© Alec Soth / Magnum Photos

恋愛と結婚は違う。使い古された、どこぞのOL、あるいは、ませた女子高生の発言のようだが、現実は、その冷めきった発言が的を得ているのかもしれない。実にたくましい。

現代社会において、永遠の愛を全うできた人物はいるのだろうか。初恋も、初めての彼氏彼女も、これまで付き合った彼氏彼女も、結婚して、その生活が続いていない限り、すべての愛は終わっている、といっても過言ではないだろう。一方で、結婚した相手であれば愛が続いている、といえるのだろうか? 結婚するまでの20年か30年か、それ以上か、それまで経験した恋愛の失敗を踏まえたうえでの決断だから、間違いないとでもいうのだろうか? そんなのは、おそらく詭弁だろう。愛という感情は、いつかは終わる。それは、現代社会を生きる人々にとっては、ほぼ間違いない現実ではなかろうか。

もちろん、子供の親、相談相手、同居人といったように、愛とは違うかたちで良好な関係を続ける人々は多いのかもしれない。平安時代の人々はどうだったのか? 人生が20年、30年であれば、それは理解できる。近代国家となった明治時代はどうか? 50歳くらいまでの人生であれば、まだ理解できる。寿命の問題がすべてではないだろうが、平均寿命が90歳にも迫るとされる現代社会においては、恋愛と結婚と出産と死期とのバランスを再考する時期ではないか。フランスでは、婚姻以外のパートナーシップを容認する民事連帯契約が生まれた。結婚生活とは別の愛のかたちが、世界中で求められる日も遠くないのかもしれない。それでも、永遠の愛への憧れは消えないかもしれないが…。

隣の家からは、ピアノの音色が聞こえてくる。1度は耳にしたことがあるクラシックの名曲ではあるが、曲名が思い出せない。となりにいる新たな恋人は、そっぽを向いて眠っている。これからも過去の記憶を消去しながら、同じようなことを繰り返し生きていくのだろうか。リアリティーよりファンタジーを求めて。

マグナムフォトに所属するアレック・ソスが写真集『SLEEPING BY THE MISSISSIPPI』に続き、2018年8月『NIAGARA』を復刊した。前作品は〈夢〉と〈自由〉がテーマになっていたが、今回は〈愛〉がテーマ。音もなければ、味も香りもしない。その世界に触れることもできないし、言葉さえ発しない。すべては視覚のみに頼った写真というメディアを使って、〈愛〉を巡る物語は、どのように語られ、観るものの内に何を呼び起こすのだろうか?

© Alec Soth / Magnum Photos

このプロジェクトを始めたきっかけは?

私の最初の写真集『SLEEPING BY THE MISSISSIPPI』では、ミシシッピ川をメタファーとして用いました。アメリカ大陸を北から南へと縦断するミシシッピ川に沿って撮影し、〈夢〉や〈自由〉という壮大なテーマについて語りかけることができました。次のプロジェクトに取り組むにあたり、同じ方法論を用いながら、違うテーマで作品をつくりたかった。そこでナイアガラの滝を使って、〈愛〉について語りかけることにしたのです。

自身のヌードをKISSのポール・スタンレー(Paul Stanley)に送り、彼との子供を産もうと試みる熱狂的な女性ファン、パートナーの血を求め合うカップル、亡くなった恋人を想い続ける男、少女に執着する男性など、様々な〈愛〉について、カップルのヌード写真と手紙、小説『ロリータ』の一節を用いて表現していますよね。過去にリリースした写真集『Looking for Love 1996』と同様に、あなたが『NIAGARA』で愛をテーマに、創作した理由を教えてください。

音楽、ポエム、小説など、愛はあらゆるアートの主題となっています。それにも関わらず、写真を使った表現で〈愛〉を語るべきではない、と考えられているのは、奇妙なことです。私の作品は、ドキュメンタリー写真のように観えますが、私は、もっとロマンティックなんです(笑)。

では、カップルのヌードを撮影したのは、なぜでしょうか?

カップルのポートレートを撮り始めた当初、何度撮影しても、満足いく写真が撮れませんでした。被写体がひとりなら、写真家と被写体のあいだに大きなエネルギーが生まれますが、そこに、ひとり加わるだけで、途端に魔法がとけてしまう。そこで、カップルにヌードになってもらい、新たなエネルギーを写し撮ることに成功しました。

また、『NIAGARA 』では、〈愛〉の象徴のひとつとして結婚式をクローズアップしています。ウエディングドレスや結婚式当日の家族写真などが掲載されています。おそらく、アメリカの一般的な結婚式は、日本のそれとは、異なるのでしょう。この写真集をより理解するうえで、まず、アメリカにおける一般的な結婚式のしきたりをについて教えてください。

米国での結婚式は、多岐にわたります。当時、最も人気のあった新婚旅行先といえばナイアガラの滝でした。ラスベガスやハワイへと人気が移ってから、随分と時が経っています。そのなかで、ナイアガラの滝を撮影場所に選んだのは、昔のならわし、私の祖父母の若かりし頃の文化を想起させるからです。さらに、私が結婚そのものに感じているノスタルジックなイメージにも結びついています。現代を生きる夫婦が、結婚生活を破綻させないよう苦闘する姿をよく目にします。その姿が、ナイアガラの滝が実在する場所と重なるのです。75年前に、多くの人々がイメージしていた理想の姿からは程遠く、全くロマンティックではないナイアガラの現実です。

なるほど。では、結婚式とともに、米国人が抱くナイアガラの滝への認識も把握しておきたいです。ナイアガラの滝は、カナダと米国の国境に位置する荒々しい大自然、といったイメージを、多くの日本人が抱くのではないでしょうか? グランドキャニオンと同様に、日本にはない、壮大な自然を体感できるとともに、米国が持つ圧倒的な軍事力、経済力、あるいは果てしない自由といったイメージと重ね合わせる人もいるのではないか、と感じています

ナイアガラの滝は、確かに、自然の壮大な力を感じられる場所ですが、グランドキャニオンや富士山と比べると、圧倒的に人工的に〈つくられた〉場所だ、と感じます。産業技術者たちが、何世代にもわたり、自然が持つ根源的なパワーを維持しながら、観光名所としても機能するように、修繕し続けています。だからこそ、この場所を、人工的な場所、とも捉えられるのです。私自身、実際にナイアガラの滝に足を運ぶと、その圧倒的な力とともに、滝を支えるための膨大な努力を感じます。おそらく、多くの米国人も同じような印象を抱いているはずです。

また、モーテルの写真も数多く掲載されています。日本ではモーテルがほとんどありません。ラブホテル、ビジネスホテル、シティホテル、そして旅館など、日本にある宿泊施設とは、どれも異なります。私が宿泊したことがあるLAやサンフランシスコなどの数十件のモーテルは、どちらかというと日本のビジネスホテルを、簡素化したイメージがあります。愛し合う恋人がモーテルに泊まる、と聞くと違和感を感じてしまいます。しかし、この写真集では、愛が育まれる場所として、モーテルが描かれているのだろうと感じます。米国人のモーテルについての認識を教えてください。

モーテルは、米国の特性を把握するための重要なイメージです。高速道路に基づく自動車文化は、米国社会には欠かせません。そして、モーテルも、個人の自由という私たちが描くアメリカン・ドリームへと直結しているのです。米国製のクラシック・カーやバイクのように、昔ながらのモーテルも米国文化を象徴するひとつのシンボルです。こういう、アイコニックなモーテルは、『ロリータ』でも見事に描写されており、この小説の一節を写真集に引用した理由でもあります。ナイアガラには、いまだに、私たちが想像する通りのクラシックなモーテルがたくさんあります。まさに、私の祖父母の世代が、新婚旅行で経由した場所です。モーテルが物語る〈郷愁〉と〈失望〉が、混ざり合った感情は、この写真集の大きなテーマのひとつです。

『SLEEPING BY THE MISSISSIPPI』では、ミシシッピ川を比喩に〈Stream of consciousness(意識の流れ)〉を使用した表現方法を試みた、とおっしゃってました。それによって、米国中部、もっと言えば人間の〈夢〉や〈自由〉について表現することを追い求めていましたよね。『NIAGARA』でも、ナイアガラの滝、結婚式、モーテルを比喩に、愛、そして、米国社会、さらには人間の本質について表現しようとしていますよね。今回意識した文学的な表現、あるいは哲学などあるのでしょうか?

ナイアガラは、実に小さな地域のため〈意識の流れ〉という表現方法はとれませんでした。今回はむしろ、毎日、毎日、同じ小さな穴を掘り進める、炭鉱作業員のような心持ちで撮影しました。

〈自分の記憶を呼び覚ます〉ことも、写真集のテーマのひとつですよね。巻末に卒業アルバム、ポラロイド写真を探していた、とあります。過去の自分を見つめ直すのは、今の自分自身を理解するために有効なのでしょうか? あなたの体験を交えて教えてください。

私は、何事であれ記憶するのが苦手なので、この質問に正確に答えられません。昔のことをほとんど覚えてないし、写真や日記で記録しておくのも苦手です。自分の日常生活の細部は覚えていないのに、他人との出会いを記録することで、写真家としてのキャリアを築いているなんておかしな話ですよね(笑)。

上記の質問に付随して、『NIAGARA』は『SLEEPING BY THE MISSISSIPPI』に続いて2冊目の復刊ですが、自分自身の過去のプロジェクトについて、時が経ったからこそ見えてきたことはあるのでしょうか?

以前の作品を振り返ると、エネルギーと未熟さが混在しているのがわかります。新しい作品に取り組むさい、様々な試行錯誤や実験、我を忘れて飛び込んでみることの重要性を再認識させられます。もちろん、初期の作品なので、至らない要素も発見します。ただ、その欠けている要素こそが、新しい作品をつくるための動機や原動力となります。その精神こそ、新たなチャレンジには欠かせないものだ、と実感させられます。

モーテルの中で繰り広げられている世界を想像させられ、2人のポートレートや手紙により様々な愛のカタチを想像させられ、ナイアガラの滝によって抗えない運命、恐ろしさ、人工物の醜さなどを連想してしまいます。愛は、自分の思い込みや希望、ファンタジーの結集であると同時に、実態がなく、いつか終わる、儚いものだと捉えています。実在せず、不確かなもの、という諦めもありますが、ついつい、全ての情熱を捧げ、終わりのない愛に希望を抱いてしまう自分もいます。愛を通じて、夢と現実、現実と過去、リアルと虚構、それぞれの境目で葛藤している自分がいます。人間の不可解さが浮き彫りになる一方、生きる歓びも感じられます。あなたが、アートを用いて愛を問いかけた理由を、改めて教えてください。

私が、〈愛〉、そして〈憧れ〉をテーマにした作品に挑む理由は、まさに、そのような反応を期待しているからです。結局、私にとって、アートを観るのも、製作するのも、目的は同じです。〈ひとりではない〉と少しでも信じていたいという欲求だけが、私を突き動かしています。

© Alec Soth / Magnum Photos

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