天才芸術家。誰も見たことも、想像したこともない世界を描ける人。それが写真というアート表現で実現できるのであれば、なおさら、そう感じてしまう。ファインダーを覗いただけで、世界の別次元を、誰が垣間見ることができるだろう。僕が知る限り、それができるのはアナ・バラッドただ一人だ。
Photos by Ana Barrado Text & Interview_Yoshitsugu Yubai

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世界のビジュアル・アーティスト連載 ゆVIっCE! 02.Ana Barrado

天才芸術家。誰も見たことも、想像したこともない世界を描ける人。それが写真というアート表現で実現できるのであれば、なおさら、そう感じてしまう。ファインダーを覗いただけで、世界の別次元を、誰が垣間見ることができるだろう。僕が知る限り、それができるのはアナ・バラッドただ一人だ。

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天才芸術家。誰も見たことも、想像したこともない世界を描ける人。それが写真というアート表現で実現できるのであれば、なおさら、そう感じてしまう。ファインダーを覗いただけで、世界の別次元を、誰が垣間見ることができるだろう。僕が知る限り、それができるのはアナ・バラッドただ一人だ。
僕がアナの写真と出会ったのは18歳のとき、古いRE/Searchを買い集めていた頃、その中で最も美しいと感じた本「J.G.バラード」* 特集号を通してでした。そして、この号のメイン・フォトグラファーがアナ・バラッドでした。廃墟と化したプールの写真、人類が滅びた後に取り残された楽園のような風景の写真。これらの図像はまるで美術の新しいジャンルを形成しているように思えました。言うなれば、未来型のシュルレアリスム。モノクロームに刻まれた未来への哀愁は、まるでデ・キリコ * * が未来の図像をカメラを使って描いたもののように感じました。彼女の写真の虜になった僕は、1989年にペヨトル工房から写真集が出ていることを知ると、すぐに書店へ注文しに行ったのを憶えています。生まれて初めて買った写真集でした。
2003年、僕がRE/Searchに滞在中、打ち合わせのため東海岸から訪れていた彼女をヴェイルに紹介されたのが初めての出会いです。アナの第一印象は、とてつもないエネルギーを持った人。気さくで自由な精神は、幼い頃、伝記で読んだことのある偉大な芸術家の像そのままでした。意気投合した僕たちは、頻繁に連絡を取り合うようになります。
2004年、僕が写真を始めた際に、アナの師であるジョン・コリアー・ジュニア * * * が彼女に教えたように、文化や社会的なものを対象とする視覚人類学(映像人類学) * * * * の手法で僕に写真を教えてくれました。
アナ・バラッドは主にアメリカをフィールドに活動しており、ここで発表する祝祭的で冷笑的なラスベガスの写真群は、僕にとってヒエロニムス・ボッシュの「快楽の園」、中央パネルを思い起こさせます。

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The-Flamingo

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La-Concha-&-El-Morocco-Motels

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The-Landmark

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写真を撮り始めたのはいつですか?そして写真家になったきっかけは?

写真を学び始めたのは、1974年、マイアミの大学で美術を専攻していたときです。写真の授業を履修するには、ドローイングとデザイン、そして絵画のコースを受講しておく必要がありました。絵を描くために腕を磨く必要があるように、写真(光でものを描くという技を身につけるために)は、技術と目、構図やデザインに関する基本的な専門知識を身につけることが求められます。写真入門のクラスは、グラフィック・アートとデザインの学科のなかでも上級のコースだったのです。ジャーナリズム写真を専攻する学生は美術専攻の学生よりも、ずっと説明的な写真を撮るように教育を受けるのですが、彼らもまた、自分たちの手と目を使い、グラフィック・デザインや構図の基礎概念、写真の陰影、図地関係などを学ばないといけませんでした。幸運なことに、私の好きな写真家であるゲイリー・ウィノグランド * が、最初の特別講師としてクラスで授業をしてくれました。彼の存在感、評論、美しい作品が、私の意欲を掻き立て、写真に取り組む姿勢に決定的な影響を与えました。さらに、文化的な要素を色濃く打ち出したドキュメンタリーという私の手法も、彼に影響を受けています。

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写真を始める前に画家になろうと考えたことはありましたか?

自分がアーティストであるとずっと思っていたし、目の前にあるものを描き写す、鉛筆を使ったドローイングがとても得意でした。しかし、私には自分でイメージを創り出す想像力も、辛抱強さもなく、絵の具を使いたいという欲求もありませんでした。学校の授業などで、ずっとイラストを描いてきましたが、目の前のものを描くという以上に、私なりの見方や想像力を、持ち合わせていませんでした。写真に出会った頃、私はいろんなものが見えるようになっていて、撮り始めたばかりの写真のネガには、カメラの前にあるものだけではなく、自分の意識や自分自身の深層心理も、記録されていました。私にとって写真は、魔法の道具、水晶の球のようで、初めて回したフィルムからすっかり夢中になりました。写真を撮る過程で感じた創造を掻き立てられるような不思議な衝動は、そのまま次の一枚へと繋がりました。私にとっての写真表現においては、真のアーティストとは、私の意志ではなく、制作プロセスの中で生まれてくる「なにか」なのです。私は、ただカメラにフィルムを入れ、外に出て、その「アーティスト」の声を形にするために撮るのです。これは、ゲイリー・ウィノグランドが自身の作品について、常に言っていたことでもあります。写真で学位を取ったサンフランシスコ・アート・インスティテュートに通っていたころ、ゲイリー・ウィノグランドが来て講義をしたことがありました。学生たちは、彼の「写真論」を聞きたがりましたが、彼はこう答えました。「写真論?何の理論だ?カメラにフィルムを入れて、外に出て撮ってこい!」。写真はあくまでも世界と対自しシャッターを押すことであって、話してわかるものではないと。

写真をプリントする際の暗室の技術は、どのように学んだのですか?

化学や天文学にも、子供の頃からとても興味があって、趣味で顕微鏡や望遠鏡を扱ったり、溶剤を使って実験していたのですが、そこで身につけた技術が、そのまま暗室での技術に活きています。数学や科学で養った技術や美的感覚、写真を撮りながら育んでいった地理的・文化的な関心は、暗室の中だけでなく、被写体を探す上でも役立ちました。光の強弱に敏感なゼラチン・シルバー・プリントは、私にとっては最も人間の目や意識に近いので、真実性、リアリズムを伝えるのに、最高の表現媒体です。

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世界を旅するようになったきっかけは?

小さな頃から家族と世界中を旅してきました。ほとんどは西洋的発展を遂げた土地にですが、ヨーロッパやアメリカ、南米の主要都市など、地域的特徴や政治的状況が異なる様々な地域で、イメージや視覚的な記憶を培いました。しかし、家族で訪れていたのは、主に空港や都市から成る「人工的に構築された」世界でした。「自然の」世界を旅するようになったのは、写真という表現を見つけてからです。アメリカ国内の雄大な景観、ハワイやカリフォルニア、ニューメキシコ、そして私の育ったフロリダ。そして、ニューヨークは私が写真を学ぶために辿り着いた街であり、写真界の先人たちが住む街でもあり、家族旅行で何度も訪れた街です。私はずっとここに住みたくて、実際1983年から、イースト・ビレッジの部屋を借り、キッチンを暗室にして、拠点としています。撮影のため、ニューヨークからフロリダや南西部へよく行きましたが、たくさんのネガを持ち帰り、必要な資材が切れる心配のない都会で、現像とプリントを行いました。しかし、大変残念なことに、デジタル化によって、ニューヨークでも私が使って来た資材は手に入りにくくなってきました。9.11以降、生産終了となったコダックの赤外線フィルムが30年分以上ストックしてあるのは、せめてもの救いですが、アグファの印画紙も生産を終了してしまいました。今後の現像のために残された希望は、日本製のものだけです。日本では確かまだ印画紙を作っていたと思います。そう願います!

どのように撮影対象を見つけるのでしょう? また、作品にはなにかメッセージを込めていますか?

私が主に対象とするのは、20世紀後半の宇宙への開発技術競争が過熱した時代、いわゆるスペース・エイジ以降の文化です。宇宙、航空、レジャー産業によって作られた「人工的に構築された」世界と、火山性の地質で有史以前の地形が多く残るサンベルト地帯の「自然の」世界のコントラストが主題です。サンベルト地帯を選ぶのは、アメリカの宇宙、航空産業のほとんどが、海に近い南部の地域に集中しているからです。南端は熱帯に面しているため、赤外線フィルムにはぴったりで欠かせない、クリアでまっさらな日差しが降り注ぎます。私は、有史以前の洞窟と宇宙船の両方に象徴される、アメリカの自由の精神を表すイメージに、いつも惹かれます。子供の頃に観たアニメ(ディズニー、ウッディー・ウッドペッカー、ロードランナーやシンプソンズなど)が育んでくれたのでしょう。アニメの中でアメリカ文化の象徴として描かれる、南西部の砂漠やフロリダのケープ・カナヴェラルの景色が大好きでした。これこそ、ポップ・アートです。

なぜラスべガスを撮影したのですか?

ラスベガスという街は常に未完成です。古いカジノを潰しては、新しい施設を建てています。建物、そして都市全体が、同じであり続けることはありません。これらの写真は1992、96、98年と3度に渡って撮影したもので、誰もが想像する、レトロな姿を残したラスベガスです。そう思いませんか? 同じロケーションで撮影した写真もいくつかありますが、全く違う、新しい建物が写っています。例えば、”The Stratosphere’s Palms”は、かつて”Vegas World”でした。この写真のレイアウトは”Welcome Sign(1枚目の写真)”のあるラスベガス大通り(通称ストリップ大通り)の南端から順番に紹介し、地図上にそって、1枚ずつ北上して、最後の写真では砂漠に出ます。ラスベガスにあるものは全て虚構で、人工的なものばかりです。唯一のリアリティは、太陽の光と乾いた砂漠だけです!

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あなたは別次元を捉えられる数少ない写真家ですね。まるで幻覚のようです。どのように撮影しているのですか?

写角に注意して、赤外線フィルムのような感光性の素材を使い、スペース・エイジのアイコニックな被写体とモノクロの銀塩プリントとを合体させる。それが私のやり方です。

赤外線フィルムとの出会いと、使い始めたきっかけを教えて下さい。

赤外線フィルムを使えば、太陽の光をよりリアルに再現できることに気づきました。トライ-Xや他のモノクロ・フィルムは、新聞に印刷するためにざらついた質感で、私が求める光線の範囲には、もの足りませんでした。赤外線では、人間の眼には見えない範囲まで見ることができます。自分の目にも見えませんが、撮る前に視覚化できるよう訓練します。カメラには赤外線が見えていますから、経験を積んで、自分の眼として、使えるようにするのです。

あなたが今までに触発されたアーティストと、その理由を教えて下さい。

写真家では、ゲイリー・ウィノグランド、ダイアン・アーバス、ロバート・フランク * ですね。彼らは文化の一分野を創り出しました。個人的な事象を写真として切り取ったのではなく、自らが生きた時代を記録する、視覚人類学という分野を生み出したのです。あとは、グラフィック・デザインやイラストレーションを用いてアメリカ独自のスタイルを捉えた、アンディ・ウォーホルやロイ・リキテンシュタイン ** のアイコニックで文化的なメッセージにも、触発されました。

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次のプロジェクトについて教えて下さい。

死ぬまでに、ネガをすべて現像することです!

アナ・バラッド
サンフランシスコ・アート・インスティテュートにて、ジョン・コリアー・ジュニア(John Collier Jr.)から視覚人類学(映像人類学)、ホルヘ・ルイス・ボルヘスとフリオ・コルタサルから文学を学び、1970年代後半に卒業。V.ヴェイルの主催するRE/Search Publicationsから出版されたJ.G.バラードの著作で作品が紹介され、国際的に知られた存在になる。バラッドが捉える高層建築、空港ラウンジ、宇宙船基地、また娯楽施設など、サンベルト一帯の景色は、現代の終末を映し出しているようである。彼女の作品は、「Zone-6: Incorporations」(ニューヨーク)、機関誌「Inter-Communication」(東京)、「The European Journal」(ベルリン)他で取り上げられた。また、磯崎新氏の招待でグッゲンハイム美術館ソーホーで行われた「Industrial Elegance」、バルセロナ現代文化センターにて「J.G.バラード、Autopsy of the New Millennium」他で、作品が展示された。日本では、80年代後半から90年代初頭にかけて浅田彰氏により大きく紹介され、作品集が1989年にペヨトル工房から出版された。さらに、ロサンゼルス現代美術館、マヌエル・アルバレス・ブラボ・コレクション(メキシコ)、CSAC(イタリア)、ニューヨーク公立図書館写真コレクション、「The Center for Creative Photography」(アリゾナ)他に、作品が収蔵されている。

弓場井宜嗣
21歳のときに渡米しRE/Searchに住み込み、編集者V.ヴェイルに師事する傍ら、フォトグラファーとしての道を志す。代表作は「SAN FRANCISCO」。また、RE/Searchでの経験を生かし、執筆業もスタートさせる。