NYHCアートワーク王はかく語りき CRO-MAGS BAD BRAINS AGNOSTIC FRONT BEASTIE BOYS SHOK (1)

すいません~またまたニューヨーク・ハードコアです。今回はバンドではなく、アートワークで名を馳せたショーン・タガートのインタビュー。これまた興味深いトピックがわんさか出て来ます。登場人物多いので先にご紹介。頭ん中に詰め込んでトライしてください。ではドゾ!!

登場人物

ハーレイ・フラナガン
CRO-MAGS, STIMULATORS, MODE OF IGNORANCE, HARLEY’S WAR, WHITE DEVIL

レイビーズ
WARZONE, AGNOSTIC FRONT, SKINHEAD YOUTH

パリス・メイヒュー
CRO-MAGS, WHITE DEVIL

ロジャー・ミレット
AGNOSTIC FRONT, ROGER MIRET AND THE DISASTERS, THE ALLIGATORS

ジョン・ジョセフ
CRO-MAGS, BOTH WORLDS, MODE OF IGNORANCE, FEARLESS VAMPIRE KILLERS

デイブ・ルビンスタイン
REAGAN YOUTH, HOUSE OF GOD

ポール・ベアラー
SHEER TERROR, FATHEAD SUBURBIA, JOE COFFEE

もしあなたがニューヨーク・ハードコアを激しく愛しているならば、ショーン・タガートという名前と、NYHCの全盛期に描かれたアート・ワークの数々を知っているハズ。それまで、バンドのレコード・ジャケットやギグのフライヤーは、下手なモヒカン刈りのスカルで十分だった時代に、ショーンは精密でありながら精神的にひねりのきいたイメージで、人々の脳と眼をブッ飛ばした。CRO-MAGSの初期ライブのために描いた威嚇するようなスキンヘッドやアウトロー、AGNOSTIC FRONTの『Cause for Alarm』やCRUMBSUCKERSの『Life of Dreams』、そしてMURPHY’S LAWのジャケットなど、その目の眩むようなフルカラー・デザインは、何時間でも没頭して見ていられる作品だ。正しく彼は、Pファンクで言うところのペドロ・ベルにも匹敵するハードコア界のビジュアルアーティストである。その後PRONGやNAPALM DEATHなどのジャケットのみならず、ジャーキーボーイズのキャラクターデザインなど、様々な分野でショーンは活躍している。

また、ショーン・タガートはリアルに初期ハードコア・シーンを通過した1人でもある。特にロウアー・イースト・サイドのシーンが、パンクからハードコアへと変容していくのをしっかりと目撃。ドイツ料理の御馳走と家までの送迎を条件に、ショーンに当時のことを語ってもらった。

最初にダウンタウンのクラブに通い始めたのはいつですか?

15歳だったね。1979年にマクシズ・カンサス・シティでSPEEDIESを観た。その一ヶ月前にはパラディウムとナッソーコロシアムでRUSHを観たり、その前の夏には、VAN HALENの「暗黒の掟」ツアーに行ったりしてたんだけど、SPEEDIESのショーが俺の人生を変えた。「スタジアムのコンサートはつまらない」って思うようになったのさ。

でも、当時高校に「これぞクールなパンク」って感じの女の子がいてね。SPEEDIESを観たって話したら怒り出した。「あんなのパンクじゃない」ってね。

次に観たのがSTIMULATORSとBAD BRAINSだったんだけど、ホントにブッ飛んだよ。怖いのと同時に解放感もあった。それで前の方に行って踊り始めたんだけど、すぐ戻って来た。当時は髪が肩の下まであったからね。浮いてたんだ。「何だ?このくそガキ」みたいに見られて恥ずかしかったな。マクシズのクールなところは、未成年でも入れてくれたってこと。「飲酒しているところを見たら追い出すぞ」って言うだけでね。ま、ハーレイ・フラナガンは12歳でSTIMULATORSのメンバーだったから、飲んでいても誰も何も言わなかったけどな。

NYHCアートワーク王はかく語りき CRO-MAGS BAD BRAINS AGNOSTIC FRONT BEASTIE BOYS SHOK (2)

ハーレイとはよくつるんでたんですか?

ヤツが俺の頭を剃って正式なスキンヘッドにしてくれたんだ。正確に言うとハーレイの指示でレイビーズがやったんだけどね。

どういうことですか?ハーレイがレイビーズに命令して「もうちょい左だろ!」とか言ってたんですか?

(笑)。俺の頭が剃られた理由は、パリス・メイヒューに頭を剃らせるためだったんだ。その導線みたいな(笑)。それは実現しなかったけどね。

パリスは初期の友人の一人ですね?

そうだね。彼も長髪だったけど、ロックンロールな性格だったからメンバーと馬が合ってたね。俺はロジャー(・ミレット)とジョン(・ジョセフ)がCRO-MAGSのオーディションを受ける場にいたよ。ロジャーが圧倒してたけど、ジョンが勝ち取ったね。彼の方がバンドに合っていたのは間違いない。

BAD BRAINSの初期のステージはどんな感じでしたか?

アンタッチャブルだよ。BLACK FLAGだったら「音がデカくて酔っぱらってるだけじゃん! 俺にもできる!」って気になる。でもBAD BRAINSの後は「無理だ!」だった。

初期のニューヨーク・ハードコアは、他の地域で起きていたことと何が違ったのでしょう?

過去も現在もだけど、マンハッタンには上流か下流かのどちらかしかない。中流が存在しないんだ。クイーンズやブルックリン、ブロンクスから来ていた連中は基本的に中流だったね。俺の両親は生活保護を受けていたけど、父親は修士号を持っていたよ。だから美意識で貧乏を選択していた感じなんだ。もしアーティストが福祉を受けていたら、それは貧乏を自ら選んでいたってこと。金銭的にはスカンピンで、ジーンズはボロボロだった。

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では、ハードコアはどちらかというと郊外の現象だったということでしょうか?

中流のヤツらは、上流の教育やアート、カルチャーをすごく恐れていたんだ。だからこそハードコア・シーンは中流のキッズにとって重要で、彼らが力を得るチャンスを与え、人生はそんなに簡単じゃないってことを教えてくれたのさ。彼らは選択していたんだ。でも貧乏に生まれたら、そのままずっと貧乏って可能性が高いんだけど。

81~83年のニューヨークで好きなバンドはいましたか?

正直に言うと地元のバンドで好きなのは少なかったな。シーンでのつきあいは楽しかったけどね。A7に出ているバンドが本当にくだらなくても、毎日が退屈だったから、とりあえずスラムダンスはやってた。THE MOBは良かった。ARMED CITIZENSもいい曲がいくつかあったね。BEASTIE BOYSはみんなと友達だったから好かれていた。冗談で始まったバンドだったけど、いい意味での冗談だったね。あとREAGAN YOUTHも本当にいいバンドだったよ。デイブ・ルビンスタインはシーンのスターだった。EVEN WORSEもくだらなかったけど、それを分かっていてユーモラスにやってた。だから好きになっちゃうんだよね。でも初期のニューヨーク・シーンは完全にマッチョ主義だった。ステージダイブにスポーツ性があって、それはどのシーンよりも際立っていたな。それをやるのがステータスになっていた。客の中に6メートル宙返り出来るヤツがいれば、それがステータスになるんだ。そして次の大物バンドのシンガーになれるって寸法。でも俺はシーンからしばらく遠ざかっていたんだ。そこから83年に戻ってくるまではね。