「店に入ってきたお客さんは驚きます」とノースハリウッド のレンタルビデオ店〈Eddit Brandt’s Saturday Matinee〉の店員、トニー・ナイトリ (Tony Nitolli)はいう。「ビデオデッキを知らない若者は、私たちがテープをデッキに入れるのを、物珍しそうに眺めます。撹拌器でバターをかき混ぜるアーミッシュにでもなったような気分です」確かに、バターを手づくりするアーミッシュ同様、日常生活でレンタルビデオ店を見かける機会は限られている。もしくは、私たちは、気にも留めていないかもしれない。一方、RedboxやNetflixを筆頭とするストリーミング・サービスは、現在、3000を超えた。かつて、レンタルビデオ店は、至る所にあった。しかし、ある日を境にパタリと需要を失い、私たちがこのような店を必要としていた時代を想像するのすら難しくなった。電話帳、AOL インストール用CD、コメディアンがトランポリンでジャンプして張りつくマジックテープの壁と似たようなものだ。
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郊外には、ストリーム配信に必要な高速ブロードバンドが設置されていないため、レンタルビデオ店は今でも人気だ。しかし、その他のほとんどの地域では、廃れてしまった。1989年の調査によると、米国内には3万軒のレンタルビデオ店があったが、2017年には、わずか2000軒に落ちこんだ。はっきりとした理由はわからないが、レンタルビデオ店が減ってしまい、私は悲しい。たとえるなら、1度も訪ねたことのない店が、再開発によって近所から消えたとき、今では訪問しなくなったウェブサイトが閉鎖したとき、もしくは、1985年以降、自分の好みに合う曲をつくっていなかった歌手が、亡くなったときのような気持ちだ。私は、近所の帽子店で買い物もしなければ、ニュースサイト〈Rotten.com〉もしばらく覗いていなかった。プリンス(Prince)が2015年にリリースしたアルバムを聴いたこともない。しかし、これらすべてが失われて、悲しいのは確かだ。みんながビデオ店に足を運ばない理由は明らかだ。服を着て店に向かい、身体を動かしてお目当ての映画を探し、生身の人間と向き合い、映画1本1本に料金を払わなければならず、おまけに返却期間を過ぎれば延滞金をとられる。一方、Netflixを使えば、裸のまま筋肉を3ヶ所くらい動かすだけで、10秒もかからずに映画を再生できる。しかし、米国のすべての地域で、ビデオ店がストリーミング・サービスに負けているわけではない。栄養食品〈ソイレント〉 もそうだが、効率的であることが必ずしも良いとは限らないのだ。
驚いたことに、取材した8軒のうち、客がひとりもいない店は1軒だけだった。サンタクラリータの〈Video Depot〉で、私は、ジム(Jim)と呼ばれる中年の男性客に話しかけた。彼は、オーナーのひとり、ジーナ ・リー(Gina Lee) の人柄に惹かれ、30年間この店に通っているそうだ。「彼女の話はいつも最高だ」とジム。「私は他人と交流するのが好きなんだ。機械を相手にするのは好きじゃない」彼の言葉はもっともだ。ジーナ は、ほぼ間違いなく、2018年に出会ったなかで、もっとも世話好きな人物だった。この取材で店内を撮影していると、ジーナは、ソーダやキャンディを差し入れてくれた。それを断ると、彼女は、まるでどこかが痛むかのような反応をした。さらに、レンタルビデオ店で気付いたのは、生身の人間によるサービスをストリーミング・サービスは超えられない、という点だ。〈Eddie Brandt’s Saturday Matinee〉にいるあいだ、『TINA ティナ』(What’s Love Got to Do with It, 1993)を探している客がいた。カウンターの店員は、誰かが2007年にレンタルして以来返却されていない、と説明したあと、その客に『ため息つかせて』(Waiting to Exhale , 1995)を勧めた。「『ステラが恋に落ちて』(How Stella Got Her Groove Back, 1998)のような映画だと誤解しているお客さんも多いですけどね」
現在のストリーミング・サービスには、この店員のようなアドバイスはできない。先ほど、Netflixで『TINA ティナ』を検索してみたが、未配信だったうえ、『Law & Order 性犯罪特捜班』(Law and Order SVU, 1999) 、ノオミ・ラパス(Noomi Rapace)が7つ子を演じたNetflixオリジナル作品 を勧められた。
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インターネットは、ビデオ店店員、そして、おそらく肉親以上に、私の個人情報を知っているはずだ。しかし、Netflixのアルゴリズムは、人間のように、芸術のニュアンスを理解できない。それどころか、オリジナル作品をアピールするために、検索ワードにまったく関係のない、ノオミ・ラパス主演の7つ子映画を勧めてきた。Netflixが配信していないのは、『TINA ティナ』だけではない。同サービスの選択肢は、少しずつ狭まっており、重要な作品が消えつつある。『レイジング・ブル』(Raging Bull, 1980) 、『カサブランカ』(Casablanca, 1942) 、『市民ケーン』(Citizen Kane, 1941) 、『風と共に去りぬ』(Gone with the Wind, 1939) 、『カッコーの巣の上で』(One Flew Over the Cuckoo’s Nest, 1975) 、『2001年宇宙の旅』(2001: A Space Odyssey, 1968) 、『チャイナタウン』(Chinatown, 1974) 、『千と千尋の神隠し』(2001) 、『地獄の黙示録』(Apocalypse Now, 1979) 、『タイタニック』(Titanic, 1997) 。 試しに調べただけでも、これだけの〈重要な〉映画が、現在、配信されていない。「Netflixは、すべての名作を配信しているわけではありません」と語るのは、サンタクラリータの〈Video Depot〉のもうひとりのオーナー、ジョン・リー(John Lee)。「でも、うちでは、古典的名作から新作まで豊富に取り揃えています」ビデオは、いちど入荷したら、誰かが2007年に借りたまま返却しない、などという場合を除き、ずっと店に置かれる。ライセンス交渉の決裂、ライバル社の参入、オリジナル作品に重きを置く新戦略などによって、作品が消えたり移動することはない。
Video Depot. サンタクラリータ「今まで、私たちは、ブロックバスターやハリウッド・ビデオなどの大手チェーンにはない専門性や品揃えで対抗してきました。DVDが普及したとき、みんなVHSを処分しましたが、私たちは捨てませんでした」とナイトリ。「ですから、DVD化されなかった作品、DVD化されたけれどオリジナル版と音楽が違う作品なども残っています。あるとき、ジョン・C・ライリー(John C. Reilly)が『スター・ウォーズ』(Star Wars)シリーズのオリジナル版を借りにきました。彼は、幼少期に観た、ルーカスフィルムが手を加えて台無しにする前のヴァージョンを、子どもに観せたかったそうです」レンタルビデオ店の醍醐味は、名作だけではない。駄作も溢れている。もちろん、Netflixにだって、駄作は捨てるほどある。例えば、『クリスマス・プリンス』(A Christmas Prince, 2017) や、展開は『恋はデジャ・ブ』(Groundhog Day, 1993) に似ているが、ビル・マーレイ(Bill Murray)ではなく 、裸のマーロン・ウェイアンズ (Marlon Wayans)が主演を務めた『ネイキッド』(Naked, 2017)などだ 。ただ、ビデオ店で駄作を借りると、なぜだか最後まで観なければ気が済まない。特に私のように、子どもの頃、自由に使えるお金が少なかったらなおさらだ。『ブレアウィッチ2』(Book of Shadows: Blair Witch 2, 2000) をレンタルして観たときは、どれだけ内容が退屈だろうと、自分が死ぬか社会が崩壊するような事態に陥らない限り、一瞬も見逃すまいと必死だった。
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一方、Netflixでは、つまらないと感じた瞬間に観るのを中断すれば良い。『アンダーカバー・じーさん』(Undercover Grandpa, 2016) に93分間耐え切ったNetflix視聴者など、ひとりもいないだろう。もちろん、「駄作を最後まで観られない」などという主張は、ストリーミング・サービスへの批判としてはおかしい。しかし、駄作には、金塊が埋まっている可能性もあるのだ。例えば、『ゴーストシップ』(Ghost Ship, 2002)の、船客がワイヤーで切断されるシーン、『ディープ・ブルー』(Deep Blue Sea, 1999) のサミュエル・L・ジャクソン(Samuel L. Jackson)の最期など、一見退屈な作品にも、思わぬ名場面が隠れている。
ビデオ店を守る試みも、ないわけではない。例えば、シアトルの〈Scarecrow Video〉、ポートランドの〈Movie Madness〉、ロサンゼルスの〈Vidiots〉など、非営利化した店もある。非営利化は、ヒップスターや映画オタク向けのビデオ店が、歴史の重要な保管場所として生き残るための、唯一の道なのかもしれない。以下の写真の大部分を占める、流行遅れの小さなショッピングモールじみた店は、徐々に消えていくのだろう。