12月21日〈遠距離恋愛の日〉に 遠距離恋愛について考える

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12月21日〈遠距離恋愛の日〉に 遠距離恋愛について考える

「希望を持とう」「信頼関係を築こう」「こまめに連絡を取り合おう」「束縛はやめよう」「夢中になれるものを探そう」…。しょうもない精神論やアドバイスが溢れるこの世界には、今日も遠距離恋愛に悩む女子たちがいる。12月21日、〈遠距離恋愛の日〉に徹底的に考える、遠距離恋愛のつらさとその対策。
AN
Tokyo, JP

朝晩は吐く息も白く、すっかり冬本番だ。クリスマスをひかえた街のイルミネーションが眩しい。達郎かまりやの歌が、少なくとも、日に1度は聞こえてくる、いわゆる〈人肌が恋しくなる〉季節だ。この時期ほど、我が境遇を恨めしく思うことはない。というのも、今、私は絶賛遠距離恋愛中なのだ。私は日本、相手は海外。私たちが最後に会ったのは今年の9月末。次にいつ会うかは決まっていない。周囲から、「彼はいつ帰ってくるの?」「向こうにはいつ遊びに行くの?」と訊かれるたび、「それ、私が知りたいんだけど」と半ばキレる。「すごいね、私だったら無理!」と感嘆されるたびに、「遠距離恋愛が無理じゃないひとなんていないから」と自嘲的な笑みを浮かべる。そうして〈人は人、自分は自分〉という古い格言を心のなかで唱える。この言葉の真意を、29歳にもなってようやく知ったような心持ちだ。

クサったときに友人に慰めてもらえるのはラッキーだが、他人に話したくない日もある。そんなときはグーグル検索だ。〈遠距離恋愛〉と検索すれば、約79万件もの記事がヒットする。予測ワードに〈遠距離恋愛 つらい〉〈遠距離恋愛 寂しい〉が並ぶほど、同じように苦しむ同志がいる。私ひとりがメソメソしているわけではないのだ。それだけで心が少し軽くなる。しかし、関連記事をいくら読んでも、苦しみからは解放されない。「希望を持とう」「信頼関係を築こう」「こまめに連絡を取り合おう」「束縛はやめよう」「夢中になれるものを探そう」…。しょうもない精神論、生半可なアドバイスばかりだ。私が欲しいのはそんなチャちいアドバイスではない。そんなことは重々承知しているし、自慢じゃないが、意識せずともほとんど実行している。なんせ、今、私は人生3度目の遠距離恋愛中なのだ。

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そもそも〈3度目の遠距離恋愛〉というと、遠距離恋愛マニアなのか、と疑う向きもあるだろうが、私は、好き好んで遠方に住む相手を選んでいるわけではない。それをはっきりさせるためにも、僭越ながら、これまでの遠距離恋愛の概要を説明する。

1度目は大学時代。私の海外留学がきっかけだった。つまり不可抗力だ。実のところ、当初から、遠距離恋愛を続ける自信はゼロだった。彼の「大丈夫だよ!」という言葉の力強さに押されて遠距離恋愛を始めたが、半年もせずに破綻した。毎日のようにスカイプしていたが、どんどん面倒くさくなり、話すネタもなくなった。そして、新しい街にも慣れ、刺激的で充実した日々を送る私にとって、日本で変わらぬ日常を送る彼の魅力が、魅力でなくなってしまったのだ。

私は現地人と付き合い始める。2度目だ。留学先で知り合った彼とは、留学中だけ、と期間限定の割り切った付き合いをするつもりだった。しかし、再び「大丈夫だよ!」という言葉に押され、帰国後も付き合いを続けることになった(つまり今回も、私が積極的に遠距離恋愛を選んだわけではない。そう考えると、〈遠距離恋愛でも大丈夫〉と考えるのは、男性のほうが多いのかもしれない)。しかし、ある日のスカイプで、彼の首元にキスマーク(らしき痕)を発見した。いかんせん遠距離だし、浮気もしょうがないか…と指摘はしなかったが、それ以降、何をいわれても「でもコイツ浮気してるんだよな…」という疑いがぬぐえず、気持ちが冷めた。就職活動で忙しかったこともあり、別れを告げた。

そして、現在進行中の3度目。最初から遠距離だったし、自ら積極的に選択したので、これまでとは違う。どうしたら失敗するかも充分に知っている。まず、スカイプのやりすぎはよくない(そもそもキスマーク目撃事件以来、あまりスカイプが好きではない)。とはいえ、あまり連絡しないのも問題だ。いつどこで、地震やテロやが起こるかわからない。心配させないためにも、返信は早いほうがいい。キスマーク、浮気は論外。そして何よりも、〈遠距離でも大丈夫〉という自信が必要だ。過去2回が失敗に終わったのも、最初から私があきらめ半分だったせいだ。しかし、今回は自信があった。前回に比べて私も大人になったし、遠距離でも付き合いたい相手だった。

それなのに、私は冒頭の状況に陥っている。自信満々だったはずの今回も、結局、モヤモヤと日々を送っている。何がつらいって、彼の不在により、〈不利益〉を被っている気がするときだ。つまり、「ここに彼がいればもっと楽しいのに」「ここには彼といっしょに行ってみたいのに」とため息をつくときだ。自ら選択した状況だとわかっていても、自分が〈不当〉な環境に置かれている、と意識するとむなしくなる。また、私にとってパートナーとは、心が折れたとき、不安を抱えているときに、負の感情を遠慮なくさらけ出せる唯一の存在だ。そんな存在が遠くにいて、気軽に頼れないのはしんどい。そもそも、遠距離なだけでシングルではない。〈いるはずなのにいない〉という状況のなか、孤独感はいっそう高まる。また、自分と相手との恋愛観の齟齬を感じるときもそう。例えば、私が年3~4回は会いたいといっても、相手が年1~2回でいい、といえばそれまでだ。意見をすり合わせるにしても、近くにいれば簡単なのに、離れているとうまくいかなかったりする。

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結局、いつまで経っても遠距離恋愛のつらさには慣れないのかもしれない。ひとつハードルを越えても、また新たなハードルが現れる。気を抜いて足を引っかけて盛大につまずいた瞬間に、〈そもそもどうして遠距離恋愛はこんなにつらいのだろう?〉、と遠恋経験3度目にして初めて疑問が芽生えた。そこでこの度、徹底的に〈つらさの原因〉を考えてみた。

付き合っている必要性を感じられない

私たちは同じ地球の上にいる。しかし、地球には国境があり、時差がある。私が目覚めるとき、彼は寝ている。彼が目覚めるとき、私は仕事をしている。お互いの生活がある。仕事、人との会話、食事、運動、読書、テレビやNetflixを鑑賞。週末は遅くまで飲んで、休日には出かける。パートナーが遠くにいても、なんだかんだでそれなりに充実した日々を過ごす。おもしろいことは日々起きるし、マイブームも徐々に変わる。そんななか、「付き合っている意味はあるのだろうか?」と考える遠恋カップルたちは少なくないだろう。相手のいない生活が軌道にのれば、会いたいときに会えない、したいときにセックスもできない相手を、どうして想い続けられるのか? 遠距離恋愛は、どうしたって不完全だ。ウィキペディアで〈遠距離恋愛〉のページを見てみれば、〈ボッサードの法則〉という聞きなれない法則の説明がある。「男女間の物理的な距離が近いほど心理的な距離は狭まる」らしい。また「何度も繰り返し接すると、好意度が高まる」というロバート・B・ザイアンツ(Robert B. Zajonc)博士が提唱した〈単純接触効果〉もある。そんな法則があるなかで、わざわざ遠くにいる相手を好きでいるなんて、客観的に見れば非合理的な選択だろう。

恋愛の〈今〉の楽しさを感じられない

遠くにいるパートナーとは、ナマの瞬間を共有できない(SNSやスカイプは、私の場合、あまり効果がない。あまりにバーチャルすぎて、物理的な距離をより強く意識してしまうだけだ。まだ手紙のほうがいい。彼の元にあったモノが、私の元に届くという事実から、同じ世界に暮らしているんだなあ、と実感できる。3時間スカイプをするよりも1通の手紙のほうが価値がある。もちろん、1通の手紙よりも30分会うほうが断然価値がある)。つまり相手が遠方にいる限り、恋愛の〈現在進行形の楽しさ〉は感じられない。もし、相手と離れていながら、楽しさや幸せを感じられるとしたら、それは〈過去〉と〈未来〉の幸せを燃料にして、自家発電しているのだろう。楽しかった思い出、うれしかった思い出、あるいは、数週間後、数ヶ月後の楽しみを糧にする。そうやって日々を過ごすのは、確かに不可能ではない。ただし、それが可能なのは、燃料が豊富にあってこそだ。もし、記憶のなかにある思い出が薄れてしまったら? もし、将来の約束を反故にされたら? 過去と未来に幸せを見出せなくなれば、現在の幸せなどありえない。燃料がなければ発電はできない。発電できなければシステムはダウンする。そういうものだ。

さて、ここからが問題だ。どうしたらそのつらさを減らせるのか。

まずは、〈付き合っている必要性〉を明らかにしよう。遠距離恋愛を決意するには、何らかの〈別れたくない理由〉〈その人でなくてはならない理由〉があったはずだ。それを改めて思い返す。そもそも、自分が相手のどこに惹かれたのか、それを思い出すのが効果的だろう。よく考えてみると、遠距離でも別れない、と決意した過去の自分は、正しかったような気がしてくる。今のパートナーに匹敵するほどの相手は、やはり周りにひとりもいない。そんな相手を、遠距離、という理由だけで、積極的にあきらめるもったいなさにも気づく。

次に、自家発電のための〈燃料〉をたっぷり補給すること。会える機会があるなら、相手との時間のコンマ1秒まで大事にする。それが未来の自分の燃料になる。しょうもない瞬間でも何でもいいので、とにかくマメに写真や動画で記録する。そういえば、写真をパシャパシャ撮りまくる友人に、どうしてそんなに写真を撮るのかと尋ねたことがある。すると彼女は、「だって、写真しか残らないから」と答えた。私はその言葉にいたく感銘を受けたのだが、遠距離恋愛を始めてからは、いっそう深く同意するに至っている(なお、個人的には、写真よりも動画のほうが、燃料としてのコスパが高いと思う)。

また、ただでさえ会う機会が少ないのに、会ったときにケンカでもしようものなら、ただただ後悔ばかりが募るので、互いに鬱憤を溜めないよう、都度話し合い、どうにか回避しよう。

そして、近い将来の実現可能な約束が未来の燃料だ。予定もわからないのに適当な約束して、しばらくして「ごめん、やっぱり無理」では、約束などないも同然、いや、相手にそれ以上のダメージを与えるので、絶対に避けるべきだ。信頼も失う。もし、約束を破らざるを得なかったら、相手に与えるダメージの大きさを認識したうえで謝罪し、すぐに代替案を示そう。ぐずる相手に「だってしょうがないじゃん仕事なんだから」なんて追い打ちをかけようものなら最悪だ。

遠距離恋愛はファックだ。「今はLINEとかスカイプとかがあるから、ずいぶん楽だよね」なんていうのも、当事者からすれば無責任な戯言でしかない。パートナーは、近くにいるほうがいい。テクノロジーが発達しても、結局、距離が遠ければ何も変わらない。何度もいうが、遠距離恋愛が平気な人、したくてしている人などいない。いるとしたら、ゴッコだ。3度も遠距離恋愛をしている私がいうのだから信じてほしい。それでも遠距離恋愛にもメリットが(一応)ある、と科学的にも説明されているし、遠距離恋愛によって自分の時間が増え、内省が深まるのも確かだ。奇しくも12月21日は〈遠距離恋愛の日〉らしい。いったい何をするための日なのかはわからないが、遠く離れたパートナーに連絡をするきっかけにはなるかもしれない。そうやって連絡をしたりしなかったり、会いたくなったり別にどうでもよくなったりしながら、私たちは日々を過ごす。もしかしたら相手との関係は終わるかもしれないし、あるいは終わらないかもしれない。しかしいずれにせよ、この関係を続けているのは、つらさを耐え忍ぶためではなく、日々を幸せに生きるためだということを忘れないようにしたい。