現代に生きるガングロたち

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現代に生きるガングロたち

90年代後半に、真っ黒に日焼けしたギャルたちが巻き起こしたガングロブーム。ギャルサー〈Black Diamond〉の運営を務める浅野毅氏に、ガングロブームと衰退、そして現代に生きるガングロたちについて語ってもらった。

ギャルというキーワードから何を思い浮かべるだろうか。アムラー、コギャル、109、ヤマンバ、ルーズソックス、チョベリバ、白ギャル、パラパラ、ギャル曽根、アゲ嬢、つけまつげ、姫ギャル、ギャルサー、浜田ブリトニー、ギャルママ…そして、やはりガングロ。90年代後半に、真っ黒に日焼けしたギャルたちが、ガングロブームを巻き起こした。当時の私は、まだ子供だったので、ガングロブームの記憶はなく、物心ついた頃には、既にブームは過ぎ去っており、ガングロたちも絶滅したと思っていた。しかし、国内最大規模のギャルサー〈Black Diamond〉は、現在もガングロ・メンバーで構成されている。しかも、彼女たちは、2018年6月6日に、『チョベリグ Lucky♡Day』という楽曲で歌手デビューも果たした。同時期には、ガングロたちのバイブルだった『egg』もウェブ版で復活。更にGANG PARADEのメンバーであるユイ・ガ・ドクソンや、青山テルマのMVでも、ガングロやパラパラが取り入れられるなど、平成も終わりだというのに、ガングロにまつわる話題を耳にする機会が増えている。

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Black Diamondの運営を務める浅野毅氏は、かつて自身もギャル男としてギャルカルチャーを盛り上げてきた張本人だ。今回は、ギャルカルチャーに長いあいだ携わり、最前線で支えてきた浅野氏に、ガングロブームと衰退、そして現代に生きるガングロたちについて語ってもらった。

浅野氏インタビューと併せて、Black Diamondのメンバーオフショットもお届けする。あおちゃん、まーちりん、くろみ、ぇりもっこりの4人の撮影を予定していたが、くろみは1時間の遅刻、ぇりもっこりに至っては時間内に現れず、いかにもガングロらしいと思ってしまったのだが、ブームから20年、現代のガングロたちは、どのような生活を送っているのだろうか。

ギャルカルチャーが誕生したのはいつですか?

90年代に流行した〈アムラー〉が、ギャルカルチャーの始まりです。安室奈美恵さんに憧れて、茶髪や細眉にしていたコギャルが進化を遂げて、現代のギャルに繋がっています。

そのなかで、〈ガングロ〉が流行したのはいつですか?

1999年~2001年頃ですね。ガングロという名称の由来は〈ガンガンに日焼けをしている〉〈顔が黒い〉と諸説あります。ガングロがより激しいメイクを施した〈ヤマンバ〉も登場しました。

誰が、ガングロブームに火を付けたのでしょう?

〈ゴングロ三兄弟〉のリーダーであるブリテリが、ガングロのカリスマといわれてました。でも、当時はSNSもなかったですし、今と比べてギャルは閉鎖的なアンダーグラウンドなカルチャーだったんですよ。

ギャルカルチャーが閉鎖的だったとは意外ですね。

2009年頃、益若つばささんがマスメディアに登場するまでは閉鎖的でした。例えば、最近だと、藤田ニコルさんや、みちょぱさんは有名ですよね。でも当時は、ガングロたちからカリスマ扱いされていたブリテリですら、世間的な知名度はありませんでした。

主にガングロたちはどこにいたのでしょうか?

渋谷が総本山でしたね。当時の渋谷はガングロが集まりすぎて、一般人の肩身が狭いくらいでした。ガングロたちは渋谷で情報交換をしていたので、渋谷の町がSNSのような役割をしていたんです。

渋谷以外に、ガングロたちの情報源は?

『egg』という雑誌がガングロたちのバイブルでした。ガングロ界では『egg』にストリートスナップが掲載されると、神のような扱いを受けましたから。僕は大阪の田舎出身ですが、『egg』を読んで「渋谷ではこれが流行ってるのか。真似するぞ!」って思ってましたね。

都会のガングロと、田舎のガングロの違いを教えてください。

都会のガングロは、見た目がそうであっても、実は家がお金持ちというパターンが多かった気がします。僕の地元では、ガングロとヤンキーは同類というイメージがありました。

私は当時を知らないので、ガングロには、「黒い」というイメージしかないのですが、他にもガングロならではのルールみたいなものはあったのでしょうか?

肌が黒いのはもちろんですが、パラパラが踊れるのも絶対条件でしたね。

日サロで肌を焼いて、パラパラが踊れなければガングロとはいえない?

本当にそれくらいパラパラは大事でしたよ。でもやはり、肌が真っ黒であればあるほど、彼女たちのステータスになっていたと思います。週の半分、日サロに通っているガングロもいましたし。ガングロを突き詰めていくと、感覚が狂ってきて、じゅうぶん黒いはずなのに、「私は肌が白いんじゃないか?」と思えてくるんです。あと、日サロには扇風機が設置されているのですが、扇風機を回すと日焼けしにくくなるともいわれていましたね。

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本当に日焼けしにくくなるんですか?

いえ、実際はそんなことはないんですけどね(笑)。ガングロのあいだで、扇風機を回したら負けという暗黙の了解があったんです。もちろん見た目も大事ですが「いちどきりの人生をハッチャける」という、ガングロ魂が大事でしたから。ガングロは誰になにをいわれても、やりたくないことは絶対にしません。とにかく自己主張を貫く子が多かったです。

ガングロを志す若者は、見た目だけに憧れていたわけではないということですか?

もちろん理由はそれぞれですが、ガングロの反体制的な部分に憧れる子は多かったです。親御さんと絶縁状態で、誰かの家を泊まり歩いたり、アイライナーの代わりに油性マジックを使うような子もいました。最近のガングロの子たちは、昔に比べると落ち着きましたよね。

それは、どうしてですか?

益若つばささんが登場した頃から、ガングロを含めたギャルに、〈=不良〉という概念が希薄になったからではないでしょうか。最近のガングロは、話せばわかってくれる子が増えました。ですから、マネジメントする側からすると、とても扱いやすくなりましたよ。母の日には、お母さんに花を送る子もいますし。

その後、ガングロブームは衰退しますが、それは何故ですか?

白ギャルを推した『小悪魔ageha』という雑誌が出たのが大きかったですね。浜崎あゆみさんがブームになり、ガングロは下火になりました。黒肌は維持するのに手間もお金もかかるので、白肌ギャルにシフトするガングロもいました。

白肌ブームのなかで、ガングロを貫き通すギャルもいたんですか?

2012年に『egg』の増刊号が出たとき、僕はガングロのキャスティングを手伝いました。人脈をフル活用して全国に呼びかけたら、何十人もガングロが集まったんですよ。ギャルサー〈Black Diamond〉は、その撮影で意気投合したガングロたちが、これからも定期的に集まろうということで結成しました。すぐに、Black Diamondのホームページを立ち上げて、メンバー募集をしたら応募が殺到して、僕もびっくりしました(笑)。半年ほどでメンバーが100人以上に増え、メディアに取り上げられたり、クールジャパンのイベントから声が掛かり海外進出もしました。

海外での反応はいかがでしたか?

米国、フランス、イタリアなどに行ったのですが、予想以上にガングロに対する反応が良かったんですよ。日本のガングロ、ギャルカルチャーは、海外でも広まっていて、海外でもギャルサーが誕生しています。スペインのギャルサーのメンバーは、バルセロナ広場でパラパラを練習しているそうですよ。

現在、Black Diamondのメンバーは何名いるのですか?

一軍が50人くらいで、研究生は300人程度ですね。現役のガングロのほとんどは、Black Diamondのメンバーだと思います。2015年の1月にBlack Diamondのメンバーと交流できる場所として、渋谷に〈ガングロカフェ〉をオープンしました。

オープン当初の集客状況はどうでしたか?

お客様がゼロの日もありましたね。売り上げが伸びないまま、半年が経過し、店じまいも考えていたんですけど、そのあとに『月曜から夜ふかし』で取り上げていただいたんです。放送の翌日からお客様は殺到しましたね。でも、本来のターゲットとは違うところで火がついた感はありました。やはりリピートしてくださるのは、Black Diamondファンのかたでした。

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それからはお客様が少しずつ増えていったのですが、2018年7月18日をもって、ガングロカフェは営業を一旦終了し長期休業に入りました。ガングロカフェスタッフの選抜メンバーが歌手としてデビューしたのですが、予想以上に好評でオファーが殺到したんです。限られたメンバーで、ガングロカフェの営業を続けながら、ライブなどをこなしていくのは厳しくなってしまいました。今後、ガングロが増えて、人手不足が解消されれば、再オープンするかもしれません。

普段のBlack Diamondのメンバーは、どんな生活をしているんでしょう?

「人前に出るときだけでしょう?」といわれたりもしますが、普段からメンバーはガングロスタイルですよ。今では、ガングロの総本山だった渋谷を歩いていても、盗撮されてSNSにアップされたり、「動物園からゴリラが脱走したぞ!」と指さされるのも日常茶飯事。それくらいガングロは珍しい存在になってしまったんですよね。

今は、派手なつけまつげや洋服を手に入れるのにも苦労しそうですね。

ガングロが流行していた頃は〈d.i.a〉というブランドがコテコテのギャル服を展開していましたが、需要がないのでブランドの方向性は変わってしまいましたね。渋谷のドンキにすら、ガングロ好みのつけまつげやカラコンは置いてないんですよ。元ガングロがメルカリに出品している古着を買い漁ったり、埼玉や栃木に住んでいる子は地元のドンキで探したりしているらしいです。お金も掛かるし、今のガングロの子たちは本当に苦労していますね。

Black Diamondのメンバーの平均年齢は何歳ですか?

20歳~25歳くらいです。幼稚園や小学校時代にガングロ全盛で衝撃を受けた子たちや、Black DiamondをマスメディアやSNSで見てガングロになった子もいます。彼女たちからすれば、今流行っている清楚系のギャルなんて甘いんですよ。これからもBlack Diamondの活動を続けて、ガングロが消滅しないようにしていきたいです。

そこまで浅野さんがガングロにこだわるのは何故ですか?

僕もガングロブーム真っ只中に、ギャル男として楽しい青春時代を過ごしていたので、単純にガングロカルチャーが消えてしまうのは寂しいんです。これからは海外にもアプローチをしていきたいですし、正統派のガングロスタイルを絶やさないように、次世代にも受け継いでいきたいですね。