本作を撮りはじめた時点でスタッフの編成は決まっていましたか?

まだ決まってないです。一人で撮りはじめてから、プロデューサーの橋本(佳子)さんに連絡をしました。山崎(裕)さんに撮影をお願いしたいと思っていたので、そのとき橋本さんに相談しました。編集を鈴尾(啓太)さんに決めたのはずっとあとです。「若いんだけど、とにかく口答えするので有名な奴がいる」と橋本さんから紹介されて。実際、「このカットは絶対に違う」とか、何度も言い争いました。楽しかったです。アシスタントプロデューサーとして編集以降に参加した田中志緒理さんや、配給会社東風の代表でプロデューサーの一人である木下繁貴さんなど、多くのスタッフたちと充実したセッションができたと思います。

橋本さんや山崎さんといったベテランと一緒にやろうと思った理由は?

』と『A2』は一人で始めて、途中から安岡(卓治)というパートナーを得ましたが、現場は常に一人か二人でした。それはそれでよいのだけど、今回は多人数のチームワークを試したかった。それと、橋本さんとはテレビ時代を含めて長い付き合いですが、数年前に東電のドキュメンタリーを撮りたくて相談したとき、お金を使わせたけど途中でやめちゃったことがあって。その埋め合わせ的な気分もあったかな。山崎さんにお願いしたのは、この巨匠と一度は組んでみたいと思っていたので。

彼らに依頼するとき、どんな映画にしたいかイメージを伝えたんでしょうか。

その段階ではイメージはありません。とりあえず、「テーマは佐村河内騒動だけど協力してくれる?」みたいな感じかな。橋本さんからは「そんなの誰が観んのよ」と言われたような気がする。山崎さんは笑いながら「お前も相変わらずだねぇ」、……そんな感じでした。

撮影のクレジットは山崎さんと森さんの二人になっていました。

最終的に残ったカットでは、8割ぐらいは僕が撮っています。山崎さんは大御所ですから、「ここぞ」というタイミングでお願いするようにしていました。でも「ここぞ」のシーンは、結局あまり使わなかった。残っているのは、京都への道行きやアメリカのメディアの取材、授賞式パーティなどです。もちろん僕が写り込んでいるシーンは、だいたい山崎さんが撮っています。

制作中に意見の相違などでスタッフ間に波風が立ちませんでしたか?

橋本さんとはたまにやり合ったけれど、大きな意見の相違はありませんでした。ただ撮影が進まないとき、「これどうやって終わるの?」「こんなの誰が観るの?」「公開するころには佐村河内事件なんて誰も憶えてないわよ」とか言ってましたけど。

編集時に手応えはありましたか?

作品として面白くなるとの手応えですか? ないです。長く編集していると距離感がわからなくなるんです。編集の鈴尾さんと二人で、「そもそもこれって面白いのかな?」とか「作品として成立していると思いますか」なんてよく言い合っていました。身内の試写で何人かから感想を聞いたとき、それなりに面白くなったのかなと思えた程度です。

予期せぬことが起こるのはドキュメンタリーを面白くする要素の一つですね。

もちろん。現実に翻弄される度合いが大きければ大きいほど面白いドキュメンタリーになります。

今回、撮影中に起こった予期せぬ出来事の中で、とくに印象に残ったことはありますか?

とくに、ということであれば、アメリカのメディアの取材や、授賞式パーティや新垣さんのサイン会などかな。もちろんラストで僕の挑発に佐村河内さんがしっかり応えてくれたのも予期せぬ出来事でした。それぐらいかな。ほとんど家の中で撮っていたので、『A』や『A2』に比べれば、現実にダイナミックに翻弄されたという感覚は、さほどなかったかもしれません。でもだからこそ、ダイナミックではないけれど、現実が手の指のあいだをすり抜けるような感覚は常にありました。……難しかったです。

謝罪会見以降、佐村河内さんは表に出てこない人というイメージがあったので、いまだに出演交渉や取材のため家を訪れるメディアがあることが意外でした。

そうですか? 撮影中の期間も、ベランダにいる佐村河内さんを写真週刊誌が盗み撮りしたり、買い物に行く奥さんを女性誌が尾行したりなどがありましたよ。だからこそ外に出なくなる。取材の依頼はもっとあったはずだけど、僕の撮影を許可してもらうことが佐村河内家の中に入る条件でした。それを了解したのは、二つのテレビ番組とアメリカのメディア、そして最終的にカットしちゃったけれど、漫画家の吉本浩二さんの取材でした。吉本さんの取材の様子は、聴覚障害のドキュメンタリー漫画『淋しいのはアンタだけじゃない』に描写されています。

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