Photo courtesy Little League Baseball and Softball

日本代表チームが快進撃を続ける、WBC2017。日本代表の準決勝進出も決まり、野球ファンでなくとも、そろそろ〈優勝〉の2文字が脳裏を過ぎる頃だ。しかし、WBC2021で日本代表の活躍を脅かすであろう潜在能力を秘めた、未だ見ぬ強豪国が蠢き始めている。それは、野球未開のアフリカ大陸で牙を研ぐウガンダ共和国、侮りは禁物だ。

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「将来、ウガンダは野球人口、選手の質、両方でドミニカ共和国を凌ぐだろう」

そんな予想を声高に叫び、そうなると信じて止まないのは、野球をきちんと理解しているうえに、知性と論理的思考能力を兼ね備えた人物だ。その名は、リチャード・スタンリー(Richard Stanley)。ニューヨーク州ブルックリンでうまれ、化学エンジニアとしてプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)に22年間勤めた彼は、ニューヨーク・ヤンキース傘下2Aクラスのトレントン・サンダー(Trenton Thunder)の共同オーナーでもあり、過去10年以上にわたって、ウガンダ共和国でリトルリーグ野球の発展に尽力している。

スタンリーの大胆な予言は、ウガンダのリトルリーグ・チームがリトルリーグ・ワールドシリーズに参加するため、2015年8月にペンシルヴァニア州ウィリアムズポートに到着する1週間前の発言だ。ちなみに、このチームに所属するほとんどの選手は、彼がウガンダで建設した学校の生徒であり、ウガンダ代表チームがリトルリーグ・ワールドシリーズに出場するのは、史上2度目(アフリカ勢でこれまで出場したのはウガンダだけ)。蛇足ながら、スタンリーの予言が発せられたのは、2015年8月21日にウガンダ代表チームがドミニカ代表チームに4−1で勝利する1週間前。この結果を受けて、ウガンダ代表チームは国際的な注目を浴びた。

この試合で、ウガンダ代表チームのフランシス・アレモ(Francis Alemo)投手は、最速124km/hのストレートとバッターに尻もちをつかせるような大きく曲がるカーブで試合を支配した。実際、数名のドミニカ代表のバッターたちは、彼のカーブに手も足も出なかった。 アレモは、打者としても2者生還のタイムリ−・2ベースヒットを左中間に放ち、後続打者が振り逃げを試み、キャッチャーが逃したボールを追う隙に、俊足を活かして2塁からホームインした。野球経験が2、3年程度しかないアレモは、映画『メジャーリーグ』に登場するすべての選手の特徴を兼ね備えたような選手だ。このチームはあらゆる点においてスタンリーの発言を正当化するものであった。

この試合は、スタンリーの予言があながち間違いではないことを、十二分に証明した。

ドミニカ共和国代表チームを4-1で下したウガンダ共和国代表チーム.
Photo courtesy Little League Baseball and Softball

今後、ウガンダは野球界の台風の目になるかもしれない。ウガンダでは、通年、球児たちが熾烈な競争を繰り広げている。2015年のワールド・シリーズに参加したウガンダ代表チームは、コンスタントに113km/h以上の速球を記録する投手3名を擁している。またヨーロッパ、アフリカ大陸のチームで争われたリトルリーグの地域予選大会で、ウガンダチームは全勝し、ある投手は5回を投げ、打者15人から三振15を奪う完璧な投球内容でチームを勝利に導き、また別の投手はこの大会でノーヒット・ノーランを達成した。スタンレー曰く、最も驚くべきは、ウガンダで最高の投手は、2015年8月現在で10歳の少年だ。彼の球速は、最速122kmを記録しているそうだが、年齢制限により、2015年にウィリアムズポートで開催されたワールド・シリーズではプレーできなかった。

ウガンダがドミニカ戦に勝利した結果、同チームへの期待がひたすら高まったが、ドミニカにも言い分がある。彼ら曰く、ドミニカの若いトップ選手は、リトルリーグではプレーしていないそうだ。1996年以来、2015年8月21日の試合まで、ウィリアムズポートでのリトルリーグ・ワールドシリーズにドミニカ代表チームは、1チームたりとも参加していなかったのだ。ドミニカの若いトップ選手たちは、MLB(Major League Baseball)のスカウト陣に才能を披露するために、プロ契約が結べるようになる16歳までを準備期間に充てる。彼らは、10歳前後からプロのトレーナーのもとでトレーニングを始めるそうだ。

とはいえ、アメリカ国務省(U.S. State Department)に最もテロ発生の可能性が高い国家と評され、野球の歴史もまだ浅いウガンダにとって、対ドミニカ戦勝利は大躍進だ。2015年8月21日、ウガンダ代表チームの試合が、ESPNで数時間中継されるようになるまでに、ほぼ15年にもおよぶ歳月に加え、少なくとも数十万ドル(数千万円)の費用をつぎ込んた結果、スタンリーの予言が現実となりつつあるのだ。

スタンリーが2002年にアメリカ合衆国国際開発庁(U.S. Agency for International Developmet[通称、USAID])のプログラムでウガンダを訪れる以前から、同国にも野球はあった。ウガンダで一流のリトルリーグ・チームで監督を経験し、2015年8月時点でウガンダ野球協会(Ugandan Baseball Federation)の代表を務めて4年目になるジョージ・ムコベ(George Mukhobe)は、90年代半ば、学校で米国の宣教師から野球のルールを習ったことを述懐する。しかし、彼によると、当時、ウガンダ国内には3つの野球チームしかなく、学校を卒業してからも野球を続けようとする球児はいなかったという。

2002年、スタンリーのウガンダ訪問中、ウガンダ政府高官のクリストファー・ガッシュラベーク(Christopher Gashirabake)は、米国人が簡易ルールで野球に興じるのを目撃し、スタンリーに、ウガンダ国内で野球振興プログラムを企画してもらえないか、と依頼した。「断れないのが私の欠点だ」とスタンリーは語る。

どこの国の野球振興プログラムであろうと、青少年選手の育成から始めなければならない、と理解していたスタンリーは、野球用具メーカーのウィルソン(Wilson)、リトルリーグ協会に接触した。ウィルソンは、4チームからなるリーグを構成できるだけの野球用品を提供。その後、スタンリーは、ウィルソンから提供された野球用具を実際に使用できるよう、MLBに野球場設立の支援を要請した。その結果、ある米国人教師の助けもあり、2003年、首都カンパラのインターナショナル・スクールが所有するグラウンドで、サッカー場の反対側に複数のバックネットを設置した。そこで、ウガンダ史上初のリトルリーグ大会を催し、同国内初のリトルリーグ王者が誕生しのだ。

その後、再びリトルリーグ協会に赴いたスタンレーは、協会のスタッフと次のような会話を交わした。
「ウガンダ国内でチャンピオンチームが誕生したが、今後の方針はどうする?」
「それなら、地域レベルのワールドシリーズの予選大会に彼らを出場させればいい」
「アフリカに地域の予選大会なんてあるのか?」
「ヨーロッパだ。ポーランドで開催されている」
「アフリカはヨーロッパ大陸には属していないぞ」
「そこで大会が開催されているんだから、仕方ない」

ウガンダ代表チームをポーランドの大会に出場させる手順は、信じられないほど複雑だ。まず、チーム運営スタッフは、所属選手の出生証明書、保護者の同意書を集めねばならないのだが、選手のほとんどがウガンダ各地に散らばる町村の不安定な家庭の出身だ。次に、チーム全員分の書類が集まったなら、選手とコーチ全員でポーランド大使館に足を運び、ビザを申請する。だが、最寄りのポーランド大使館は、ケニアの首都ナイロビにあり、そこまで移動するのにバスで16時間を要する。加えて、ウィリアムズポートで開催されるリトルリーグ・ワールドシリーズの予選大会のために、ポーランドにウガンダ代表の野球、ソフトボールの両チームを派遣するためには、約36,000ドル(約410万円)の費用がかかる。

上記の理由から、ウガンダ代表は、2008年までポーランドで開催される予選大会への参加を見合わせていた。スタンリーもウガンダ代表チームのポーランドへの派遣を冒険以上のミッションと認識していたが、彼はポーランドで開催される予選大会と同規模の大会をウガンダの首都カンパラで開催できるよう、手筈を整えた。2009年までにスタンリーは、カンパラで予選大会を開催するために、8チーム分の選手、指導者を収容可能な選手村建設を支援し、完成させた。

しかし、リトルリーグ協会は、予選大会のためにヨーロッパや中東のチームをウガンダに派遣することを躊躇、その代わりにスタンリーにアフリカ大陸のみでの予選大会開催を勧めてきた。2009年、タンザニア、ケニア、南スーダン(当時は独立前の自治政府)各国から、代表チームがアフリカ大陸リトルリーグ選手権に参加するため、ウガンダを訪れた。この大会でウガンダ代表が優勝したものの、アフリカ大陸選手権を勝ち抜いただけでは、ウィリアムズポート開催されるワールドシリーズへの出場資格は得られなかった。

2010年、ウガンダ代表チームは2008年以来、2年ぶりにポーランドでの地域予選トーナメントに参加。このヨーロッパ、中東、アフリカの3つの地域間での選手権は、サウジアラビアの国営石油会社サウジアラムコ(Saudi Aramco)に勤務するアメリカ人従業員の子供たちで構成された、サウジアラビア代表チームが長年にわたって優勝してきたが、総当たり戦の予選ラウンドでウガンダ代表チームは大本命のサウジアラビア代表チームに勝利、最終的にサウジアラビア代表、クウェート代表と成績で3チームが並んで予選ラウンドを終えた。しかし、その後に行われたタイブレーク方式での優勝決定戦で、最初はリードしていることを告げられたウガンダチームであったが、そこでルールの伝達上にミスがあり、チームは失格処分となってしまった。

翌2011年、ウガンダチームはポーランドでの大会を完全に勝ち抜き、ウィリアムズポートでのワールドシリーズへの出場資格を初めて手にした。しかし、2011年のリトルリーグ・ワールドシリーズ前、ウガンダ代表は、アメリカ国務省からの入国ビザ申請を拒否されてしまう。その理由は、申請書類の偽造疑惑が浮上したからだ。スタンリーとムコベ曰く、選手の親たちが、アメリカ大使館での質疑応答の際、書類で申告した子供たちの生年月日と異なる生年月日を回答してしまったそうだ。

「不運だった。われわれは、リトルリーグ・ワールドシリーズ初参加のアフリカ代表を歓迎したかったんです」とリトルリーグ・ベースボール・ソフトボール協会(Little League Baseball and Softball)の理事長でCEOのスティーヴン・D・キーナー(Stephen D. Keener)は振り返る。「ここ数年、私たちは、アメリカ国務省と緊密な関係を保ちながら、問題に取り組んでいます。彼らの真摯さには、本当に感謝しています」

ウガンダ国民の大勢は、この出来事を階級差別と捉えた。ウガンダで作成された書類は、米国の書類のように機能しないのだ。

「ほどんどの子供たちは孤児なのに、どちらかの親、両親の死亡証明書を提出するよう要求されが、簡単なことじゃない」とムコベ。「祖母と暮らしている球児もいたけれど、彼らは英語もろくすっぽ話せないんだ」

ウガンダの選手たちは走攻守投, すべてに長けている.
Photo courtesy Little League Baseball and Softball

責任の所在について、スタンリーとムコベの見解は異なる。スタンリーは、当時、チームの監督を務めていたムコベに、書類一式を集めるための費用を提供した、と主張する。その一方でムコベは、選手の親、国内のリトルリーグ管理者たちが出生証明書を集めるはずだった、と主張。いずれにせよ、ウガンダ代表に所属する球児たちは、ウィリアムズポートへの旅が許されなかった。この件以来、スタンリーとムコベは、仕事をともにしていない。

翌年、2012年、ウガンダはブイクウェ県(Buikwe District)ルガジ町(Lugazi)の学校の野球チームをポーランドの予選大会に代表チームとして派遣。そのチームは大会を制した。その後、彼らはアメリカへのビザを無事取得し、リトルリーグ・ベースボール・ワールドシリーズ参加を果たした初のアフリカ代表チームになった。

ものめずらしさもあり、ウガンダ代表チームは、観客やESPNの注目を集めたが、彼らは苦戦した。ウガンダ国内に彼らと同レベルの競争相手がいないのを考慮すると、苦戦したのも頷ける。しかし、大会中にウガンダ代表がみせた熱意は評判になった。彼らは、毎朝、夜明け近くに起床し、6時30分からバッティングに精を出し、それを終えると、他のチームに合流して朝食をとっていた。

朝食の後、スケジュールが空いていれば、彼らは練習し、紅白戦をこなしていた。 同大会でのチームの白星は、オレゴン州代表相手の敗者復活戦の1勝だけだったが、彼らにとってこの経験は学びであった、とスタンリーは確信している。

大会後、チームがウガンダに帰国したのち、スタンリーは、首都カンパラで、念願の全寮制中等学校アレン・V.R. スタンリースクール(Allen V.R. Stanley Secondary School[以下、AVRS])開校に向けて動き出した。この学校は、2013年に開校し、11歳の生徒のための授業を開始した。

AVRSでは、各生徒は制服、靴、教科書に加えて、数学、化学、英語の授業用タブレット端末が支給される。この端末を用いれば、生徒たちは、さらに100冊の書籍を参照できる。生徒たちは、午前中に授業を受けると、午後は2時間スポーツに集中する。AVRSはサッカー・チームも擁しているが、国際的な大会に参加しているのは野球、ソフトボール・チームだ。ソフトボール・チームは、オレゴン州ポートランドで開催された、2015年リトルリーグ・ソフトボール・ワールドシリーズで優勝した。

いくつかの戦略的理由から、ウガンダ代表チームは、2013、14年にポーランドで開催された予選大会への参加を見合わせたが、2015年、同チームはポーランド大会に再び参加して、圧倒的な成績を残した。彼らは、ベルギー代表戦21−1、ベラルーシ代表戦16−1、チェコ代表戦10−1で、それぞれ勝利。対チェコ代表戦に登板したウガンダの投手は5回を投げ、1被安打、15奪三振の快投をみせた。他にもウガンダ代表はイタリア代表相手にも4−0で勝利し、この試合に登板したウガンダの投手はノーヒットノーランを達成。最後もスペイン代表を相手にも16−0で圧勝した。

ウィリアムズポートでのウガンダ代表チームの快進撃は、 ガッシュラベーク政府高官による2002年のリクエストに、あらゆる意味で、スタンリーが応えた結果だ。ウガンダの野球振興プログラムは、今まさに開花のときを迎えている。

「彼らは全員、走り、打ち、投げる。もちろん、守備も素晴らしい」とスタンリー。

彼は、MLBのスカウトがウガンダに訪れる日を楽しみにしている。15歳前後の有望な球児を150人集められるならスカウトをウガンダに派遣する、という連絡を、スタンレーはMLBから受けているのだ。