撮影中、森さんの中に葛藤や迷いはありましたか?

ほとんど毎日葛藤していました。ずっと家の中にいるので画変わりしたい。どこかに出かけてくれないかなあと思っていました。でも気軽に出かけられない事情もわかります。

出かけたのを撮ったのは京都行きだけですか?

弁護士事務所に佐村河内さんが行く道中を撮ったけど、これは全部カットしました。とてもいいシーンがあったのだけど……。あとは病院。到着すると同時に、彼と奥さんが受付で何かを必死に頼んでいる。カメラをまわしながらそばに行ったら、「名前を呼ばないで番号で呼んでください」と頼んでいた。なるほどなあと思いました。名前を呼んだらみんな気づきますよね。

物悲しいですね。

本当は使いたかったシーンですが、最終的には落としちゃいました。やはりカットしたけど、お父さんも言っていました。「自分の名前が佐村河内でなければ……この名前のおかげで息子には迷惑をかけた」と。切ないです。

感音性難聴という障害があるのをこの映画で初めて知りました。京都まで行って聴覚障害者のカウンセリングをやっている方を訪ねたのはどうしてですか?

彼は自らのブログで佐村河内騒動をとりあげて、難聴に対して無知なマスコミを批判していました。それを読んだ佐村河内さんから会いにゆくと決めたと連絡があったので、カメラクルーと共に同行しました。感音性難聴は、一般的には音がまったく聴こえないわけではないけれど、聴こえない音があったり、歪に聴こえたりするようです。音はわかっても声までは聴き取れない。佐村河内さんは「曲がって聴こえる」と言っています。耳鳴りがひどいとも。これはその日の体調によっても変わります。さらに、彼はある程度は口話を理解できますが、奥さんの口の動きは読めても、初対面の人の口の動きはほとんど読み取れない。考えたら当たり前ですよね。すべてグラデーションです。でもメディアは、聴こえるか聴こえないかの二つに単純化してしまう。かつては「全聾の天才作曲家」と称賛し、騒動後は「聴こえるのに聴こえないふりをしたペテン師」と全否定する。1かゼロです。でも現実はもっと複雑です。グレイゾーンがある。京都行きはそのニュアンスを補強できたかもしれない。

森さんにとって、ドキュメンタリーでやってはならないことはなんですか?

ドキュメンタリーはジャンルではなくて手法です。だからルールは自分で決めればよいと思っています。僕は、隠し撮りはしない。撮っているときに「撮るな」と言われたらやめる。撮った直後に「使うな」と言われたシーンは使わない。倫理や礼節などが理由ではありません。ドキュメンタリーは加害性が強いからこそ、自分に対しての歯止めです。ただし、直後ではなくてもっとあとになってから「あのシーンを使うな」と言われた場合は拒否することもあります。

今回、使うなと言われたシーンはなかったですか? 佐村河内夫妻以外からも。

直後ですか? ならばないです。

撮影の終わりをどうやって決めましたか?

ラストのあのシーンを撮ったとき、これで終われるかなと思ったんです。でも映画的なカタルシスだけでよいのだろうかと考え直した。その帰結がエンドロールのあとのワンシーンです。物理で言うところの「対消滅」。粒子と反粒子を衝突させてゼロにする。それをやりたかった。

fake_sub4

© 2016「Fake」製作委員会