五十路を迎えて羽化し、美しく翔んだ 自撮り熟女、マキエマキの写真と人生

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五十路を迎えて羽化し、美しく翔んだ 自撮り熟女、マキエマキの写真と人生

自撮り熟女として多くのファンの心を摑み、話題が話題を呼んでブレイク中のフォトグラファー、マキエマキ(52歳)。エロの目覚め、男性恐怖症、バブル、写真との出会い、徒弟制度、自立、結婚──。彼女が語る人生のシーンを繫ぎ合わせ、マキエマキの自撮り写真の〈出生の秘密〉を想像する。

自撮り熟女として多くのファンの心を摑み、話題が話題を呼んでブレイク中のフォトグラファー、マキエマキ(52歳)。エロの目覚め、男性恐怖症、バブル、写真との出会い、徒弟制度、自立、結婚──。彼女が語る人生のシーンを繫ぎ合わせ、マキエマキの自撮り写真の〈出生の秘密〉を想像する。

マキエさんは1966年生まれですね。私も同い年で、丙午(ひのえうま)です。丙午年の生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮めるというヘンな迷信があって、昔は惑わされる人が多くて出生率が低かった。受験や就職の競争率が低かったので、おっとりした世代みたいに言われていますが。

私は丙午ですけど2月生まれで、学年が1コ上なので逆に子供が多かったんですよ。

そうでしたか。ご出身はどちらですか?

生まれは大阪です。平野区という、わりと下町に住んでました。でも6歳で千葉に来ているので、大阪はそんなに長くないんです。

以前、展示会場でお話させていただいたとき、親戚の人たちからちょっと変わった子供のように扱われていたとお聞きしました。

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そうです。なんでなんだろう? でも、とにかく爪弾きにはされてました。

目立つ子供だったんでしょうか。

目立ってましたね。

ハッキリものを言う子だった?

そうです。見ちゃいけないものがすぐ目に入っちゃったりして、嫌な指摘をする子供だったみたいです。いまでもハッキリものを言いすぎるから気をつけろと言われるんですけど、まわりくどく言うのが嫌いなんです。

以前、展示会場でお目にかかったとき、プロのフォトグラファーになるまえはイベントコンパニオンのお仕事をなさっていたとお聞きしました。それはいつごろですか?

23歳ぐらいからで、実は写真のアシスタントをやりながらもずっと続けていたので27、8ぐらいまでやっていました。

そういうお仕事は儲かるらしいですね?

そりゃあ、凄かったですよ。当時バブルの真っ盛りだったので。一日3万円ぐらい貰って、月50万ぐらい稼いでました。所属していた事務所がパーティも請け負っていたので、パーティコンパニオンもやってたんですよ。イベントが何時に終わるからパーティも行ってくれるよね、みたいな感じで。

どんなイベントが多かったですか?

美容器機とか、建設機械もありましたし、けっこういろいろ。

パーティは?

企業のパーティです。いちばん多いのが正月の賀詞交換会。挨拶会ですね、集まって名刺交換をする。あとは、ビルの落成式。

賀詞交換会だったら何人ぐらい派遣されるんですか?

多いときは例えば、新高輪プリンスの飛天の間を使ったりするので、お客さんが1000人ぐらいでコンパニオンが100人とか。

コンパニオンをやっていたマキエさんが写真を志すようになったきっかけは?

山です。案外地味なんですよ、そこは。

本格的な登山ですか?

そうです。北アルプスを縦走したり。

登山会に入って?

いえ、ひとりで勝手に。

山はどうして?

新田次郎の小説が好きで、それで登ってみたくなったんです。

1冊挙げていただけますか?

う〜ん、どれだろ……『聖職の碑』とか、あのへんが好きかな。

山から写真に繫がったのは、山の写真をきれいに撮りたかったからですか?

はい。それで写真学校に行きました。23歳から2年間。

コンパニオンをやっているから学費は稼いだお金で──。

そのお金でまかないました。写真学校では商業写真科に入って、そこで写真家の師匠と会いました。山岳写真をやりたかったんですけど、さすがに体力的に難しいなと思って、もうちょっとゆるいふつうの風景写真のほうに行って。

写真の話に深入りするまえに、もう少しさかのぼらせてください。1989年、23歳でコンパニオンをやりながら写真学校に通いはじめますけども、そのまえは何をやってたんですか?

プー(プータロー/プー子)です。実家暮らしだったのでプーで大丈夫だったんです。

そのときは何かやりたいことはありましたか?

演劇をやりたい気持ちはありました。野田秀樹さんの夢の遊眠社がリアルタイムとか、そんな時代だったので。中学のときから演劇が好きで、高校生のときから観に行ってました。20歳ぐらいで小さな劇団に入ったんですけど、あまりにもド貧乏で悲しくなってやめちゃったんです。

演じることに興味があったのでしょうか?

ありました。演出や脚本にも興味があったんですけど、容姿がそこそこだったので演じるほうにまわされて。

Twitterに若いころの写真をあげていましたね。かなりモテだろうと思いました。

いや〜凄かった。本当にもう、不要な男性がいっぱい来るんです。

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それはいつごろから?

高校卒業後です。電車でいきなり電話番号渡されたり、知らない人にあとをつけられたり。バイト先の男性や、バイト先の隣のビルのオーナーに熱心に誘われたりとか。もう男性恐怖症ですよ。凄くトラウマになっていて、いまだにちょっと残ってます。

写真の話に戻します。写真学校に入ったらカメラを買わされるじゃないですか。その当時だと、ニコンのFM2ですか?

そうです、そうです。入って最初に買うのがFM2。そのまえはミノルタα7000を使ってました。学校ではほとんど35(サンゴー)で、師匠についてから4×5(シノゴ)とブローニを持つようになって。

どのぐらいの期間、師匠の下にいたんですか?

25から7までなので足掛け3年です。ただ、師匠といっても教えてくれるわけではないんです。徒弟制度ですから、見て覚えろという感じで。長くやっているうちに気がつくと身についてるんですよ。露出の測り方、フレーミング、すべて師匠のやってることがスーッと入っている。私こんなに写真上手かったっけ? なんて自分でびっくりしちゃうぐらい。でも最初のうちは怒られてばっかりです。人格否定されてハゲが何個もできたり。とても厳しい世界でした。

師匠は何歳ぐらいでしたか?

40半ばです。ただ、当時の40代って学生運動を経験してたり、生きた時代背景が違うので、いまよりもう少しおじさんな感じがしました。

師匠は、かつての弟子がマキエマキとなって、いま活躍してるのはご存知で?

もしかしたら知ってるかもしれないですね。

たまには師匠に会いに行きますか?

全然会わないです。

会いたいと思わない?

会いたくないです。

嫌いではないんでしょ?

嫌いです、ウフフ。

嫌いなのか(笑)。だんだん嫌いになった?

わりとすぐに嫌いになったかなあ。

すぐに嫌いになっちゃったら先が長いけど、よく耐えられましたね。

やっぱりね、写真で食いたいと思ってたんですよ。当時は25歳ぐらいだと、いま決めないとあとがないという感覚だった。何がなんでも写真で食えるようになってやるって思っていて。だからハゲができようが、胃に穴が開こうが──。

師匠をチェンジする選択肢はなかったんですか?

なかったです。変えても同じだと思ってたんで。でも人から聞くと、まだいいほうだったみたい。師匠のチェンジは考えませんでした。この人から盗れるだけのもん盗ってやるぐらいの気持ちで、それはもう必死にやりました。

その方を師匠に選んでよかったと思いますか?

よかったです。思い出すと嫌なことはいっぱいありますけど、それがなかったら、いま自分は写真を仕事にできていないんで。

27歳でやめるときは、何か潮時を感じるような出来事があったんですか?

もういいんじゃないかな、みたいな感じがあって。あとは、ちょうどそのころから師匠が、自分がやりたくない仕事を私に投げてくれるようになったんです。それで一度仕事すると編集の人と繫がりができるじゃないですか。師匠も編集者から直接私に仕事を発注して構わないと言ってくれました。すると師匠のアシスタントをやる時間もなくなってきて、それで独立しました。それでフリーランスになって、旅行雑誌で風景を撮る仕事が多かったです。

27歳だと1992年ですね。雑誌の仕事をするとき、カラーはポジフィルムで撮っていましたか?

ポジです。いまはデジタルだから後処理が大変ですけど、当時は手離れがよかったですね。ラボからあがってきたらセレクトして終わり。

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フリーランスになりたてのころに目標や野心はありましたか? 作家性の強い写真で評価されて有名になりたい、広告で活躍して経済的にも成功したいといった。

ないです。写真でお金が入ってくればいい、それだけ思ってました。ひたすら写真屋です。

写真が好きで、それしかないって感じですか?

そこまでじゃないです。ふつうの事務仕事は絶対できないし、会社勤めもやりたくない。組織のなかにいるのが性に合ってないんです。だからなんとか自分でやっていける仕事を──と思っていたところで写真に出会って、なんとなくそれで食えるようになっていったんで、まぁ、これでいいという。作品を撮ろうと思ったことなかったです。そんなの無駄だと思ってました。

高校を出てバイトしてたころに男性恐怖症になるような体験をしたじゃないですか。写真を始めてからはどうでしたか?

あります、あります。

それは編集者から?

あとはクライアントとか。またか、ですよ。「ごはん行きましょう」や「個人的に会いたい」はデフォルト、あって当たり前。たまにないと、かえって怖いんです。あとでもっと何かあるんじゃないかなと。

もちろん嫌なんでしょ?

嫌は嫌ですけど、あまりにも日常的すぎて。朝起きたらウンコするみたいな、アハハ、それに近いぐらいです。

フリーランスになりたてのころは、まだ実家暮らしですか?

いえ、一人暮らししてました。小田急線の向ケ丘遊園で。

当時、どんなことが楽しかったですか?

仕事ですね。やっとなんとか自分の腕で食えるようになって。仕事がいちばん楽しかったかなあ。

ひとりのときは何をしてましたか?

ひたすら休んでました。なんにもしたくなくて。

人と会うのはあんまり?

好きじゃないです。ただ、彼氏だけは切れ目なくいたので、ひとりでいるっていうよりは、彼氏といることが多くて。

恋は多いほうでしたか?

そうですね、うん。

じゃ、ひとりぼっちで孤独なときは──。

ないです。

初めての個展について聞かせてください。

2013年2月で、そのときはマキエマキではなく本名でやりました。内容は家にあるものをマクロレンズでテキトーに撮りました。写真やってる人って森山大道さんが好きな人多いじゃないですか。真似して首からカメラぶら下げて、そのへんをパシパシ撮ってモノクロで。私、あ〜ゆうのが大ッ嫌いなんです。

森山大道の〈もどき〉のような写真撮ってる人をよく見かけます。

やたら多い。死ね!って思います。アハハハ。とにかく嫌いなんですよ。それ以外だと、女のコに声かけてお洒落ヌード撮ったり。あ〜ゆうのも嫌いで。

90年代にはコニカのビッグミニのブームがありましたよね。荒木経惟やHIROMIXに憧れた若い人たちのあいだで。

そんなの買うんだったら服買ったり化粧品買ったりしたほうがいいと思ってました。みんな好きでしたよね。自分のカノジョを部屋で一生懸命撮ってさ。何が楽しくてそんなことやってんだとか思うんですよ。

畳のうえで裸を撮ったり。

そうそうそう。あえてオッパイやアソコ撮ったり。そんなくだらねえことやってどうすんだ。そんなんだったら、もっとセックスで悦ばせてやれよ、ぜったい女の頭のなかは萎えてるぞ、と思いますよ。

嫌いな写真の話をしてるとき、実に生き生きしてますね(笑)。

いわゆる写真好きの奴らがやりそうなことってすべて嫌いなんですよ。アハハ、実は写真好きじゃないんですよ、私。写真をメシの種としか考えてなくて(笑)。 話を戻すと、入谷にラッキードラゴンえんというカフェバーがあって、壁を展示の場所として提供しているんですけど、その店に通ってる知り合いから、予定されていた展示ができなくなったからスケジュールを埋めてくれないかと声をかけられたんです。「写真撮れるからさ、なんでもいいから出せばいいじゃん」と。なんでもいいと言ったな、ヨシ!って、思いっきりクソなもの出してやるぞと決めて。写真好きな奴らが撮る写真へのアンチで行こう。とにかくマクロで撮りゃ、きれいに見えんだろうと、洗濯物、腐りかけのみかん、枯れかけの花、使いかけのクリームの中身なんかを2時間ぐらいで撮って画像処理もそこそこに。タイトルは「UN JOUR PAS SPECIAL」。特別じゃない一日という意味のフランス語です。

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まさかそんな気持ちで撮られた作品だと、観た人は思いもしないでしょう。

ちょっと写真をかじった人は何か深い意味が込められていると思うのか、いろいろ聞いてくるんですよ。「何やっていいかわからないから、とりあえずマクロで撮りました」と答えると、かえって哲学的なものを感じるらしくて、コイツ、ただもんじゃねえ! みたいな顔をされるんです。ただの写真屋なのに。

キビしいですねえ。だけど、その後もちゃんと写真展を続けている。

翌年のラッキードラゴンえんでの展示はなんとなくテーマをつくったんです。もう少しまともにやろうかなと。女の一生をイメージして、薔薇のつぼみから枯れて落ちたところまでのどアップを並べて、タイトルは小野小町の歌から「ながめせしまに」。 そして2015年1月、「Love to Eros」というグループ展(クリエイションギャラリー日本橋箱崎)にリカちゃん人形をちょっとエロチックに撮った写真を出しました。それは去年まで3回続いた大きな展示で、世界的な緊縛師のHajime Kinokoさんや『花と蛇』の緊縛を担当された有末剛さん、あとは常盤響さんとか、そういう方たちも出展されると聞いたので、さすがにマクロで洗濯物撮るわけにもいかないなと思って。愛とエロスがテーマなので、ほとんどの人が女性のヌードを出展するんですよ。私はまともに女性のヌードを撮ったことなかったので、埋没しないためには何か違うものやらなきゃいけないなと思って、それでリカちゃん人形を。「Love to Eros」に参加させていただいたのが、私の分岐点になりました。エロチックな表現をやりたいとずっと思っていたけどアウトプットのやり方がわからずにくすぶっていて、そこでやっと見えてきた。

©マキエマキ

それまではエロチックな表現のアウトプット先を写真とは考えていなかった?

考えてないです。写真はメシの種。あるとすれば、ロバート・メイプルソープの花の写真みたいなことはやってみてもいいかなとは思ってました。好きではないけど、みんながカッコいいって言うから(笑)。

エロチックな表現をやりたいと思いはじめたのはいつごろですか?

それは、中学生ぐらいからありました。漠然とですけど、そういう小説を書ければいいなと思っていました。

官能や耽美を感じさせる本を中学生で読んでたんですか?

はい。筒井康隆、ユングやフロイト。あと好きだったのはアポリネールの詩集。それから古典文学ですね。源氏物語や万葉集。そのあたりに物凄いエロを感じていました。

当時、そういう感覚を共有できる友達はいましたか?

いました。エッチなこと言いながらゲラゲラ笑い合った女子が。彼女とはいまでも付き合っていて、唯一の友人だと思っています。

そのお友達は、いまのマキエマキとしての活動は知ってるんですか?

はい。必ず観に来てくれます。

リカちゃん人形から自撮りに至る流れはどうなってるんですか?

「Love to Eros」の翌月にリカちゃん人形のシリーズの写真を増やしてラッキードラゴンえんで「Jeux Erotiqus」というタイトルで展示しました。フランス語で、〈楽しいエッチ〉くらいの意味で捉えています。しばらくリカちゃん人形でやっていこうかなと思っていたんですけど、次の月に自撮りを始めたんですよ。

2015年1月と2月にリカちゃん人形の写真を展示、3月に自撮りを開始。その間に何か閃きがあったんでしょうか。

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それがラッキードラゴンえんの「セーラー服ナイト」なんですよ。なんてことはない、みんなでセーラー服着て酒飲もうってだけのイベントなんですよ。参加するためにAmazonでセーラー服を買って、試着して自撮りをして、Facebookにあげたら反響があったんです。

どんな反響でしたか?

「脚がきれい」「モデルの写真撮ったんですか?」とか。当時49歳、もうババアですからヴィジュアルに全然自信がないところにいきなり褒められて、私、イケてる(笑)と思っちゃったんですよ。

Facebookにコメントくれたのは知ってる人ですか?

本名のアカウントだったのでみんな知人です。ほとんどが仕事関係で、あとはラッキードラゴンえんで会う人とか。仕事関係の人からは「どうしちゃったの?」とビックリされました。「仕事ふりにくくなるから、あんまりあ〜いうのあげないほうがいいよ」と言われたり。実際なくなった仕事、いくつかありました。

でも、褒められて楽しくなった。

そうですね。エロで何かやりたくても、モデルと交渉しないといけなかったり、いろいろあるんで面倒くさいなと思ってたんですよ。自撮りだったら文句言われないでエロやり放題だなと思って始めたんです。

Facebookが嫌いだとTwitterに書いてましたよね。わりと最近。

そうです。展示をするようになってから情報を流すためにマキエマキでFacebookのアカウントをつくったんですけど、そこに来るメッセージが凄いんです。「ヤりたいです」とか、そういうのがダーッと。相手のアカウントは実名登録なので人格が見えちゃうんですよ。真面目そうにしている人がこんなメッセージ送ってくるのか、なんて考え込んでしまう。病みますよ。Twitterのリプのほうが、まだ軽く受けられるんです。Twitterが電車でお尻触られるぐらいだとすると、Facebookは仕事で直接知ってる人からいきなりおっぱい摑まれるみたいな、そんなイメージです。だから自撮りを始めてから若いころの男性恐怖症が復活してきちゃって。もう3年目ぐらいになるので慣れましたけど。いや〜、ほんと男の人ってしょうがないなって思います。

自撮りを始めるまでの期間、男性恐怖症が治まっていたのはどうしてですか?

それまでずっとあったのが、いまの夫に会ってようやく解消されたんです。

旦那さんとは、いつ出会ったんですか?

2001年です。私が35歳で、夫は私より10歳下の25でした。

仕事がきっかけで?

はい。空手の専門誌がありまして。彼はそこの社内デザイナーだったんです。

魅かれあうものがあったんですか?

初めてあったときに何か感じたんですよ。たぶん、向こうもそうだったと思います。なんといってもルックスが私の好みド真ん中だったんです。

どういう顔が好みなんですか?

メガネ男子(笑)。あまり男性的な雰囲気が表に出てないのが。

2004年8月、マキエマキさんのご主人が初めて撮影したマキエさんのスナップ

なるほど。自撮りのシリーズは3年目になりますけど、そのあいだにスランプは経験しましたか?

わりとすぐ壁に当たりました。始めたときは、とりあえずセーラー服でやってれば面白かったんです。その次は帆立ビキニ。それはずっとやってみたくて、2015年11月に開かれた2回目の「Love to Eros」に出しました。次が新潟で撮ったケツバット。そこまではポンポンポンと行ったんですけど、その先が何やったら面白いのかわからなくなっちゃって。

やはり面白いかどうかが重要なんですね。

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面白くないと嫌なんです。笑えないものは撮りたくないんで。

エロと面白さは両立すると考えている。

両立なんです。エロと笑いなんです。だから高尚なエロ、アラーキーみたいなんじゃないんです。もっとくだらなくていいんです。くだらないなぁっていうことをやりたくって。

当たった壁の話をひとつ聞かせてください。

2016年1月に「セルフポートレート展」(銀座モダンアート)に出品したんです。そのときからピンク映画っぽいものを撮ってみようとしたんですけど、なかなか思うようにならなくて。

ピンク映画といっても日活ではなく新東宝やオークラ映画の作品を志向しているとTwitterに書いてましたね。

はい。頭のなかにありました。映画は観てないんですけど、ポスターなどのヴィジュアルで。

ピンク映画のイメージは、マキエさんのエロの原風景でもあったんですか?

ありました。昔は、ピンク映画の看板がふつうに町中にありましたよね。そういうところを通るとだいたい母が「そんなの見てちゃダメ」と言って手を引っ張ったりするんです。そういうのって余計にそそるじゃないですか。

でも、作品に取り入れようとしたら、なかなか上手くいかなかった。

「セルフポートレート展」のころは、どこに行けばそういう資料が見れるのかわからなかったんです。そして技術もなかった。グラビアっぽく撮る光の使い方がわからなかったんですよ。それまで仕事で人物にカメラを向けたのは、インタビューカットやプロフィール写真、あとはアパレルの商品を見せるためのモデル撮影がほとんどだったので。それらは人物のキャラクターを写すための撮影とは全然違うんです。やってるうちにだんだん摑んでいきましたけど。

ピンク映画のポスターやひと昔まえのエロ本のテイストは、マキエさんの作品のモチーフになっています。そういう古い資料をどうやって探してますか?

都築響一さんのメルマガ(ROADSIDERS' weekly)に何度か載せていただいてから人脈が広がって、情報が入ってくるようになったんです。昔のエロ本をコレクションしている方と知り合って見せていただいたり、こういう本があるよと教えていただいたり。

エロ本の収集家の方は、おじさんですか?

それがだいぶ若いんです。女性と男性がいるんですよ。女性の方は、何歳ぐらいだろう、いま27、8じゃないかな。男性の方は30代半ばぐらい。

エロ本のどういうところを参考にするんですか?

衣装とライティング、それからポージングや表情ですね。あとはシチュエーションとか。

これまでの自撮りのなかから自信作を挙げてください。

過去、自分の傑作だと思うのは、ケツバット。あれは凄くやった感がありました。あとは、八甲田山の帆立ビキニ、本宮映画劇場の一連の作品。

©マキエマキ

©マキエマキ

本宮映画劇場の作品、好きです。

いいですよねえ。あれは写真として凄くまとまりがいいので評判が良くてプリントもよく売れるんです。ただ、まともに撮りすぎちゃったんで、もっと振り切ってゲッスく再撮影したい気持ちがあります。

撮影していて大変だったことはありますか?

中野の商店街で通報されたのがいちばん困りました。でも、ほぼ終わりのときに警察が来たので、服を着ていて助かりました。

©マキエマキ

今後、撮りたいシチュエーションはありますか?

昔、遊郭だった旅館の室内で撮りたいです。

若いころに写真のモデルをやったことはありますか?

あります。写真学校の生徒のときにクラスメイトのモデルをやったり。仕事でやりました。

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水着とか?

はい。

ヌードは?

ないです。

撮られる側の気持ちは経験上わかっているんですね。

はい。

自撮りは撮影者と被写体の両方を同時にこなさないといけない。カメラをセッティングしたら自分が撮りたい女性の役になり切る、そんな感じでしょうか。

たしかに、撮影中はピンク映画の女優になったような気分で「いやん、いや〜ん」なんて思いながらやってはいます。でも、そうですね……役になりきるというより、マキエマキという着ぐるみを着てるっていうイメージが近いです。

どんな着ぐるみですか?

エロいふなっしーみたいな、ハハハ。

その着ぐるみ感がファンに伝わっているかどうかなんですけど、マキエさんをガチな人、つまり少し変態っぽいところがある人なんじゃないかと夢想する男性もいると思うんです。きれいに言うと、ファンタジーを抱いている。

わかります。嫌な言い方ですけど、そこを見越してやってるんで。だから逆に、「全部わかってやってるでしょ」と言う男性もいます。

ガチな部分はゼロと言い切れるでしょうか。

自分では気付かないだけで、きっと変態なんだと思います。

マキエさんの写真展に訪れるお客さんはどんな人たちですか?

同世代のスケベな男性か、20代前半から40歳ぐらいまでの女性が多くて、若い男性は少ないです。

若い女性の評価は?

意外ですけど、カッコいいと言われます。 あと、今年3月の「東京女子エロ画祭」(Sooo dramatic!)でグランプリをいただいてからは、フェミニズムアートという見方を急にされるようになって──。

どう思ってますか?

正直、戸惑いました。あれから、ちょっとスランプに陥りそうになって。

何かを代表するのではなく、マキエさんはマキエさんのままでいいと思いますよ。女性差別を跳ね返すようなマキエさん作品の奔放さが、若い女性のカッコいいという評価に繫がっていると思うから。

フェミニズム的なものは、たしかに根底にはあります。若いころの男性恐怖症とか、そういうものから自由になったので、じゃ、脱いだれ! みたいな。ないとは言いませんけど、主義に括られちゃうとちょっと違うんですよ。要するに面白いからやっているだけなんです。

©マキエマキ

ほかのインタビューで読みましたけど、自撮りを始めたきっかけのひとつに閉経があったとそうですね。それはやはり大きなことなんですか?

大きいです。体が変わっていくって思ったときに凄く喪失感があったので。

体がガラリと変わった実感がある?

いまのところはないです。ただ、なんだろうなあ……性欲は減りましたね。そのへんはちょっと寂しいかなあ。

今年の1月にフクサコアヤコさんの「Hotel 妄想デート」シリーズ(Pearlman Journal連載)のモデルになってましたね。素敵でした。

あれ、よかったですね〜。人に撮られるのは怖かったんですけど。

マキエマキの着ぐるみを着ていないマキエさんも新鮮でした。

あれはフクサコさんの作品なので、まな板のうえに乗っかるつもりで。私、フクサコさんの写真が前々から好きで、だからモデルやってと言われて凄く嬉しかったんですよ。

フクサコさんとの接点はどこで?

リカちゃん人形の写真を出した「Love to Eros」のときに知り合って、そのときに「面白いことやってますね」と言われたんです。それで、フクサコさんのサイトを見て、いい写真撮る人だなと思ってたんですよ。好きな写真と言ったほうがいいかな。私、女としての情念みたいなものが凄く出ている写真が好きなんです。源氏物語の登場人物でいうと、六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)のように自分のなかの女にしがみついてるような女性が凄く好きで、フクサコさんの写真ってそういうのを凄く感じさせるんですよ。男が恐怖すら覚える女の情念のような。

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女の情念という点で、マキエさんの自撮りの作品をどう思いますか?

それは、どうしても出ると思います。閉経を迎えて、これからババアの体になっていく。それが嫌だなって思うところから自撮りを初めているので、いかにして自分のなかの女を残すかという部分は意識してなくても自然に出ちゃうんです。「この人って女に物凄くしがみついてるなって思う」と、たまに言われますし。見る人は見ちゃうみたいです。

同世代の男性たちもマキエさんの写真から情念を感じていると思いますか?

たぶん情念までは感じていないかな。本来、男性が踏み込みたくない領域ですから。ただ、女の性はこうであってほしいという彼らが抱いているファンタジーを感じさせる何かが、写真からドワッと出てるんじゃないかと思います。それを出せるのは、おそらく女にしがみつくような情念が私のなかに凄くあるから。たぶん若い女のコではできないと思うんですよ。「東京女子エロ画祭」で評価してもらえたのは、おそらくそういうところだと思うんです。だから、面白くしてるつもりなのに、写真が〈スケベなおっさんホイホイ〉になっちゃう。

いまは女にしがみつくような情念があるけど、この先いつかは淡々と歳を重ねていくようになると思いますか?

わっからないです。年齢があがればあがるほど、そっちが強くなっていく人もいますから。

©マキエマキ

いつも旦那さんが撮影を手伝われているんですよね。旦那さんなりに楽しまれているんでしょうか。

はじめのうちは楽しそうにやってましたけど、最近ちょっとわからないです。もしかしたら凄く嫌なのかもしれないと思うときも。なんかね……ちらっ、ちらっとそういう空気を感じるんですよ。まだ脱ぐの? そこまで濡らすの? とか。う〜ん……。

まあ、それは──。

そんなに脚開くのか? とか。

それは言葉として出るんですか?

口には出しません。ただ、あまりにも露出が多すぎる衣装を着てると、「それは」と言うときはあります。あとは、私がポージング変えるときに脚をガバッと開いたりすると、「それは見えてる」と。

ポージングのときは旦那さんがファインダーを覗いているから。

はい。あとの処理が大変だから、見えないようにチェックはしてもらっているので。

でも、もうやめろとは言わない。

言わないですね。私が楽しそうにやってるからやめろとは言わないけど、最近そういう空気を感じる。

それは撮影のときだけですか、家でも?

あ〜、家で画像のチェックしてるときも感じます。

旦那さんのチェックが入って、発表がNGになる作品もありますか?

あります。最初のうちはいまほど展示に人が集まらなかったので、面白いね〜で済んでたんですけど、Twitterのフォロワー数も増えたし、去年の11月の個展「マキエ祭り」(銀座モダンアート)はお客さんが1週間で500人来てくれて写真集も売れていくし。ラッキードラゴンの展示も物販が15万超えたんです。それだけ私の裸を人が買っていくわけじゃないですか(笑)。

旦那さんは展示にはいらっしゃいますか?

来ません。「マキエさんの旦那さん?」と言われるのが嫌だとは言ってますけど、もしかしたら目の前で他人が私の写真を見ているのが嫌なのかもしれません。

本当は自撮りが嫌なのかどうか、夫婦で向き合って話したことはありますか?

怖くて言えません。夫もやめてくれとは言わないし。

自撮りをいつやめるかを考えたりしますか?

あります。飽きて本当にやりたくなくなったらやめます。いまのところ、やめようかなと思ったことはないですけど。

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結婚して17年ですけど、そのあいだに変わるものですか? 男は。

あんまり変わらないけど、以前よりは頼りがいが出てきた感じです。出会った当時は本当にただかわいいだけだったんですけど、いまはそうじゃないです。

いまでも写真を始めたころのように山に行きますか?

行きます。

旦那さんも一緒に?

一緒に行きます。私が洗脳しました。

インタビュー後のマキエマキさん(自撮りではありません)

■マキエマキ出展情報
8月16日(木)〜9月3日(月)「夏のムンムン熟女まつり」※定休日:火曜・水曜
カフェ百日紅(東京都板橋区板橋1-8-7 小森ビル101)

8月17日(金)~19日(日)「闇の王展」
ギャラリー・ルデコ(東京都渋谷区渋谷3-16-3 髙桑ビル3〜6階)