クラッシュからライダーを守る
固定ギア自転車レース〈RED HOOK CRIT〉
Courtesy Bjorn Lexius

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クラッシュからライダーを守る 固定ギア自転車レース〈RED HOOK CRIT〉

時計の針が午後9時半を指し、「ロッキーのテーマ」が鳴り響いた。バイクメッセンジャーや、トラックレース専門のサイクリスト、そして47カ国から迎えられたワールドクラスのロードレーサーなど、95人の選手がフィールドを埋めた。これから世界で最も過激な固定ギア自転車レース〈RED HOOK CRIT〉の男子ファイナルが始まる。

2016年4月、時計の針が午後9時半を指すと「ロッキーのテーマ」が鳴り響いた。バイクメッセンジャー、トラックレース専門のサイクリスト、47カ国から招待されたワールドクラスのロードレーサーなど、95人の選手がフィールドを埋めた。〈レッド・フック・クリット(Red Hook Crit, 以下RHC)〉の男子ファイナルが始まろうとしている。ブルックリンで開催された固定ギア自転車のレースは、世界で最も有名なクリテリアムだ。

しかし、レース開始数秒後に悲劇が起きた。ペースメーカーのオートバイが、コースの真ん中でエンストをしてしまったのだ。数人のサイクリストはオートバイを避け、辛くも衝突を免れたが、やはり誰かがオートバイにぶつかり、それに続くライダーたちもどんどん転倒し、固定ギア自転車とライダーの山ができあがってしまった。少なくとも7人のライダーが負傷し、そのうちひとりは数針縫わなければならなかったが、幸い誰も骨折しなかった。現場には救急車が何台も駆けつけたが、その後レースは再開。95人中、41人が完走した。

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大混乱に見えたこの事故の映像は、ネット上で瞬く間に拡散された。そして、「これは正式に認められていないイベントだ」と大勢から批判された。正式に固定ギア自転車のイベントが認可されるには、サイクリング・スポーツ全体を統括する米国自転車連盟(The United States’ cycling organization:USA Cycling)の安全方針と、コース選定の必須条件に従い、レースを開催しなければならない。RHCサポーターの多くは、事故への批判が続くと、安全なイヴェント開催を目指す努力が認められにくくなる、と懸念している。

「事故は人為的ミスだった。 ローカルでも、国内大会でも、そして国際的なレースでも、同じような状況は起きる。連盟に認可された通常のレースでは、いかなるミスによって衝突が起ころうとも許される」。そう語るのは、クリテリアムのナショナル・チャンピオン、ダニエル•ホローウェイ(Daniel Holloway)だ。彼にとってはRHCが、初めて参加した固定ギア自転車レースだった。

「RHCは新しくて〈タブー〉なレースだから、バカか、と批判されやすい」

固定ギア自転車レースは、危険度の高さゆえに、印象は良くない。ライダーたちは、お互いほんの数センチの間隔で急カーブを曲がりながら、時速64キロで疾走する。彼らの自転車はシングル・ギアで、フリーホイールではない。タイヤが回転していればペダルは回転を止めない。ブレーキもない。

「手加減できないんだ」。完走して5位になったホローウェイはいう。「脚を止められないから、レースが始まったら全く気を抜けない。ロードバイクで走るよりも、小さな過ちが命取りになる」

固定ギア自転車レースは、100%安全なスポーツにはならないだろう。しかし2008年、RHCを立ち上げたデイヴィッド•トリンブル(David Trimble)は、このレース、そしてこのスポーツの安全性を高めようと努めている。モータースポーツの経験から得たイベント制作、コース改善とともに、彼はクリテリアムの新しいモデルを築いてきた。現在ではニューヨークのほかに、ロンドン、バルセロナ、ミラノの4カ所で、RHCのチャンピオンシップ・シリーズを運営している。

ブルックリンで行われたレッドフック・クリット. Courtesy Tornanti Cycling Photography.

元トライアスロン選手で、サイクリストに転身したロニー•トス(Ronnie Toth)は、RHCのスタートラインに立っただけで感無量だった。

2年前、カリフォルニアで開催されたロードレース〈マンハッタンビーチ・グランプリ〉のゴール前で、彼は致命的なクラッシュ事故にあった。障壁の支柱部分でタイヤをパンクさせ、コントロールを失ったトスは、顔から壁に突っ込みクラッシュした。眼窩から顎付近までの骨が砕けたうえに、腕を障壁に引っ掛けたため、上腕骨が折れ、その骨は皮膚を突き破ってしまった。この事故の後、トスは何度も再建手術を受けた。彼の顔と腕には、いくつものチタニウム・プレートと、ネジが埋め込まれている。

トリンブルは、トスが遭ったようなクラッシュの映像を確認しながら、レースの安全性を研究している。アマチュア大会からグランド・ツアーまで、あらゆるタイプのレース映像を分析し、原因を突き止め、事故の再発を防ぐためにクラッシュ事故を検証してきた。

「何が悪かったのか、すぐにわかった」。彼はトスのクラッシュを分析する。このときの障壁は、スポンサー企業の幕で覆われておらず、上端にある鋭角部分も保護されていなかった。そこが配慮されていれば、結果は大きく違ったという。トスの顔面を破壊した障壁は、RHCや国内の大半のレースで使用されていた。それらは頑丈で、運搬と設置が容易になるようデザインされているが、安全面の考慮はなされていなかった。「あの角の鋭さは最悪だ」

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RHC史上、最も酷かった事故も、この障壁へのクラッシュだった。2013年にライダーが顔から突っ込み、下顎が砕け、頬骨と眼窩も大きく損傷した。

現在、トリンブルのチームは、 鋭角部分がむき出しにならないように、障壁の上部を業務用のジップタイで繋いでいる。更にサーキット周りの障壁のほとんどには、布製広告バナーを被せている。これにより障壁の穴が覆われ、ライダーは引っ掛からないようになった。しかし、どんなに障壁に工夫を凝らしても、酷い事故の発生を抑えるのは難しい。

「間違いなく危険なレースだよ」とトランブル。「でも、自転車レースそのものが危険なんだ。ある意味、その危険性が少なからず、自転車レースの文化を形成しているのも否定できない。負傷者が出るのはあたり前。だから、そのリスクを最小限に抑える必要がある」

トリンブルが安全対策に配慮するのは、彼にはモータースポーツの経歴があるからだ。彼は子供の頃から、レーシング・カートのプロレーサーで、マウンテンバイク、シクロクロス、アレーキャットに転向するまでは、インディカーチームのメカニックとして何年も働いていた。「モータースポーツは、安全性の基盤がきちんとあるから素晴らしい。数々の惨事から学び、長年かけて安全性が研究されたんだ」「自転車のレースも、基本的にはカーレースと考えるべきだ。安全策をどうとるか。クリテリウムのコースは、そこからデザインしなければいけない」

Courtesy Tornanti Cycling Photography.

RHCは、レース旗の制度やコース整備など、モータースポーツから、いくつかのアイディアを取り入れている。レース前には、スタッフがライダーたちに、コミュニケーションの取り方と安全措置について指示するのも、モータースポーツの影響だ。

RHCのレースには、〈ゾーンリーダー(zone leader)〉が欠かせない。彼らは、優れたサイクリング・キャリアを有し、イベントスタッフとしても経験豊富だ。ゾーンリーダーは、コースの周りに配置された約20人のスタッフを指揮する。コース・ディレクターのリアム•ウォルジー(Liam Worthy)によると、このスタッフ数は、レース全体を1cmの隙間もなく、視覚的にカバーするのに十分だという。小さな事故が起きた場合、スタッフは黄色の旗を振り、笛を吹く。レースを中断しなければならないほどの事故の場合、無線で連絡をとり、サーキットの中で赤い旗を振る。これよりライダーたちは何が起きたかを知り、必要な場合は、直ちに医療品が運ばれる仕組みだ。

ウォルジーは、2012年のロンドン・オリンピックで、ルート・オペレーション・マネージャーも務めたサイクリング・コンサルタントだ。彼は、専属のゾーンリーダーたちともにRHCのレースに臨む。これにより、イベント全体のマネージメントからブレがなくなり、スタッフ同士のコミュニケーションもよりスムーズになった。そしてレースの安全性も高くなった。

米国内で有名なクリテリウム大会のいくつかも、安全問題と事故に悩まされている。2014年にジョージア州で開催された〈アテネ・トワイライト・クリテリウム〉では、ライダー数人を巻き込むクラッシュが発生した。そのうちの何人かのライダーは、動けずに倒れていた。しかし他のライダーたちは自転車を点検し、レースは続行された。彼らは一周し、また同じ場所に到った、負傷したライダーがまだ地面に倒れていたため、再びクラッシュが起こり、ライダーたちが山積みにされてしまった。

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2014年の〈ツアー・オブ・サマーヴィル〉では、4歳の男の子が、障壁のない縁石に立っていた。その子供は、ゴールに向けてラストスパートをかけたライダーと衝突し、100針も縫わなくてはならない深刻な傷を負った。更に事故は連鎖反応を起こし、6人のライダーがクラッシュした。しかもこれは、米国自転車連盟によって認可されているレースだったのだ。

選手同士の隙間は、僅か数センチしかないので、些細な衝突でも深刻な結果を招く。トリンブルは、危険を最小限に抑えるために、RHCのサーキットを障壁で完全に囲んだた。長い時間と経験の結果、決断したそうだ。彼は、さらなるインフラ整備資金調達のために、レースのスポンサーであるロックスター・ゲームズ(Rockstar Games)との関係を深めた。そして、25,000ドル(約290万円)をかけて、1830メートルの障壁を設置した。

Courtesy Tornanti Cycling Photography.

米国トップランクのクリテリウム・ライダーで、RHCデビューを果たしたホローウェイは、特筆すべき安全対策として、RHCの予選レースシステムにも注目すべきだと主張する。

RHCのレース当日には、6つの予選がある。これにより、夕方の本選出場ライダーが250人から95人に絞られる。トリンブルによると、クラッシュが頻繁に発生するのは、ファイナルよりも予選らしい。経験の少ないライダーがファイナルに勝ち上がれないからだ。

「今、認可されたレースが抱える大きな問題は、スピードは出せるけれど、肝心の自転車捌きを習得していない頑固なヤツらが多いことだ。彼らは、スキルを超えた速さで走り、対処できない危険な状況に陥ってしまう」。トリンブルは続ける。「その点RHCは独特だ。予選を開催して対処している」

2014年のクラッシュ事故から6ヶ月後、固定ギア・デビューを果たし、2016年のRHCを18位でゴールしたトス。どんな経験豊富なライダーでもクラッシュから逃れられない、と彼はわかっている。しかし、そのリスクのせいで敬遠されないのも、彼はわかっている。「みんな、危険なものが大好きなんだよ」