私が初めてドン(Don)に出会ったのは、2005年、ノース・マンチェスターのプレストウィッチ(Prestwich)に住んでいた頃だ。当時私は、共著者として、先日亡くなったTHE FALLのマーク・E・スミス(Mark E Smith)と、彼の自叙伝『Renegade: The Lives and Tales of Mark E. Smith』(2009)の執筆中だった。ドンことゴードン・チャールズ・モンゴメリー(Gordon Charles Montgomery)とマークは、長年の友人だった。80年代には、同じくプレストウィッチに住んでいたジョン・クーパー・クラーク(John Cooper Clarke)やニコ(Nico)とつるみ、時折、いっしょにアシッドをキメてへべれけになる仲だった。

60も半ばを過ぎたドンは、ガンの手術後も、変わらずプレストウィッチで暮らしている。彼は、70年代後半から90年代前半には、プレストウィッチ精神科病院でボイラー技師として働きながら写真を撮影していた。ドンと私の共通の友人からの勧めをきっかけに、私は、知られざる、真のアーティストとしての彼の姿を知ることになった。

初めて写真をみたときに既視感を覚えたのは、どの写真も私の視点と同じだったからだ。そこには、ドンの性格が顕れていた。写真の親近感、分け隔てないまなざし、それでいて、あからさまなノスタルジーに溺れることはない。彼は、地元住民の精神疾患、というテーマを淡々と切り撮り、オーディエンスを惹き込む。個人的に感情移入できないアートに、意味なんてないのだ。

写真家としての生活、そして精神科病院での仕事は、ドンにとってどのような体験だったのだろうか。

あなたは以前、他の写真家の影響を受けているどころか、そもそも写真家なんて知らないといっていました。そうなると、このシリーズを撮るに至った理由が気になります。きっかけは何だったのでしょうか。

病院で働き出したのが1979年。俺は30歳だった。その頃、パブの酔っぱらい客を撮り始めたんだ。当時はパブで写真を撮るヤツなんてあまりいなかった。俺は不意打ちで撮影をしていたんだ。おかしいだろ。みんな口が悪くて、「またお前か! カメラもって失せろ!」なんて怒鳴られたけど、結局は撮らせてくれてたよ。

どうして病院で写真を撮ることにしたかというと、廊下の光の具合が最高だったからだ。特に理由はない。知識も思想も特になかったけど、とにかく撮影してみた。

ボイラーが順調に稼働していれば、シフトが終わるまで大した仕事はなかった。だから、本を読んだり、病棟内をぶらぶらしたり、写真を撮ったりしてた。

インターネットには載ってない写真を観られるなんてわくわくします。最近ようやく、古いスーツケースにしまっていた写真を再確認したとおっしゃっていましたね。ご自身の写真のすばらしさに気づいていないなんて驚きです。

俺は情熱なんてモノ持ち合わせてない。音楽やサッカーに情熱を傾けるヤツらはたくさんいるが、俺にある唯一の情熱といえば、〈全部クソくらえ〉っていう情熱だ。おかげさまで、血圧も正常だよ。実にすばらしい計測値だ。

写真で何かしようなんて思ってもみなかった。最近も、テスコ(Tesco,英国のスーパーマーケット)のビニール袋3つ分の写真を捨てた。フィルム1本撮っても、良い写真は1~2枚で、残りはクソだ。当時は現像代も高かった。

いかんせん文無しだったんだ。80年代中頃は、毎週金曜、元嫁に給料を渡して、その週の請求書を精算したら、俺の手元にはもうステラ2パイント分しか残らなかった。これで次の給料日までどう過ごせばいいんだって悩んだ結果、ハッパを売ることにしたんだ。

以前あなたは、昔は業務中にもアシッドをキメていたと告白していました。つまり、前後不覚に陥りながら仕事していたということですよね。すると、アシッドの影響が写真にも顕れているのでは?

いや、アシッドをキメてたのは病院で働く前、海軍にいた頃だ。まっとうなアシッドのマイクロドットで、25ペンスぽっちで12時間も効いた。「やばい、これどれだけ続くんだろう」って怖くなることもあった。でもまずは試して、できる限り耐えるんだ。効き目が落ち着いてくると、慣れて楽しめるようになる。効果が消えても、まだ興奮してる。

ハッパもよく吸ってたし、スピードもやった。病院でもアシッドを試したけど、弱いのだけだ。問題なくコントロールできた。

夜間や週末には、病院のボイラー室でパーティをした。ワインやらビールを持ち込んでね。マリファナたばこを用意して、ボイラー室で楽しくしっぽりと、フランク・ザッパ(Frank Zappa)とかケヴィン・コイン(Kevin Coyne)を聴いてた。

別に定期的なパーティだったわけじゃない。ボイラー室の主任が、「若い女の子がお前を探して燃料の山に登ってるんだが」って電話してきたこともあった。その子はワインボトルをもって、俺を探してたらしい。主任が「いいのか? おとしちゃうぞ」なんてね。俺がまだ独身だったときの話だ。

プレストウィッチ近郊で育った私たちは、〈精神病患者〉を怖がる傾向にありますよね? 精神病について知識もありませんでした。

病院の雰囲気にはすぐ慣れる。最初は俺も、ここにいるヤツ全員おかしいって印象だったけれど、そんな印象もたちまち消える。確かに狂暴で危ないヤツはいたけど、そいつらだっていつもそうじゃない。狂暴なとき以外は、病院なんて入る必要あるのか、と疑うくらいだった。俺は、看護師の許可なしで外出できない患者がいる閉鎖病棟でも仕事していたけど、嫌な経験はしていない。

ガキは怖い話を真に受ける。本当によくない。患者たちと仲良くなればいいものを、罵倒する。でもプレストウィッチでは、そういう悪ガキはそこまで多くなかった。

患者の症状はそれぞれだ。ひとこともしゃべらない患者もいた。夜、病院に行くと、みんな席について、しゃべったり、黙っていたり。それぞれ自分なりの人間関係を構築していた。草むらでヤってるヤツらも多かった。ある男は、そのチンコのかたちから〈石油ポンプ〉って呼ばれてた。そいつは、相手の性別を問わず、いつも外でヤってたらしい。俺は、あんまり見たことなかったけどね。

あと、テリー(Terry)ってヤツなんかは、確かに間抜けだったが、俺にはどこがおかしいのかわからなかった。パブで笑ったり、いっしょに酒を呑んだりできたから、どうして病院にいるんだろう、と疑問だったくらいだ。ただ、アイツはそれ以上のことができなかった。それでもアイツは、たまに外に出て数杯ビールを飲む入院生活に満足しているみたいだった。

昔は、遠くから見ても患者だとわかったけれど、今はわかりにくい。それに今は、大体の患者が若者だ。老いぼれはほとんどいない。当時は、服装も、投薬も、歩きかたも、全部が全部古かった。ズボンのサイズも基本めちゃくちゃだった。一世代も二世代も古い服で、くるぶしが丸見えだったり。みんなの服がいっしょくたにされて、看護師はそこから適当に着せてた。他人のズボンを拝借する患者もいた。

〈Black Eye(目の周りの黒いアザ)〉シリーズはどのように始まったのでしょうか。

目の周りのアザの写真を集めるのが目的だったわけじゃない。パブで写真を撮っていたら、とある客が「ドン、俺の目のアザ撮ってくれよ」って話しかけてきた。そのとき、「この店、目の周りにアザがあるヤツだらけだな」って気づいたんだ。おもしろいのは、ほとんどの被写体が笑ってることだ。目のアザによろこんでるかのようにね。

被写体が、自分自身の黒アザ写真を観たことってありますか?

〈The Ostrich〉というパブで写真を撮って、その10~15年後に店に写真をもっていった。みんな、「ウケる、観ろよこの俺!」ってうれしそうだった。10年以上経ってるのに、やっぱりまだ、アザを見てよろこんでたよ。

当時使用していたカメラはまだお持ちですか?

90年代初頭、病院での仕事をクビになって(著者註:マリファナ所持で逮捕され、不当解雇された)、労働組合を相手取って裁判を起こし、1万ポンド(当時のレートで約200万円)の賠償金をもらった。でも、それと同じ時期に嫁さんと別れたから、休暇やヤケ酒にパーッと散財した。あの状況ならみんなそうするはずだ。アイツとは17年連れ添ったんだ。今でもつらい。最悪だ。アイツは俺のモノをほとんどすべて壊していった。手当たり次第に投げ捨ててね。カメラも窓から捨てられた。道に転がる壊れたカメラの姿、写真に残しておけばよかった。

今はもっぱら携帯で撮ってる。最近まで使ってたノキアの携帯カメラはすばらしかったな。おかげで少しは気がまぎれたよ。

がんの手術をされましたが、今の病状はどうですか?

食道がんだった。まだ前みたいには食べられないけど、だいぶよくなった。がんばった甲斐があったよ。これまでの人生、大病はしてないし、16の頃から浴びるほど酒を飲んできたから不満もない。ただ、嫌なのは、みんなから心配されまくることだ。この前の夜なんて、パブで、しゃべったこともないヤツに「大丈夫か? タクシーまで送ろうか」って声をかけられたよ。なんだかなぁ。