Photo By Reiko Touyama

エディ・ウガタ彼が何者であるかを、ひとことで説明するのは難しい。ペンネームを使い分けているため、その名前をネットで検索しても、そこまでヒットせず、具体的な活動状況を掴むのも、ひと苦労だ。何より彼のパーソナリティをわかりにくくしている原因は、本人の特殊性にある。60年代のサーフミュージック、ロックンロールのレコードコレクターであり研究家、同ジャンルのバンド〈ジ・エルカミーノス〉のギター、さらには、ホットロッドカルチャーをこよなく愛するいっぽうで、どうやらドメスティックなオタクカルチャーにも精通しているようだ。本業は、日本におけるインターネットの版権ビジネスの先駆者であり、毎年開催される大規模な世界的講演会〈TED〉に登壇して話題をさらったこともある。

「僕はステルス性が高いんですよ」と本人はいう。ステルスとは、探知されにくい軍事技術の総称だ。主張が強い人ほど成功を収めがちな世の中で、黙々と自身の趣味趣向を貫き、世界中のコアなファンを獲得したキャラクターをとらえた的確な自己分析だろう。

1959年生まれのウガタ氏は、THE BEATLESをリアルタイムで聴いてきた〈しらけ世代〉。下火になった学生運動よりも、興味を持てる対象があり過ぎた。オールディーズ、サーフミュージック、ホットロッド、秋葉原、オタク文化……一見、断片の散らばりのようなサブカルチャーの数々も、エディ・ウガタ氏の頭のなかでは、きれいな線で結びついている。

ウガタ氏の着こなしは、最も古いサーフバンドのひとつThe Bel Airsのドラマー、リチャード・デルヴィが結成したThe Challengersのコスプレ。Catalinaのスウェットにホワイトリーバイスのパンツ、Jack Purcellと典型的な60年代サーフスタイル。Photo By Reiko Touyama

01.エディ・ウガタとは何者か!?

ウガタさんの活動ジャンルのふり幅がとても広くて驚かされます。しかもかなり偏っていますよね。

偏っている、とよくいわれますけど、全然偏っていないんです。50~60年代のサーフ、ガレージ、ホットロッドは、日本でいうところのナンパ文化。そして、僕の生業であり、もうひとつの趣味であるオタク文化。その共通項は簡単で、要はポップカルチャーが好きなんですよ。軽くて、ポップなもの。

ポップカルチャーの定義とは?

アートでも何でもそうですけど、理屈が入ってきたら嫌なんです。自分が感じて心地よければいい。エピキュリアン(享楽主義)。

音楽にしても、理屈っぽい音楽は嫌いですか?

あ、もうね、プログレとかジャズとか面倒くさくて(笑)。3コードで次の進行が予想できる、そういう音楽が気楽でいいですね。アニメ、ゲームにしても同じで、その場で楽しい、かわいい、面白い。すべてそんな感じです。

ポップとは、難しく考えなくても楽しめるもの。

そう。笑いに理屈がいらないようにね。本能的。

とはいっても、ウガタさんは、60年代アメリカのサーフミュージック、ホットロッドの研究家でもあり、すべてにおいてロジックがあるように思えます。

だから興味を持つきっかけこそ直観なんですけど、そこから掘り下げ、系統立てていくのが好きなんでしょうね。それは、理屈ではなく客観なんだと思っています。

なるほど。その成果のひとつが60年代のサーフ・インストのレコードコレクションでしょうが、現在、サーフだけで、どれくらいレコードを持っているんですか?

4000~5000枚ですかね。7インチ盤が中心です。

それは日本ではトップクラスですか?

僕の友達でLP中心に集めている人物がいるんですけど、僕はシングル盤からなので、2人あわせたら、世界で1番のアーカイブになるでしょうね。

ちなみにレコード以外で収集されているものは?

漫画は本当に大好きで、永井豪は『ハレンチ学園』からずっと買い続けてきました。あとは『サクラ大戦』のセル画やら江戸時代の浮世絵、アルフォンス・ミュシャ(Alfons Mucha)のオリジナル・リトグラフ。あとは『デ・ジ・キャラット』や『おそ松さん』、あとはアメリカのRick Griffin(リック・グリフィン)やBill Ward(ビル・ワード)の原画も。

サクラ大戦、永井豪、リック・グリフィンが同居している感覚がすごい(笑)。

初期作品はサーフカルチャーべったりだったリック・グリフィンが、突如66年あたりでTHE  GRATEFUL DEADのタッチに激変する。漫画チックだったものが、なぜ、いきなり変わったのか。過渡期があるのか。そういうのが気になって、自分なりに結論を出せないと納得できないんです。

そういう学者的な気質は幼少期からでしょうか。

もともと子供の頃の愛読書が百科事典だったんですよ。たまたま僕の家庭環境は、学者系が多くて、父方も母方も理系。物事をロジカルに考える人が多かったんです。僕の最初の趣味は鉄道でした。同じ車両形式の電車のはずなのに、車両番号が1番違いで、前が丸かったり四角だったり、それはどうしてなんだろうと。要は分類マニアなんですよ。

分類マニア!!

あと数字が並んでいるのが好き。本棚に1巻からきれいに本が並んでいる状態が好きで、百科事典なんかもそうでしょう?

同じ装丁のものが並ぶ美しさですね。

そのなかで、ひとつだけデザインや色が違っていたりすると、それはどうしてだろうと気になって仕方がない。そういった気質が、すべてに波及している可能性があります。

すべてのコレクションもある意味、分類マニアに根差しているのでしょうね。

だと思います。子供の頃のそういった嗜好が、今も本能的に続いているのでしょう。

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02.ビートルズ、オールディーズ、サーフミュージック

どうやってサーフミュージックに辿り着いたんですか?

僕の音楽体験から話すと、最初に好きになったのは、小学5~6年生の頃ころでTHE BEATLESでした。僕は59年生まれなので、『レット・イット・ビー(Let It Be)』はリアルタイムなんです。

THE BEATLES解散前を体験しているんですね。

だって、TV番組『サザエさん』では、提供先の東芝〔当時は東芝音楽工業〕のCMで、映画『レット・イット・ビー』のシーンを使っていましたからね。『ビートルズNo.5!(Beatles No.5 )』などの初期作品を聴くと、自分の好きな曲はリトル・リチャード(Little Richard)、ラリー・ウィリアムズ(Larry Williams)のクレジットがある。これは何だと調べたら、オールディーズのカバーで、皆ロックンロールの創始者たち。中学二年生のときにTHE BEATLESのコピーバンドでキーボードをやっていたんですけど、そのときに僕はふと疑問が沸いたんです。なぜTHE BEATLESは古い音楽をアレンジしてヒットさせたんだろうと。

そこで50年代のオールディーズを掘り下げていくわけですね。

有力な情報源だったのが、在日米軍向けのラジオFENの番組「ジム・ピューター・ショー」でした。70年代はオールディーズばっかりかけていて、それを毎週テープに録音して、何度もカセットを聴きながら断片的に理解するようになったんです。当時、紀伊国屋書店に『Rock on: The Illustrated Encyclopedia of Rock N’ Roll』というオールディーズ・アーティストのカタログ的書籍があって、それを引きながら、この人のこの曲は何だと調べるようになりました。

ちなみに、その当時の日本では何が流行っていましたか?

75~76年は、日本ではディスコのブームがひと段落した頃で、原宿のホコ天では、みんなこぞってツイストを踊り始めて。ポール・アンカ(Paul Anka)、ニール・セダカ(Neil Sedaka)、エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)、チャビー・チェッカー(Chubby Checker)とか、何もかもが、ごった煮になってオールディーズとかロックンロールが流行っていましたね。

50s、60sのリバイバルブーム。

ファッション誌でも50sファッション、GIスタイルはこうだとか。今考えてみれば、アメリカの若者の間でGIスタイルが流行ったことはないし、ポニーテールにプードルスカートは、確かに50年代のある時期には、そういうファッションが流行っていますけど、それでツイストを踊るというのは時代的におかしい。40年代から60年代まで過去20年くらいが、よくわからないままに凝縮されて、男はリーゼント、女性はポニーテールにして踊るのがカッコイイみたいな。

日本独自解釈のフィフティーズ・カルチャーですね。

本家アメリカの音楽シーンを調べると、ロカビリーやリズム&ブルース、ロックンロールのムーブメントは、不良の音楽と呼ばれましたが、50年代末に終焉を迎えているんです。エルヴィス・プレスリーが軍隊に入って品行方正になり、エディ・コクラン(Eddie Cochran)は亡くなり、バディ・ホリー(Buddy Holly)は不良じゃないけど飛行機事故、チャック・ベリー(Chuck Berry)が逮捕されて、リトル・リチャード(Little Richard)が宗教に入って、ジェリー・リー・ルイス(Jerry Lee Lewis)も従妹と結婚して顰蹙を買います。

錚々たる悪そうな人たちが(笑)一掃されたと。

そのあとに、ツイストブームがやってきます。ただ64年後半になるとTHE BEATLESの台頭で〈ブリティッシュ・インヴェイジョン〉がおきるので、米国音楽史の大きな流れからいえば、ツイスト→ブリティッシュムーブメントとなるんですけど、その間にひっそりと小さなサーフィンブームがあるわけです。

ウガタさんは、日本に住んでいながら、どこで米国のサーフカルチャーの息吹を感じ取ったんですか?

FENを聴いていたとき、ジャン&ディーン(Jan&Dean)がゲストで出ていて〈デッドマンズカーブ〉をかけたんです。あれ、聴いたことあるぞと思ったら、CARPENTERSがやっていた曲。これが原曲なんだと。そんなこともあって、ジャン&ディーンが好きになって、全部集めるようになりました。実は全部集めるというのは自分にとって結構重要なポイントです。

THE BEACH BOYSが、きっかけという人は多いですけど、ウガタさんは違ったんですね。

THE BEACH BOYSが密接に絡んでいることもわかったんですけど、THE BEACH BOYSよりも演奏や音の厚みがあって、バックはウエストコーストのセッションミュージシャン(レッキングクルー)がついていたからフルオーケストラ。一方、THE BEACH BOYSは5人で演奏しながら歌っていて、確かにコーラスやハモリはすごいけど、何かしょぼいよなと。

THE BEATLESからオールディーズ、そしてサーフミュージックへ。

ベトナム戦争が本格化する60年代後半までは、基本的に能天気なアメリカでした。子供の頃に観たアメリカのTVドラマも白人しか出てこなかった記憶ですし、毒抜きされたような音楽がヒットして、アメリカ人がぬるま湯につかっていた状態だったんじゃないかと。

サーフミュージック=毒抜きされたロック?

でしょう。商業主義で何も考えずに量産して、将来、時が経ったら多くが消えていくであろう類のもの。でも、それがいいんです。日本人は、音楽を難しく考えがちじゃないですか? 実際RAMONESなんて、それこそ、お気楽能天気じゃないですか?

(笑)。まあ、少なくとも音楽自体は本能的ですよね。

でも、政治的に語る人もいます。どうして、難しく熱く語りだすのか、僕はそういうのは理解できないです。

やっぱり、語り出すと距離を置きたくなるんですね(笑)。

そんな60年代のサーフィンブームを掘り下げて調べていくうちに、音楽だけでは飽き足らず、自分を、当時と同じ環境に置いてみたいと思い始めたんです。バンドはもちろん、ホットロッドもそう。サーフィンもロングボードにチャレンジしたこともありました。そんなわけで、その当時の音楽をそのまま実践しているのが、僕のバンド、ジ・エルカミーノスというわけです。

ジ・エルカミーノスのメキシコ盤があったらこんな感じで出したいと考えたダミー・ジャケット。妄想もディテールにこだわる!!

アメリカはサンディエゴで毎年夏に開催されるイベント〈Tiki Oasis〉の2017年出演時のライブ写真。2017年はスパイがテーマだったためナポレオン・ソロのコスプレをして出演

03 ジ・エルカミーノス=考古学

次は、ウガタさんが続けているサーフ・インストのバンド、ジ・エルカミーノスについて伺います。ところで、サーフ・インストって、知らない人には、どういう音楽と説明していますか?

うーん、ベンチャーズみたいな(苦笑)。

そうなりますよね(笑)。

日本人に説明するにはそれしかない。米国や欧州でサーフミュージックといえば比較的60年代のインストもの全般だって理解してくれる人も多いと思うんですけど。

ウガタさんがジ・エルカミーノスでやっている音楽はずっと変わらないですね。

僕が今やっているのは、当時の音を再現すること。ミュージシャンは普通、時代、年齢と共に進化していきますよね。ではなくて、僕は考古学をやっているんです。当時のものを発掘して、復元する作業。

考古学!! 日本人のウガタさんが、米国の考古学を志すのが面白い。

アメリカ人も面白がってくれますよ。例えるなら、外国人が来日して、浮世絵の版画に興味を持ったり、和太鼓をやったりしますよね。それって日本人として嬉しいじゃないですか。自分たちの文化をリスペクトしてくれているのだから。その逆バージョンでしょうね。

サーフバンドを志したきっかけは?

70年代後半~80年代初頭に、パンクとウエストコーストのムーブメントが結びついて、第一次サーフィンリバイバルがおこるんです。RAMONESもある意味そうなんですけど。

RAMONESにサーフ系のタイトルありますもんね。THE TRASHMENの「サーフィン・バード」のカバーとか。

あと影響を受けたのは、アメリカのレコードコレクターのジョン・ブレア(John Blair)とロバート・ダリ―(Robert Dalley)の2人。ジョンはJON AND THE NIGHTRIDERS、ロバートはTHE SURF RAIDERSというバンドを結成して、その当時のレアなサーフミュージックのリバイバルレコードをバンバン出し始めたんですよ。当時のインディーズですよね。

そのなかで、きっかけになるレコードはありましたか?

『ニューウェイブ・サーフパーティ!』というLP。海賊版なんですけど、今まで聴いたことのない滅茶苦茶カッコいい曲がいっぱい入っていて。ここに収録されている曲を原盤で集めようと目標をつくったくらい。結局集めるのに30年かかりました。

JON AND THE NIGHTRIDERSや、THE SURF RAIDERSのように、コレクターが高じてバンドを始める人って、結構多かったんでしょうか?

僕の知る限り、その2人だけだと思うんですけど。彼らは60sのリアルタイムからは、ちょっと乗り遅れていて、実際にライブは観にいっていたけども、バンドは組めなかったワナビー世代。彼らはコレクターとしてディスコグラフィをつくったり、当時のバンドメンバーにインタビューしたり、歴史を本にまとめたり。でも、それだけで飽き足らなくて、結局自分でバンドも始めちゃう。僕はそれにすごく影響を受けたんです。

そこでウガタさんもジ・エルカミーノスを?

その前にLSD’Sというジ・エルカミーノスの前身になるガレージバンドをやっていました。87年くらいかな。当時日本ではネオGSが流行っていて、ザ・ファントムギフト、ストライクス。あとはジャッキー&ザ・セドリックス、THE 5.6.7.8’s、ギターウルフが出てきました。彼らのライブを観にいってメンバーとも仲良くなって。

最終的にジ・エルカミーノスという名前にした理由は?

ジャッキー&ザ・セドリックスのロッキン・エノッキーと電話で話をしていて決めたんです。ガレージサウンドからサーフィンバンドに変えたいと相談したら、バンド名はどうしようという話になり。セドリックスは車の〈セドリック〉。海外のバンドでも〈インパラス〉とか車の名前を付けているバンドが多いから、そこで目を付けたのがシボレーの〈エルカミーノ〉。畑仕事をするのに〈インパラ〉だと荷物が積めないけど、前からみたらインパラで、でも後ろが荷台になっている。そういう発想から生まれたアメリカらしい車。しかも59年のデビューで、僕の生まれ年だったので、ジ・エルカミーノスにしたら、かっこいいんじゃないかと。

ようやくバンドの形態も固まったというわけですね。

そこからは、もう考古学。テクニックを磨くわけでもないし、オリジナル性を追及することもなくなりました。

でもバンドって、どうしても新しいことに挑戦したくなりませんか?

新しいことを生み出さなくても充分なほどに、ネタがたくさんあり過ぎて。アメリカでサーフブームがあったのは、たかだか3~4年間ですが、その前後の助走期間とサイケデリックに変わっていく時期を含めると、色々な音源が無数にあるんですよ。例えば、フィル・スペクター(Phill Spector)のウォール・オブ・サウンドをやっていたウエストコーストの〈ゴールドスター・スタジオ〉では、50年代末からレコーディングで実験的なことをたくさんやっているんです。そこは、これから自分で演奏してみたいネタがたくさんあって。

一般的にはオリジナリティがない、と揶揄されるかもしれません。

でも、チャレンジャーだと思いませんか? みんなロックは反抗の音楽だとかいうけれど、それはテキスト通りのフレーズじゃないの? と。自分なりの主義主張を貫くのが、本来のロックの魂でしょう。

左がアロウズのデイビー・アレン、右がベルエアーズ~アローズのポール・ジョンソン。憧れだったバンドメンバーとの邂逅

カリフォルニア・サーフミュージックの仕掛け人、トニー・ヒルダーによるレーベルIMPACTもコレクションの対象。カタログNo.1でもあるThe Revelsの名曲「Church Key」のバリエーションもこれだけある

好きなものであれば何枚でも買うのがコレクター気質。市場で寡占すれば価格決定権がこちらにできるという意味合いもあるのだとか!!?

04 孤高のコレクターとして

ウガタさんは、レコードコレクターとしても独自の路線を歩んでいますよね。

僕自身頑固ですし、与えられたものが大嫌い。自分でゼロから掘らなきゃ意味がないと思っているんです。アメリカの中古レコード店なんて、解説なんて何もないですよ。日本だと値段が高いやつは、激レア盤がどうした!!、とか。

誰それ、推薦!!とか。

そう、そんなの大きなお世話だよと。だからね、例えば5万円で1枚のレア盤を買うのなら、500円でランダムに安い盤を100枚買えよと。そのなかに2~3枚は当たりがあればいいでしょう?

(笑)。まあ、みんな、なるべくハズレを買いたくないでしょうから。

ハズレという屍の上に、アタリの1枚があるから価値があるんですよ。わからないものを当てたときの喜び、それは、何ものにもかえがたい。5万円の価値のあるものは、結局、お金さえ払えばすぐに手に入るもの。もっと自分の痛い目、血と汗と涙を味わえよ、と。そうすれば見る目が養われます。

そういう意味では、サーフ・インストは、ある意味、屍がたくさんあるジャンルですよね。

めちゃあります。このジャンルはバンドの敷居が低かったですからね。でもそれが魅力ですよ。当時の高校生、中学生がレコードを出していますんで。一番分かりやすいのが、「ミスターモト」という有名な曲。ポール・ジョンソンが作曲しているんですけど、それは中2のときですし。

最近は、どんなレコードの集め方をしているんですか?

95年の阪神淡路大震災の前後から、自分のレコードを整理し始めたんです。そうしたら、CBSコロンビア、RCAビクターなどのメジャーレーベルは意外と少なくて、そこまでメジャーじゃない特定のレーベルが多いということに気付いて。じゃあ、それらのレコード会社が出したシングル盤を全部集めようと。

全部、ですか?

そう全部。いわゆるカタログナンバー1からずっと。レーベルチョイスには一応ルールを設けました。ロックンロール時代からオールディーズの終焉といわれる60年代末まで、その間存続していたレーベル。例えば〈スワン〉、〈チャレンジ〉、〈デルファイ〉、〈インパクト〉。この試みはアメリカ人にもクレイジーだといわれましたね。

現在、どのくらいまで達成しているんですか。

チャレンジは、1枚だけ出ているか出ていないか、資料のミスかもしれないというものを除いて全部。スワンは欠番を除いて残り2~3枚。デルファイがまだ80%。それを番号の若い順に聴いていくと、単に音楽の歴史だけじゃなくて、レコード会社の思惑、音楽ビジネスとして何をやろうとしていたのかが見えてきます。

具体的に何が見えてきましたか?

ロックンロール、ロカビリーから始まりティーンポップに入って、ブリティッシュ・インヴェイジョンからソウルっぽくなり、サイケデリックが入るとグチャグチャになってレーベルが終焉する。これは、チャレンジもスワンも同じ傾向で、アメリカ東西問わず、同じことがおきています。面白いのは、末期になってくると欠番が増えたり、でたらめなレコードがでてきたり。

経営が散漫になってくるんですかね。

レコードナンバーも適当ですよ。カスタムプレスやノーナンバーもひたすら全部買う。なかには詩の朗読とか、逆に売りものにならないようなレコードは、なかなか出てきません。

ラスト数枚って、見つけるのも相当しんどいですよね?

最後に残った盤がレーベルのミスで重複番号、コンプリートしたと思ったら違うレコードがもう1枚あったこともあります。ヒットしなかった盤のB面を変えて出し直しているケースも。あと、アメリカは国土が大きいですから、レコードのプレス場所で結構違いがあるんですよ。見た目は一緒なんですけど、ステレオマスターの片チャンネルしか入ってないやつ、ミキシングのときに間違えてリードボーカルが、後ろにさがってバックコーラスが表にきているやつ、プレス工場によって印刷するレーベルデザインがちょっと違ったりとか。The Beatlesで、そういう研究本はありますけど、それがマイナーなシングル盤でもありうるので、でも誰もそれは調べてない。

いやはや、ものすごい世界ですね。

違いが気になるんですよ。出す側はたいして気にしていないけど、受け手側は、なぜ変わったのか気になってくる。そこには理由があるはずなので。

3番目に手に入れた1927 FORD MODEL T COUPEを背景にウガタ氏。Beach Boysのシンボルだった開襟シャツ〈Pendleton〉を着用

カーガイ、ウガタ氏が憧れてやまない1921 FORD MODEL T COUPE〈Tall T〉。60年代にAurora社のプラモデルになっている

1933 Willys 5 WINDOW COUPE。NHRAにより設けられたカテゴリー〈Gas Class〉の名車。ゆえに通称〈Gasser〉。この個体はJohnny Lightning のミニカーになっている

05.ホットロッドマニア

60年代のサーフミュージックは、音楽だけじゃなく、ライフスタイルも重要です。ホットロッドとサーフミュージックの両方に精通しているかたって、ほとんどいないですよね。

アメリカだとサーフバンドでホットロッドに乗っている連中は多少いますね。今のバンドで言えばThe Dyno-Tonesのメンバーとか。

ちなみにウガタさんの愛車遍歴は?

最初に買ったのは、〈フォード・モデルT〉のセダン。そのあとは〈モデルA〉のトラック。それを売却して57年の〈ベルエア〉を買って、そのあとは〈T〉のクーペ、去年買ったのが33年の〈ウィリス〉。今乗っているのはウィリスとTですね。

エルカミーノは買わなかったんですね?

一時期買おうかと思ったのですけどね。結局、57年の〈ベルエア・ギャッサー〉買っちゃったんです。

そもそも当時の若者たちは、どんな動機で車を改造したのでしょう。

元々は人よりもはやく走りたいという動機でしょう。40年代頃からホットロッドはありました。信号機をレーススタートのシグナルに見立てて猛ダッシュするシグナルGPが流行したおかげで、50年代初頭に死亡事故が急増します。そこで街中で規制が厳しくなったので、NHRA(ナショナルホットロッドアソシエーション)が発足して、スポーツとして競技化しようとレギュレーションをつくる流れです。そりゃ排気量をでかくしてパワーアップすれば、そっちが勝ってしまうわけで。クラス分けされてフェアな条件で争うかたちに変わっていったんです。

エンジン以外では、どんなチューンを?

主に軽量化ですね。いいエンジンを積めば有利でしょうけど、逆に車体を軽くすれば、ボロいエンジンでも速くなるんじゃない? とか。第二次世界大戦以降、戦地から戻ってきた航空機エンジンを整備していた連中が食うために街中でカーチューンを始めます。

60年代のホットロッドは、速さを競うだけでなく、ショーカー的な要素もあると思うのですが。

それで面白いのは、60年代のBeach Boys以降のホットロッドミュージックの歌詞は、基本的に自分の車自慢なんです。

50年代は違ったんですか?

50年代は、カントリー・ミュージックとしてのホットロッドで、チャック・ベリーがロックンロールとしてやり出したもの。「バラード・オブ・サンダー・ロード」なら密造酒を運ぶのにパトカーと追いかけっこをするとか、イリーガルな歌詞が多い気がします。一方、60年代はレースが社会的に不適切だと見なされた自主規制なのか、自分の車を改造して、こんなカッコいいシートをつけてるぞとか、そんな歌詞。

歌詞の内容が、愛車自慢になっていくんですね。

もちろん、60年代になっても毛色の違う曲はありました。Jan&Deanの「デッドマンズカーブ」は、〈ジャガー〉と〈スティングレー〉のレースの最中、デッドマンズカーブといわれる場所でジャガーが、カーブを曲がり切れずに突っ込むという歌だし、Beach Boysの「シャットダウン」もレースをモチーフとした歌ではあるけども、その後のBeach Boys的なホットロッド曲は、基本自分の車の自慢や女の子とのデートのツールとしての車描写。

60年代は、イリーガルなものがなくなってしまったんですかね。

確実に毒は抜かれていますね。アッパーミドルの白人の生活を歌ったお坊ちゃんミュージック。例えば、Beach Boysの「ファン・ファン・ファン」は、父の〈サンダーバード〉に乗って~とかそういった歌詞。これが西海岸の都会の生活なんだ、とアメリカの内陸部の人に影響を与えたのがBeach Boysでしょう。ヤンキーからシティボーイへ。そういう転換をしたんじゃないですか。

映画『アメリカングラフィティ』でも、〈グリーサー〉の若者がBeach Boysの曲を嫌っていたのが象徴的でしたね。

サーファーはどちらかといえば内(のちのヒッピーカルチャーに通じるインナースペース)に向いていますけど、グリーサーは外向きじゃないですか。相容れない。現にその数年間、グリーサーは引っ込むんですけど〔ビーチムービーでは、まさにいじられ役!!〕、60年代以降、またアウトローが台頭してきます。

〈ヘルズ・エンジェルス〉ですね。ところで、グリーサーのカルチャーは、日本には浸透しないですね。強いていえば暴走族ですが、これは日本の独特の文化でしょう。

あれは面白いですよね。雷族がいて、そのあとがサーキット族。その後ヒッピーカルチャーが入ってきましたけど、アメリカナイズされた暴走族は日本にいなかったですね。ヤンキーは、すごく先輩後輩を重んじるじゃないですか。アメリカはそういうのはない。組織が、まずあってメンバーが入れ替わるだけ。でも日本だと、何とか連合とか。

総長がいて、いわゆる縦社会。

特攻服とかも、もともとナッパ服が奇形化していくわけじゃないですか。祭りも、同じ揃えをしますよね。あれも日本のヤンキーカルチャーのひとつだと、僕は見ています。日本って、どこまでいっても管理社会だと思うんですよ。アナーキストがいない。僕はアナーキストのほうが好きかな。誰にも支配されない。

Photo By Reiko Touyama

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06.ヤンキーとオタクカルチャー

最近は、そのヤンキーもあまり見なくなりましたけど。

今はヤンキーがカッコ悪いという風潮があって、音をファンファン鳴らして走っていた旧車會とか、ああいう人たちのなかから、一部オタクのほうに流れてきているんです。痛車の文化ですね。自分のバイクにアニメのラッピングをしたり。内向的でおとなしかったオタクですが、最近は、〈イキリオタク〉という言葉もあって。要はオラオラのオタクです。『ラブライブ!』のついた毛布やシーツを背中に纏っている〈ラブライバー〉。あれも、特攻服が奇形化していくのといっしょで、元々はぬいぐるみ1~2個付けていたのが、50個も付けるようになっていく。好きな対象がハードボイルドなのかどうかの違いでしょう。

ウガタさんは、そんななかには入っていかなかったんですか?

あれは、ちょっとバッドテイストすぎて……(苦笑)。

オタクという言葉でカテゴライズするのも古いのでしょうかね。ウガタさんにとって、オタクの定義とは?

今はアイドル、アニメファン、ミリタリーファン、コスプレイヤーなどさまざまなジャンルの軽いマニアを総称して〈オタク〉と呼んでいる傾向はありますが、例えば、カメコと呼ばれるカメラ好きの連中は、60年代だと新宿の個室のヌード・フォトに通っていた人とイメージが個人的に被りますね。

ちなみにオタク文化には、縦社会はあるんですか? 80年代のアイドルファンも応援している総長がいましたよね。

オタ芸もコールを合わせなかったら叩かれたりとか。違う色のキングブレードを振ったりするとかは厳禁。コール表が渡されて、その通りやらないと押し出される。あれもすごくジャパニーズ。ただ全体的には、縦社会というより相互監視社会かな。同人誌即売会は、いわゆる著作権のお目こぼしで二次創作をやっていて、商売ではなく同好の士の頒布会だという良い理屈があるんです。だから実態は多額のお金が動いているものの、描いている人も会場に来ている人も、同好の志だから商売じゃないという気持ちがどこかにあるんですね。ただ、それを逸脱する人もいて、そこは総攻撃されたりします。

フリーダムなようで、色々と縛りがあるんですね。

縛りという言葉繋がりで言えば、SMの世界もそうみたいです。縄師の世界はお互いに流派とかあって。例えば同人誌即売会のアダルトコンテンツで縄縛りの絵を描いたりするとき、みんな現物を知らないから描き方がおかしい。じゃあ、それを一度体験してみないか、とイベントで縛られ体験をするわけですけど、それに対して表に出すなと文句を言う人が出てきたり。

まさに日本的なしがらみ。出る杭は打つ。

まあ、出る杭でも、ひっこめられないほど声がでかい人は、生き残っていますけどね。僕は、オタクの世界でも、わりとフリーダムにやっています。

ウガタさんは決して声が大きくないけれど、遠くまで声が届いているという印象です。

僕は、すごいステルス性が高いんですよ。表に出ないし、カリスマ性はない。こだわり、狂い方は異常なんですけど、それを理解する人が少ないんだろうなと。

ステルス性があるからこそ、バンドなどが海外で受け入れられているのかもしれません。

だから僕、ネットで炎上しないんですよ。ステルス性が高いと、叩いても何も出ませんから。

あの人はあの人でいいや、と諦められているのでしょうか。

わけのわからない宇宙人的に思われているのかも。アニメ好きな連中は、僕がレコードコレクター、ホットロッド好きということを断片的にしか、わからないでしょうし、その知識がないから、「ふ~ん」としか言いようがない。逆にホットロッド好きの側からすれば、メイド喫茶、萌えとか、あまり興味ないでしょうし。僕にとっては、どちらもポップカルチャーで同列にあるんですけど。

結局、どちらにも所属していない。ウガタさんらしいですね。

興味のあるシーンに本能的に飛び込みつつ、外側から見て、楽しみつつって感じですかね。

ウガタ流のカルチャーを面白がる方法とは何でしょう?

物事を単体ではなくシーンとして捉えること。原因があって結果があります。音楽の話に戻すなら、チャック・ベリーやリトル・リチャーズがつくった結果から、The Beatlesという新しいものが生まれるように、The Beatlesの出した結果から、新しいものをつくりだしていく。その繰り返しが正しいあり方だと思うんですね。

そのなかでウガタさんの役割とは?

だから、そこは考古学。新しく進んでいく人はいっぱいいるなかで、僕は頑張って踏みとどまっているわけです。

踏みとどまる人も必要。

残されたものを研究するだけでも楽しい。学問でもそうですよね。過去を総括する必要がなければ、歴史研究家は必要ではなくなりますし、新しいものも生まれないですよ。

Photo By Reiko Touyama

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