若き写真家が見る歪んだ世界 vol.1 
矢島陽介
Photos by Yosuke Yajima

FYI.

This story is over 5 years old.

若き写真家が見る歪んだ世界 vol.1 矢島陽介

iPhoneやインスタグラムの登場により、写真というメディアがより身近な表現手段として普及し、今やすべての国民がカメラマンであるかのようだ。

iPhoneやインスタグラムの登場により、写真というメディアがより身近な表現手段として普及し、今やすべての国民がカメラマンであるかのようだ。

そんななか、簡易的なライフスタイルの表現手段や、資本主義の土壌に成り立つ商業写真とも一線を画し、主に自己表現手段として捉え活動する人々に焦点をあて紹介する企画。
日本にいながら海外のアワードやキュレイターに直接アポイントをとり作品を売り込むことも、個展を開くことも、アワードを獲ることも、以前よりも容易にできるようになっている環境もあるだろうが、確かに世界レベルで認められている作家が多いということも事実。
写真家が表現するものが、インスタグラムの写真や商業写真と比べて、特別面白いものだとは一概には言えない気がするが、近いようで明確にあるらしい、その境界線にこそ、今の時代において見えづらくなっている何かがあるはずだ。
第1回目はかつてViceのフォトエディターとしても活躍していたティム・バーバーが運営するサイト「time & space」などで自身の作品を寄稿する写真家、矢島陽介の作品をインタビューとともに紹介したい。

Advertisement

まず今回の作品のコンセプトについて教えてください。

僕の場合はコンセプトというとちょっとニュアンスが違う感じがします。それというのも、大きなトラウマや人生観がひっくり返るような出来事があって作品を制作しているのではなくて、子供の頃から今までに日常的に感じている他愛のない小さな違和感やズレのようなものの積み重ねが元になって作品を作っているんだと思います。それが今、時を経て自分の中から染み出して写真になっているんじゃないかと。

小さな違和感やズレというのは具体的にどういうことですか?

例えば、僕は関東の外れにある片田舎の新興住宅地で育ったのですが、僕が小さかった頃、大自然だと思って遊んでいた近所の森が全部植林だと知った時に、その森の見え方がまるで変わってしまったのを覚えています。また、親父と釣りに行った時、もともとその川に生息している天然の魚を釣っているつもりが、実はほとんど放流魚だったと後から知って、釣りをしていた行為自体が何だったのか良く分からなくなった記憶があります。こういう経験って結構誰でもあることかもしれませんが、田舎の新興住宅地ではいたるところで起きてた気がします。

なるほど。では大人になってから感じている違和感は?

東京に出てくるんですが、東京では街のいびつさというか、不自然さに興味を持ちました。とある本で東京の街について「それぞれの計画者の秩序立った想定が重なりあって無秩序を生み出している」ということが書いてあったのを見て、妙にしっくり来たのを覚えています。たくさんの建物が、かなりランダムに隣接しているにも関わらず、それに見慣れてごく普通に生活しているものすごい数の人がいる、ということに、いまだに慣れないですね。あと、僕は仕事で商業施設や都市空間などの完成予想図を見ることがありますが、あの絵に描かれている人の歩いているポーズとか、いかにも幸せそうな様子を見ると、都市に住む人の不自然さというか、気持ち悪さを象徴しているように感じます。

矢島さんが感じる違和感というのは、ビジュアル的な見た目の違和感もあるのかもしれないですが、人があたかも自然の物事であるかのように作り出した人工物や、空想上の幸せ感を具現化した薄っぺらさに対して、それを知ったときの違和感という方が強いように感じます。

そんな感じかもしれません。上の例のひとつで説明すると、森だと思っていたのが植林であったと知ったときの違和感に興味があるんだと思います。その違和感、落ち着きのなさみたいなものを写真で表している感じですね。

ただ、都市の構造やそこにいる人への違和感といっても、作品自体にはご自身が感じた違和感と直接関わる実家の周辺などを撮影しているわけではないですよね?

そうですね。僕は、衝動的にまず撮りたいイメージが先にあります。イメージを再現する被写体であれば、「だれ」とか「どこ」というのはほとんど関係ありません。重要なのは具体的な場所や人ではなくて、違和感やズレを感じる感覚そのものです。以前はカメラを持ってスナップに行き、気になる空間があったら撮影するという方法をとっていましたが、今はイメージをセットアップして作り出し撮影した方が、結果的にその違和感を具現化しやすいと思っています。

曇りの日や、フラットな光を選んでいるのも、都市の構造やそこにいる人の違和感を強調する表現手段のひとつということですね。

はい。構図上も、奥行きがないように選んだり、違和感のあるような姿勢を狙って撮っています。パッと見、地味な印象かもしれませんね。

同時に作品を見ていくと、人や都市の温度が感じられず気持ち悪さを感じます。個人的には絶対に住みたくない世界です(笑)。そしてすごく静かですがクレイジーな狂気も感じます。この写真の世界の中で犯罪が起こりそうに感じます。

写真なので、実際に住んでいる世界そのものであることには変わりないんですけどね(笑)。でも、そういう風に見てもらえたりして、今の自分の住んでいる街や人が暮らしていく環境についての違和感や、ものの見方について考える間が作れたらおもしろいですね。

矢島陽介
1981年生まれ。山梨県出身。海外のダミーアワードで入賞するなど国内外問わず受賞多数。2015年8月下旬より恵比寿にあるG/P Galleryにて、それに続き名古屋On Readingでの個展を開催する予定。また、これまでの作品をまとめた写真集の出版も予定している。 http://www.yajisuke.net