「日本MODS MAYDAY今昔レポート!!」第3回目は、オリジナル・モッズを知るモーガン・フィッシャーと後期モッズシーンを牽引するジェームズ・テイラーの証言をお送りします。UKモッズシーンの成り立ちを紹介した第1回目、日本モッズシーンの牽引者であり、MODS MAYDAYの主催者である黒田マナブ氏のインタビューを行った第2回目とともにチェックしてほしい。

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日本MODS MAYDAY今昔レポート!! 03.モーガン・フィッシャー&ジェームズ・テイラーの証言

「日本MODS MAYDAY今昔レポート!!」第3回目は、オリジナル・モッズを知るモーガン・フィッシャーと後期モッズシーンを牽引するジェームズ・テイラーの証言をお送りします。UKモッズシーンの成り立ちを紹介した第1回目、日本モッズシーンの牽引者であり、MODS MAYDAYの主催者である黒田マナブ氏のインタビューを行った第2回目とともにチェックしてほしい。

「日本MODS MAYDAY今昔レポート!!」第3回目は、2016年のMODS MAYDAYに参加した初期モッズを知るモーガン・フィッシャー(Morgan Fisher)。そして88年、THE PRISONERSのオルガン奏者が結成したJames Taylor Quartetとしてアシッド・ジャズ・レーベルを牽引するジェームズ・テイラー(James Taylor)の言葉を聞いてみたい。本場イギリスの初期と後期のモッズを代表するアーティストが、ともに舞台に立った今年のMAYDAYの意図が垣間見えるのも面白い。

Morgan Fisher

モッズの第1世代はTHE HIGH NUMBERSです。ちなみに彼らがバンド名を変えてTHE WHOになりました。そのTHE HIGH NUMBERSが1964年に小さなクラブでプレイして、それがモッドムーブメントの始まりとなります。その現場にいたキッズたちは、まだダンディーなスタイルではなく、フレッドペリーのシャツ、本格的なスラックスにシューズと、とてもシンプルで基本的なスタイルでスタートします。そこから様々なスタイルに派生していきました。クールなスーツにハット、ネクタイというダンディーなスタイルや、Tシャツにサスペンダーといった、もっとタフなスタイルなどに派生していきます。そのような変化が起こったのは、人々のパーソナリティーが多様で複雑だからです。あるスタイルを好む人もいれば、それとは別のスタイルを好む人もいます。彼らはグループを形成しては、敵対する人々があらわれ、時には厄介ごとを起こしたりもしました。若い連中とはそういうものです。私がステージでプレイしている間に、オーディエンス同士が喧嘩することもよくありました。それに巻き込まれるのはごめんでしたが、ラッキーなことに私の目の前には大きなオルガンがありましたから、私は安全でした(笑)。

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モッズとは何かと問われたら、「品格だ」と私は答えます。たとえどんなに憤りを感じていても、楽しい時間を過ごしていても、品格を持って感情をコントロールするのがモッズです。また、大人として両親や身近な人たちに気を配るのも忘れてはなりません。それらは若者たちがすべきことで、私も若い頃に徹底して行ってきました。なぜなら、私はパフォーマーとして、そのように振る舞う必要があったからです。ほとんどの人はパフォーマーじゃなく、他の定職に就いています。したがって、私には仕事場にモッズのスタイルや精神を持ち込むのが正しいかはわかりませんが、おそらく正しいのでしょう。私は品格があるし、自分のパーソナリティーにプライドもあります。モッズとは、モッズの型にハマることではありません。モッズたちには類似点もありますが、私のスタイルは全く型にハマっていません。品格が私のスタイルの基礎となっています。また、品格は人生において大きく影響する要素です。私は素晴らしい時間を過ごしているし、理想の職業にも就けたし、健康でもあります。私はもともと、自分のために何かをする、自分を見てくれという、とても利己的なところからスタートして、品格を持って利他的に相手を思いやるスタイルに達したのです。他の若いグループは品格を持っておらず、他人を思いやらないとは言いませんが、モッズとは品格を持って他人を思いやることです。

James Taylor

70年代後半、私はTHE JAMに関心がありました。学校の友だちも皆、THE JAMを聴いていました。自分たちのバンド、THE PRISONERSを結成すると、モッズたちが私たちの演奏を観に来るようになったのです。当時、パンクの大きなムーブメントがありました。事実、パンクロックがモッズシーンを進化させました。3コードのR&Bが登場し、THE JAMがそれらの要素を取り入れてヒットしたのですが、もともとTHE WHOやSMALL FACESなどのバンドに由来しています。私たちはTHE JAMを聴いて、彼らのサウンドを追っていたし、私もハモンドオルガンの奏者として、そのサウンドを取り入れました。面白いことに、当時はまだアンダーグランドなシーンだったので、80年代半ば、どんどん発展させることができました。オリジナルな要素を残しつつも、異なる要素をプラスし、アシッドジャズを生みだしました。それは世界中に衝撃を与えた新たな大爆発かのようで、モッズ、ジャズ、ソウルが混ざり合ってハイブリッドな音となり、様々なシーンとクロスオーバーしていきました。そうして、アシッドジャズという新たなジャンルが誕生したのです。

モッズという言葉は、ワーキングクラスに由来する反抗的な意識を私に与えてくれます。それは、アート、カルチャー、ファッション、音楽など、文化全体への反抗的な意識であります。特に、イングランドの自動車産業にまつわる社会構造は醜いもので、自動車工場=ワーキングクラスという認識が流布していました。一方で、ワーキングクラスの人々は、金持ち連中がゴミみたいな音楽を聴いていたのを知っていたので、明確に反抗を示せたのです。

日本MODS MAYDAY今昔レポート!! 01.UKモッズシーンとスクーターランはこちら。

日本MODS MAYDAY今昔レポート!! 02.主催 黒田マナブ、インタビューはこちら。

日本MODS MAYDAY今昔レポート!! 04.スクーターランに見るモッズたちの声はこちら。