中国少数民族〈ミャオ族〉からみる伝統継承と経済発展と民族問題

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中国少数民族〈ミャオ族〉からみる伝統継承と経済発展と民族問題

中国少数民族〈ミャオ族〉は、美しい銀細工や緻密な刺繍を施した民族衣装に代表される独自の文化を形成してきた。しかし、IT化の波に代表される、急激な経済成長を遂げたことで、伝統文化が失われつつある。漢民族との民族問題も絡み、今後、ミャオ族はどのような道を歩むのだろうか?

牛の角を模した冠と蝶の文様が入った首飾りは純銀製。揺れるたびに、「シャンシャンシャン」と心地いい音が鳴り響く。衣装の総重量は15キログラム。ミャオ族は、中国西南部貴州省の山岳地帯に全900万人のうちの約半数が暮らす。〈精霊信仰〉〈独特な装飾技術〉〈古代中国の悪神の末裔〉など、歴史家や民俗学者などから語られる彼らのさまざまなルーツは、2010年代になっても解明されていない。

彼らは現在、民族的アイデンティティの岐路に直面している。

「ミャオ族の伝統の担い手は、かなり減りました。ですが、彼らは優遇されています」

そう語るのは、貴州省で少数民族のガイドや通訳を務める漢民族女性。中国は、総人口14億人の90%以上を占める圧倒的なマジョリティの漢民族と、その他、55の少数民族で構成される多民族国家だ。最西端の新疆ウイグル自治区には、イスラム教系のウイグル族や回族、ロシア系のタタール族などが分布している。朝鮮半島や極東ロシアと接する東北地方には満族や朝鮮族が、東南アジアと関係の深い西南部にはベトナムやタイなどと共通する民族が生活圏を築いている。 〈中国最後の秘境〉といわれる貴州省は、バックパッカーの聖地雲南省などと接する。17の少数民族が暮らす、面積の80%以上が山と丘陵地帯だ。長らく中国最貧地域だったが、現在、開発やIT化の波が押し寄せ、2017年は中国で最も高い10.2%のGDP成長率を記録している。それにともない同地では、少数民族のマイノリティとしてのアイデンティティや独自性が揺らいでいるという。

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ミャオ族は漢字で〈苗族〉、ベトナムやラオス、タイでは〈モン族〉と呼ばれる。映画『グラン・トリノ』(Gran Torino、 2008)で、ミャオ族は、クリント・イーストウッド演じる孤独な老人と触れ合うアジア系移民として描かれている。

口承の記録しかない太古の時代から、ミャオ族の歴史は、流浪と苦難の連続だった。一説では、紀元前2500年頃、神話上の〈涿鹿(たくろく)の戦い〉で黄帝に敗れた悪神〈蚩尤(しゆう)〉の子孫だといわれる。戦ののち、漢民族から追われるように中国の北方から南下し、その後もたびたび敗走。6~7世紀に現在の貴州省あたりに至り、山岳地帯に逃げ込んだ。さらには清代の18~19世紀頃、清朝による同化政策に抵抗して、しばしば反乱を起こした。その頃に山を越えてベトナムやタイ、ラオスなどに分布したという。

ミャオ・モン族史のなかでも、最も悲惨な出来事は、ベトナム戦争だ。ホー・チ・ミンが北ベトナムに建国した社会主義国家、ベトナム民主共和国が、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)に武器を供給するための兵站〈ホー・チ・ミン・ルート〉を絶つため、米CIAによりモン族は武装化された。さらに、ラオスの共産主義革命勢力〈ラオス愛国戦線(パテート・ラーオ)〉との戦いにも駆り出される。北ベトナム軍やパテート・ラーオ側についたモン族もいたため、同一民族同士での殺し合いも余儀なくされ、ベトナム戦争でのモン族の戦死者は数十万にのぼったという。そして、米軍の撤退後、モン族はラオスやベトナムの共産主義勢力に虐殺された。多数のモン族が難民化し、そのうち数十万人がタイや米国に逃げたのだ。

そのように悲劇の歴史を経験してきたミャオ族が、数百年に渡る山岳地帯での潜伏期間につくりだしたモノには、山を開墾した棚田、保存に優れた発酵食品、竹管楽器の蘆笙(ろしょう)、銀細工や緻密な刺繍を施した独特の民族衣装などがある。とくに女性用の衣装は、世界各地の民族衣装と比べても独特な存在感を放つ。

衣装は主に上着、エプロン、帯、スカートで構成される。それらにびっしりと施された刺繍のモチーフは、蝶、龍、虎、鳥、虫、花、ヒマワリの種、魚、太陽、渦巻きなど。ミャオ族は独自の文字を持たず、民族の歴史や魔除けを意味する文様を刺してきた、とガイドの女性が語る。

「ミャオ族は蝶を祖先だと信じています。神話では太古の時代、蝶が12個の卵を産みました。山では虎が、川では龍が生まれ、最後の2つからミャオ族の祖先の人間が生まれました。そして、彼らは龍や虎を同族だと思っています」

ミャオ族は、祖先のために、なによりも蝶を頻繁に描く。卵がかえって羽化する過程を生まれ変わりと捉え、再生のシンボルとして崇拝する。

龍は、天から豊かな水をもたらす象徴であり、幸運を意味する。皇帝の地位や権威を象徴するために龍を用いる漢民族とは異なっている。

虫や花も自然の豊かさの象徴だ。たとえばムカデは、足の多さから富を、トウガラシの花は、子だくさんを意味する。そして、渦巻きは、祖先の地である中国北方の黄河の渦を表しているという。そういったモチーフをお守りとして、悪霊から子を守るために母が縫う。

衣装は一からすべて手づくりだ。まずは生地づくりから始まる。布を藍染めし、卵白と新鮮な豚の血を塗り叩いて定着させて光沢を出す。その布で上着などをつくり、袖、襟、背中などに、ひと針ずつ刺繍を施していく。刺繍パターンは数十種類あるといわれ、1着につき少なくとも2~3パターン、10パターンほど入れる場合もあるという。

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立体的に刺す基本の〈平繍(ピンシュウ)〉、ひと針ごとに玉をつくり、点描のように模様をつくる〈打子繍(ダーズゥシュウ)〉、三角形や四角形の布を何層も重ねる〈堆繍(ドィシュウ)〉、2本の組紐で縫う〈双針繍(シュワンジェンシュウ)〉、クロスステッチと同様の〈十字繍(シーズゥシュウ)〉、金属のスズを縫い付ける〈釘錫繍(ディンシィシュウ)〉などなど。さらには、ろうけつ染めやパッチワーク、アップリケなど技法や生地の組み合わせで居住地域が区別される。

「貴州省には、100以上のミャオ族がいます。〈花苗〉〈黒苗〉〈紅苗〉〈白苗〉〈長裙(ロングスカート)苗〉〈短裙(ミニスカート)苗〉など、女性の衣装の色や特徴で区別しているのです」

山岳地帯に散り散りに籠ったミャオ族は、支系同士でもあまり交流がなかったという。しかし、龍や蝶といった民族の伝説を共有しているのが興味深い。また、衣装製作は母から娘に継承され、その習慣がミャオ族の間で共通しているのも特徴的だ。

「娘が結婚するとき、母が1年以上かけて、ひと針ずつ刺繍を入れて衣装をつくります。ミャオ族の女性は死ぬとき、母からもらった衣装とともに棺に入り、土葬されるんです。彼女たちには命と同じくらい大事なものです」

盛装時に着用する銀飾りにも意味がある。

「頭の冠は、ミャオ族の神様である牛や鳳凰をかたどっています。銀の飾りは山道で猛獣と遭っても光って襲われない、体調が悪いと変色して自分の病気がわかるといわれています。娘が産まれると銀飾りを用意するのですが、これも死ぬときには刺繍の衣装と一緒に棺に入れます」

このように、産まれてから死ぬまで、民族衣装とともに生きるミャオ族。民族のアイデンティティも、この独特な装飾技術の継承にあるという。しかし近年、その伝統に陰りがみえてきたようだ。ガイドの女性がいう。

スマホを持つ<トン族>の女の子。トン族も貴州省に多く生活している少数民族のひとつ

「刺繍の担い手が、かなり減りました。ミャオ族では、刺繍の上手な女性は良い結婚相手に恵まれたのですが、最近では都市に出稼ぎにいったり、観光地のレストランで働いたりします。現金収入を得る手段が増えたのです。また、若い人たちの半数ぐらいは、出稼ぎや進学で村を出ていき、そのまま帰ってきません」

貴州省は長らく国内ワーストクラスの貧しい地区だった。経済成長で取り残されてきたが、ここ数年でIT産業が発展。台湾フォックスコンなどのビッグデータセンターが設立されるなど、2014年以来、〈クラウド貴州〉なる戦略が進んでいる。それとともに同省は、開発のピークを迎えている。高速道路が延び、村への道が開通することで、たったの1年で村の風景がガラリと変わるという。そして、急速に観光地化が進んでいる。観光客の多くは漢民族だ。もちろん、少数民族に恩恵がある。

「ミャオ族で1番人気の村では、入村料に1人100元(約1700円)を取ります。ほかに民族衣装や工芸品の販売などで月に2000元(約34000円)くらい稼げるので、出稼ぎから人がだんだん戻ってきました。それぐらい稼げれば、この村なら生活できます」とガイドの女性が胸を張る。

中国農村部の開発は、1999年の〈西部大開発〉政策による。都市部と農村部の格差を解消するためだったが、観光開発ブームが起こり、民族文化村が次々につくられた。祭り、民族衣装、習俗、食べ物、民間信仰など、あらゆるものが、観光資源化されてきたのである。その過程で、ミャオ族の刺繍が観光客に〈ウケやすい〉ものに変わっていった、という指摘もある。文様にまつわる神話なども補強されていった可能性もあるようだ。 2017年、貴州の温泉地剣河県に、高さ66mの女神像が建造された。それに先立ち剣河県政府は、仰阿莎(ヤンアシャ)というミャオ族の女神を二次元美女キャラクター化し、グッズのライセンスビジネスに乗り出している。あの手この手で観光資源を発掘し、ビジネスチャンスを狙っているのである。また、スマホの普及が少数民族の生活に大きな変化をもたらしている。

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「ミャオ族の人たちも経済の発展で生活が変わってきました。ミャオ族は、これまで土地から自由に移動することを制限されていたので、積極的に他の民族と結婚してきませんでした。しかし、今の若い人たちは土地に縛られず、より自由な結婚をしています。異民族間で結婚すると、その子はどちらの民族なのかという問題が出てきますが、政府も少数民族を優遇して、その子供が18歳になると、自分が属す民族を選べるようになりました。これから、彼らは他の民族ともっと混ざっていくでしょう」

ガイドの女性がいうように、ミャオ族と他民族との結婚が増えてきたという。その背景には少なからずスマホの普及が影響している。〈CNNIC(China Internet Network Information Center)〉が発表した〈Statistical Report on Internet Development in China 2017〉によると、中国のモバイルインターネット利用者数は約7億人。そのうち、地方での利用者は約2億人を数えるという。開発とともにスマホが急激に村に浸透した結果だろう。 スマホを操るミャオ族や少数民族の若者と各村で出会った。彼らが夢中なのは、オンラインゲームや〈WeChat〉。WeChatはユーザー数10億人を越える中華製のSNSアプリだ。Twitter、Facebook、Instagramなど、あらゆるSNSアプリが合わさったようなものだ。特徴的なのは、電子決済や出会い機能があること。

そのような環境で若者たちは伝統的な祭りや民族衣装より、スマホがもたらす最新情報に関心があるようだ。

〈姉妹飯祭り〉という年に1度のミャオ族最大の祭りがある。若い男女が出会う機会であるこの祭りでは、盛装した女性が色とりどりの〈姉妹飯〉というもち米を用意。気に入った男性にはアメ入りを、お断りだとニンニク入りを手渡す。しかし、今やこの祭りも観光のための祭りになっているという。男性は不参加。盛装した無数のミャオ族女性が会場を練り歩き、踊るという内容に変わっている。それでは、彼らはどこで恋人をつくっているのかというと「WeChatを使って、祭り会場とは別のところで若い男女が会っているようです」とのことだ。

また、学校教育によって世代間のつながりが薄まりつつあるのも、ミャオ族のアイデンティティを揺るがす大きな要因の1つだ。

「今の子供たちは、学校で北京語をもとにした〈普通話(プゥトンホア)〉を学びます。普通話はいわゆる標準中国語。一方、老人たちの世代にはミャオ語しか喋れない人もたくさんいるので、家ではミャオ語、学校では普通話で会話をします。すでにミャオ語を理解できない世代もいます」

言語の統一化は、1949年に中華人民共和国が建国してすぐに始まった。中国の民族政策は、建前として少数民族と漢民族の間に差はなく、平等をうたっている。しかし、そのいっぽうで、数千年の歴史で各民族が一体化し〈中華民族〉が生まれた、とも定義している。そのため、中国の少数民族は、中華民族に属する各民族、という位置づけだ。現在では大学進学や就職する上で、普通話が求められるという。

ここでいう中華民族とは、漢民族を中心に想定されている。中国では、すべての地域で漢民族を中心にした政策が取られてきた。各省に漢民族を移住させ、民族を融合させようという動きが一貫している。ウイグルやチベットでは、漢民族との結婚を奨励し、医療保険の補助や住居などを優遇される政策もあるという。同地区でたびたび反発が起こるのも、こうした漢民族の介入への抵抗からだ。

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では、ミャオ族はどうか。ガイドの女性がトーンを落として話す。

「(ウイグルやチベットで)民族問題があるのは知っていますね? 彼らには宗教があるから問題が起こります。ミャオ族には宗教がありません。彼らは大人しく、漢民族と良い関係を築いています。あっち(ウイグルやチベット)は難しいです」

民族問題は中国が抱える大きな火種だが、そもそも、中国における民族の区分け自体が曖昧なものだったという。ガイドの女性が説明する。

「1950年代、政府は居住地域を元に民族を区分しました。なかには、自分が本当はどの民族なのかわからないまま、政府の民族政策を受け入れた人たちもいます」

中国は建国後、数回に渡る民族識別工作を経て、民族をつくり上げた。その時、400以上の民族が発見されたが、最終的に55の少数民族にまとめられた。なかには民族の識別から漏れたグループ、分類に反発する人々もいるという。たとえば、ミャオ族の支系とされている人口5万人ほどの〈革家(ゲージャー)〉は、自分たちをミャオ族ではなく、ひとつの民族だと認識している。しかし、民族として独立するのは難しいようだ。ガイドの女性は言い難そうに話す。

「政府は、民族の問題が起こらないよう、今の状態を維持しようと努めています。ひとつの民族の独立を許してしまうと、他の民族も認めなくてはなりません。難しいんです。ミャオ族は協力的なので、政府も優遇して開発や観光地化を進めています」

ミャオ族は、政府の政策に協力的だから開発が進んでいるという。そして、この「少数民族は優遇されている」という言葉は漢民族からも、よく聞かれた。

中国のネット上では最近、〈少数民族特権〉なる言葉があるという。漢民族の男性から興味深い話を聞いた。中国の大学を卒業後、日本にいる親を頼って1年間日本で遊学している20代前半の男性の話だ。

「マンションや不動産を持っていないと漢民族の男は結婚できません。少数民族にはそういうことがなく、一人っ子政策も適用されませんでした。大学入試でも漢民族より点数が低くても入学が許されます。少数民族は優遇されています」

彼は長男として生まれたが、一人っ子政策によって両親と別れて親戚に育てられた。両親は姉を連れて仕事の関係で日本に渡ったため、離ればなれに暮らしたという。日本に来た理由を聞くと「中国の就職活動が厳しく、就職状況が落ちついたら帰るつもり」だという。

現在、高等教育を受ける人口が増加中の中国では、大学を卒業しても就職できない若者が増えているという。急激な経済発展とともに、中国社会で新たな問題が生まれているようだ。

また、こんな動きもある。中国では今、ミャオ族の祖を殺したとされる漢民族の祖先、黄帝を讃える〈黄帝崇拝〉が顔を覗かせているという。中華民族の愛国心を鼓舞するよう、2013年から習近平国家主席が掲げているのだ。

国内で高まる民族主義と、確実に薄まっていく少数民族の血。実際、ミャオ族の村にいた少年たちは漢民族、ミャオ族、その他の少数民族と、さまざまな民族が混ざっているように見える。見た目だけでは、どの民族なのかほとんど分からない。

「少数民族と漢民族をどう見分けるか?」と聞くと、漢民族の男性は少し悩みながらこんな答えを返してきた。

「どう見分けるか? そうですね。1番確実なのは、身分証の〈民族欄〉を見ることです」

伝統、経済、民族。時代に翻弄されながらも、したたかに生きてきた少数民族〈ミャオ族〉。当の彼らは生活が激変する今を、どのように捉えているのだろうか。ある村で1人の少年にカメラを向けると、こんな言葉をかけられた。

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「写真を撮るなら金をくれ!」