トラウマアニメ『ポピーザぱフォーマー』の真意

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トラウマアニメ『ポピーザぱフォーマー』の真意

こども・アニメ専門チャンネル〈キッズステーション〉で、2000年に放送された短編CGアニメーション『ポピーザぱフォーマー』。ネットでは〈検索してはいけない言葉〉とされ、子ども向けアニメらしからぬ過激な描写ばかりが話題になる同作だが、監督は、『ポピーザぱフォーマー』で子どもたちに何を伝えたかったのだろうか?

こども・アニメ専門チャンネル〈キッズステーション〉で、2000年に放送された短編CGアニメーション『ポピーザぱフォーマー』は、サーカスのカラフルでPOPな世界観、陽気なテーマソング、うさぎの被り物を被った人物と、顔にお面をつけたオオカミらしき2足歩行動物が登場する、なんとも親しみやすいアニメーション作品だ。まさか、子ども向けチャンネルで放送されるアニメーションで、胴体をバラバラに切断したり、顔面にナイフを突き刺したり、縄でトラックに繋がれて引きずりまわされるストーリーが展開されるとは、誰も想定していなかっただろう。

『ポピーザぱフォーマー』では、そんな刺激的で残忍なシーンがユーモアたっぷりに描かれる。放送当時7歳だった私は、ほかの子ども向けアニメにはないシュールな魅力に取り憑かれ、テレビにかじりつき、毎回、番組の開始を楽しみに待っていた。だが、そんな私の様子を心配した親は「そんなもん観るんじゃない」と私を叱った。大人になって考えてみると、親が心配するのも無理はない。あまりに刺激が強すぎて、キッズステーションが放送を自粛した回もあるというし、放送が終了した今でも、ネットでは〈トラウマアニメ〉として〈検索してはいけない言葉〉認定までされている。子ども向けアニメらしからぬ過激さばかりが取り上げられる同作だが、制作者の増田龍治監督は、『ポピーザぱフォーマー』を通して子どもたちに何を伝えたかったのだろうか?

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『ポピーザぱフォーマー』をキッズステーションで放送することになったいきさつを教えてください。

キッズステーションで、5分の枠が空いていたんです。僕はCGのアニメーションをつくりたかったので、知り合いにキッズステーションと繋いでもらって、5分枠をいただくことになりました。でも、予算的にはかなり厳しかったです。「低予算なので月10万円しか渡せない」というところから『ポピーザぱフォーマー』は始まったんです。

月10万円って、生活すら厳しい収入ですよね。

そうですね。しかも、僕は結婚していたんです(笑)。食えるかどうかとかは考えてなくて、ただCGアニメーションをやってみたかったので「やります」と返事をしました。

『ポピーザぱフォーマー』のストーリーは、昔から増田監督のなかにあったんですか?

いえ、完全に制限ありきで、ストーリーを考えました。低予算なので、まず声優は使っちゃダメといわれて。登場するキャラクターも、CGで動かす都合上、2人が限界だと。処理が重くなってしまうので、背景はあまりつくり込まなくていいように、砂漠にしました。影も、人物が立っている床に影をシールみたいにのせるだけ、とか。ポイントポイントでは逆光も使いますが、基本は照明なんて当てる時間はなかったので。

『ポピーザぱフォーマー』ポピー ©︎Ryuji Masuda

『ポピーザぱフォーマー』ケダモノ ©︎Ryuji Masuda

当時は3人で、『ポピーザぱフォーマー』を制作していたんですよね?

そうです。僕がストーリーと画コンテ担当、ゲーム業界でデザイナーをしていた僕の妻がデザイン担当、ゲーム会社から引き抜いたCGデザイナーがモデリングとアニメーション担当でした。当時のアニメは、手描きがほとんどだったんです。たった3人で、本当にCGでアニメーションなんてつくれるのか、とキッズステーションも不安を抱いていたみたいだし、日本ではまだCGアニメーションはあまり制作されていなかったので、世間的には「そもそも、CGアニメーションってアニメーションじゃないんじゃないの?」という風潮でした。

2000年に放送が始まってから、どのようなスケジュールで制作をしていたんですか?

制作は、放送の3ヶ月くらい前から始まりました。放送が始まってからは、実際に放送している回の2、3話先のアニメーションをつくって納品していました。

結構ギリギリですね。

そうですね。とにかく、ストーリーのアイデアを出すのが大変でした。何が大変かって、徐々にCGデザイナーが疲弊してくるんです。ストーリーで、CGデザイナーの負担を軽くしなきゃならない状況になりました。

そのピンチをどのように切り抜けたんですか?

例えば『STOP THE GUN』では、タイムスリップをすることで、同じシーンを使いまわしました。銃で撃たれて誰かが死ぬ状況を止めるために、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(BACK TO THE FUTURE, 1985)みたいに、過去に戻るんです。

『DARK SIDE』では、レンダリングを軽くするために、太陽を半分に割って、画面も半分暗くしました(笑)。その暗闇のなかで、何が起きているのか、イマジネーションを刺激するようなストーリーを考えましたね。

すごいアイデアですね。

ストーリーで工夫するしかなかったんです。いかにCGのボリュームを軽くするか。ダメだ、次回また同じボリュームのストーリーにしてしまったら、CGデザイナーが倒れる! って。実際、いちどあったんですよ。CGデザイナーが家から出てこなくなっちゃって。そのときは、「ごめんごめん、次のストーリーはすっごい軽いから」って、なんとか引きずり出しました。

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では、1話から続けて観てみると、CGモーションの重いストーリーのあいだに、軽いストーリーが挟まってるんですね。

そうそう。CGデザイナーを休ませるためのストーリーが入ります。そうやって、なんとか1クール目を終えて、2クール目からは助手をつけました。

『ポピーザぱフォーマー』パピー ©︎Ryuji Masuda

パピーが登場しはじめたのは、2クール目ですよね。助手が増えたから、登場人物も増えたんですね。

そうなんですよ。1クール目のときは、設定上パピーは存在してませんでした。『DARK SIDE』は2か3クール目なんですけど、そのときは助手もみんな疲弊してしまったので、太陽を半分にするしかありませんでした(笑)

宇宙人は、2クール目以降に登場したんでしたっけ?

いや、あいつは確か1クール目からいましたね。その場合は、なるべく1カットのなかに3人を登場させないようにしました。

1カットのなかで3人が動くシーンは貴重なんですね。あのカエルはどうしたんですか?

カエルは、本当に間に合わなかったので、ゲーム会社の友達に、僕が自腹で1万円を渡して、カエルだけつくってもらうようにこっそりお願いしました。

『ポピーザぱフォーマー』カエル ©︎Ryuji Masuda

増田監督の1万円がなかったら、あのカエルはいなかったんですね。『ポピーザぱフォーマー』のあのシュールさは、どのように生まれたんですか?

たぶん、そのときのノリっていうか。当時〈死〉がシュールだったんですよね。「死んだ」ってきいて、「プッ」って吹き出すみたいな。子どものような、無邪気なテンションだったんです。

〈死〉がシュールだと気づいたのはいつですか?

いつだろう? 覚えているのは、中1のとき、帰り道を友達と歩いていたら、お葬式に使う白黒の幕が道の壁に続いていたんです。誰かが死んだんだ、と幕の先を目で追ったら、自分の家に続いてたんですよ。死んだのは、自分のおじいちゃんだったんです。あまりにも想定外な出来事にビックリして、友達が笑いだしました。そして僕もつられて「俺んちに続いてるよ~」と笑ったんです。命の儚さが、とてもシュールでした。そこには良識や倫理などなくて、生きることが不思議なら死ぬことも不思議、そんな無邪気な感覚でしたね。死を不幸なことだと感じるのは、残された者の悲しみがあるからだと思いますし、当人のおじいちゃんは、大酒飲んで元気に逝ったんです。

確かに、『ポピーザぱフォーマー』に通じるノリがありますね。

なんであんなに笑っちゃったんだろう。不謹慎っていえば不謹慎なんだけど、子どもにとって〈死〉ってシュールなんですよね。ミミズとかも、引きちぎってもまだ動いてたりするのが面白いじゃないですか。

そういった、無邪気ゆえの残虐さをテーマにしようと考えたんですか?

テーマというか、センスですね。そういうセンスでキャラクターを動かしていったら、こうなってしまった。自分でつくりながら「プププッ」と笑ってました。

キッズステーションのターゲット層を意識したことはありますか? 『ポピーザぱフォーマー』は、子ども向け作品なのでしょうか?

僕、実はキッズステーション観れなかったんです。月10万しか収入がないのに、CS放送のキッズステーションなんて観れるわけがなかった。だから、キッズステーションがどんなチャンネルだとか、ターゲット層とか、わからなかったんですよ。

その状態で、よくキッズステーションはOKを出しましたね。

キッズステーションの担当者が、どこからか出向してきた、ある意味素人だったんです。なので、これは放送して良いのかとか、残酷なのかとか解らないまま、とりあえず放送してみることができました。子どもに悪影響だと担当者が判断していたら、放送されていなかったかもしれません。

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キッズステーションで『ポピーザぱフォーマー』が観れたのは奇跡ですね。放送後の視聴者の反応はどうでしたか? クレームの電話などはありませんでした?

第1話の放送終了後、電話がありました。担当者曰く、「最高です!」といわれたらしいです。クレームの電話はずっとありませんでしたし、子どもたちのお母さんなど、女性からのウケが良いのがアンケート調査でわかりました。でも、それもちょっと嫌でした。

何が嫌だったんですか?

僕はひねくれ者だったので、なんとなく気にくわなくて。なので、ポピーにゴキブリを食わせてみたりもしました。お母さんたちの反応を期待して、イタズラ心で。『ポピーザぱフォーマー』は、すべてがイタズラ心でしたね。

ノークレームだった『ポピーザぱフォーマー』には、放送禁止の回がありますよね。なぜ放送禁止になってしまったんですか?

キッズステーションが、ポピーの3本指は、障がいをもつかたからクレームがくるんじゃないか、ポピーを5本指に変えてくれといいだしたんです。これまで放送してきたのに、今更何をいってんだ、3本指を5本指に突然変えるなんて、余計に刺激してないかと。もし5本指に変えてしまったら、今後3本指の表現ができなくなってしまうので、途中で変えるのはやめました。その代わり、ポピーの3本指は、実は5本指だと解らせるために『KNIFE GAME』を考えたんです。

これでキッズステーションの心配も消えるだろうと思いきや、ナイフの使いかたを子どもが真似してしまうんじゃないかと、結局放送禁止になりました。面白いんですけどね、この回。カエルの皮膚がいっぱい顔に付いて。

実際のところ、初期設定でポピーを3本指にしたのは…

複雑な動きを減らして、CGを軽くするためでした(笑)

ポピーがトラックに引きずられる『SWALLOWER』も放送禁止ですよね。あれは何故、放送禁止になったんですか?

いや、あれは1回放送しました。BGMがずっと寂しい音楽だったので、ネットの掲示板で「いつもより暗い」という感想をいただいたんです。そうしたら、いつのまにか放送されなくなりました。

ネットの反応は常にチェックしていたんですか? ネットの反応をストーリーに反映させることはありましたか?

いくつかあったかなぁ。あんまり覚えてないですけど、この視聴者はよく解ってるなとか、この視聴者は残酷なところだけが好きなんだとか、反応はチェックしてました。放送当時は、ケダモノがすごく人気だったんです。ケダモノは、食べ物とポピーだったら食べ物を選択してしまうみたいな、まさにケダモノのようなところがあるじゃないですか。ポピーとケダモノのあいだには、愛情があるようだけど実はそうでもない、と主張するファンもいたりして、よくみてるなと。

『ポピーザぱフォーマー』は〈検索してはいけない言葉〉とネットで称されていますが、どう感じますか?

妻から教えてもらって、なんでだろうという疑問もありましたし、「トラウマになった」という意見もあって、納得するような気持ちもありました。尺が4分しかないので、あえて印象付けられるようなストーリーを考えていましたから。薄味のストーリーだと全く印象に残らないので、4分でどれだけ印象付けられるかが、自分のなかで勝負でした。

今後、『ポピーザぱフォーマー』の続編を制作する可能性はありますか?

去年、キッズステーションが続編の話をもってきました。でも僕は、つくらないほうがいいんじゃないかと。アニメーションが世の中にいっぱいありすぎて、僕がお腹いっぱいだもん。アニメーションが溢れているがゆえに、今のアニメーションは非常に安っぽく感じるし、安っぽく扱われてる。そんななかで、『ポピーザぱフォーマー』の続編をつくったとしても、食い散らかすだけじゃないのって。人間と同じで「このひとと会えるのはこれで終わり」と思ったら、価値が生まれるじゃないですか。それにちょっと似てますね。

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放送を終了した今でも、ファンのかたが『ポピーザぱフォーマー』のイラストを描いたり、コスプレをしたりしていますよね。増田監督の眼にはどのように映りますか?

嬉しいです。『ポピーザぱフォーマー』が今はもう無いから、自分たちで自由につくって遊んでくれてるのかなって。映画もアニメーションも、今はなんでも、ちょっと検索すればいつでも出てきます。でも昔、たった1回だけ映画館で観た作品のほうが、内容をすごく覚えていて、その記憶を基に、自分のなかで創作が膨らむんですよね。もう観れないっていう〈飢え〉があるからこそ、新しいモノが生まれるはずです。だから『ポピーザぱフォーマー』も、続編をつくらずに、みなさんのトラウマのような記憶のなかで、みなさんが続きを考えてくれたほうが、作家としては嬉しい。その人の心のなかで、ずっと生きてるでしょ。本当の意味で、作品が愛されているってことなんじゃないかなと。

監督として、『ポピーザぱフォーマー』に託した思いを言葉にするなら、それはどういうものですか?

『ポピーザぱフォーマー』の話自体は、〈皮肉〉なんです。ひとことでいうと、〈因果応報〉。ポピーには、芸が上手くなりたいとか、こういうピエロになりたいといった理想があって、自分だけがいちばんになろうとする。そのなかで、失望して気が狂ったり、いちばんになれない現実を知っておかしくなったり、父親に認められずに寂しくて狂ったり。それが結果的には、自分の身の破滅に繋がっていく。みんなそうじゃないかな。理想や失望、競争心からおかしくなって、身を破滅させる。それを笑っているような作品です。改めて『ポピーザぱフォーマー』を振り返ると、そこは共通しているなと。

当時、私も親に怒られながら『ポピーザぱフォーマー』を観ていました。子どもの教育上、悪影響だとして排除されるモノは世の中にたくさんありますが、増田監督はどう考えていますか?

まぁ、『ポピーザぱフォーマー』を素直に真似すると悪影響ですわ(笑)。ただ、子どもたちって心が抑圧されているんですよね。「落っこっちゃダメ」とか、「男の子なんだから泣くな」とかね。感情が自由じゃないんです。子どもたちが狂ったような絵を描いていると、親はそれを止めて、明るい絵を描きなさい、と教育しますよね。でも人には、怒りや憎しみのような気持ちは必ずあります。その感情をどう表現するかを考えるのが大人なんですよ。人を殴ったり、ナイフで刺したりするのは、確かに1つの表現かもしれないけど、でもそれよりは、絵に描いているほうが安全な表現。大人たちは、子どもたちの感情を抑圧するんじゃなくて、安全な表現方法を教えていけばいいんです。

ポピーザぱフォーマーには、感情の抑圧はありませんね。

ポピーは素直なんです。寂しいときには構ってくれって主張するし、みんな俺をみてくれ、愛してくれって怒ったりするし。おそらく子どもたちは、抑圧されていればいるほど、爆発しているポピーの感情が、自分の気持ちを代弁してくれているような、解放感を得るのでしょう。どれだけ抑圧したって、人には必ず感情があるから。

アニメーション監督としての、今後の展望を教えてください。

いま、アニメーション業界に限らず、創作者への敬意がどんどん失われている気がします。命をかけてつくりだしたモノへの尊敬が、社会全体として薄くなっている。そういうなかで、アニメーションの権利やお金の分配など、クリエイターにきちんと分配されるような仕組みをつくりたいと、いま作戦を練っているところです。アニメーションの制作意欲もありますが、仕組み自体を変えるのが新しい興味の対象だし、実験なんですよね。これもまぁ、ひとつの〈イタズラ心〉なのかもしれません。