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ハリウッド出入禁止  要注意映画監督アレックス・コックス

映画のタイトルに 「Rashomon」という言葉を入れたのは逆効果だったかもしれない。今の時代、『羅生門』を観た人なんてほとんどいないだろう。

アシッド・トリップしてねじ曲がった世界観、黙示録的ストーリー、夢か現かわからない奇天烈さ。映画監督アレックス・コックス(Alex Cox)の作品は、とにかく特異だ。商業作品を嘲笑いつつ、王道に則り、映画というカオスを愉しむ芸風は、クエンティン・タランティーノ(Quentin Tarantino)、ロバート・ロドリゲス(Robert Rodriguez)などに多大な影響を与え、未だ現役で、アート、セックス、人生、死、といった謎を手玉に、独自のビジョンを表現し続けている。

アレックス・コックスは、『レポマン(Repo Man)』(1984)で長編デビュー。80年代のLAパンク・シーンを通して、自己破壊的な精神と反体制的な怒りを描いたこの作品で、彼は一躍注目を集めた。続いてSEX PISTOLSのシド・ヴィシャス(Sid Vicious)と、その恋人ナンシー・スパンゲン(Nancy Spungen)によるロマンスを表現した『シド・アンド・ナンシー(Sid and Nancy)』(1986)では、マンハッタン、ロウアー・イーストサイドの荒廃した街並みと、絶望に陥った2人の最後の日々を見事に綴り、更にTHE CLASHのジョー・ストラマー(Joe Strummer)からTHE POGUES、ブレイク前のコートニー・ラヴ(Courtney Love)等をキャストに迎えた『ストレート・トゥ・ヘル(Straight to Hell)』(1987)では、荒涼とした砂漠を舞台に、マヌケな連中が銃をぶっ放しまくるマカロニ・ウエェスタン風ギャング・ストーリーを展開。どの作品も「パンク」というキーワードが、彼の重要なテーマだ。

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しかし、いつまでも反体制なアティチュードで作品を撮り続けていれば、当然、ハリウッド・システムの顰蹙も買う。ハリウッドのメジャーな製作会社は、アレックス・コックスをブラックリストに載せた。きっかけとなったのは、19世紀のニカラグアを舞台に、ウィリアム・ウォーカーの遠征と軍事作戦の失敗を描いた作品、『ウォーカー(Walker)』(1987)だ。当時の米国レーガン政権が、イランへの武器売却代金を、ニカラグアの親米反政府組織「コントラ(contra)」の活動資金として流用していた「イラン・コントラ事件」を題材に製作された作品であったために、メジャースタジオがアレックスを“要注意人物” に指定したのだ。

現在アレックス・コックスは、クラウドファンディングで新作西部劇『Tombstone Rashomon』の製作資金を募りながら、コロラド大学では映画科で教鞭を執っている。そんな彼に30年にも及ぶ創作活動を振り返ってもらった。

新作 『Tombstone Rashomon』について教えてください。

今回の作品は、4人の人間がそれぞれ別の出来事を語るというアイデアから始まった。それが作品のコンセプトだ。『OK牧場の決斗』を下敷きにして、黒澤明の『羅生門』の手法を取り入れた。つまり、複数の視点から物語が進行する。

もしかしたら、映画のタイトルに 「Rashomon(羅生門)」という言葉を入れたのは逆効果だったかもしれない。今の時代、『羅生門』(1950)を観た人なんてほとんどいないだろう。とにかくタイトルは重要だ。昔は、タイトルに「死」なんて入れたら、その映画の興行収入は悲劇的な結末を迎えると言われたもんだ。今考えるとおかしな話だ。『狼よさらば(Death Wish)』シリーズや『ダイ・ハード(Die Hard)』シリーズは、大ヒットしている。

クラウドファンディングを活用していますね。

資金を集めるにはちょうどいい。この間も、コロラド大学の学生たちとSF映画『Bill, The Galactic Hero』(2014)を撮るのに、11万4000ドル(約1380万円)ほど集めた。学生映画にしては上出来だ。

『ストレート・トゥ・ヘル』も西部劇でしたが、異色なポストモダン風な作品でしたね。撮影はどのように進んだか覚えていますか?

アナーキーだった。脚本なんて全く気にせず、大幅に変えたり…例えば「ダニー・ボーイ」の歌の部分とか、新しいシーンをどんどん付け加えたんだ。無秩序状態だ。確か撮影は4週間で終わった。今ならもっと早く撮れるだろが(笑)。でも撮影プランはしっかり立てていた。一日の終わりには必ずその日の撮影分をチェックして、撮り残したシーンがないか確認した。ただ、アナーキーであることも、大事な撮影プランのひとつだったことは間違いない。

ジョー・ストラマーとの話を聞かせてください。彼は、まさに1950年代の映画スターのような雰囲気を醸し出していましたね。

ああ、その通り。まるでマイケル・ケイン(Michael Caine)を見ているようだった。

Joe Strummer in ‘Straight to Hell’

元々ジョー・ストラマーとは親しかったのですか?

『シド・アンド・ナンシー』 のサウンドトラックをたのんだのが最初の出会いだ。素晴らしかった。才能に恵まれ、気前の良いヤツだ。2曲だけしか彼はクレジットされていないが、実際は5曲も書いてくれた。なぜか偽名を使ったんだ。エネルギーに満ち溢れていて、次は何をするのか、何が起きるのか、常に気にしていた。

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実は、『シド・アンド・ナンシー』の後、ジョーとエルヴィス・コステロ(Elvis Costello)、THE POGUESを引き連れて、ニカラグアへ大規模なロックンロール・ツアーを行い、それをフィルムに収めようと計画していたんだが、予算が足りなくて中止になった。スタッフが多過ぎたんだ。THE POGUESの連中だけでも大所帯だ。

ツアーが中止になったので、代わりに映画を撮ろうという話になった。言い出したのはジョーだった。彼はアルメリアで休暇を過ごす予定だったから、「スペインで、マカロニ・ウェスタンでも撮らないか?」って提案してきたんだ。それで、ディック・ルード(Dick Rude)と2人で脚本を書き始めたんだ。『ストレート・トゥ・ヘル』は、ジョーのアイデアだったんだ。

The trailer for Sid and Nancy

いつからジョー・ストラマーを俳優として起用しようと考えていたのですか?

最初からシムスの役はジョーにやってもらいたくて脚本を書いた。ディックも自分が演じるものとしてウィリー役を書いていたし、ノーウッド役はサイ・リチャードソン(Sy Richardson)、ヴェルマ役はコートニー・ラヴ、という具合に、皆の顔を思い浮かべて書いたんだ。

初めからキャスティングが決まっているのは良い。時間も節約できるし、登場人物により深い味を与えられる。ジョー自身も、60年代の映画スターみたいな荒々しい若者の役をかなり気に入っていた。実際見事な演技だっただろ?黒いスーツと肩に提げたホルスターは本当に似合っていた。休憩している間も、あの格好で寝ていたんだ。

『ストレート・トゥ・ヘル』は何年か前に再公開されましたよね。新たなシーンも入っていましたね。

前に入れられなくて、後悔していたシーンを追加した。撮ったものに無駄なものはないか。それに違うパターンで色も調整した。かぼちゃ色っぽくしたんだ。すごく気に入ってる。

『ストレート・トゥ・ヘル』が、世間から正当に評価されていると思いますか? 例えば、『デスペラード(Desperado)』(1995)なんかも、『ストレート・トゥ・ヘル』からかなり影響を受けていると思います。しかしあなたの作品は、未だに世間ではよく知られていないようです。

完全に世間から忘れ去られた、ってわけでもないはずだ。だって、こうして何年も前の映画について話してるんだから(笑)。他の監督の作品や、俳優からインスピレーションを受けるのは、映画を創る上で自然なことだ。自分もよくアイデアを盗む。

『レポマン』や『シド・アンド・ナンシー』など、パンク・ムーヴメントを描いた作品も多いですよね。パンクの影響については、どうお考えですか?

1970年代後半から1980年代初めにかけて、当時のパンク・シーンにどっぷり浸かっていたんだ。あの音楽が本当に好きだった。パンク・ムーヴメントは、シュールレアリストや、ダダイストたちの運動と似ている。どんな絵を描くのか、どんな音楽スタイルなのか、そんなこと関係ない。それぞれがひとつの考え方、ひとつの見方を示している。その本質は、既成概念に対するアンチだ。

The trailer for ‘Repo Man’

ハリウッドのブラックリストに載っているというのは本当ですか?

本当だ。『ウォーカー』の撮影後にリスト入りしたみたいだ。本当の悪党は、ウィリアム・ウォーカーではなく、映画を撮影している間、ずっと圧力をかけてきた保険会社の連中だ。何を非難されていたのか、未だにわからない。私たちは、戦闘シーンなどのドラマティックなカットを、複数のアングルから撮影していた。走る馬を撮影するのに、トラックにカメラを乗せて並走したり。でも保険会社の連中は、それを見るなり、「監督としての能力に欠ける」と文句をつけて、撮影を中止に追い込もうとしたんだ。

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連中に撮影機材を没収され、スタッフはお手上げだった。キャストたちも、一週間待ちぼうけを食らった。どうしていいかわからず、この間に『失った機材が戻ってくると信じて待ち続けるスタッフたち』の映画でも撮ろうか、なんて考えたくらいだ。

とにかく疲れ果てていたんだが、最終的に撮影方法には問題がないと証明された。保険会社の思い通りにはならなかったんだ。訴訟しても勝ち目は無いとわかったんだろう。

撮影はなんとか無事に終わったが、あんな経験、後にも先にもない。あんなのギャングの取り立てと同じだ。訳のわからない連中が現場に来て、思い通りに映画が創れない、そんな理由で、言いなりになる別の監督をよこすだと? 何の為だ? そんなことあり得るか? 俺たちの仕事を奪うなんて、監督をカモにしたギャングの取り立てだ。

ハリウッドで映画を撮るのを止めたのはそのためですか?

というよりも、ブラックリストに載ったから、それ以降ハリウッドで働けなくなった。「要注意人物」だとさ。メジャーな製作会社からは徹底的に無視されている。だからインディペンデントで創り続けているんだ。けれど、クラウドファンディングで映画を創るのは面白い。どこぞの社長や、検閲するような連中に余計な気を使わなくて済む。クラウドファンディングで投資する人たちは、良い映画が生まれるのを純粋に見届けたいだけだから。