「声」と「音楽」を武器にISと闘う
クルド人女性アーティスト

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「声」と「音楽」を武器にISと闘う クルド人女性アーティスト

27歳のポップスター、ヘリー・ラヴ(Helly Luv)。2ndシングル「Revolution」とMVで、ラヴはテロ組織に戦闘を仕掛けた。クルディスタンのなかでも、IS占領地からほど近いロケーションで撮影されたMVに、完全武装のヘリー・ラヴが実物の戦車、本物のIS被害者とともに登場する。

IS関連の最新ニュースを読み、椅子に座ったまま怯える以上の何かをしているアナタは、私よりも一歩先にいる。そんな私たちよりも数歩先にいるのは、27歳のポップスター、ヘリー・ラヴ(Helly Luv)だ。飛躍を遂げた、2ndシングル「Revolution」とそのMVで、ラヴはテロ組織に戦闘を仕掛けた。クルディスタンのなかでも、IS占領地からほど近いロケーションで撮影されたMVに、完全武装のヘリー・ラヴが実物の戦車、本物のIS被害者とともに登場する。

「クルド版シャキーラ」とも称されるラヴは、イランで生まれ、フィンランドに育ち、現在はLAを拠点に活動している。彼女の家族は、長きにわたりクルド人戦闘部隊に所属しており、母親と祖父は、イラク領クルディスタン自治政府の軍事組織ペシュメルガ(Peshmerga)の著名メンバーであった。ラヴが発する鬨の声はYouTubeで400万回以上の再生数を獲得すると同時に、彼女は殺害脅迫も受けている。

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貧弱なインターネット回線、電力不足は戦地で当たり前。数週間かけてようやく、ヘリー・ラヴとSkypeが繋がった。彼女は、イラク北部、クルド人自治区の首都アルビール(Erbil)を一時的な活動拠点にしている。

イラクにいないときは、どこにいるのですか?

クルディスタン、LA、ヨーロッパを行き来してるわ。

ずっと政治問題に関心があったのですか?

そんなことない。

子供の頃は、何になりたかったんですか?

アーティストになりたかった。音楽や演劇などにとても興味があったの。それが、とても小さい頃からの夢。ダンス、演劇、ピアノ、演技、いろいろ習ったわ。アート漬けの毎日だったから、「革命少女」なんて呼ばれるようになるとは思ってもみなかった。

どうして音楽が政治的になったんですか?

すべての始まりは、2014年、私がクルディスタンにいるときにISに襲撃されたこと。不条理を目撃した。ISの戦闘員は、罪のない市民を殺し、レイプし、斬首し、街に火を放った。被害者は、ただの善良な市民じゃなくて、みんな私の同胞だった。それを目の当たりにして、私のなかに火がついた。私も何かしなければ、と居ても立ってもいられなくなって、難民、ISから逃れてきた人々のための支援活動をはじめたわ。だけど、もっと大規模で効果的な活動はないかな、って不満もあったの。そんなとき、私の声は世界に届くかもしれないと気付いた。アーティストとして、私の武器といえば「声と音楽」。それで「Revolution」を作曲したの。

海外で生活することは、クルドの伝統、人々、それに彼らの苦境とどのように結びついているのですか?

私はフィンランドで育ったけれど、家族にはペシュメルガのメンバーがいた。祖父は、有名なペシュメルガのメンバーで、私の母も、父と結婚して私を産むまではペシュメルガに所属していた。その血が私たちには流れている。あなたも知っているでしょうけど、クルドの歴史は、私たちが受けた不当な扱いの記録。私たちはずっと、紛争の犠牲者。そんなこと感じながら育ったの。故郷なんてないようなもので、どこか遠くに故郷があるようなかんじ。私は、私じゃない誰かみたいだった。

学校では、肉体的なイジメにあった。子供だった私は凄く動揺したわ。ブロンドヘアでも青い瞳でもないのは、学校で私だけだった。みんなとは違うって確信してたの。でも、いじめられたことは、結局、私にとってプラスになったわ。自分の面の皮がここまで厚いとは驚きだったけどね。高校に入学する頃には、私はもっと強くなっていた。だから、いじめられなかったわ。小さい頃から、「アメリカに行って、アーティストになる」って夢、私の夢を叶えるには、フィンランドは小さ過ぎる気がしてた。だからLAで夢を追うことにしたの。

「Revolution」を作曲したキッカケを具体的に教えてください?

紛争が始まってしばらくしてから、レコーディングのためにLAに戻ったの。この曲は、今までやったどんな曲よりも難しかった。レコーディング現場ではほとんど泣いてたから、何度も作業を中断しなきゃならなかった。ちょうど、被害者たちを支援をしていた交戦地帯から帰ってきたばかりで、みんなが、着の身着のまま難民キャンプに逃げてきたり、彼らの家族のなかにはキャンプに辿り着けない人がいたのを目の当たりにしたわ。私にとって、非常に辛い経験だった。現地で目にしたこと、観たことをスタジオに持ち込んで、レコーディングで全部吐き出した。LAでの作曲中、 「どうしてもこの曲を完成させないといけない」とスタッフに伝えた。それを口にするのは悲しかったわ。だけど、騒乱の外にいる人たちは、ISがどんな連中で、クルディスタンで一体何が起こっているのかを知らなかった。 その事実にとても困惑していたの。現地で何が起こっているか、世界中の人々が理解していないのは正気の沙汰でない、とこころの中で嘆きもしたわ。作曲とレコーディングは非常に難しかったけれど、仕上がりにはとても満足している。最も重要だったのは、曲に込められたメッセージを如何にリスナーに届けるか。これは達成できた。

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あなたのメッセージとは?

報道では伝わらない、何百何千の現地の声をきちんとリスナーに届けなければならなかった。そこには、ペシュメルガ、クルディスタンの人々の声も含まれています。私たちは、異なる文化を1つにまとめなければなりません。われわれには助けが必要なの。武器も必要。宗教、国籍の垣根を越え一致団結し、ISと闘わなければならない。ISは、クルドだけの敵ではないわ。ペシュメルガは、単にクルドとクルディスタンを守っているだけではないの。ペシュメルガは、ISから、世界を守っている。私にとって重要だったのは、世界中のリスナーがこのメッセージを受け止めることだったの。

「Revolution」のMVには相当こだわったそうですね。MV撮影について教えて下さい。

みんなが知ってるかわからないけど、このMVは、私がクリエイティブ・ディレクターなの。私は超完璧主義者だから、ほとんどの作業をやった。現地で起きてるすべてを表現しようとしたけれど、途方もない題材を扱ったから本当に大変だったわ。MVの内容を、政治と戦争だけにしたくなかったの。ポップ・アーティストとして立ち位置と、伝えたいメッセージのバランスを取らなければならない。特に、いまの10代、若い世代は、ファッションやダンスに興味がある。若者が気に入るようなポップなMVをつくるのは、至難の業だったわ。

最初から決めていたのは、本物のペシュメルガのメンバー、本物の武器、本物の戦車、本物のIS被害者たちを出演させること。だから、ISの被害者を募った。冒頭のシーンで逃げ回っているのは、クバーニィ(Kubani)、シンガル(Shingal)、ヤジディ(Yazidis)などの地域から、実際に逃げてきた人たち。実際にそうしたことを証明したかったの。だから戦場で撮影した。撮影現場は、戦場から2.5kmくらいしか離れてなかったから、すぐ近まで弾が飛んで来たの。だから、何度も撮影を中断して避難しなければならなかった。「撮影を続けるのは危険だから、すぐに立ち去りなさい」とペシュメルガのメンバーに命じられてね。そこまでして撮って良かったわ。MVには現地の雰囲気が上手くパッケージされているから。観てもらえればわかるだろうし、リアルだからみんな気に入る。私がどうしても伝えたかったひとつの真実があるの。クルディスタンの歴史を知ればわかるはずだけど、私たちはどんな宗教とも平和に共存している。クリスチャン、ヤジディ教徒、世界中にその事実を伝えたかった。私たちはひとつなの。みんなが兄弟姉妹なの。それを伝えられたはず。

別のインタビューで知ったんですが、実際にISを攻撃した経験があるそうですね?

ある。

どうでしたか?

何かが吹っ切れた。ペシュメルガの戦車から砲撃なんて、私の誇り。悦びよ。

ミサイルはどこに着弾したんですか?

川の対岸にあるISの占領地。

あなたはたくさんの殺害脅迫を受けているそうですね。それは本当ですか?

脅迫を受けるのは想定内だったから、覚悟はできていた。そんなことより、私の行動、メッセージが大事だから、あまり考えないようにしてる。ISの最重要指名手配者リストに載るなんて私にとっては名誉だから、それを知ったときはなんだか愉快だったわ。だって、MVとメッセージがISの武器と同じくらい強力、ってことじゃない。連中にとって私は脅威なのよ。何百何千の沈黙せざるを得ない兄弟姉妹のために弾丸を撃ち込めて光栄だし、誇りに思っている。それこそ究極の武器よ。戦地での武力闘争で勝利したわけではないけれど、私の音楽とメッセージは永遠に鳴り響く。ISは永遠に続かない。

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脅迫を受けて怖くないんですか?

全く怖くない。これくらいで怖じ気づくなら、こんなことやらない。肝に銘じてる言葉があって、それを肩に彫ってるんだけど、クルド語で「怖くない」っていう意味なの。理不尽な現実ばかり目の当たりにしたら、恐怖なんてなくなってしまう。無辜の市民を虐殺したり、少女をレイプするISだとか、信じられない光景ばかり目にしていたら、怖いもんなんてないわよ。それは、強さと力に変わるわ。ISをブチのめしたくなる。私の内に恐怖の「き」の字もないわ。

女性ながら中東の「声」になったわけですが、どんな気分なんですか?

私の行動を良く思っていない人たちがたくさんいるのも知ってる。ファースト・シングルだった「Risk It All」のMVで、ミニスカートを履いて本物のライオンとダンスしたわ。ショッキングな映像だった。それがすべての始まり。それ以来、いくつもの原理主義組織から殺害脅迫を受けてる。 あるムッラー(イスラム教の法や教義に深く精通したイスラム教徒の男性を指す尊称)がモスクの中で、私が世間に与える悪影響について説法した。彼は、私を黙らせるべきだ、って主張したのよ。それこそ私の影響力の証だし、クルディスタンも、何者をも怖れない、力強い国際的な女性アーティストを待ち望んでいたの。凄いことだわ。

次の予定は?

必ずアルバムを完成させたい。人道的な活動にも注力するつもり。女性の犠牲者、ISISに誘拐された少女のために働いてる。彼女たちが元通りの生活が出来るよう手助けしてる。彼女たちに起きた悲劇は、一晩でどうこうできるモノじゃないから、道のりは険しい。だけど、そういう活動にも力を注ぎたい。それと、動物の権利のために動いてる。もう1つ、ビデオも製作してるけど、それに関してはあせっていないわ。いまは、「Revolution」に託したメッセージを広めるのが最優先ね。

知ってるかもしれないけど、著名なクルド系イラン人の映画監督バフマン・ゴバディ(Bahman Ghobadi)と2本の映画を撮ったの。彼は、カンヌでの受賞歴もあるわ。私たちが最初に撮影した映画のワールドプレミアは、トロント国際映画祭だったんだけど、ペシュメルガの戦闘服で参加したの。みんなに、「なんでドレスを着ないの」って訊かれわ。私は、ペシュメルガと現在進行中の闘いに注目してもらいたかったから、自由を求めて闘うペシュメルガの戦闘服を選んだのよ。もう1つの映画も、韓国の釜山国際映画祭で上映される予定。それも私の取り組み。

そこでもペシュメルガの戦闘服ですか?

今のところその予定。戦闘服を着ると力が湧いてくるの。私と戦闘服スタイルは切っても切り離せない。戦士のイメージは私の大事ないち部で、強い繋がりがあるの。