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リスクを転嫁された前田健太のメジャー契約

広島東洋カープからロサンゼルス・ドジャースへ移籍を果たした前田健太投手。しかしその契約は、メジャー史上、最も歪な内容であった。

広島東洋カープからロサンゼルス・ドジャースへ、ポスティング制度* を使ってメジャーリーグ移籍を果たした前田健太投手(27)。3月5日のオープン戦初登板は2回1安打無失点、そして2度目の登板となった3月10日も、3回2安打無失点と、安定したピッチングを続けている。毎回ウォーミングアップで行う「マエケン体操」は、チーム内にも浸透したようで、ボストン・レッドソックスの田沢が広めた森永の「ハイチュウ」同様、「マエケン体操」もメジャーリーグを席巻するかもしれない。

何事にもポジティヴに取り組み、礼儀正しく、明るい性格の前田健太。先日も『アメトーーーーク!・絵心ない芸人』に出演し、お茶の間を爆笑の渦に巻き込んだが、そんなキャラは、同僚選手たちのハートも鷲掴みにした模様。片言の英語・スペイン語・韓国語でコミュニケーションを取る彼の周りには、自ずと選手たちが集まり、「ケンタ、サイコー!」「クール!マエケン!!」なんて声が溢れている。

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しかし、そんな笑顔の輪の裏側には、「可哀想なケンタ」「騙されたマエケン」といった感情も含まれているはずだ。うがった見方かもしれないが、前田は他選手たちからちょっと…というか、かなり同情されている。そう、彼は現在のMLBにおいて、悲劇のヒーローなのだから。

前田健太のロサンゼルス・ドジャース入りが決定した今年1月。このおめでたいニュースは一気に日本を駆け巡ったが、同時に報じられたのがその驚くべき契約内容。「え?マエケンなのにこの程度?」。間違いなく現在の日本球界において、最も優れたピッチャーであるにも関わらず、その内容は決して相応しい額ではなかったからだ。これまでの主な日本人投手のメジャー移籍時契約内容と比べれば一目瞭然である。(*以下内容には、ポスティング制度による落札金/譲渡金は含まれていない)

2007年 松坂大輔 西武ライオンズ→ボストン・レッドソックス(ポスティング)
6年総額5200万ドル(約59億円)+出来高

2007年 井川慶 阪神タイガース→ニューヨーク・ヤンキース(ポスティング)
5年総額2000万ドル(約22.7億円)+出来高

2008年 黒田博樹 広島東洋カープ→ロサンゼルス・ドジャース(フリーエージェント)
3年総額3530万ドル(約40億円)

2009年 上原浩治 読売ジャイアンツ→ボルチモア・オリオールズ(フリーエージェント)
2年総額1000万ドル(約11.3億円)+出来高

2012年 ダルビッシュ有 北海道日本ハムファイターズ→テキサス・レンジャーズ(ポスティング)
6年総額5600万ドル(約63.6億円)+出来高

2014年 田中将大 東北楽天ゴールデンイーグルス→ニューヨーク・ヤンキース(ポスティング)
7年総額1億5500万ドル(約161億円)

2016年 前田健太 広島東洋カープ→ロサンゼルス・ドジャース(ポスティング)
8年総額2500万ドル(約28億円)+出来高

契約年数は、これまでメジャー移籍した日本選手で最も長い8年だが、やはりお金が安過ぎる。2500万ドルのうち、契約金が100万ドルなので、残りを年俸に換算すると300万ドル。広島時代の年俸が3億円だったので、メジャーに移籍してもほぼ変わらない内容であり、またこの金額は、メジャーの平均年俸より低い。ダルビッシュや田中に比べると、力は劣っているかもしれないが、あまりにもこれまでの契約と差があり過ぎる。メジャーへ行けば、年俸1000万ドル以上は稼げるはずだった男が、なぜこのような状況になったのか。

一番の理由は、前田の健康状態。身体検査の結果、肩と肘の靭帯に異常が発見された。このまま投げ続ければ損傷に至る、との診察結果が出た。これにより、前田の獲得を狙っていたメジャー数球団が撤退。しかし、前田はメジャー移籍を強く希望。そこでドジャースが「いつか手術することになっても、何年か投げてくれたら元を取れるだろう」と手を挙げた。また、このオフシーズンに、投手補強に失敗したドジャースは、先発ローテーションの内4人がサウスポーで、どうしても右の本格派投手が欲しい事情も重なった。おそらく、前田獲得の意思を示した球団は、この時点でドジャースしかなかったのであろう。

ここまでは納得できる。田中やダルビッシュのような実績のある日本人投手でも、「怪我をするかもしれない」人間に対し、大金はつぎ込めない。ただ前田は、長期契約に拘っていた。そこにドジャースは付け込んだ。「怪我をしてもまだ若いから戻れるかもしれない。2〜3年なら休んでもOK。だから長期契約は結ぶが、でもお金は払わない」と。さらに、この手の契約では、選手が3〜4年後に契約を破棄することができ、フリーエージェントとなるのが通例であるが、前田はそんな契約も交わしていないし、トレード拒否権もない。要するに、ドジャースから放出されないかぎり、前田は8年間拘束される。

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さらにドジャースは、年俸にプラスして、細かい出来高を設定した。条件をクリアすれば加算されていくのが出来高契約である。アンドリュー・フリードマン編成部門取締役は、かつて最弱だったレイズを強豪チームに変貌させた、史上最高の敏腕GMと評される人物。この編成トップが、球団側にリスクのない出来高重視の契約を考え、提案したのだ。

Andrew Friedman:Photo via Wikimedia Commons

前田健太 出来高条件内容

開幕ロースター* 入り 15万ドル

先発数
・15試合先発 100万ドル
・20試合先発 プラス100万ドル
・25試合先発 プラス150万ドル
・30試合先発 プラス150万ドル
・32試合先発 プラス150万ドル

投球イニング数
・90イニング投球達成 25万ドル
・100イニング投球達成 プラス25万ドル
・110イニング投球達成 プラス25万ドル
・120イニング投球達成 プラス25万ドル
・130イニング投球達成 プラス25万ドル
・140イニング投球達成 プラス25万ドル
・150イニング投球達成 プラス25万ドル
・160イニング投球達成 プラス25万ドル
・170イニング投球達成 プラス25万ドル
・180イニング投球達成 プラス25万ドル
・190イニング投球達成 プラス25万ドル
・200イニング投球達成 75万ドル

もし、これらがすべてクリアされれば、前田は1000万ドル〜1315万ドル、12〜16億円の年俸を手にすることになる。しかし、このような契約はベテラン選手が交わすもので、前田のような、27歳の若い選手が交わすものではない。試合に出て、成果を上げなければ金は払わない。要するにドジャースは、前田に対し、「自分でなんとかしなさい。私たちはリスクを負いません」と突きつけたのだ。

今回の契約内容により、まだまだメジャーでは無名であり、未知の存在であった前田健太は、一躍脚光を浴びることになった。皮肉にも、投手としての実績よりも、メジャー史上、最も歪な契約内容によって。この件はアメリカのメディアやSNS上でも大きな話題となっている。

「ショックだ。こんな契約は聞いたことがない。あまりにドジャースにとっておいし過ぎる」

「フリードマン取締役は5年で総額3500万ドル貰っている。出来高重視を考えた男が前田より稼いでいる」

「2015年に32先発、200イニングを達成した投手は25人しかいない。しかも、もし前田がそれを達成したとしても、達成していない田中は2200万ドル貰っている」

「ドジャースは勝利した。雇い主が相当の大金を背負い込むリスクを従業員に転嫁したのだから」

「これは、選手協会との最終交渉でオーナー側が圧倒的な勝利を収めたアメリカンフットボールリーグ(NFL)のやり方を踏襲している。さらに過去20年間の経済動向からもよく知られた方法だ」

「全リーグの球団フロントが実現を夢見ていた契約スタイルが、遂に実行された」

「もし前田が怪我をすれば、彼が貰えるハズだった金は、単に球団経営陣のポケットに逆戻りし、世はすべて公平、『ことなし』となる。更にドジャースは、他の選手と契約するための資金が手に入る」

メジャーリーグ・ベースボール選手会(MLBPA)は、「出来高総額の一定額を選手に保証しなければならない」などの条項を新たな労使協約に盛り込むべきだ。実際、MLBPA側からも、この契約が悪しき前例となり、交渉する球団に足元を見られやすくなるのでは、との不安も聞こえてくる。

前田投手がドジャースで成功してもしなくても、この契約は球団とって思い通りのものになる。活躍すればドジャースは優勝を手にする。活躍しなければ金は残る。今シーズン、成績が良くても悪くても、前田健太は確実に注目されるだろう。そしてオフシーズンを迎えたとき、追随する球団は出てくるのだろうか。MLBPAは、どのように対応するのだろうか。ただひとつ、前田が気にしなくていいことは、井川や松坂のように「給料泥棒!」なんて言われる心配がないことだ。