我はありません。私はノックアウトされた経験もありませんから。唯一の怪我らしきものは、鼻筋にクロスするようにアザができたぐらいでしょうか。このアザはかなりの長いあいだ消えませんでしたが、今はほとんど目立たなくなっています。ですから、ボクシングが原因でダメージが残っているものはありません。

いつも試合には、どのように臨んでいましたか?

落ち着くため、まず第1ラウンドが大事でした。第1ラウンドが終われば慣れてくるので、気持ちが落ち着き、自分のボクシングに集中できましたね。リングに上がる瞬間こそ、いち番緊張していたのではないでしょうか。状況に慣れると、何も気にならなくなるとでもいいましょうか。完全に集中し、気が散らないようにするべきなのです。

引退なさってからずいぶん経ちますが、自身のキャリアを振り返ってどのようにお考えですか?

自分のやりたいようにやり、完全燃焼もできましたので満足しています。しかも世間に受け入れてもらいました。とても嬉しいです。