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All Photo by Keijiro Kai

2018年にロシアで開催されるFIFAワールドカップアジア最終予選が始まった。6大会連続の本戦出場を目指す日本代表は、ホームでの試合にも関わらずUAE(アラブ首長国連邦)に1−2でまさかの敗戦。最終予選の初戦に敗れるとワールドカップに出場できないというデータがあるが、果たして日本代表は歴史を覆してくれるだろうか。

<これまでのアジア最終予選初戦の戦績>

1954年W杯予選|日本1-5韓国→予選敗退
1962年W杯予選|日本1-2韓国→予選敗退
1986年W杯予選|日本1-2韓国→予選敗退
1994年W杯予選|日本0-0サウジアラビア→予選敗退
1998年W杯予選|日本6-3ウズベキスタン→本大会出場
2006年W杯予選|日本2-1北朝鮮→本大会出場
2010年W杯予選|日本3-2バーレーン→本大会出場
2014年W杯予選|日本3-0オマーン→本大会出場

この敗戦、UAE寄りの疑惑の判定が続いた「中東の笛」や、「テレ朝日本代表応援団長・香取慎吾」がスタジアムで生観戦した試合は10勝5分けと不敗神話を継続中であったが、SMAP解散騒動の余波で不在した影響なども話題となった。そして、やはり香取応援団長不在の中で迎えた、成長著しいタイとの第2戦も、アウェーのため、必要以上にネガティブな雰囲気のまま迎えたが、結果は先発に抜擢された原口元気と浅野拓磨のゴールで勝利。若手が活躍する一方、本田や香川といったこれまで代表を引っ張ってきたメンバーの不調が否めなく、これから先が不安になる内容だった。日本代表が窮地に追い込まれるほどヒートアップして何をいっているかわからなくなる松木安太郎の「お茶の間」目線の解説を含め、これから来年9月にかけては見逃せない試合が続く。まさに「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」

サッカーほど多くの文化圏で興じられているスポーツはない。先日のオリンピックを観ると、世界には様々なスポーツがあるのを改めて実感したが、ワールドカップ視聴者数はオリンピックよりも遥かに多く、は4大スポーツの影に隠れ、サッカー不毛の地といわれてきたアメリカでも、近年、サッカー人気が上昇している。

世界中で愛されるこのスポーツの起源は何なのだろうか? イギリスの動物学者デズモンド・モリスは、「サッカーの起源をたどると、私たち人類の先祖が野生動物の狩猟に明け暮れていた時代まで遡る。当時は、獲物の追跡は生死にかかわる問題だった。優れた狩人でいるために、人類は肉体的にも精神的にも、全く新しい資質を備える必要があった。狩猟を生業とした人類の初期の先祖は、徐々にではあったが筋骨のたくましさを増し、同時に知的水準を高めていった。こうした利点を生かしつつ、チームとしての共同作業を通じて、人類は戦略を立て、戦術を練り、危険を冒し、罠をしかけ、最終的には屠殺を図れるようになった。こうやって目的(サッカーの試合だとゴール)を果たすまでの流れをみると、早くもここにサッカーチームの原型が姿を現している」と著書『サッカー人間学』で自説を披露している。

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「球を蹴る」行為は、昔から世界中にある。その起源は、イギリス・中国・イタリアなど、いくつか説が挙げられている。FIFA(国際サッカー連盟)によると、中国の蹴鞠がサッカーの起源とされている(2005年に当時会長だったゼップ・ブラッターが認定書を送った)が、これは中国マーケットの拡大を目論んだ商業的な意味合いが強く、歴史学者を始め、多くの反発を招いた(ブラッターはその後、2015年にFIFA汚職事件がきっかけで辞任)。そもそも、モノを蹴る行為=サッカー、という定義自体が曖昧なのだが、各地域独自のルールで行っていたものを、1863年にイギリスで設立されたFA(Football Association:サッカー協会)によってルールが制定され、現在私たちが見ているサッカーが世界中に普及するきっかけになった、と推測される。その推測をさらに遡り、サッカーの原型を探ると、数百年続くキリスト教のお祭りに辿り着く。

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シュローブタイド・フットボール(Shrovetide Football)とは、英国イングランド・ダービーシャー州中部の街、アッシュボーンで年にいち度、キリスト教の懺悔節の最終日「告解の火曜日Shrove Tuesday」」と、信者が4月の復活祭(イースター)の準備を始める四旬節の初日「灰の水曜日(Ash Wednesday)」の2日間にわたるキリスト教のお祭りである。毎年約7,000人が参加し、街全体がフィールドと化し、その真ん中を流れるヘンモア川を境に、誕生場所によって北部出身者の「アッパーズ」、南部出身者の「ダウナーズ」にチーム分けされる。ゴールは両街の川岸にある製粉用水車の挽臼だった石で、両ゴール間は約5キロ。ボールは革製で、川の中でも浮くよう中にはコルクが詰められ、サッカーボールよりも大きい。ボールを蹴るというよりは、抱えて走る機会が多いので、ラグビーにも近い(元々サッカーとラグビーは同じ競技だったが、パブリックスクールに持ち込まれ、その後別々の道を歩んだ)。各チームのユニフォームはないが、服の色や図柄でお互いを判別できるよう、参加者はそれぞれ毎年同じ服を着るのが慣例となっている。

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参加者は、街の中心にある広場に集められ、午後3時、「蛍の光」の原曲となったスコットランド民謡と英国国家が斉唱されると、街の住民から選ばれた代表により、台の上から参加者に向けてボールが投げ込まれると試合が始まる。それぞれのゴール石に3回タッチすると、得点が認められる。ゴールが決まらないまま午後10時になった場合は引き分け。「人を殺さない」「教会、墓地に入らない」など、決められたルールはいくつかあるが、それ以外であれば、何をやっても許される荒々しいゲームである。そのため、場外乱闘やけが人は当たり前で、骨折する参加者もおり、試合中は救急斑が控えている。また、通りに面した住居や商店は、建物に木を打ちつけて保護するが、破壊もしばしばあるので、このお祭りのための保険もある。そのおかげで、住民たちは、すべて承知のうえで気兼ねなくお祭りに参加できる。

アッパーズの得意プレーは、大人数でボールを囲むスクラム。ダウナーズの得意プレーは、川にボールを投げ込み、その流れを利用したボール運び。奇策を使う参加者も見受けられ、年頃の女性が妊婦のふりをしてボールをお腹に隠したり、買い物袋にボールを入れ、買い物客を装ってゴールに近づいたりもする。実際に効果があるのかわからない微妙な策も多いが、過去に成功した例もあるらしい。

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初期の記録が1890年代の火災によって焼失したため、シュローブタイド・フットボールの正確な起源は定かでないが、少なくとも、1667年頃には始まっている。公開処刑の後、群衆に向かって放り込まれた受刑者の頭部をボールとして使っていた、という説もある。また、サッカーの試合タイトルに使われる「ダービーマッチ」(ある地域を二分して対戦する試合)という言葉の由来は、シュローブタイド・フットボールの舞台である都市ダービーだ。

アッシュボーンで生まれ育つと、この競技への参加は、大人への通過儀礼でもある。また、ゴールを決めた参加者には、アッシュボーン男児の栄誉として、様々な意味が込められた絵と本人の名前が記されたボールが送られる。

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今年も2月9-10日、お祭りは例年通り開催された。ここ5年の成績を振り返ると、2011-13年が引き分け、2014-15年はアッパーズが勝利しており、ダウナーズは2010年以降勝利から遠ざかっている。6年ぶりの雪辱を果たすため、ダウナーズはマンチェスター・ユナイテッドばりの大規模選手補強を敢行し、試合に挑んだ。その補強が功を奏し、ダウナーズのポグバのドリブルからイブラヒモビッチにパスが渡り、屈強なアッパーズのディフェンス陣をものともせずゴール! その後も新加入メンバーを中心に攻め続け2点目を狙うが、アッパーズもなかなか得点を許さない。そして試合終了直前のアディショナルタイム、攻めに耐え抜いたアッパーズがカウンターから一気にダウナーズのゴールへ攻め込み、最後はスクラムで同点に追いついた。以上、妄想も多々入っているが、今年の結果は1-1の引き分けだった。ダウナーズにとっては悔しい、アッパーズは勝利に値する引き分けだった。来年の2月に向けて、町のパブでは、ビール片手にこの話に華を咲かせ、毎週盛り上がるのだろう。

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一般的に「スポーツ」というと、いわゆる近代スポーツ(世界統一ルールに従い、国際競技会が開催される種目)を想像してしまいがちだが、ある特定の地域だけで受け継がれ、その地域の社会、生活などと密接に結びつき、重要な文化として成立している地域限定スポーツが、実は世界中に数多く残っている。シュローブタイド・フットボールの特徴は、近代的概念としての「スポーツ」誕生以前には、必要不可欠だった「格闘」の要素だ。プリミティブな生物としての本能的で純粋な人間の生々しい姿が、数百年続く祭礼を通して現在に伝わっている。

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日本代表のハリルホジッチ監督が口にするキーワード「デュエル(決闘)」。「現代サッカーは、ますます激しさを増している。ファイトしなければ、世界で勝つのは難しい。日本代表はこの点で、大きく見劣りしている」という監督の言葉のように、現在の日本代表にとっての課題は、球際の争いを闘えるかどうかだ。それはフィジカルだけでなくメンタルの問題でもある。これだけ技術が発達した現代サッカーにおいても、世界のトップレベルでは「デュエル」に勝てるかどうかが重要になっている。それはシュローブタイド・フットボールと変わらないのだ。果たして、数百年後のサッカーはどのような競技に変化しているのだろうか? そして、絶対に負けられない戦いは続いているのだろうか?

Text by Takashi Ogami (SHUKYU Magazine)
Keijiro Kai Photo Book “Shrove Tuesday