ゲームにおける非白人キャラクターの扱い

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ゲームにおける非白人キャラクターの扱い

ゲームにおける黒人、その他非白人種の描写は、どの程度精確なのだろうか? この疑問に答える手がかりは、フィルムの歴史にある。なぜなら、ゲームの視覚描写は、フィルムを参考にしているからだ。

ゲーム業界の人種の多様性への対応がここ数年で著しく進んだ。黒人を主人公にした巨額予算作品は、2016年だけで、『マフィアIII』(Mafia 3)と『ウォッチドッグス2』(Watch Dogs 2)の2本。これでも、過去数十年と比較すれば、飛躍的に多い。より多くの黒人キャラが登場し、より多くのゲーム開発者がキャラクターの多様性について時間をかけるようになった今、こんな疑問が生じる。ゲームにおける黒人、その他非白人種の描写は、どの程度精確なのだろうか? この疑問に答える手がかりは、フィルムの歴史にある。なぜなら、ゲームの視覚描写は、フィルムを参考にしているからだ。

初期の写真において、暗い肌の撮影は、重要視も考慮もされなかった。1980年代には、コダック社が、明るい肌の色に合わせて調整されていたフィルムを改善し、褐色と赤色のスペクトルに対する感度を上げたが、それは、家具メーカーからの「木目が写らない」という不満の声に応えるためだった。

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今まで、巨額予算の映画やテレビ番組ですら、黒人キャラクターたちに充分な照明を当ててこなかった。毎回必須ではないにしろ、肌の色が異なる役者がいっしょに登場するシーンでは、照明やメイクを調整しなければならない。大抵、有色人種が、白人スタッフが気付かないところまで気を配る。

2017年のアカデミー賞授賞式で、ゴタゴタに巻き込まれながらも作品賞を受賞した『ムーンライト』(Moonlight、2016)が成功したのは、バリー・ジェンキンズ(Barry Jenkins)監督とジェームズ・ラクストン(James Laxton)撮影監督が、映画における黒人キャラクターの描写を深く理解し、配慮したことが一因だ。〈Indiewire〉のクリス・オフォールト(Chris O’Falt)は「ほとんどの撮影監督が、強い照明で、黒い肌を露出しようと注意を払っているが、ラクストン氏は、今年最も大胆な照明デザインを採用しながら、俳優の顔から豊かで美しい色彩を引き出し、映像を構築している」と評した。

概して映画業界は、照明不足で背景に溶け込んでしまう黒人キャラクターについて、何の対策もしてこなかった。そんな業界の中で、黒人キャラクター全員を色鮮やかに、印象的に映しだす『ムーンライト』は注目を集めた。スクリーンで、すばらしいライティングに照らされた黒人キャラクターを観ると、感動すると同時に、心が痛む。なぜ感動するか。15メートルのスクリーンで、役者の顔を、日々、目にするのと同じレベルで細部と陰影まで見ることができるからだ。なぜ心が痛むか。黒人をこれほど見事に描写した映画が他にあったかと思い出そうとしても無駄だからだ。黒人の肌は、単調でも不明瞭でも、大味なわけでもない。そうなってしまうのは、細部が無視されるか、白い肌を輝かせる環境に押し込まれたときだけだ。

Credit: David Bornfriend/A24

『ムーンライト』のような映画を観ると、大半のゲームは、不快に観える。ビデオゲームの主人公は、お決まりの白人キャラクターばかりだ。また、主人公の肌の色を選べるゲームや、めったにないが、主人公が有色人種のゲームは、暗い色の肌を細部まで適切に描写できていない。技術の限界が言い訳になることが多いが、映画同様、ゲームも、文化的な基盤から抜けだせていないのだ。

ゲーム業界が非白人の大きなプレイヤー層に注意を払い、行動し始めたことは、賞賛に値する。だからといって、複雑で鮮やかな色合い、厚い唇、縮れ毛などの特徴が再現されていない「なんとなく非白人に見える」だけの、適当にデザインされたキャラを、ユーザーが許しているわけではない。しかるべき黒人性の描写は、まだ、実現していないのだ。この主張の基盤をさらに固めるべく、暗い肌のライティング問題に積極的に取り組んでいる批評家、ゲーム開発者は、現状をどう捉えているのだろう。

陰影とシェーダー

話を聞いたなかには、ピクセルアートを利用してゲームを制作する開発者もいた。3Dゲームエンジンを構成する多くの可動パーツと比較すると、ピクセルアートはシンプルなツールだ。『Treachery in Beatdown City』の開発者のひとり、ショーン・アレクサンダー・アレン(Shawn Alexander Allen)によると、3Dでは、様々なライティングのニーズを予測しなくてはならないが、2Dでの作業はより柔軟だ。「(ピクセルアートで)モノの見えかたが何か違う気がしたら、そのモノの描写を変えればいいだけです」と彼は明言する。「背景を変える場合もあるかもしれませんが、いずれにせよ、ライティングを変える必要はありません」

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しかし、一方で、80年代の任天堂の代名詞、最小の8ビットパレットは、54色のパレットで表現されたキャラの色合いを描写するには不十分だ。レトロスタイルのゲーム『ショベルナイト』(Shovel Knight)がKickstarteで資金を調達するさい、報償として、バッカ―(資金提供者)の顔をゲームに登場させることを約束した。しかし、そのさい、ファミコンの限られたパレットが問題になった、と開発者のデヴィッド・ダンジェロ(David D’Angelo)はいう。「暗い色のスペクトルがほとんどなく、暗い肌の色のキャラを描写するための色が少なかったんです」。チームは、ファミコンの制約に準じるより、多様性への対応を重んじ、必要に応じて新たな色を追加した。

ピクセルアートの限界を理解し、その克服に向けてアプローチすることで、ピクセルアートでも、背景に関係なく暗い肌のキャラをくっきりと表示できるようになる。『Card Witch』でナターシャ・D・C・エクセルシア(natasha dawn charlene excelsia)が手がけているキャラは、まさにそうだ。

『Card Witch』のキャラクターたちは、深い褐色の肌の色、フープピアス、ボリュームのある髪型が特徴的なので、ゲーム内ではっきり視認できる。同作のプログラマー、ロバート・ムーア(Robert Moore)は、「今回は、ピクセルアートで、肌質などの制約がないため、シンプルにピクセル上で、適切なシェーダーを描くことができました」と説明する。

ライティング

既に述べたように、3Dゲームだと、黒、褐色の肌のライティングは、はるかに複雑になる。レンダリングにかなりの負担がかかるので、ゲーム内のライティングが少なくなればなるほど、より動きが滑らかになる。そのため、多くのゲームは、ライトマップを利用したり、オブジェクトにライティングを焼き付けたりしている。しかし、そうなると、シーン内のオブジェクトの見えかたが事前に決定されてしまうため、つじつまの合わないキャラクター・ライティングになる可能性がある。また、フレームの流れに、一貫性がなくなるのも問題だ。映画において、役者たちは、固定されたセット内で、綿密に練られた台本をもとに動くが、最新のゲームでは、プレイヤーに大きな裁量権があり、プレイヤー自らキャラクターの場所やカメラの配置を決定できる。つまり、ちょっとコントローラーのスティックを動かすだけで、明るい場所から、ほとんど何も見えないほど暗い場所にキャラクターが移動したりもするのだ。

その例として挙げられるのは、ベセスダ(Bethesda)社の『Skyrim』だ。そのビジュアルの素晴らしさは、発売時に賞賛された。しかし、プレイヤーが操作する、暗い肌のキャラクターの描写は、まだ充分ではないようだ。

以下すべて『Skyrim』より. captured by author Tanya DePass

スクリーンショットからもわかるように、ターニャのレッドガードは、異なる環境にいるにもかかわらず、ずっと同じ、暗褐色だ。場所が変わっても、彼女の肌や衣服に落ちる影は変化していない。

一方、ノルドは、実際にその場にいるかのように見える。外の明かりは彼女に影を落とし、背後にある岩ともマッチしている。暗い室内でも、彼女の顔は、均一でぼんやりした明かりに照らされたターニャに比べ、はるかに鮮明だ。

YouTubeで〈Gaming Looks Good〉シリーズを配信しているシャリーフ・ジャクソン(Shareef Jackson)も、ゲームでの黒人キャラの描写についてしばしば言及している。ジャクソンは、『ディビジョン』(Tom Clancy’s The Division)の不均一なライティングを指摘する。「様々な人種、性別、文化などをちゃんと取り入れようと努力してはいるけど、下水道内でのキャラのライティングはダメですね。背景色とほとんど同化してます。実際、黒人が暗い場所にいても、見えなくなるわけじゃないでしょう」

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「テクノロジーが不十分なんじゃありません」とシャリーフ。「時代ごとに、様々な革新を達成してきました。今では、髪や服を、風になびかせることもできます。企業は、成功させたい物事の優先順位を高くするはずです。製作チームに、積極的に暗い肌を描写しようとするメンバーがいない限り、現状は変わらないでしょう」

ゲームデザイナーで、ニューヨーク大学ゲーム学部の教授、ロバート・ヤン(Robert Yang)は、最新のゲームを支える3Dテクノロジーの背後に、見過ごされている差別意識があり、それによって、暗い肌の描写の向上が優先されない事態に陥っているという。「3Dアーティストが新しいスキンシェーダをテストするさいに頻繁に使用されるのは、リー・ペリー=スミス(Lee Perry-Smith)という、白人の頭部の3Dスキャンです」と教授。「リー・ペリー=スミスをうまくレンダリングできるかを見て、スキンシェーダ・ソリューションの品質を判断している。これがどういう意味かわかりますか?」

オリジナルの〈シャーリーカード〉

ライティング・テストのモデルとして、白人の頭部イメージが使用されている事実は、かつて、フィルムの現像担当者が白人女性の写真だけで構成されたリファレンスシート〈シャーリーカード〉を使って肌の色を調整していた事実と酷似している。〈シャーリーカード〉は、より多様なカタログが好まれるようになり消滅したが、ゲームにも同様の時節がきたのではないだろうか。まず、開発者が使用しているツールは、文化的概念によって規定された〈普通〉〈あるべき姿〉によって形作られている、と開発者自身が認識するべきだ。

肌の色による差別

白い肌への偏向だけでなく、比較的明るい肌色の黒人に向けられたまなざしも確認しなくてはならない。肌の色による差別に内在化されているのは、明るい肌色の奴隷が、畑ではなく主人の邸宅内で働くことが許された奴隷制時代に根ざす白人優位主義だ。「ゲームにも表れています。キャラクターを明るめの肌でデザインするのは、そのほうが簡単に、キャラクターを自分に重ね合わせられるからです」とムーアは指摘する。

『Breakup Squad』より. courtesy of Catt Small』

『Breakup Squad』の開発者キャット・スモール(Catt Small)は、ゲームにおける肌の色による差別撤廃に取り組んでいる。「開発者の多くは、『キャラが明るい肌の色じゃないと、どうライティングしていいかわからない』という言い訳をします。しかし、もうちょっと頑張ればいいだけです。不可能ではありませんから」

『マフィアIII』や『ウォッチドッグス2』のように、黒人主人公が適切にライティングされているメジャーなゲームもある。つまり、黒人のライティングに必要な技術は既にあるのだ。一方、インディ・ゲーム業界で働く有色人種の開発者は、彼らのポジションに合わせて、あらゆる明度の肌のキャラを描いている。「非黒人は、黒と褐色の色合いの違いを考慮しません」とアレン。「それが問題なんです」

例えば、アレンの『Treachery in Beatdown City』は、ファミコンの表現に敬意を払いながらも、より多くの種類の肌の色を表現しようとしている。自身が混血であるアレンは、彼と同じ、ゴールデンオリーブ色のキャラクターをつくった。アレンの肌の色が唯一無二で特別なのと同じく、キャラクターは、この色合いの肌をもつ唯一無二の存在だ。

Treachery in beatdown City screen courtesy of

この記事で言及した開発者たちは、みんな、ゲームのキャラクターが結果論的に扱われないように、時間と労力を費やしている。単なるいちキャラクターではないし、キャラクターの肌は、ゲームテクノロジーがこれまで現状維持に甘んじてきた、デリカシーを欠いたデフォルトの褐色や黒色ではない。ゲームにおいて、黒い肌が、豊かで細部まで鮮やかに描写される可能性はまだ低いかもしれない。しかし、アレン、ムーア、スモールを始めとする、現代のゲーム開発者たちが先陣を切って努力することで、心強い模範が生まれている。

テクノロジーは進歩する。明るい肌色のキャラと合わせて、暗い肌色のキャラのライティングが向上することを信じたい。しかし、テクノロジーが安定し始めている映画の世界でさえ、適切なライティングが定番化しているわけではない。真の変化には、強い意志が求められる。プロジェクトを率いるスタッフが、黒人キャラクターのライティング・プランを当初からしっかり立てていれば、すばらしい進歩が期待できることを、『ムーンライト』のような映画が教えてくれる。

私たちがこの記事を公開したのは、皮肉にも、ゲーム業界がきちんと行動しようとし始めたからだ。開発者全員が、多様性への波に乗らなくてはならない。そんななかで、下手な有色人種の描写は見過ごせない。問題を提起するキャラクターさえいなかった10年前には、こんな議論も生まれていなかっただろう。

結局、多様性を実現するためには、すべての他の文化同様、ゲームでも、差別されてきたプレイヤーと開発者が声を上げること、そして、白人が標準とされ、色鮮やかなこの世界に影を落とす現状に、立ち向かう作品をつくらなくてはならない。