メラニー・メッツ(Melanie Metz)は、フロリダ国際大学で芸術の学位を取得した、南フロリダ出身のヴィジュアル・アーティストである。彼女は、フィルムをメインに使用する写真家だ。現在は、彼女が暮らす小さな田舎町デイビー(Davie)で出会う魔法のような瞬間を、追い続けている。彼女の作品は、〈Lenscratch〉〈Broadly〉といったWEBサイト、『Oxford American』『Juxtapoz』などの雑誌に掲載されているだけでなく、米国内外各所の写真展でも展示されている。また、彼女は、〈サンタフェ・フォトグラフィック・ワークショップ(Santa Fe Photographic Workshops)〉新進写真家部門の2017年度奨学生にも選出された。

若きメラニー・メッツ

現在暮らしている町は、あなたの写真に、どのような影響を与えていますか?

南フロリダで撮影をしていて、私を形成したのは育った環境なんだ、と実感しています。自分のアイデンティティはこの町にある、となんのためらいもなく実感しているので、町での撮影には主観的に取り組んでいます。また、地元のみなさんからも特別な信頼を得ているので、みんなの懐に入り込めます。

写真を本格的に撮り始めたのは、いつですか?

高校生のときにはじめたのですが、暗室での作業は、伝統的な写真表現の枠組みに縛られず、写真がアートを創造する手段であるという考えを、さらに推し進めてくれました。フィルム写真というメディアは、内気な私にぴったりでした。それから、アベラルド・モレル(Abelardo Morell)、ジェリー・ユルズマン(Jerry Uelsmann)、サリー・マン(Sally Mann)などの写真家を知りました。完璧な瞬間の光を写しだすために、写真の可能性を広げるような、新たな方法論を探求する彼らの大胆さから、インスピレーションを受けました。そこから、実験的なアイデアを試すことに夢中になり、家にある予備のバスルームを暗室に変えました。

写真家として、何があなたを突き動かすのですか?

私と共鳴する人物、モノ、場所に出会った瞬間です。被写体との関係性や動機が意味を成すのは、たいてい撮影後です。自分の直観を信じれば、自然とカメラを構えたくなります。

あなたの写真活動を子供に説明するとき、どのように話ますか?

人物、場所、モノに何らかの〈表情〉を見出したとき、「どうしてだろう」と考える前に、シャッターを切りましょう。そういう瞬間の探求は、宝探しに似ています。あとは、1日中そんな瞬間を見逃さないよう、注意するだけです。

写真家として生計を立ているんですか?

飲食業や受付など、ただただ退屈な9時から5時の仕事をしてきました。写真をビジネスにして、自らの作品への意識を薄めたくなかったんです。ただ、芸術の学位で就ける仕事は限られているのに気づき、今はとにかく、いろんなフリーランスの仕事でスケジュールが埋まっています。自分自身の作品に注力しながら、自分の生活をどのように切盛りするか、今は適切な方法を模索しています。

自身を代表する作品を教えてください。その写真についての解説もお願いします。

この上の写真です。最も反響があった作品です。みんなは、ジェンダーロール(性役割)についての真意を捉えた写真だ、と感じているのでしょう。女の子は清潔で〈ピュア〉に、男の子は元気に泥まみれになって遊ぶべきだ、という社会的な物差しがあります。しかし、この写真の女の子は、反抗的なふるまいで社会規範を否定しています。女の子にだって遊びまわる権利があるのを示しているのです。

写真という表現手段に、フラストレーションを感じますか? もしあれば教えてください。

写真は実にシンプルです。カメラを道具に、目に映るものを記録する。そこに限界はありません。フラストレーションを感じるとすれば、クリエイティビティの面でスランプに陥ったときです。自らの内面の限界が、表面に出てしまった結果だからです。そういう障壁が、自分自身を完全に表現する妨げになります。しかし、写真のゆっくりした、瞑想的なプロセスで、その障壁を認識し、理解すれば、克服できます。

作品づくりのプロセスを教えてください

とにかく、たくさん撮って現像に出したら、自分が何を撮影したかを忘れてしまいます。1週間以上経ってから、改めて現像したフィルムを見て、失敗や驚きを楽しみます。

被写体との関係を構築するために、どんなアプローチをとりますか?

初めて撮影する被写体には、被写体が撮られているのを意識する前に撮り始めるのがベストです。撮影されているのに気づくと、自分がどんなふうに写るのか、どうしても意識してしまいます。いちどそうなると、ナチュラルな状態に戻すのは、ほぼ不可能です。そのあとは、しれっと逃げるか、話しかけて自己紹介します。

インターネットに写真が溢れてることについては、どう捉えていますか?

それが写真表現の流れを変えはしないでしょう。確かに、ネット上には大量の写真が溢れていますが、可もなく不可もなく、といった写真ばかりです。初心者が似たような、コマーシャルな写真ばかりをアップし続けるでしょう。器用なだけの写真と、真のポエトリーを包含する写真には、明確な違いがあります。私の写真が、ほかの誰かにとって意味をなすならば、私の内なる声が届いた証である、と信じています。

自分の作品で、何を誇りに思いますか?

作品をつくり続けられたら幸いです。写真をやめたり、写真をビジネスにしたり、社会的、経済的な利益を求めて道に迷ったり…、そうなる可能性も大いにあります。これまで何度も失望したり、数えきれないほどの失敗を重ねてきましたが、いちばんの誇りは、絶対にあきらめない精神を身につけたことです。

写真以外の時間は何をしていますか?

読書したり、パンを焼いたり、ろくろを回したり、いたって普通の生活です。あとは、いろいろなアーティストの作品に触れるようにしています。私が所属する文化の外で起きている、政治問題や社会問題を知りたいからです。また、大局的な視点から見ることで、自分自身の作品が伝えるメッセージを、より深く理解できます。

写真の未来はどうなると思いますか?

写真が、重要なストーリー、特に、マイノリティーの声を伝える手段であり続けることを望みます。インターネットは、他のアーティストとつながり、情報を伝達できる点では、写真にとって素晴らしいと思います。でも、写真、人生において、とにかく〈今この瞬間〉が大事、という風潮が続けば、思慮深さが失われたり、即時性ばかりが重んじられるのでは、と危惧しています。加えて、SNSの影響で、〈有名になること〉が目標になってしまうでしょう。もしかしたら、既にそうなっているかもしれませんね。

あなたを刺激する、同時代に生きる写真家を教えてください。

バーバラ・ラモース(Barbara Lamothe)、ブレンダ・アン・ケネリー(Brenda Ann Kenneally)、ペギー・レヴィソン・ノーラン(Peggy Levison Nolan)です。ノーランとは毎日いっしょに暗室に入っています。彼女の作品を見ていると、予期せぬ場所で撮った写真が良い写真だ、と実感します。彼女が得たものを吸収できて、私はラッキーです。

では最後にいちばん大事な質問を…。犬派ですか? 猫派ですか?

♪キャットドッグ、キャットドッグ、世界でひとりのキャットドック!