Photo by Brendan Maloney-USA TODAY

コーリー・ベルモア(Corey Bellemore)、23歳。ビールを飲みながら走る競技〈ビア・マイル(beer mile)〉の世界記録保持者だ。同時に彼は、カナダ陸上競技界のトップ中距離選手であり、将来的には同国代表になる可能性を秘めた選手でもある。

トロントのヴァーシティー・スタジアムで、コーリー・ベルモアはスタートラインについた。実況アナウンサーが「第6レーンは、ビア・マイルの世界記録保持者です!」と叫んだ。観衆からは笑い声やヒソヒソ声が聞こえた。しかし、ベルモアは真剣な表情だ。

ベルモアはビア・マイルの世界記録保持者であると同時に、カナダのまぎれもないトップ中距離選手だ。もうすぐ大学を卒業する彼にあつまる注目や名声は、ほとんどがビア・マイルによってもたらされたものだが、彼は分け隔てなく、それぞれのレースに真剣に挑んでいる。

23歳のベルモアは、走ること、そして競うことに、偏執的なまでの情熱を注いでいる。6月29日に開催された〈トロント・トラック・クラブ〉主催の〈800メートル・ナイト〉では、カナダのトップ選手と争った。そして、その1週間後にオタワで開催された〈カナダ陸上選手権〉では、800メートルと1500メートルの2種目に出場。見事に両種目で4位入賞を果たした。更に陸上シーズンが終わると、彼は数カ月ものあいだ、クロスカントリー選手として活動する。ベルモアはこの競技でも、カナダのトップクラスの成績を残している。

ベルモアは、トロントの800メートル・ナイトで圧倒的な走りを見せた。ケガから復帰後の初レースであったが、後続の選手を10ストライド以上突き放す圧巻の走りを見せた。タイムは1分47秒97。大会新記録だ。

「私にとって今回の800メートルは、今年初めての正式レースでした。ペースを上げたら、自分の脚はどのように対応するか、それを確かめたかったんです。結果は上々でした。今回のタイムは自己記録のなかでも3番目に速いタイムでしたから、非常にいいレースでした」。レース後ベルモアは語った。

彼は、ビア・マイルに特化した練習をまったくしていない。それにもかかわらず、世界記録保持者になれたのは、やはり、才能があるからだ。考えてみてほしい。ベルモアの保持するビア・マイル世界記録は4分34秒35。つまり彼は、355㎖のビールを飲みながら、トラック1周(400メートル)を68秒5で走っているのだ。しかもビア・マイルというレースは、それを4周(1600メートル)も繰り返さなければならないし、ビールを4本飲まなければならない。多くの人間にとって、酔っぱらいながら走るなんて無理だし、しかも〈飲みながら〉なんてなおさらだ。いうまでもなく、1600メートルを4分34秒で走るなんて、少なくとも高校時代に優秀な中距離選手であった人でもなければ、355㎖×4本のビールを飲んでいなくても無理だ。

テキサスで開催された〈2016年度ビア・マイル国際大会〉の男性エリート部門で優勝し、ビールとトロフィー、優勝賞金の小切手を受け取ったコーリー・ベルモア。

オンタリオ州ウィンザー出身のベルモアが初めてビア・マイルを走ったのは、その催しがただ楽しそうだったからだという。多くの大学陸上部は、シーズン終了のイベントとして、ビア・マイルへ出場し、その年を締めくくる。ある年、ベルモアも同じように出場し、5分27秒でゴールした。その後、同じカナダ人のルイス・ケント(Lewis Kent)が4分47秒17というタイムで世界新記録を樹立した。それを見てベルモアは、自分も世界記録を出せるかもしれないと感じた。アルコールを摂取しない状態で通常レースを走れば、ベルモアはケントよりも速かった。つまり、アルコールを飲んでいても、実力を発揮できれば、当然、ケントの記録を破れる。彼の自信には十分な根拠があったわけだ。

そして2016年7月、ベルモアはキャンプカウンセラーとして12時間シフトの仕事をしながら、野心を燃やしていた。そして、本気でビア・マイルに挑戦しようと決心した。友人には〈キングフィッシャー・ビール〉6本入りパックとカメラを用意してもらった。ただ、ビールは、早く開けられて早く飲めるリンプルキャップの瓶ビールのほうがよかったのだが、周辺の酒屋には缶ビールしか置いてなかった。再び車で店をまわり、やっと希望の瓶ビールを見つけた。しかし、車のトランクで温まったぬるいビールをタイムアタックの最中に飲まなくてはならなかった。このようにビールのコンディションはよろしくなかったのだが、ベルモアは見事にセント・ジョセフ高校のトラックで世界新記録を樹立。その映像は、すぐさまアップロードされ、記録も実証された。そして彼は、ロンドンで開催された〈ビア・マイル・ワールドクラシック〉にも出場。さらにそこでも世界記録のタイムを縮めた。

「私がビア・マイルに参戦したのは去年からですが、そのときから『世界記録を狙える』と感じていました。でも、こんなに注目されるとは予想していませんでした。本当に突然、ワっ、と物事が起こりました。何も知らないまま飛行機に乗って、英国まで行って、その次の日には世界記録を更新しました。そのあと仕事のためにまた飛行機で戻って…。48時間とか50時間とか、不眠でぶっ通しましたよ。本当にめちゃくちゃな数日間でした」とベルモアは回想する。

ベルモアは、〈ビア・マイラー〉としてのすばらしい成績によって、カナダの〈トップ中距離選手〉としてだけでは成し得なかったであろう、スポンサーとの契約を実現した。契約の相手はアディダスだ。それ以来、彼が試合時に泊まるホテルには、アディダスの用具が一式用意されるようになった。彼は、そんな待遇があることなどまったく知らなかったそうだ。また、その数週間後には〈フロートラック・ビア・マイル・ワールドクラシック〉で優勝し、2500ドル(約28万円)というキャリア最高額の賞金を獲得した。ちなみにトロントでの〈通常800メートル〉で優勝したときの賞金は500ドル(約6万円)、景品は、ブルックスのランニング・シューズ。しかし、アディダスとスポンサー契約を結んだ彼は、そのシューズを履けなかった。

彼は、ビア・マイルで稼いだ賞金のおかげで、より多くの陸上競技大会へエントリーが可能になり、更に交通費も捻出できるようになった。陸上競技におけるアスリートとしてのキャリアは、大学生を対象にした選手育成プログラムが提供する活動資金が、大学卒業とともに打ち切られると、終わってしまう。大学卒業後も陸上選手としてのキャリアを築くには、非常に潤沢な資金があるか、趣味としてのどちらかしかない。つまり、資金がない、という理由だけで、才能あるアスリートたちは、肉体的に成熟した最高の時期に選手として競うチャンスを得られなくなるのだ。

自分が愛する競技の世界に身を置きたいがゆえに、不本意な職業に甘んじるトップレベルのアスリートたちもいる。そのなかでも、ベルモアのキャリアは風変わりだ。ビア・マイラーとして走る彼は、野球における〈ワンポイントの左バッター専門投手〉であり、アメリカンフットボールにおける〈股下から正確に球をパスするロングスナッパー〉のような存在だ。通常の陸上競技で知名度を上げているわけではないが、それでも彼はランナーとして生計を立てている。多くのアスリートがあきらめざるを得ない道を、彼は走っているのだ。

「コーリー・ベルモアはマーケットに見出された。彼にとってそれは幸運な出来事でした。800メートルを1分47秒で走る選手がどれくらい稼げるでしょうか。たとえ1分44秒で走れても大した額は稼げません。陸上競技界そのものに資本がないからです」。そう説明するのは『Toronto Star』紙の記者モーガン・キャンベル(Morgan Campbell)だ。「ボクシングの世界と同じです。全体の95%の金を、5%の人間が独占している世界なのです」

「その他大勢の選手たちより速く走れる、という程度では、お金は稼げません。たしかにビア・マイルの選手は、中距離の世界チャンピオンになるよりダサい気もしますが、実際ベルモアのような選手にとっては、ビア・マイラーとして獲得できる賞金のほうが多いのです。ベルモアは間違いなく、彼より速い800メートル選手よりも稼いでいるでしょう」

通常の陸上競技大会で走るベルモア。Photo courtesy Corey Bellemore

陸上選手たちが資金獲得に苦しむ原因は、彼ら自身の知名度の低さにある。たとえば陸上競技専門雑誌をめくってみると、そこに掲載されている人々はエリートたちではなく、地元のマラソン大会に出場し、〈心を揺さぶるエピソード〉をもっている素人たちがほとんどだ。娯楽として走っているホビー・ランナーたち、小さなマラソン大会である程度の順位を争うくらいの草ランナーたちは、普段から陸上競技を観戦するようなタイプではない。さらに、ランニングと無縁の人たちは、1人でいいから中距離選手の名前を挙げてください、というリクエストにも応えられないだろう。しかし、ここで話題のカナダ人ランナーは例外だ。

そう、ビア・マイルで成功を収めたベルモアは、異例の選手なのだ。〈アレン&ギンター〉のサイン入りトレーディングカードも登場したくらいなのだから。

「たとえばNFL(National Football League)ならば、『当社のシューズを履いて40ヤード走で記録を出してくれれば100万ドル(約1億円)を差し上げます』と名乗り出るシューズメーカーがあります。陸上選手で、アメフトの40ヤード走の記録を超えるくらい速く走れる選手は何人いると思いますか? たくさんいますよ。しかし、陸上選手がシューズメーカーと1億円規模の契約を結ぶのは非常に困難です。本当に難しいのです。アンドレ・ドグラス(Andre De Grasse)や、クリスチャン・コールマン(Christian Coleman)でもない限り、1億円規模のシューズ契約など舞い込んできません。でも、足の速いアメフト選手はオファーされるんです」。キャンベルはそう語る。

ビア・マイルというニッチな競技が、彼の陸上競技キャリアのなかで非常に重要なことを理解しているベルモアは、酒に強くなるべく更に日々鍛錬している。アルコール摂取を完全に控えるランナーもいるというのに、とてもおかしな話だ。ただもちろん、彼が〈トレーニング〉で摂取するのは、ほとんどが水やゲータレードだ。しかし、〈成功を収めた大学生ビア・マイル・アスリート〉としての正式な〈トレーニング〉では、バーで飲む機会も多い。

乾杯! Photo courtesy Corey Bellemore

「時期によって偏りがありますね」。彼はいたずらっぽく話す。「大きな大会が迫っているときには、飲酒を控えるようにしていますが、シーズンの中盤、あるいはシーズンが始まったばかりの時期は、皆と飲みたくなります。社交的でいたいんです」

ベルモアは、〈おかしな〉ランナーとしての生活と、エリートレベルの中距離選手としての生活バランスをうまく両立させている。しかし彼の本当の目標は、やはりカナダ選手権優勝であり、カナダ代表チーム入りだ。それでも、どんな成績を残そうとも、自身のトップ・ビア・マイラーとしての地位を忘れはしないだろう。ウィンザーにある彼の住居には、巨大な小切手やトロフィーが飾られているのだから。

世間は、現在の800メートルの世界チャンピオンを知らない。デヴィッド・ルディシャ(David Rudisha)の名前すら知らない。しかし、キングフィッシャーをガブ飲みしながら、トラックを疾走する男は、Facebookのタイムラインを覗き見したみんなが知っている。

「いつも『あれ? ビア・マイルの人だよね⁉︎』と声をかけられます。『僕は、ガチの中距離選手でもあるんだけどね。まぁ、とにかくありがとう』と返しています」とベルモアは教えてくれた。