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障碍者限定イベントの是非を問う

2018年2月9日、世界各地の教会で開催された〈ナイト・トゥ・シャイン〉は、〈ティム・ティーボウ財団〉が主催する、精神障碍者、身体障碍者を対象としたイベントだ。公式ウェブサイトによると、9万人以上のティーンエイジャーのための「神の愛に導かれた」忘れようのないプロム・ナイトという。
Portland Press Herald / Getty Images

2018年2月9日、世界各地の教会で開催された〈ナイト・トゥ・シャイン(Night to Shine)〉は、〈ティム・ティーボウ財団(Tim Tebow Foundation)〉が主催する、精神障碍者、身体障碍者を対象としたイベントだ。公式ウェブサイトによると、9万人以上のティーンエイジャーのための「神の愛に導かれた」忘れようのないプロム・ナイトという。財団の設立者で、元NFLスター選手のティム・ティーボウは、『People』の取材で、このイベントを「1年で最高の夜」と称え、見落とされがちな障碍者を祝福するイベントにかける情熱を表現した。

「参加者には、プロムキング、プロムクイーンとして、王冠が進呈されます。なんて素晴らしいんでしょう。イベント後、地域住民の、障碍者たちを見る目が変わるんですよ。文化を変革すること、障碍者ひとりひとりのかけがえのなさを示すことがイベントの目的です。彼らは大切な人間です。神にとっても、そして私にとっても」とティーボウは『People』に語る。

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彼の熱意は尊敬に値する。しかし、〈ナイト・トゥ・シャイン〉のような障碍者限定イベントは、障害者をとりまく文化の変革にはつながらない。むしろ、障碍者と健常者の分離を進めてしまう、という主張も障碍者コミュニティでは少なくない。

〈ルーダーマン・ファミリー協会(Ruderman Family Foundation)〉が主催する、健常者、障碍者それぞれの活動家をつなぐネットワーク〈Link20〉は、〈ナイト・トゥ・シャイン〉の根底にある潜在的分離主義に異議を唱えた。「ティーンエイジャーたちが、健常者、障碍者関係なく、祝福され、愛されるようなイベントの開催を奨励します。障碍をもつティーンエイジャーと、障碍をもたないティーンエイジャーがいっしょに踊れるような、制限のないプロムこそが、個人の生き方を変え、ひいては社会全体へ影響を及ぼすのです」

〈ナイト・トゥ・シャイン〉への反応は、このように二極化している。540もの教会が参加し、17万5000人のボランティアが動員され、さらに、ティーボウ本人も走り回って、みんなでイベントをポジティブな祝祭にしようと努力しているが、結局のところ、彼らの活動は、〈障碍〉をとりまく数多の異質な概念を浮き彫りにするだけだ。

障碍者関連のトピックに詳しいサンフランシスコの心理学者、エリック・サミュエルス(Eric Samuels)博士は、障碍の定義そのものが、障碍者の扱いに影響している、と言明する。自身もトゥレット症候群を患うサミュエルス博士によると、社会的見地からも、心理学的見地からも、そして個人の経験に照らし合わせても、障碍という概念の把握は、一筋縄ではいかないという。この社会で、健常者が障碍をどう捉えるかは様々だ。しかし、いざ、障碍の排斥や差別に対処しようとすると、〈医学モデル〉という、障碍研究におけるひとつの理論をもとにした理解に集約されてしまう。

「医学モデルは、社会的に広く受け入れられていますが、障碍への適応、もしくは手術やリハビリによる治癒を促す考え方です。つまり、障碍者は何らかの異常を抱えており、彼らの疾患を治療すべきだ、というメッセージを社会へ送っているんです」と博士は指摘する。この医学モデルが、障碍とチャリティを結びつける傾向につながる。なぜなら、もし障碍が解決すべき問題であるのなら、憐みを向けてしかるべきだからだ。

「障碍をもたない人びとは、障碍者を、劣っており、支援に頼らざるをえず、完全な人間ではない、と勘違いしています」とサミュエルス博士は指摘した。それこそまさに、〈ナイト・トゥ・シャイン〉が維持してしまっている〈異質性〉という概念だ。障碍者限定の社会的イベントの重要性を、健常者が主張すること自体が事実上、障碍者を周縁へ追いやっている。

〈Rooted in Rights〉の編集主幹で、ニューヨーク生まれのエミリー・ラドー(Emily Ladau)は、ラーセン症候群(多発性先天性脱臼を有する疾患)を患っている。彼女は、その〈異質性〉をよく自認する、と証言する。「〈異なる者〉として扱われる、つまり、あなたは普通ではない、と言葉や行動でほのめかされるのです」とラドー。

「私は〈異なる者〉として扱われてきました。車いすが通れないから、映画館の席も、入口も、何をするときも別のルートを通らなければいけない。作為的、無作為的にかかわらず、障碍者と健常者は分離されます。物理的障壁をとおして差別されているんです」

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彼女によると、〈ナイト・トゥ・シャイン〉などの限定イベントが強調する〈異質性〉は、普段見過ごされている障碍者差別が日常的にまかり通る社会の姿を浮き彫りにしているそうだ。〈分離平等〉の原則にのっとった〈ナイト・トゥ・シャイン〉は、祝祭と銘打たれた〈排斥活動〉なのだ。障碍者限定イベントは、障碍者が通常の学校に通い、みんなと同じプロムに出席して楽しめる社会の実現を目指す活動ではなく、障碍者は然るべきコミュニティで生活しろ、というメッセージを送っているのと変わりない。

しかも、単なる排斥ではない。ボストンで編集者/ライターとして活動しているアレイナ・レアリー(Alaina Leary)は、自閉症に加え難病のエーラス・ダンロス症候群を患っている。彼女によると、障害者限定イベントは、社会に向けて、障碍者に同情の眼を向けよう、というメッセージも発しているという。「障碍者コミュニティは、健常者社会のいち部。〈インクルージョン(inclusion;社会のなかで多様性を実現すること)〉や〈障碍の受容(acceptance)〉という概念が意味するのは、そういうことです。どんな人でも参加できるように計画されたイベントがあれば、障碍者限定のイベントなど企画する必要はありません」とレアリー。

さらに彼女は、障碍者がヒーローとして描写される傾向にも懸念を示す。「私は、メディアにおける〈ナイト・トゥ・シャイン〉のようなイベントの描かれ方にも警戒しています。メディアは、健常者にとっては何でもない、プロムのようなイベントに障碍者が参加する姿を取り上げて、読者や視聴者に感動と憐憫を強要しています」

「障碍のある身体は、生き方の模範として、そして感動すべき対象として、一目置かれていますが、注目されるのは障碍そのものです。障碍がきっかけで形成されたアイデンティティには、注目してもらえません」と指摘するのは、ニューハンプシャーに住む障碍者研究の専門家、ジョン・アルトマン(John Altmann)博士だ。彼は、脳性まひを抱えながら生きている。「健常者がよろこぶ、スケールの大きい〈感動ポルノ〉です。皮肉にも、観た本人の道徳心が満たされてしまうんです」

〈ナイト・トゥ・シャイン〉など、健常者の自己満足イベントは、社会問題への意識の高さをアピールしようとする企業が偽善的マーケティング戦略として、被差別者のアイデンティティという〈異質性〉を利用する戦略に近しい。今年の2月初旬に、ガーバー(Gerber)社は、新しい広告塔として、ダウン症を患う1歳半の男の子、ルーカス・ウォーレン(Lucas Warren)くんを抜擢した。それに際し、『Pacific Standard』のコラムニスト、デヴィッド・ペリー(David Perry)は、こう意見した。「かわいいダウン症の子どもの写真をパッケージに使用する企業は、広告の用途と、商品の売上げから得た利益の用途を明らかにし、企業としてインクルージョンを実現するべきでしょう。そして、その広告を、障碍の受容に向けた大きな1歩だ、と歓迎するダウン症支援団体やセレブは、次の1歩を考えるべきです」

障碍者は、周囲から、しばしば〈異なる者〉や〈~より劣った者〉とみなされ、それなりに手厚くケアされている。その結果、トランプ大統領は、メディケイド(低所得者向け医療保険)、メディケア(高齢者と障碍者向け医療保険)、社会保障の、数千億円規模の予算削減を目指している。多くの障碍者が、ヘルスケアや、生活に不可決な制度が利用できなくなることを怖れながら暮らしている。

〈障碍のある米国人法(Americans with Disabilities Act;ADA)〉で保障されている基本的人権も、すべて再検討の対象となっている。今年の2月15日には、〈教育と改革法案(Education and Reform Act (H.R. 620))が、米国下院を通過した。これはADAの修正案で、もし法案が成立すれば、障碍者は、就労機会と配慮を定める法律に違反した企業に対し、法的手段を講じるのが困難となる。

このように、障碍者の〈異質化〉は社会的な話に限らず、政治的文脈においても指摘できるのだ。障碍者差別がはびこる社会では、日々、障碍者の生活が脅かされている。祝祭だけでは充分ではない。ペリーが問うた〈次の1歩〉が求められる。

「障碍者限定イベントは、失業率の高さ、圧倒的な貧困、限られた就労機会という、障碍者が抱く深刻な悩みへの応急処置にすぎません。しかも、もし法案〈H.R. 620〉が成立すれば、就労機会の門戸はさらに狭まるでしょう」とアルトマン博士は警告する。「そういうイベントは、社会にはびこる障碍者差別を助長するだけで、〈障碍者〉とレッテルが貼られたみんなが求める政治的、社会的変革につながらないでしょう」