定着しつつある お葬式のライブ配信
(Photo: Arpingstone via Wiki)

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定着しつつある お葬式のライブ配信

例えば海外にいるとき、遠方に転勤したとき、入院しているとき。そんな状況のなかで大事な人が亡くなってしまったら、そう簡単に〈お葬式〉に参列できない人もいるだろう。しかし今やインターネット社会。参列できない人々のために、〈お葬式〉のライブ配信サービスに注目が集まっているという。もっとも厳粛な儀式は、今後どのようになっていくのだろう。
Hannah Ewens
London, GB

〈葬式セルフィー〉は葬儀屋にとって悩みの種だ。インスタグラムで〈#葬式セルフィー〉と検索してみればわかるだろう。いかにも〈いいね!〉目当てのヒップな画像から、棺のなかの死者とアプリで顔交換したティーンズの写真まで、さまざまな投稿がある。

これらの投稿に疑問を抱くのは、本質的に葬式はプライベートな空間であるからだ。他人が〈#葬式〉〈#悲しい〉〈#今日のコーデ〉あたりのタグをつけて、斎場で口をとがらせた表情の写真をアップする行為は、実に不愉快である。しかしそれよりも、さらに嫌な気持ちになるものがある。自分の死後、地上での最後の数分がライブ配信されてしまうことだ。友人たちがクソ遅い3G回線を使って、火葬炉に入っていく私を低画質で配信するなんて考えると本当に反吐が出る。

しかし、葬儀のライブ配信は、未来に起こりうる空想の産物などではなく、既にトレンドとなっている。しかもそれは、賛否両論あるが、霊柩車の隣でヤンキー座りをして自撮りするだけのはなしではない。

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「参列者は葬儀のはじめに自己紹介します。もちろん式内には緊張感が漂っています。壁の上のほうにはカメラが設置してあり、式の様子を最初から最後まで撮影していました。しかし参列者のみなさんは、その撮影に意識を払いつつも、それほど気にはしていないようでした」と述べるのは英国ポーツマス在住、33歳のジョン・エヴリン(John Evelyn)だ。彼は義兄弟を亡くしたのだが、故人の親族は米国に住んでいるため、英国での葬儀に参列できなかった。そのため、ジョンは葬式のライブ配信を決意したのだ。「ライブ配信について、皆がそこまで意識していなかったのは興味深かい事実でした。つまり、皆んなかなり自然に受け入れていたんです。葬儀後は、『向こうの家族も参加できてよかったよね』といった雰囲気でした」

最近の調査で保険会社のロイヤル・ロンドン(Royal London)社の発表によると、葬儀のライブ配信サービスを提供している葬儀屋、火葬場の数は増加しており、英国内でも既に約30もの葬儀場、火葬場が、顧客の要望に応えるサービスを提供しているという。CJライリー葬儀サービス(CJ Reilly Funeral Services)社の広報は、新しい火葬場はライブ配信を念頭に置いてデザインされているし、古いところでもライブ配信システムの導入が検討されている、と話してくれた。

55歳以上で、愛する誰かの葬式に出席できない際にはライブ配信を利用したい、と答えた人はわずか26%にとどまっており、さらに35~54歳になるとその割合は23%にまで落ち込む。しかし若い人たちは前向きだ。ミレニアル世代の3分の1が葬式のライブ配信を利用したい、と答えている。

オーストラリア出身でロンドン在住の27歳、エイミー(Amy)は、母国で催された祖父の葬式の模様をライブ配信で見た。そのときは少し二日酔いだったが、葬儀が始まる前にベッドルームを片付け、きちんときれいにした(彼女によると、「ちゃんとしてる感じ」)。さらにルームメイトには、葬儀中は静かにしているよう頼んだという。

「葬儀のライブ配信について、正直私は何も問題を感じていませんでした。参列できないのが悲しいくらいだ、と考えていたんです」と彼女は語る。「だけど実際に体験してみると、そこには、乗り越え難い断絶のようなものがありました。私は葬儀には参列していないような気持ちになったし(実際参列していないんですが)、そう感じてさらに悲しくなりました。ライブ配信のあと、そういえば昨晩、今と同じ場所で、iPadでNetflixを観てたな、と考えずにはいられませんでした」

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(Photo: MOs810 via Wiki)

葬儀のライブ配信は比較的新しい試みだが、葬儀屋はここ10年以上ものあいだ、テクノロジーの発展に合わせて高まる要求に対応してきた。

「葬儀中にこっそりと写真を撮る人は、これまでも常にいました」。レヴァートン・アンド・サンズ(Leverton and Sons)葬儀社のアンドリュー・レヴァートン(Andrew Leverton)は、そう証言する。彼の会社では葬儀のDVD作成サービスを請け負っている。「ビデオは、葬儀の雰囲気や発言された言葉、参列者の動きなど、会場の全ての様子をとらえます。後世の人々に残すため、そして、時折見返すために何かを残したがるのは人間の性です。弔辞やサービスシート* は手元に残しておきますが、それらと何ら変わりありません。つまり、葬儀がどのような流れで進んだのか、どんな音楽が流れていたのかなど、当日の状況を思い出すためのアイテムのひとつなのです」

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* 故人の思い出などをまとめた冊子。

私個人としては、仕事後にビールを飲みながら、祖父の葬儀の様子を見返すなんていうシチュエーションは想像できないが、レヴァートンによると多くの人々がそうしているのだそうだ。

ライブストリーミングは、葬儀を振り返るための行為の延長だ、とジョン・エヴェリンは語る。「高齢者も含め、誰もが受け入れていました。そもそも葬儀は不気味なものだし、気持ちのいいモノではありません。誰も好き好んで参列者が気まずい思いをするような発言はしないでしょう。私にとって義兄弟はヒーローで、親友でした。だからとにかく、彼に対して敬意を表してくれる参列者が多ければ多いほどいい、と私は考えました」

しかし、ビデオ撮影が参列者の哀悼心に水を差してしまうのではないか、という懸念もある。インサイト・ロンドン(Insight London)の心理カウンセラー、マーク・ヘクスター(Marc Hekster)はその問題を認めつつも、誰がライブ配信の実行を決めるか、という部分がポイントだと指摘した。もし故人の近親者が葬儀に参加できない人たちとその瞬間を共有したいと望むなら、私たちに批判する権利はあるのだろうか、という意味だ。

「誰よりも精神的に辛い人たちが、ライブ配信によってたくさんの人たちがそばにいてくれている、という感覚を得られるのであれば、ライブ配信はある意味慰めになるし、助けにもなります」

しかし、ライブ配信を観ている側にとっては、また別の話だ。

「葬送は、悲しみを乗り越え、次のステージに進むための非常に大切な儀式です」とヘクスター。「もし葬儀に直接参加できず、その場で泣いたり、泣かずとも、みんなですべき体験できないとしても、親族が埋葬されるのを文字通り〈見る〉ことで、喪失を克服する心的過程を経験できます」

しかし、ヘクスターは、「ライブ配信は、葬儀に〈参加〉できるすばらしい機会を与えてくれますが、その場で直接見て、雰囲気を体感して、悲嘆にくれる機会は与えてはくれません。ライブ配信はそこまで厳粛ではありません。静かに座らずとも、心身ともに喪に服さなくともかまいません。画面を見ながらサンドウィッチも食べられるし、タバコも吸えるし、何でもできるのです。視聴者が何をしているかなんて誰にもわかりませんから」とも語る。

ヘクスターが重視するのは五感の経験だ。それは心地よいとは限らない。隣で泣き崩れている人に触れ、土と香水が混ざり合った香りを嗅ぎ、自分と同じくらい故人を愛していた人たちの表情を見つめる、そういった体験だ。

しかし現実には、故郷を遠く離れて暮らし、葬儀のために戻れない人が多数いるのも事実だ。エイミーも金銭的にオーストラリアに戻る余裕がなく、また仕事の休暇もとれなかった。米国にいるジョンの義兄弟の親族も、日程が合わずに参列できなかった。

そう考えると、移民の割合が高いアイルランドにおいて、このサービスが定着しつつある現状も理解できる。アイルランドにあるエーカーズ・チャーチ(Acres Church)という小さな教会でも、ウェブカメラを取り付け、全世界に葬儀の様子を配信できるようにしている。

「この国は移民の国ですからね」と電話インタビューでパット・ウォード神父(Father Pat Ward)は話す。「その土地で生まれ育った人でも、学びにきている人でも、最終的にその国を離れる可能性があります。よりよい職に就くために、国を去らねばならない場合もあります。しかし、国を離れても故郷とは強い繋がりがあります。もし誰かが亡くなっても、毎回故郷に戻るわけにはいきません。どうしようもないときには、カメラを通して連絡を取り合っている様子を私たちは見てきました」

10年くらい経てば、世界の全ての葬儀屋、火葬場でオプトアウトのオプションとしてライブ配信用カメラが設置されているかもしれない。「このトレンドは続くでしょう」とレヴァートンは予測する。「きっといつか誰も疑問を持たなくなるほどに普及するはずです」