〈Made In India〉でターメリックブームに物申す24歳の女性経営者
Photo by Abigail Taubman

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〈Made In India〉でターメリックブームに物申す24歳の女性経営者

2017年夏、サナ・ジャヴェリ・カドリは〈Diaspora Co.〉を設立した。それは、ターメリック・ブームが内包する不平等を解消するための、彼女なりのアプローチ。〈Diaspora Co.〉が扱う商品は、インド南部のアンドラ・プラデシュ州、ヴィジャヤワーダから直輸入しているターメリックだ。

サナ・ジャヴェリ・カドリ(Sana Javeri Kadri)がターメリック・ラテを口にしたのは、人生で2回。1度目はシアトル、2度目はオークランド。どちらも健康志向のカフェで、どちらものラテも飲み干せなかった。あまりにマズすぎたのだ。彼女は「ターメリック・ラテというか、〈ミルキーなターメリック・ウォーター〉といったほうが正しい代物を、よろこんで飲む人がいるのはどうしてだろう」と思い倦ねた。

西洋で最近流行しているターメリック・ラテには、いろいろと問題がある。ターメリック・ラテの基本材料は、牛乳とターメリック(ウコン)だ。インド各地で薬として飲まれている〈ハルディ・ドードゥ〉(ヒンディー語でターメリック・ミルクの意)と近い。インド発祥のターメリック・ラテは、現在、世界各地のカフェでトレンドだが、世界中に散らばっているインド人たちの多くは、ルーツとかけ離れたトレンドに憤っている。

ジャヴェリ・カドリは、ターメリック・ラテ・ブームに戸惑った。ムンバイ育ちで24歳のカドリは、6年前、ポモナ・カレッジで学ぶためにカリフォルニアに居を移した。インドとはまったく違う文化のなかで、彼女は、特定の人種や階級に限定された嗜好品としての地位を獲得したターメリックに、いらだちを抱いていた。ターメリックの新たな価値と、汗水たらして働くインド農家の実情が釣り合っていなかったからだ。

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Photo courtesy Sana Javeri Kadri.

2017年夏、彼女は〈Diaspora Co.〉を設立した。突然のターメリック・ブームが内包する不平等を解消するための、彼女なりのアプローチだ。〈Diaspora Co.〉が扱う商品は、インド南部のアンドラ・プラデシュ州、ヴィジャヤワーダから直輸入しているターメリックだ。

生産者は、4代続くターメリック農家のプラブー(Prabhu)さんだ。彼のつくるターメリックは、クルクミンが豊富で、品質が高い。カドリは、それを缶やビンに詰めて販売する。プラブーさんのような農民は、国際的な香辛料取引のなかで、しばしば不当な扱いを受ける。サプライ・チェーンが入り組んでおり、利幅が非常に大きいため、農家の利益は実に少ないのだ。カドリによると、インドでは、ターメリック1キロあたり、およそ0.35ドル(約40円)だという。いっぽう米国では、その100倍の35ドル(約4000円)だ。

2017年12月、香辛料収穫ためのヴィジャヤワーダ出張を目前に控えたカドリに電話をかけた。経営者はクィアの有色人種女性、と積極的に発信する理由、健康志向が主導するターメリック・ブームは、古い文化が息づく魅惑的なインドのイメージが根強く残っているために生まれたという私説、インドにまつわる新植民地主義的神話を解体したい、せめてその力を弱めたいという意欲など、カドリは語ってくれた。彼女の闘いは、ターメリックから始まる。

Sana Javeri Kadri. Photo courtesy Sana Javeri Kadri.

まずは、〈Diaspora Co.〉の説明をお願いします。

それは、説明する相手にもよりますね。

では、インドの食文化について知識がない米国人に説明してください。

例として挙げたいのは、コーヒー豆やカカオ豆。10年前には、南半球で生産され、西洋で消費される、安価な農産物でした。

直接取引や、農家との共同生産へのシフトとともに、西洋に入ってくるコーヒー豆の質は完全に変わりました。コーヒーやカカオの生産国には、国内流通の値段も上がった国もあります。農産物の直接取引、持続可能性の追求は、コーヒーやカカオにぴったりだったんです。私は、香辛料もそうしたいんです。

米国でターメリックが嗜好品として消費されるようになったのは、いつごろからですか?

大学卒業のころに気づいたので、2016年初頭です。私は、学生で、コープに住んでいたので、米国資本主義の本格的な洗礼は受けませんでした。

大学を卒業して、サンフランシスコに引っ越してから、初めて、みんながターメリックを口にしているのに気づいたんです。正直、かなり戸惑いました。米国におけるインドの食文化といえば、長いことからかいの対象だったのに、今、みんながそれをわざわざ購入しています。そんなこと、今までなかったんですよ。「インドの食べ物がバカにされてないなんて!」と驚きました。私は、みんなインド料理を食べる環境で育ちましたからね。

あなたにとっては新鮮な反応だったと。

大学卒業して、米国での初めての仕事がサンフランシスコの〈バイライト・マーケット〉(Bi-Rite Market)でした。そこで、カリフォルニア料理の〈白人性〉とでもいえばいいのでしょうか、そんな文化を本格的に体験しました。私にとって馴染みのない、言葉遣い、休日の意味、消費習慣を学んでいるような気分でした。

そのあと、サンフランシスコのティー・ラウンジ〈Samovar Tea〉のミッション地区店にターメリック・ラテがある、との噂を耳にしました。すると、周りの女性たちは、まるで私が権威かのように、ターメリック・ラテについて質問してきました。いったい何なのか、私にはわかりませんでした。生れながらにしてターメリック・ラテと関わりがある、と決めつけられるのは、軽く迷惑でした。そんななかで、香辛料生産の現状に興味が湧き、調査を始めました。そして、考えたんです。「白人女性がターメリックを消費し続けるとして、インド人農家が最大限の利益を得るには、どうしたらいいだろう?」とね。〈Diaspora Co.〉の原動力は、できる限り多くの利益をインドにもたらしたい、という想いです。

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Photo courtesy Sana Javeri Kadri.

なるほど。2017年12月3日にあなたがブログに投稿した記事は、米国人にとっての〈Made In India〉と、米国人がインドに抱く、紋切り型で限定的なイメージについての見解でした。あなたは、どう捉えているんですか?

正直、混乱しています。「インドにはコール・センターがある」「インド人といえばエンジニアか医者」。それだけではないインド像を抱く米国人は、たくさんいるはずです。しかし、特に、食品における〈Made In India〉となると、いまだに、深刻なまでに理想化されてしまったフード・マーケット像を抱く米国人がたくさんいます。インドは、『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』(The Best Exotic Marigold Hotel, 2011)で描かれている、はるか彼方のエキゾチックな国、というイメージです。観光客が夢見るようなゾウのイメージです。

記事には、ポストコロニアリズム的見地もあります。ポストコロニアリズムの理解により、食品業界における権力のダイナミクスの捉え方は、どう変わりましたか?

食品も、インド幻想に取り込まれています。ゾウ、トラ、彩り鮮やかな香辛料のなかで育てられた生産物、と勘違いされがちです。

私はインドの上位中産階級に育ちました。それがどういうことなのか、あなたが完全に理解できるように説明するのは不可能です。米国で生活する有色人種の女性、ヒンドゥーとムスリムがミックスされたインドの上位中産階級、という私のふたつのアイデンティティは、そう簡単に米国の文脈には落とし込めません。ムンバイは、まだまだ、コロニアリズムの影響下にあります。建造物は、昔の偉い白人男性の名前にちなんでいますし、文化施設もコロニアリズムに染まっています。米国にたどり着いた私のディアスポラ的不安を説明してくれるのがポストコロニアリズムです。ここでもむこうでもない感覚。〈中間〉に嵌ってしまったような感覚。それは、私自身がポストコロニアリズムの産物だからです。

左から, カサレニ・プラブー(Kasareni Prabhu)の甥, カサレニ・プラブー本人, ジャヴェリ・カドリ. Photo by Sana Javeri Kadri.

〈Diaspora Co.〉の経営者はクィアの有色人種女性だ、と公にしていますが、それを顧客に向け強調する理由を教えてください。

それについてはいろいろ考えました。アンジェラ・ディマユーガ(Angela Dimayuga)の『The Cut』の記事を読みました?

はい。

「この会社はクィアが経営しています」と主張する意味については、これまでかなり考えてきました。もし意味があるとしたらどんな意味があるのか、地元のみんなに敬遠されてしまうだろうか、それとも、クィアに希望をあたえられるのか、自分でもよくわかりません。

〈Mission Chinese Food〉をクィア・レストラン、とアンジェラが称するのは、クィアたちが安心して働き、憩える空間なんだ、という彼女の表明です。また、この空間をつくったのはクィアだ、と認識し、クィア・コミュニティによる空間への貢献をはっきりさせることが重要だ、と彼女が実感したからでしょう。

クィアのための空間を立ち上げ、個人の政治信条を公にすることは、危ういし不安なはずです。でも、そんなときこそ、私は、クィア・コミュニティに支えられているんです。だからこそ、この新しいビジネスがクィア的で、この空間が私のアイデンティティに端を発している、と表明する試みこそ重要なのではないでしょうか。

インドの親戚たちが会社のウェブサイトをのぞいてくれますが、ソワソワするそうです。「ただのターメリック・ビジネスじゃダメなの?」と訊かれたりもします。私のおばたちは、ウェブサイトでの私の主張に違和感があるらしく、商品の購入をためらっているようです。

サステナブルな食品取引の世界にどう適応すればいいのか、私にはわかりませんでした。とにかく、この世界は、特権意識の強い、白人至上主義的です。だからこそ、私が入りこめる空間を、自らつくらなくては、と考えました。インド人農家に利益をもたらしたい、という想いが私のビジネスの原動力です。それと、インドの仲間たちに、ステレオタイプ以外を自覚してもらいたかったんです。私は、アーユルヴェーダのヒーラーとしてターメリックを販売しているのではありません。有色人種のクィア女性としてターメリックを販売しているんです。

私は、発信しようと心がけてきました。クィアについての発言がどうして重要なのか、どんな意味があるのでしょう。とにかく、クィアについて発信したいのですが、自らのクィアネスを理解するには至っていません。

それが普通ですよ。クィアとはプロセスですからね。ありがとうございました!