Image courtesy of Steven de Jarnatt

時は2017年。夜の相手探しに規約が設けられ、自家製のセックス・ロボットやオーラルセックスのインターネットサービスが実現した。さらに、〈炎の竜巻(firenado)〉が米西部を襲い、黙示録さながらの荒野になりつつある。これらは実際に起きた事柄だが、あのB級カルトSF映画を連想する人もいるだろう。『チェリー2000』(Cherry 2000, 1987)だ。30年前に製作された、2017年が舞台の同作品は、不気味なほど正確に未来を予想していた。

『チェリー2000』は、スティーヴ・デ・ジャーナット(Steven de Jarnatt)監督がメガホンをとり、若き日のメラニー・グリフィス(Melanie Griffith)が主演を務めた作品だ。同作は、不運な男、サム・トレッドウェル(Sam Treadwell)が泡まみれのキッチンで、セクサロイド〈チェリー2000〉と行為に及ぼうとして、それをショートさせてしまうところから、物語が始まる。彼は、チェリー2000を修理工に見せるが、修理は不可能、旧式なので在庫も残っていない、と告げられる。劇中の2017年、チェリー2000は、貴重なアンティークとして扱われていた。修理工からチェリー2000のメモリーディスクを受け取ったトレッドウェルは、デトロイトでのセクサロイド生産が終了してしまったことを嘆く。

最愛のパートナーのマザーボードをショートさせてしまったトレッドウェルに、水没したiPhoneのように米に突っ込む、という発想はなく、当然ながら、ひどく落ちこむ。友人たちは、彼を元気づけるため、〈グル・グル・クラブ(Glu Glu Club)〉で本物の人間と寝るよう彼に勧める。人気のナイトスポットである同クラブは、常駐する弁護士が客同士のワンナイトラブの条件を交渉するシステムを採用している。この時代、人間とのデートも、セクサロイドとの関係も、虚しさはほとんど変わらない、と悟ったトレッドウェルは、適当な肉体と交わるよりも、チェリー2000の同型モデルを探すことを選ぶ。

ゾーン7の川を渡るE・ジョンソン. Image courtesy of Steven de Jarnatt.

トレッドウェルは、旅先でメラニー・グリフィス扮する傭兵、E・ジョンソン(E. Johnson)と出会う。彼女は、米国内の〈ゾーン7〉と呼ばれる荒廃した無法地帯で、物品回収を生業としていた。当初、女性であるジョンソンへの依頼を躊躇していたトレッドウェルだが、結局、彼女を雇ってチェリー2000探しに乗りだす。荒れ地に踏みこんだふたりは、武装カルト集団に追跡されるなど、紆余曲折を経て、廃墟と化したラスベガスのカジノ跡にある、古いガイノイド(女性型アンドロイド)工場の倉庫に到着し、チェリー2000の同型モデルを発見した。しかし、そのとき、トレッドウェルは、彼の冷えきった心が、実はジョンソンを愛していることに気づく。そして、今作は、映画史に刻まれるであろう、実に残酷かつ滑稽な結末を迎える。トレッドウェルは、果てしない砂漠のど真ん中で、チェリー2000にペプシを持ってきてくれ、と頼み、あれほど愛したセクサロイドを、あっさりと捨てるのだ。

『チェリー2000』は、アクション、SF、ロマンス、どのジャンルからしてもお粗末な映画だ。テーマは『her/世界でひとつの彼女』(Her, 2013)に似ているが、『her』には、マシンガンを撃ちまくる、いわれのない暴力シーンはなく、製作費も『チェリー2000』の10倍だ。しかし、デ・ジャーナット監督曰く、『チェリー2000』の低コストで大袈裟な美学は、同作品の「魅力のひとつ」だそうだ。

お気に入りのセクサロイドを壊してしまったら、こんな顔にもなる.

「どんな作品であろうと、私たちの意図や本当に創りたかったものがすべての観客に伝わるとは限りません」と同監督は、スカイプ取材に応じた。「期間、予算ともに不足していたので、視覚効果など、力を尽くせなかった部分もあります。でも、素晴らしいキャスト、衣装、楽曲に恵まれ、非常に風変わりで個性的な作品が完成しました」

『チェリー2000』が風変わりで個性的、かつ、率直にいって〈滑稽〉なのは確かだが、2017年を過ぎた今、改めて観ると、少々不安になる。同作品は、弁護士が性生活に干渉するか、もしくはロボットを愛撫するか、二者択一の世界で、愛を求めることの愚かさを描いている。実際、主人公たちは、愛を見つけるまで、死地に足を踏み入れ、何度も命を落としかけた。そう、愛は痛みを伴うのだ。しかし、Tinder上にスパムが蔓延し、セックス・ロボット革命が間近に迫る現代において、同作品が描いた愚かさは、現実になりつつある。

トレッドウェルが暮らす2017年の世界では、セクサロイドは米国文化に浸透し、自家用車と同様に、誰もが当たり前に所有している。現実が同作そっくりの世界になるか否かは、議論の余地がある。しかし、デ・ジャーナット監督は、愚かにも愛を求め続けるのは、一部の人間だけだろう、と予想する。

「思いどおりにならない、生身の人間を相手にするのは大変ですから」と監督。「性欲を満たすヒト型ロボットの開発が進めば、その需要は増えるでしょう。残念な気もしますが、煩わしい人間関係に巻き込まれたくない気持ちはわかります」