街を何気なく歩いているとき、知り合いとすれ違っても全く気付けないことが多く、あれっ誰々かな?と思ったとしても、その確信が持てずやり過ごしてみたり、逆に声をかけられても全く誰か分からず、とりあえずお疲れ様ですと誤魔化し通りすぎることがあまりにも多い。もちろん視力が悪いということも影響しているのかもしれないが、そもそも人と接しているとき、着ているものや髪型を雰囲気で捉え、その人自身としっかりと対峙できていないのではないかと、よく反省させられることがある。逆に、自分の生活圏の中で、その人が乗ってる車を見かけたときの方が、絶対誰々だなんて確信できたりするから余計恐ろしくなったりもする。
若き写真家が見る歪んだ世界、第10回目はドイツを拠点に活動し、写真、画像という媒体が現代の社会でどのような役割を担うのか、その秘められた可能性を模索する藤原聡志の作品とインタビューを紹介します。

まず写真を始めたきっかけを教えてください。

社会人になり最初は広告の企画、デザインの仕事に携わっていたのですが、そこでクライアントのメッセージをターゲットにいかに魅力的、かつ簡潔に表現するかという作業をしていくなかで、そもそも写真だったり画像自体が人々にどのような影響を与えるのかという、根本的なことに興味が移っていったことがきっかけです。

なぜそのような考え方を持つようになり、写真というメディアに興味を持ったのですか?

ひとつはトーマス・ルフという写真家を知ったことが大きかったです。彼の写真や画像というものの概念を次々と破壊している作品に大変感銘を受けました。そこから広告の世界で身につけた技術や視点を活かして、視覚イメージや写真について独学を始め、現在は尊敬している写真家が多かったことを理由に、ドイツを活動の拠点においています。まだまだ勉強しなければならないことが山のようにあるので、そういった期間を過ごす場所として、比較的ゆっくりと時間が流れているベルリンは適しているのかなと今は感じています。

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©Satoshi Fujiwara, Code Unknown, 2014, Courtesy of IMA gallery

では、そんな藤原さんのコンセプトを、作品を通して具体的に教えて下さい。

まずは上記の「Code Unknown」についてですが、いっけんモデルをブッキングし、撮影場所をあらかじめ用意しセットアップして撮影したかのように見えるかも知れませんが、実際には主にベルリンの地下鉄内で撮影したストレート写真です。しかも無許可で、被写体となった人々に気付かれないように撮影しています。したがって、撮影の時点で対象自体をコントロールすることはできません。ただ、そこがこの作品のポイントで、我々は直に、またはメディアを通して他人を見るとき、外見(顔、体型、身に纏っているものや行動など)、すなわち様々なコードによって情報を読み取っていると思います。この作品で私は、被写体が持つ様々なコードを画像上で制限、または変換することで、被写体の個人性を特定できない曖昧なものにしようと考えました。

なるほど。では手に持った新聞紙などに限定している作品は何を意図しているんですか?

顔にクローズアップした写真では顔以外の様々な要素を排除することで、誰が誰だかわからなくなりますが、衣服や携帯品にフォーカスした写真では逆に被写体の個性が浮き彫りになるという狙いも含ませています。また、顔と身体の一部がともに写り込んでいる写真では、髪の毛の色が変わっていたり、顔のパーツの形を変形させていたり、部分的にデジタル加工処理を行なうことでピクセル画像上のコードを変換させています。

では、この作品の手法はどのような考えのもと生まれたのでしょうか?

私の敬愛するミヒャエル・ハネケ監督の映画『Code Unknown』の中で主人公の恋人であるカメラマンが電車内で向かいに座った乗客を隠し撮りするシーンがあって、私はこの彼と同様の方法でベルリンの電車内で人々を撮影しようと考えました。このシリーズはハネケ監督へのオマージュでもあります。

このような撮影方法だと肖像権という問題が出てくると思いますが、作品のコンセプトが、顔を映しているのに誰か特定できないことに焦点を当てているので、クリアできると考えているのですね。

クリアできているのかどうかは分りません。むしろどこまでがセーフでどこからがアウトという曖昧な線引き自体に興味がありました。ですので、撮影と編集を繰り返しながら、肖像権の限界地点を意識的に探っていきました。撮影の手法上、この問題とは切っても切り離せないこともあり、さらにネットワーク環境が整備されSNSが一般化した現代では、撮られる側の人々も撮影された画像が、どのように使われるのか多くの人が敏感になっていると思います。さらに、無許可で人々の顔を捉えた写真を無闇に公共の場に晒すことは出来ません。窓から差し込む直射日光による影の効果、構図、そしてデジタル画像処理などを駆使し肖像権という問題をクリアにすることも試みた作品でもあります。

つまり、この作品では、写真で個人を視覚的に特定することの曖昧さを、肖像権という法律をクリアするということを同義と捉え、成り立たせている作品ということですね。

同義と捉えている訳ではありませんが、肖像権という人権を法律で裁く場合に、デジタル画像、写真はどれまで信頼できるものであるのか、という現代における画像イメージの在り方にフォーカスしています。

では次に「#police #cover_up #demonstrations #brutality 」、つまり#警察 #隠蔽 #デモ #残虐について紹介してください。かなり政治的なメッセージが含まれているように感じます。