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本名:ジョージ・ハーマン・ルース・ジュニア(George Herman Ruth Jr)。そして、バンビーノ:男の子(Bambino)、打撃の帝王(The Sultan of Swat)、ザ・キング・オブ・クラッシュ(The King of Crash)、長打の王様(The Colossus of Clout)など、様々な愛称を持つベーブ・ルース(Babe Ruth)は、歴史的に最も有名なアメリカの野球選手である。1895年2月6日に生まれたルースは、メジャーリーグで22シーズンをプレーし、放った714本のホームランは、1974年までメジャー最多記録を保持していた。ベーブ・ルースは、大食漢であり、大酒家でもあり、充実した日々を送るために惜しげも無く金を遣いまくった。その結果、不摂生が祟り、この男はある時期にどん底を味わったのだが、まったく異なるスポーツのおかげで復活できた事実はあまり知られていない。ベーブ・ルースは、ボクシングをトレー二ングに取り入れ、野球のスーパースターに返り咲いたのだ。

ベーブ・ルースの野球人生は、セイント・メアリーズ少年工業学校で始まった。この学校は全寮制の矯正学校兼孤児院で、素行の悪さから手に負えなくなった両親が、当時7歳だったルースをここに送り込んだ。その後、野球の才能が開花。1914年からは、ボストン・レッドソックスで、投手との二刀流を続けながら、最強のホームランバッターへと成長。1919年には、ニューヨーク・ヤンキースに移籍し、ほぼ打撃に専念するようになる。「年間2桁のホームランを打てば強打者」とされていた時代に、ルースは40本越えを11度、50本越えは4度も記録。スポーツ史に残る偉大なスーパースターとなった。

ヤンキースに移籍した1919年、既に彼は「プロ・ボクサーに憧れている。なってみたい」との発言を残している。ルースはリングでの刺激を求めていたようだが、同時にチャンピオンが手にする莫大な賞金も狙っていたのかもしれない。もちろん、ボクシング側のプロモーターやマネージャーたちは、この「ザ・コロッサス・オブ・クラウト」に可能性があるとは考えていなかった。ルースは強打を誇っていたものの、拳や手首が特別強かったわけではない。何年もバットを振り、ピッチャーをこなし、外野からホームに向かって返球していたので、その野球慣れした関節と筋肉は、まったくボクシングに適していなかった。更に、暴飲暴食の日々によって腹部は丸々と大きくなり続けた。身長188センチの大男にとって、体調管理や養生といった意識は皆無で、「一度に10個のホットドッグを食べ、一夜で6人の女性を相手にしている」などとメディアは素行を報じた。こんな男、普通なら「子供たちの憧れの野球選手」にならないものだが、当時のニューヨーク・ワールド紙は、ルースを「最も愛すべきバッターであり、愛すべきバッド・ボーイ」と評している。

他のトップ・アスリート同様、ルースは常に大袈裟で、調子の良い話を早口でまくしたてるような男だった。パーティー三昧のだらしない生活態度はエスカレートし、ヤンキース移籍から5年経った1925年にピークを迎える。春季キャンプに現れた30歳のベーブ・ルースは、ブクブクに膨れ上がっていた。動きも緩慢で、さらに過度の浪費癖から、金にも困っていたという。チームメイトのジョー・デューガン(Joe Dugan)による「ベーブは、昼も夜も関係無く、女と酒に浸っていた」という発言はあまりにも有名だ。そんな状態のルースであったが、春季キャンプでは打率4割を記録し、きっちりと結果を残した。今シーズンも例年以上の活躍が期待されたが、やはり不摂生の影響から、ある日ルースは倒れてしまう。「その瞬間、ベーブ・ルースは頭を打ち、死んでしまった」という誤報が世間を騒がすほど、彼は注目されていたのだ。

しかし、ベーブ・ルースは予想以上にタフだった。腸内に発見された腫瘍の摘出手術後、7週間の入院生活を経て、6月1日にシーズン初めての試合に出場。それは、退院からたった1週間後の試合であった。入院の原因は、暴飲暴食やアルコール中毒といった見解が多かったが、「実際には性病だったらしい」との噂も飛び交っていた。ルースは酒と女を止めなかった。遠征先のホテルを抜け出しては、自由時間を満喫していた。さすがにプレーにも影響が出始め、監督のミラー・ハギンス(Miller Huggins)は、ルースに5000ドルの莫大な罰金を要求。これに対してルースは逆ギレし、チーム・オーナーのジェイコブ・ルパート(Jacob Ruppert)や、マスコミに不満をブチまけたりもした。結局、この年のヤンキースは大きく負け越し、ルースも自身最低の成績(打率.290、ホームラン25本)でシーズンを終える。しかし、信じられないほどの不振、そして僅かによぎった死への不安から、ベーブ・ルースは一歩前へ進む決意し、著名なトレーナーであるアーティー・マクガヴァン(Artie McGovern)の門を叩いた。

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アーティー・マクガヴァンは、ボクシングの元フライ級チャンピオン。引退後の1925年に、ニューヨークで「マジソン・アベニュー・ジム」をスタート。セレブ御用達フィットネスクラブの先駆けである。マクガヴァンの顧客には、ルースと同じくメジャーリーグのスターであったルー・ゲーリッグ(Lou Gehrig)をはじめ、ボクサーのジャック・デンプシー(Jack Dempsey)やゴルファーのジーン・サラゼン(Gene Sarazen)、さらには『ワシントン・ポスト』から『星条旗よ 永遠なれ』など、数々のマーチを生んだ作曲家・指揮者のジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Souza)なども名を連ねていた。マクガヴァンの指導法は、鬼軍曹の如く真面目で厳しいものであった。顧客の食事は管理され、砂糖やスイーツはご法度。バランスのとれた食事を推奨した。トレーニングそのものも過酷で、一切の妥協も許されなかった。マクガヴァンのジムは人気を集め、ウォール・ストリートの大物たちも、ジムを訪れるか、自宅に「マジソン・アベニュー・ジム」のトレーナーを招くほどだった。その後、マクガヴァンは「フィットネスの父」と称されるようになる。

トレーニングは、ストレッチ、ウエイトトレーニング、数ラウンドの縄跳び、ボート漕ぎローイングマシン、トレッドミルなどを使った有酸素運動が中心だった。同時にマクガヴァンは、アスリートのためのトレーニングについて着目し、あらたなエクササイズも生み出していた。それは、専門種目だけでは鍛えられない筋肉をターゲットにした、今日の「ファンクショナルトレーニング」の先駆けでもあった。マクガヴァンは、ボクシングだけでなく、様々な格闘技に触れていたため、ジムに通う野球選手、ゴルファー、弁護士、百万長者の妻たち、オペラのソプラノ歌手までもが、ボクシングとレスリングを取り入れたトレーニングに励んでいた。

「マジソン・アベニュー・ジム」では、サンドバッグを打つだけではなく、実際にスパーリングもメニューに入っていた。ニューヨークのセレブやビジネスマンが、アスリートと対戦する光景も良く見られ、最近オークションに出た写真にも、ベーブ・ルースとニューヨーク証券取引所のメンバーであったJ.G.ホール(J.G.Hall)によるレスリング風景が映っていた。またマクガヴァン本人も、オペラ・スターのナネット・ギルフォード(Nanette Guilford)とスパーリングをしていたそうだ。マクガヴァンは、ルースを上客として迎え入れ、減量のために、食事と飲酒を管理する積極的なプランを用意した。

ルースは、厳しいトレーニングに真面目に取り組んだ。健康を取り戻さなければ、野球選手としてのキャリアが終わってしまうとわかっていたからだ。1日4時間のトレーニングで、筋力をアップさせると同時に、118キロあった体重を減らしていった。ハンドボールやゴルフも取り入れ、ジョン・フィリップ・スーザなどの有名人の隣で汗を流し続けた。

「ベーブ、若返りの泉(Fountain of Youth)でも見つけたのか?」と誰かが訊くと、「いや、アート・マクガヴァンのジムを見つけたんだ」と応えたそうだ。

マクガヴァンは、世界最高のアスリートたちに新しいトレーニング・スタイルを提供し、アスリートたちもそのキャリアに磨きをかけた。マクガヴァンによるリハビリ・トレーニングが功を奏し、ルースは、翌1926年のシーズンは打率.372、ホームラン47本と活躍した。さらに1927年は、打率.356、ホームランは自己最高記録となる60本、ヤンキースも圧倒的な強さでワールドチャンピオンに輝いた。また、この見事な復活劇もあり、「フィールド外でのトレーニング」がスポーツ界に広がった。その後もルースは、マグガヴァンのジムに通い、なかでもボクシング・トレーニングを積極的に取り入れていた。記者たちがルースとマクガヴァンのスパーリング撮影のためにジムを訪れると、ルースは「俺は、ヤンキースにとって8万ドルの価値がある選手だ」と言い放った。「そして俺が今一番に望むのは、脚の強化と、筋肉の軟化だ。ここにはじめて来た頃の体重は118キロだった。今はとても快調だから、あと数年の契約も問題ない」

ルースは、その後もボクシング・ファンであり続けた。偉大なヘビー級チャンピオンであるジョー・ルイス(Joe Louis)とも親交を重ね、彼のトレーニングに顔も出していた。残念ながら、ルースはプロのボクサーにはなれなかったが、ヘビー級のチャンピオンと同じようにグローブをはめてリングで戦う、という夢は実現した。超人的な力を発揮した「野球」の合間に、ベーブ・ルースは間違いなくボクサーになっていたのだ。