MENSA IQ 馬鹿 頭悪い 友達

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IQが低い=友達が多い

多くの人々の幸福は、人口密度の減少と反比例して増加しており、特に〈極めて知能が高い〉人間は、友人といっしょにいないときのほうを幸福に感じているという。

友だちから、「元気? 全然会ってないし、あれやこれやだし、そろそろ会って話したい!」という内容のメッセージが届いたとき、そもそもどうして自分には友だちがいるんだろう、と自問したことがあるだろう。むしろひとりのほうがいい、ひとりでモナリザ顔負けのセルフィーを撮ったり、人気ブログを書いたりしていたい。そんな〈ひとりになりたい〉欲求は、あなたがえらく賢いから生まれるのかもしれない。このような新たな研究結果を、英国の進化心理学者サトシ・カナザワ(Satoshi Kanazawa)とノーマン・リー(Norman Li)のふたりが、2016年に発表した。彼らは、孤独な人間と知能の関連を探った。研究結果によると、多くの人々の幸福は、人口密度の減少と反比例して増加し(また、愛する人との高レベルの社会的交流の多さとも相関関係がある)、〈極めて知能が高い〉人間は、友人といっしょにいないときのほうが幸福だという。

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本研究の概要によると、「より高度な知能をもつ人間は、友人との社会的交流が頻繁になるほど、生活満足度が低くなる」そうだ。ステキな結果だ。〈高度な知能をもつ人間〉といえば、〈MENSA〉だ。高い知能指数(IQ)の人たちだけが入会を許される、世界最大にして最古の高知能協会だ。英国MENSAの広報アン・クラークソン(Ann Clarkson)はこの研究について、「ある程度はパーソナリティに影響されるでしょう。IQが高い社交的な人も、IQが高い内向的な人もいますよ」という。

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しかし、この研究結果を完全に否定したわけでもなかった。「知能がきわめて高い人たちは、ときどき孤独を味わっている、と知られています。なぜなら彼らは、世界の見方が普通とは違うからです。自分と同じように情報を処理する他人を探すのは困難です。いかんせん世界で2%ですからね」。世界のIQランキングの上位2%がMENSAに入会できるのだが、クラークソンによると、心理学者が研究の裏付けにできるほどの数値ではないそうだ。

知能と人間関係を専門とし、米国コーネル大学で人間発達学を教えるロバート・スターンバーグ博士(Dr. Robert Sternberg)は説明する。「〈きわめて知能が高い〉という表現に、心理学的定義はありません」。博士によると、何をもって〈高い知能〉というのか、そして知能にはどれほどの〈種類〉があるのか、心理学者たちのあいだでもいろいろな意見があるという。「私個人としては、〈高い知能〉を、分析的な知能(IQ)、創造的な知能、日常における知能(常識)と分けて認識しています」と博士。「IQの高さは、その他2種の知能の高さとは相関性がありません。現在の学校教育では、高いIQをもつ子どもたちに褒賞を与える傾向にあるので、高いIQの子どもたちは、IQ以外の社会的、感情的、常識的知能を磨こう、という気が起きにくく、不幸な結果になるのでしょう」

カナザワとリーのいわゆる〈幸福のサバンナ論〉は、進化心理学の観点、つまり、現在われわれが経験している状況を、人類の祖先の経験に照らし合わせて進められた研究だ。『ワシントン・ポスト(Washington Post)』紙は、カナザワとリーの研究をこう説明している。「現代人が何を幸福とするか。その基礎には狩猟採集時代のライフスタイルがある。それを理論化したものだ」。賢い人はひとりでも苦難を乗り越えられるので、そうでない人たちのように、人間関係を重要視しない。しかし、スターンバーグ博士は指摘する。「進化心理学の課題は、先史時代の生活を想像することです。中世の生活、何なら1940年代の生活でさえも、今の私たちが理解するのは難しいのですから、それは非常に困難です」

Photo by Brian McEntire via Stocksy

きわめて知能の高い人が、深い仲の友人をそれほど求めないのは、彼らが特別なため、集団行動をすると周囲に足を引っ張られる可能性があるからだ。たとえば、〈聡明な学生は、自分より頭の良くないクラスメイトといっしょに作業をするよりもひとりで作業をするのを好む〉という説には議論の余地がある、と博士。しかし、「子どもでも大人でも、集団内でいちばん賢い人間が最終的な勝者となるわけではありません(※現在の米国大統領参照)。知能の高い人々が、自分よりも知能が低い人々の指示に従わざるを得ない場合もある。さらに、高知能の人々は自分の仕事で忙しく、じっくり友人と話をする時間がないだけかもしれません」

しかし、それもひとつの見解にすぎない。「知能の高い人々こそ友人が必要です、どうしてか。彼らの知能が必ずしも、社会的、感情的、常識的知能に転換されるわけではありません」という説明もできる、とスターンバーグ博士は語る。まさに〈三人寄れば文殊の知恵〉。いろんな知能レヴェルのキャラクターが集まるべきなのだ。たとえば、テストは散々な結果だったけど、先生に取り入って良い成績をもらうのが得意だとしたら、その人は、創造的知能が高いことになる。数字には強くないけど、何か別の、創造的なところで秀でている。逆に、成績は良いけれど、対人関係の構築能力が不十分で、人との社会的つながりがうまくもてず、結果、目標を達成できない人もいる。「知能の高い人は、集団内での交流、説得が下手で、思いどおりに事を進められない場合もあります」と博士は指摘する。

「アカデミックな知能は、社会的、感情的、常識的知能とほぼ関連性がありません」と博士。「皮肉にも、他人とのかかわりを極力避けたい賢い人こそ、成功するためには他人との交流が必要なのかもしれません。IQが高いのに、そのIQを世界的成功として結実できない、結実できていたとしても、効率よくIQを利用できていません」

MENSAのクラークソンのように、スターンバーグ博士も、本研究は物事を単純化しすぎた結果、不正確さが生じている、と指摘し疑問を呈す。「キャッチーな見出しだからといって、研究の影響力が大きいわけではありません」