All Photos by 田川基成

新宿駅から中央線で西へ10分。JR阿佐ヶ谷駅の周りにはいま、日本最大規模のネパール人コミュニティができつつある。駅の南北を通る商店街を少し歩けば、必ずネパール人とすれ違う。阿佐ヶ谷のコンビニでネパール人店員がいない店はないといっていい。この数年でカレー店が増え、いつの間にか複数のスパイスショップもできた。周辺のネパール人の数は、この3年間で2倍以上に増えている。2013年に阿佐ヶ谷駅前に開校した世界初のネパール人学校「エベレスト・インターナショナル・スクール」が、そのきっかけとなったのだ。

朝の校内には、子供たちによるネパール国歌が響きわたる。教室では、碧眼で白人のような子、褐色の肌をした子、日本人といわれてもわからない平坦な顔をした子どもたちが仲良く声を出している。阿佐ヶ谷と隣駅の荻窪にふたつの校舎を持つ同校には、保育園から小学6年生まで約160人の生徒が在籍する。在日ネパール人の子息のため、ネパール本国の正式カリュキュラムに沿い、授業はネパール語と英語で行なわれている。杉並区内や、同じく多くのネパール人が住む新宿区、遠くは電車で1時間半かけて千葉県から通ってくる生徒もいる。朝夕の送り迎えの時間になると、駅前の飲食店街〈川端通り〉には、たくさんのネパール人親子が往来し、今や阿佐ヶ谷の日常風景となっている。

ネパールは、インドと中国を隔てるヒマラヤ山脈の南陵に位置する小国だ。日本の約4割の面積に、およそ2900万人が住んでいる。国内には多くの民族が共生し、宗教はヒンドゥー教徒を中心に、仏教徒、イスラム教徒もいる多民族国家。世界最高峰のエベレストをはじめ、8000m級の山々が連なり、国土の大部分を山岳地帯が占める〈山の国〉という点では、日本とも共通している。しかし、国民ひとり当たりのGDP (2016年)は、約730ドル。日本のGDP約3万8900ドルの2%以下であり、世界最貧国のひとつに挙げられている。19世紀初頭には、インドの植民地化を進める英国との間で戦争に敗れ、英国の実質的な保護国となった。ネパールがいまも英国をはじめ海外に多くの移民を送り出しているのは、この時代の影響が残るため。第二次世界大戦後は、立憲君主制となり、長いあいだ王政が続いた。

1990年代には、マオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)が台頭し、国王派とマオイストの対立が発生。後に反王政派が主流となったことで、2008年にはギャネンドラ国王が王宮を退位し、連邦民主共和制に移行した。王政廃止の前後に起きた混乱でネパールは政情不安に陥り、海外に移民するネパール人が増加。日本も移住先のひとつだ。

法務省の在留外国人統計によると、2017年6月現在の在日ネパール人は7万4300人。2006年末の7844人から、10年間で約10倍に増加した。彼らの多くは、専門学校生や大学の留学生として来日し、そのまま日本でアルバイトや就職、起業するケースが多い。東京の居酒屋でも、近年ネパール人の店員が増えている状況に気づくだろう。味覚が繊細で料理が得意なネパール人は、昔から隣国インドのレストランで料理人として働くことが多かった。日本のインド料理店にも昔からネパール人はいたが、今ではカレーに限らず和食や、イタリアンの店でさえ見かけるようになっている。

8091mの雪峰アンナプルナを望むネパール第2の都市ポカラ。そこから車で4〜5時間のところにガルコットという町がある。阿佐ヶ谷に住むネパール人は、このガルコットの出身者が多い。親族や同じコミュニティに住む知人が海外に移住し、彼らを頼って母国の同じ地域からまた移民がやってくる。鎖のように移民が連鎖する〈チェイン・マイグレーション〉だ。戦前の日本にやってきた在日朝鮮人、あるいはブラジルに移住した日系移民も、同じように同郷の親類知人を頼って海外へ渡った。

「どうして日本に来たの?」という質問に、「日本は安全に暮らせて、安定したビジネスができるから」との答えが多かった。日本人にとっては当たり前だが、未だ政情が安定せず、2015年には大地震にも襲われたネパール人にとって、治安と政治経済の安定はとても貴重なのだ。その後日本で就職したり、更にはビジネスで成功した移住者も多い。そのいっぽうで、多額の借金まで背負って来日したものの、低賃金の職種にしか就かなかったために借金返済ができず、生活困窮に陥るネパール人も増えているという。なかなか日本語を習得できず、就職に苦労するネパール人もいる。こうした急激な在日人口の増加による弊害は少なくない。

幸い、阿佐ヶ谷や杉並区では、地域社会とネパール人コミュニティのあいだに、大きな問題や軋轢はほとんど起きていない。区は、〈杉並区交流会〉という団体を通し、ネパール人も含めた在日外国人の生活支援をしている。無料の日本語講座を開き、小学校間の交流や地域の文化交流の場を提供し、生活相談にも応じている。ただ、こうした海外からの移住者に対応できるスキルを持った教師やソーシャルワーカーの数は十分でなく、今後も右肩上がりの増加が続くとみられる移住者への支援は、後手にまわっているのが現実だ。

戦前から日本に住む在日朝鮮人と中国人、1990年代以降に急増したフィリピン人やブラジル人の移民に比べ、ネパール人移民は、まだ、1世が多数を占めている。〈エベレスト・インターナショナル・スクール〉も、ネパール人の子供が将来的に帰国することを念頭に置いた教育カリキュラムを組んでいる。しかし、いずれは帰国するつもりだとしても、海外で、母国に比べて破格の給料や収入を得て、家族を持ち、生活の基盤が固まると、帰国が難しくなるのは移民の常。今後は、日本に永住するネパール人も少しずつ増えるだろう。

英国、フランス、ドイツなど欧州各国では、労働者不足に悩まされた第2次世界大戦の復興期から、移民を受け入れ続けてきた。そして数十年が経った今、各地で起きている軋轢や反移民の潮流は、日本にも打ち寄せている。〈日本生まれ、日本育ちのネパール人の子供たち〉を日本社会は今後どのように包摂するのか。日本人の両親を持つ日本の子供に比べ、どうしても遅れるであろう、移民の子供たちへの日本語教育もしっかりと支える必要がある。現在の日本は好景気が続き、労働力として必要とされている移民たちだが、もし景気が悪化すれば、真っ先に雇用を打ち切られるだろう。2008年に起きたリーマン・ショック後の不況期には、日本で働くブラジル人などの工場労働者たちの多くが解雇された。移民を受け入れる日本社会が取り組むべき課題は少なくない。

今や東京の〈リトル・ネパール〉ともいえる阿佐ヶ谷。急速な少子高齢化で労働人口が減り続き、移民の受け入れがまだまだ増えるであろう、日本のひとつの未来図になるかもしれない。