史上最大の盛り上がりを見せたといっても過言ではない今年の〈日本陸上競技選手権大会〉。もちろんその主役は男子100m競走。この結果によって、今夏に開催される〈世界陸上競技選手権・ロンドン大会〉への代表選手が確定するため、誰がその切符を掴むかが注目されたわけだが、それだけならこれまでの日本選手権となんら変わらない。視聴率13.1%という驚異的な数字は、裏でやっていたマチャアキの『世界一受けたい授業』を上回った。『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』を途中で切り上げ、20時半には画面を1チャンネルに合わせた視聴者も多かったはずだ。それほど日本全国がこのレースに注目していた。そう、日本人初めての9秒台を目撃できるかもしれなかったからだ。

残念ながら雨の影響もあって、9秒台こそ出なかったものの、実に見応えのあるレースだった。優勝は、予選で自己新の10秒06を叩き出し、本大会中に主役に躍り出たサニブラウン・ハキーム(東京陸協)。決勝記録は10秒05で、天候など関係なく、ここでも見事に自己新をマークした。2位は、日本選手権直前に追い風参考ながら9秒94を記録した超新星の多田修平(関西学院大)で、タイムは10秒16。そして3位は、昨年のリオ・オリンピック100m代表で、4×100mリレー銀メダリスト、また〈昨年までの3強〉のひとりだったケンブリッジ飛鳥(ナイキ)。右太ももを痛めていたため、タイムは10秒18と平凡だったが、なんとか表彰台に滑り込んだ。いっぽう、残り2強の桐生祥秀(東洋大)と山縣亮太(セイコー)は、それぞれ4位、6位と惨敗。山縣は故障上がりのため、予想通りの敗戦だが、残念なのが桐生。昨年の日本選手権、そしてリオ・オリンピック同様に、本来の力を発揮できなかった。周りのスプリンターに惑わされず、そして〈9秒台へのプレッシャー〉を払拭しない限り、桐生は、その〈本来の力〉を発揮できないのではないか。そう思わざるをえないレースであった。

この結果によって、世界陸上ロンドン大会の男子100m代表は、サニブラウン・ハキーム、多田修平、ケンブリッジ飛鳥の3人が確定。4×100mリレーのメンバーとして桐生も選ばれた。〈新3強〉の3人は、目前に迫った9秒台を期待されるし、リレーでも〈世界一のバトンパス〉さえ成功すれば、リオ五輪以上の成績、即ち金メダルも夢ではない。

「キタキタキタキタ〜ッッッッ!!!!」

今年の夏は、織田裕二、最高の織田叫びを聞けるかもしれない。

そんな日本人スプリンターたちへの期待、そして9秒58という男子100m世界記録保持者ウサイン・ボルト(Usain Bolt)のラストランもあり、今夏の世界陸上ロンドン大会はかなり盛り上がるだろう。しかし、今から遡ること29年前の夏、今年の比にならないくらい世界中が注目した熱いレースがあった。

〈史上最速の男はどっちだ? カール・ルイス VS ベン・ジョンソン〉

1988年、その舞台はソウル五輪。

米国代表のカール・ルイス(Carl Lewis)は、まさしく陸上競技界から生まれた最初のスーパー・スターであり、20世紀を代表するスーパー・アスリートであった。1983年に開催された記念すべき〈第1回世界陸上競技選手権・ヘルシンキ大会〉では、100m(10秒07)、走幅跳(8m55)、4×100mリレー(37秒86)の3種目で優勝。翌年のロス五輪では、100m(9秒99)、200m(19秒80)、走幅跳(8m54)、4×100mリレー(37秒83)の出場全種目で金メダルを獲得し、全世界中で〈カール・フィーバー〉が巻き起こった。バスケットボールではシカゴ・ブルズ、アメリカンフットボールではダラス・カウボーイズがドラフトでカールを指名。テレビ番組やCMなどにも登場。日本では〈週刊少年ジャンプ〉の表紙も飾った。さらに歌手デビューも果たし、4thシングル「Break It Up」は、スウェーデンチャート3位を獲得するヒットナンバーとなった。

ちなみにこの歌〜手・ルイス、アルバムデビューはジャパンだった。〈カール・ルイス&エレクトリック・ストーム〉名義で『I・D・A・T・E・N(韋駄天)』をリリースしている。

さらにこちらも忘れてはいけない〈カール君〉。テレビ番組『ビートたけしのスポーツ大将』の大人気コーナーに抜擢されるほど、カール・ルイスはお茶の間に浸透していた。その走りは本人同様に〈後半の伸び〉が凄まじかった。

ちなみにこのコーナー、小学生相手のレースだと〈小カール君〉が登場。その後、小カール君は、〈小カール君ターボ〉に進化した。

圧倒的な競技成績はもちろん、精悍な顔つきと、188cmのスラっとした体格は、従来の筋肉モリモリ系アスリートのイメージを超え、カール・ルイスは世代のスーパー・ヒーローとして君臨するには申し分ない存在だった。また愛嬌も良く、おしゃべりも得意だった。間違いなくこの時代のスポーツ界は、カール・ルイスを中心に回っていたのだ。

しかし、そんなヒーローに〈待った〉をかける男が現れた。ジャマイカ出身、カナダ国籍のベン・ジョンソン(Ben Johnson)だ。カール・ルイスと同じ1961年生まれのベンは、ロス五輪100mの銅メダリスト(10秒22)であったが、まだまだ普通のトップ選手であった。ルックスもカールとは真逆で、おっかなぇ顔とチョビ髭、いつも不機嫌に目を見開いていた。そして体格は、筋肉の塊と塊と塊だらけ。ロケットスタートが得意な身長178cmの豆タンクスプリンターであったが、1987年の世界陸上ローマ大会でカールを破り、当時の世界記録である9秒83を樹立したから大騒ぎ。カール・ルイスも9秒93という好記録を出したが、ベンには0.1秒もの差をつけられてしまった。

完璧なカール・ルイスより速い男の出現に全世界は驚愕。翌年にソウル五輪を控えていたため、各メディアは1年を通じ、ふたりの対決を煽りに煽りまくった。そしてもちろんベンの株は急上昇。イタリアのシューズ会社である〈ディアドラ〉がスポンサーになり、そして〈共同石油〉のCMにも起用され、あの『ビートたけしのスポーツ大将』では、〈ダイナマイトジョンソン君〉までもが登場。今度は〈ベン・フィーバー〉が巻き起こったのだ。

全世界がソウル・オリンピックを心待ちにしていた。全世界がふたりの対決を心から楽しみにしていた。

「ベン・ジョンソンが勝つか? カール・ルイスが復活するか?」

そして、そのときが来た。

1988年9月24日。男子100m決勝。カール・ルイスは3コース、ベンは6コース。ここまでベンは、予選10秒37→二次予選10秒17→準決勝10秒03と、一度も9秒台を出さずに決勝進出したが、明らか流したレースばかりで、調子はまったくわからず、不気味な雰囲気さえ漂わせていた。いっぽうのカール・ルイスは、予選10秒14→二次予選9秒99→準決勝9秒97と、完璧な走りを見せていた。特に準決勝では、元世界記録保持者のカルヴィン・スミス(Calvin Smith)を中盤からぶっちぎりで抜き去っており、その好調ぶりから、今回はベンに勝つのでは、という予想が大きくなっていた。

しかし、ふたりの勝負は予想外の展開、そして予想以上の大差で決着がついた。

本大会では見せていなかった完璧なロケットスタートで飛び出したべンは、頭から抜け出す。一気にトップを獲る。

それほどスタートが得意ではないカール・ルイスだが、反応は悪くない。後半に加速するので、序盤としては良い位置にいる。そして中盤を迎える。ベンはまだ先にいる。

爆発的なスタートダッシュのままトップを走るベン。周りは付いていけない。まったく落ちない。逆にどんどん加速している。

カール・ルイス得意の中盤〜後半を迎えた。いつものように周りを抜き去る。しかし、いつもとはまったく違った。まだ前にベンがいた。それもずっと前に。

もし、ベンが勝つならば、カール・ルイスが後半に少しずつ追いつきながらも、逃げ切るであろうと予想されていた。しかしこのレースで、カール・ルイスはまったくベンに追いつけなかった。差は縮まらず、まったく届かなかった。ゴール前、ベンは若干流しながら、右手人差し指を突き上げてフィニッシュ。記録は9秒79。人類初の9秒7台というとてつもない世界新記録をベンは樹立したのだ。ゴール後、報道スペースに向かったベンに、カール・ルイスが近づいて勝利を讃えた。カナダ国旗を振りながらウィニングランするベンを横目に、カール・ルイスはスタジアムを去った。

負けたカール・ルイスの記録も素晴らしかった。9秒92は自己新記録であり、米国新記録であり、オリンピック新記録でもあった。しかし、それ以上にベンが速く走ってしまった。その差0.13秒。100m競走ではとてつもなく大きな差だ。あまりの大敗に、カール・ルイスの時代は終焉を迎え、圧倒的強さを誇ったベンが、この先何年も100m界を背負い、何10年もこの記録は破られないだろう、と誰もが疑わなかった。

ところがその3日後の9月27日、レースの結果以上に驚くべき事実が発覚した。IOC(International Olympic Committee:国際オリンピック委員会)は、競技後のドーピング検査で、ベンからスタノゾロールという筋肉増強剤を検出したため金メダルをはく奪する、と発表したのだ。確かにゴール後のベンはおかしかった。なぜか真っ先に報道スペースに向かったのも不可解だし、目も血走っていた。薬のせいだともいわれた。この発表直後にカナダへ帰国したベンは、記者会見で宣誓書の内容を読み上げ、「薬物を故意に使用したことはありません」、「家族、友人、祖国に恥をかかせるようなことはしていません」と言明したが、カナダ連邦政府の調査委委員会は、ベン及びコーチのチャーリー・フランシス(Charlie Francis)、そして同じくドーピング検査で陽性反応が出た女子短距離選手アンジェラ・イサジェンコ(Angella Issajenko)らにヒアリングした。イサジェンコは、ジョンソンに投与されたスタノゾロールは、ウィンストロールVという動物用の筋肉増強剤であったと証言。この結果、IAAF(International Association of Athletics Federations:国際陸上競技連盟)は、ベンの2年間に及ぶ競技者資格停止を決め、更に9秒79という世界記録も取り消した。ベンは、ディアドラとのスポンサー契約も打ち切られ、共同石油のCMからも降ろされた。『ビートたけしのスポーツ大将』も、〈ダイナマイトジョンソン君〉から、フローレンス・グリフィス=ジョイナー(Florence Griffith Joyner)から生まれた〈ツヨイナーちゃん〉に変わった。ベンの黄金期はあっという間に終わってしまったのだ。

この事件により、カール・ルイスが繰り上がって金メダルを獲得。更にベンが世界陸上ローマ大会で生み出した9秒83も薬物使用によって生まれた記録と認定されたため、カール・ルイスのソウル・オリンピック記録である9秒92は、1990年1月に世界記録として公認された。その後もカール・ルイスは、完璧なヒーローのまま陸上競技界を牽引。1991年の世界陸上東京大会では、9秒86の世界新記録まで樹立した。そして1997年、〈キング・オブ・アスリート〉のまま、競技生活に別れを告げた。

ちなみに、1991年の世界陸上東京大会といえば、ミスター長嶋茂雄による「カール! カール!」がお馴染みだが、ミスターの周りを確認して欲しい。まだ仲が良いフリをしていた頃の若貴兄弟、貴の隣には宮沢りえ、後方には菊池桃子、そしてテニスの佐藤直子、水泳の長崎宏子などが陣取っているのだが、ミスターの隣に座っていたのは、なんとベンだった。

2年間の競技者資格停止が終わり、ベンもカナダチームのリレーメンバーとして、この世界陸上に出場していたのだ。8位入賞という平凡な結果に終わったが、明らかに〈特別ゲスト〉のような扱いで、ベンはミスターの隣に座らされていた。ここから、ベンと日本テレビ業界の蜜月関係が始まったといってもいいだろう。

そして翌1992年、バルセロナ五輪。ベンは100mのカナダ代表として3度目の五輪出場を果たした。1次予選は10秒55、2次予選10秒30、そして準決勝ではスタートに失敗し、10秒70で敗退。

「やはりクスリがないと遅いのか。しようがないなぁ…」と世間がやっと諦め始めたのに、1993年3月、またもやベンのドーピングが発覚。今度はテストテロンという筋肉増強剤の服用が判明したのだ。IAAFはベンの永久追放を決定。カナダ政府もスポーツ基金受給資格を取り消し、遂にベンは、陸上界から姿を消したのであった。

しかし、ミスターの隣に座っていたベンは、日本のエンターテイメント界に姿を現わす。1996年には、山本政志監督の映画『アトランタ・ブギ』に本人役で出演。サザン、そしてアミューズがベンを招いた。

テレビでは人気番組『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』にたびたび出演。もはやレギュラーといっていいほど出まくった。いや、走りまくった。「追い風15mなら何秒で走れるか?」「動く歩道で走ったら何秒で走れるか?」「催眠術にかけられたら何秒で走れるか?」などなど。

更に日本でベンと競走したのは、井出らっきょ、松野明美、武井壮などなど。西宮神社の福男や、〈お坊さんと正座後に100m競走〉にも挑戦。現在も年に1回くらいは、日本のテレビで確認出来る。そして今年に入ってからは、オーストラリアのブックメーカー〈スポーツベット〉社のCMにも登場。アンドロイド用アプリのCMで、

〈アンドロイドに、ロイド(ステロイド:筋肉増強剤の略)を注入〉

というコピーと共にニッコリ微笑んでいる。ベン、止まらない。勝新太郎の「もうパンツははかない」に匹敵する存在感だ。

ただ、ドーピングについては、ベンはたっぷりブチまけている。ベンとコーチのチャーリーは、1985年にオーストラリアで開催されたワールドカップの女子400mで、東ドイツのマリタ・コッホ(Marita Koch)による驚異的な世界新記録を目にした。そこでチャーリーは、東ドイツ選手の薬物使用を確信し、自らドーピングの研究をスタートさせたという。そしてベンは、チャーリーにいわれた通り、ウィンストロールVを5ミリずつ服用しはじめたと告白。

また、ソウル五輪の事件については、薬剤の常用を認めつつも、スタノゾロールの服用については認めていない。「あれは陰謀だった。カール・ルイスが関与していた」とベンは主張する。ベンによると、ドーピング検査の待合室で、カール・ルイスと仲が良かった元フットボール選手のアンドレ・ジャクソン(Andre Jackson)とビールを飲んでいたときに、アンドレがビールに薬物を入れたらしい。この件に関して、カール・ルイス側は否定しおり、また、ソウル五輪のドーピング担当者も「少なくとも検査の1週間前までに筋肉増強剤を服用していたはず」と混入疑惑を否定している。しかしやはり、ベン、止まらない。

「カール・ルイスもドーピングしていたのに」

確かにカール・ルイスも、ソウル・オリンピック米国代表選考会のドーピング検査で、陽性反応が検出されていたと2003年に発表されている。検出されたのは交感神経興奮剤のエフェドリン。カール・ルイスは、「植物性の生薬から知らないうちに摂取した」と証言し、結局は出場を許可されていた。

ベンは、スポンサーによる陰謀だ、とも主張している。「私のスポンサーは、イタリアのディアドラだった。ナイキでもアディダスでもなかった。ディアドラは小さい企業だったが、私が世界選手権でルイスを破ってからは、飛躍的にセールスが伸びた。それが問題だった。スポンサー的にはルイスが優勝しなければならない。私を陥れ、ディアドラを引きずり落としたかった誰かがいたんだ。それがすべてだ」

このベンの発言が、事実か否かはわからないが、その後のカールとベンの人生は、まったく違うものになった。引退後のカール・ルイスは、俳優業にも進出し、歌もまた出し、国連親善大使にもなった。現在は、政界進出の噂も立っており、相変わらずキラキラと輝いたスター人生を歩んでいる。いっぽうのベンは、「ドーピングは、私から金メダルや世界記録、そして名声を奪っていった。今も私は、誤った選択がもたらした人生から自由になっていない。時間を引き戻すことができたら…」。2013年、ソウル滞在中にそう漏らした。うむ、そうか。後悔しているのか。でもココはあえて突っ込みたい。ドーピングをしていなかったら、単なるトップ・アスリートで終わっていたかもしれない。引退後は普通の短距離コーチになっていたかもしれない。ドーピングがバレなかったとしても、それこそジョイナーのように早すぎる死を迎えていたかもしれない。なんたって、こんなにエンターテイナーとして成功することはなかったハズだ。

しかし、当時の後悔の念は、こういうことだったのかもしれない。ベンは、金メダルを獲る前の自分、世界新記録を出す前の自分、キレイな身体の自分にまで、戻りたかったのではないだろうか。そこまで時間を引き戻したかったのではないだろうか。周りの喧騒なんて関係なく、鍛えた身体だけで走れたあの頃。スタートダッシュに命をかけていたあの頃。初めてオリンピックで決勝に進出できたあの頃。しかしベンは、コーチやスポンサー、そして当時の陸上界の状況に流されてしまった。周りのいう通りに行動してしまった。ロス五輪の銅メダルで世界の表彰台に立って以降、ベンは間違いなくドーピング時代の餌食にされてしまったような気がしてならない。もちろん自分で判断したのは事実だし、ドーピングは、スポーツ界において許されざる行為である。しかし、ベンの意志以上に、当時のスポーツ界では大きな力が蠢いていたのも事実なのだ。

ベンの事件以降も改善されず、現在もドーピング問題はスポーツ界を揺るがせている。プロスポーツの世界では、MLB(Major League Baseball)、NHL(National Hockey League)、NFL(National Football League)、NBA(National Basketball Association)、NHL(National Hockey League)の北米4大スポーツから、サッカー、自転車競技、ボクシング、テニス、更には日本のプロ野球、競走馬にまで及び、五輪でもドーピングによるメダル剥奪者は後を絶たない。陸上競技界に目を向けると、女子短距離のマリオン・ジョーンズ(Marion Jones:米国)、男子ハンマー投げのアンヌシュ・ジョルト・アドリアーン(Annus Zsolt Adrián:ハンガリー)、女子砲丸投げのイリーナ・コルジャネンコ(Irina Korzhanenko:ロシア)、そしてウサイン・ボルトもメンバーだった4×100mリレー・ジャマイカチームも、第1走者を務めたネスタ・カーター(Nesta Carter)の薬物使用により、金メダルを剥奪された。また、2002年に100mの世界新記録9秒78をマークしていたティム・モンゴメリ(Tim Montgomery)も禁止薬物の使用が発覚したため、これまでの成績が抹消された。ちなみに、このモンゴメリとマリオン・ジョーンズのコーチは、カナダ陸上競技連盟から追放されていたチャーリー・フランシス、そう、あのベンの元コーチであった。チャーリーは、ベンの事件以後もドーピングに手を染めていたのであった。

さらに昨年のリオ五輪でも大事件が起こった。〈WADA(World Anti-Doping Agency:世界反ドーピング機関)特別委員会のリチャード・マクラーレン(Richard McLaren)委員長による〈マクラーレン報告書〉の第2弾において、2011年から2015年にかけ、ロシアで国家ぐるみのドーピングや、その隠蔽工作がなされ、30種目以上・1000人以上の選手が関与していたとし、更に2014年のソチ五輪でも大規模な不正が行われたと報告された。これに伴い、IAAF(国際陸上競技連盟)は、リオ五輪において、ロシア陸上競技選手団全員の参加を禁止。最終的には、ドーピングに関与していないと判断された選手の参加が認められたのだが、その数はたったの1名。米国に拠点を置いて活動していた女子走り幅跳びの選手1名だけだった。この事件について、ベンはこう語っている。

「いつも話しているとおり、金のあるところには不正がある。私はこのニュースを聞いても驚かなかった。いつかどこかで、このような状況が明らかになると予想していたからだ。選手がスポンサー契約や賞金と関わる限り、薬に手を染めるリスクを生むスポーツ界の構造は変わらない。選手は少しでも有利になるなら、なんでもやろうとするものだ。ロシア政府が潤っていたとしても、競技関係者は必ずしもそうではない。だからお金を稼ぐためにどんな手段も厭わない。あまりに多くのお金が動くから、ビジネスの場になっている。そして問題が発覚すれば、選手だけが罰せられる。そうした状況を見ていると、とても悲しい。私たち選手は奴隷のようだ」

ベンの事件から29年。状況は何も変わらないどころか、更に悪くなっている。

しかしベンはこう加えている。

「自分も十分に年をとった。IOCや国際陸連が自分をどう扱ったかなんて、今はもう気にしていない。今もベン・ジョンソンとして生き、楽しんでいることが大事だ」

ベン、その通り。正座させられたり、電車と競走したり、突風に追われたり。その度に不機嫌な顔をしているけど、「走れるならなんでもやる」というスタンスをあなたは貫いているし、なんといっても自由に楽しんで走っているのが強く感じられるのだ。現在のベンは、カール・ルイス以上のキャラクターとして自らの居場所を手に入れた。不機嫌顔の豆タンクの方が、親しみやすくて、おかしくて、スター性抜群の面白スプリンターになったのだ。俳優カール・ルイスの演技なんて誰もみたくない。ボルトに文句ばっかりいってる張本みたいなカール・ルイスなんて最低だ。しかし、悪者だったベンは、カッコ悪くても人間臭くても、まだまだ走り続けている。11秒台になろうと、12秒台になろうと、無様な姿をみせようと、100mがベンの舞台だ。ルイスが走らなくなった100mを、ベンは今も真剣に走っているのだ。

現在は地元のトロントでスポーツインストラクターをしながら、反ドーピング活動もしているというベン。最近ネタ切れ感が拭えない『しくじり先生 俺みたいになるな!!』への出演も、もうすぐかもしれない。〈すべてを失った男〉といわれたベン・ジョンだが、彼は〈走り〉を失っていない。まだまだゴールに向かって走り続ける。60になろうが、70になろうが、スプリントこそがベン・ジョンソンなのである。