「欲しいものすべてを手に入れることは難しいからこそ、何を大切にして、何を守るかを考えたうえで、選択をしていかなきゃいけない」

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15年間介護を続けた〈女性〉

「欲しいものすべてを手に入れることは難しいからこそ、何を大切にして、何を守るかを考えたうえで、選択をしていかなきゃいけない」

女性の社会的地位、格差についての議論が増えるのと同時に、〈女性が働きやすい職場〉〈女性が輝ける社会〉〈女性がつくる未来〉を目指し、女性を応援する制度や価値観を生みだそうとする動きが社会全体に広がっている。だが、ここでいう〈女性〉とは、果たしてどんな女性なのか。女性に関する問題について真剣に考えている女性、考えていない女性、そんなのどうでもいい女性、それどころじゃない女性、自分にとって都合のいい現状にただあぐらをかいている女性。世の中にはいろんな女性がいるのに、〈女性〉とひとくくりにされたまま、「女性はこうあるべきだ」「女性ガンバレ」と応援されてもピンとこない。

「いろんな女性がいるんだから、〈女性〉とひとくくりにしないでください!」と社会に主張する気は全くないし、そんなことを訴えても何にもならない。それよりも、まず、当事者である私たち女性ひとりひとりが「私にとって〈女性〉とは何なのか」本人独自の考えを持つべきではないのか。女性が100人いたら、100通りの答えを知りたい。

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近藤あや(40)

「女性とは」と考えたことはありますか?

私の家は〈先にお風呂に入るのは男性〉〈家事をするのは女性〉というように、古風な考えが強くあったから、幼いながらに性別を意識していたかな。「女の子だから」と、よく家事を手伝わされたし、門限も厳しかった。大人になっても、0時を過ぎたらドアにチェーンをかけられたり。

「女性は結婚して子どもを産むのが普通」という考えもありましたか?

私がまだ小さい頃に両親は離婚して、母親はバリバリ働いていたから、家族から結婚を急かされたことはなかった。でも私は普通に、いつか結婚して子どもを産むんだ、と思ってた。

「普通に結婚して子どもを産む」人生は歩まなかったんですか?

私が25歳のとき、おばあちゃんが倒れて、介護が必要になった。私はすごくおばあちゃんっ子なの。働いていて家にいない母親の代わりに、母方のおばあちゃんがずっと面倒をみてくれたから。私にとっておばあちゃんは、祖母でもあるし、母親でもあるし、友達みたいな感覚もあって、とにかく大きな存在だった。そんなおばあちゃんの介護をしたくて、2、3年キャリアのブランクが空くことを覚悟で、仕事を辞めた。結局、おばあちゃんが亡くなる2018年3月まで、介護は15年続いたけどね。

15年、おばあさんにつきっきりで介護をしていたんですか?

最初の数年はつきっきりだったけど、介護が長引くにつれて、このままずっとおばあちゃんの都合を優先していたら、おばあちゃんが亡くなったときに、私には何もなくなってしまう、と感じるようになった。もし私が、介護を選択したことを後悔してしまうようになってしまったら、おばあちゃんにも申し訳ないな、と。近所に住んでいる義姉も、いちど外に出なさい、って背中を押してくれたから、実家の近所でひとり暮らしをはじめて、仕事も再開した。

仕事と介護の両立は大変ではありませんでしたか?

大変なこともあったけど、家族やお医者さん、ヘルパーさんに恵まれたから続けられたかな。それに、おばあちゃん自身、どんどんボケていったけど、被害妄想をしないひとで。家族のことは認識していたし、誕生日が年に何回もきたり、テレビに映る福山雅治を恋人だと言ったり、なんだかとても明るい介護だった。おばあちゃんの介護がはじまってから飼いはじめた犬の影響もすごく大きかったかな。介護される側も、介護されるストレスってすごくあるんだよね。だけど、一方的に世話をされるだけではなくて、「私がこの子たちの面倒をみなきゃ」と思える、小さくて手のかかる存在がいたから、おばあちゃんのメンタル的にも良かったのかなって。

2018年3月、おばあさんはどのような最期を迎えたんですか?

おばあちゃんは、ここ3年くらいで徐々に弱ってきてた。ある日の朝、おばあちゃんの意識がなくなった。お医者さん曰く、短くて1、2日、数週間もつかもしれないし、体を拭いたりして良いよ、と。じゃあ、おばあちゃんの足を温めてあげよう、と家族みんなで準備していたら、ふっと逝っちゃった。倒れた当初から、いつ急変してもおかしくない病状だと診断されていたから、結構穏やかな気持ちだった。おばあちゃんは、まだ元気なうちに自分で死装束を縫っていて、死装束と一緒に家族宛の手紙も用意してた。「幸せだった。ありがとう」と書いてあるその手紙を読んだおかげで、踏ん切りがついたし、気持ちよく見送ってあげられたかな。

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家族みんなが見守るなかで、亡くなったんですね。

そう。しかも、火葬までに1週間くらいあったから、ゆっくりお別れできた。「最期の最後まで家族に送ってもらえて、おばあちゃんが羨ましい」とみんなが言ってくれた。よそのお家よりも、介護に携われる家族の人出は多かったし、お金もかけた。お金が全てだとは思わないけど、お金がないと続かないものもあるでしょ。やっぱり、お金をかけたらかけた分だけ、良い介護ができるのが現実なんだよね。

おばあさんを見送ったことで、自分の最期についても考えましたか?

下手に現実を見ちゃったかんじ。おばあちゃんの世代は国からの保障も手厚いけど、私が平均寿命まで生きるとしたら、きっと年金もあまり貰えないだろうし、医療費も高くなっているだろうし、面倒をみてくれるひともいないし。将来、厳しい現実が待ってるな、と。結婚しなかったにしろ、子どもを産まなかったにしろ、家族って、つくらないと無くなるものだから。そこは覚悟しておかないといけないなって。

「もし介護がなかったら、結婚していたかも」と考えたことはありますか?

「そんなに若くして介護を始めたら、結婚しないまま歳とっちゃうよ」と言われたこともあるし、確かに、その通りになっているけど、結婚しなかったのは、おばあちゃんの介護をしたからではないかな。ひと通りの婚活はしたし。お見合いや友人の紹介、合コン、結婚相談所に話を聞きにいって、社会における自分の年齢のポジションを突きつけられて、はじめて焦った(笑)。幸いなのか、私の周りには結婚を急かすひとがいなかったから、自覚が薄かったのね。活動してみて、そこで出会えるものでもないとわかってからは、自然の流れに身を任せてる。

子どもが欲しいと思ったことはありますか?

子供は欲しかった。30代後半に差し掛かる頃に出産のタイムリミットだなとは思っていたし、当時お付き合いしていた男性もいたけど、お相手に結婚願望が無かったり、タイミングが合わなかったり。でも、子どもを産むために結婚するという風には考えられなかったし、恋愛面はうまくいかなかったな。これからは、子どものいる家庭をもつというより、パートナーをつくれればいいなと思ってる。

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現在も子どもは欲しいですか?

欲しくない、とは思っていないけど、もうこの歳だし、子どもからも結婚からも、解き放たれてきたかも。今の時代、子供を産まない女性、結婚しない女性、働かない女性、バリバリ働く女性、どんな女性でもアリでしょ。男性はまだ、働いているのが大前提な気がするけど、どんな選択をしても、「女性なんだから」とは、文句を言われない時代になった。女性はある意味、自由なんじゃないかって。ただし、選択肢がいっぱいあるってことは、選択のすべてが自分の責任になる。だからこそ、辛いこともあるんだろうなって。

選択をするときに、迷いはありますか?

そんなの、きっと生涯あると思ってるよ。この選択が正しいかどうかなんて誰もわからないし、そもそも正解がない。どんな選択をしても、良い面、悪い面は絶対ある。その選択をするときに、自分がどれだけ悩んで、考えて、納得するかだけ。

そのうえで、おばあさんの介護を選んだんですね。

もし過去に戻って、おばあちゃんの介護をするかどうか選択できるとしても、私の答えは変わらないし、こうやって衰えて、死んでいくんだ、とおばあちゃんに教えてもらったおかげで、歳をとる怖さはなくなった。

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歳をとるのは怖かったんですか?

やっぱり、歳をとるってなんか嫌じゃない? 体力落ちるし。特に女性って、子どもを産むか産まないか、嫌でも考えないといけないし。そこに仕事、結婚、子育て、介護と、考えなきゃいけないことがたくさんある。欲しいものすべてを手に入れることは難しいからこそ、何を大切にして、何を守るかを考えたうえで、選択をしていかなきゃいけない。

〈選択する〉って、なかなか難しいですね。

若いうちは意識していないかもね。でもこれから、そういうシチュエーションは山ほどあるし、結局、好きか嫌いかだと思う。よっぽど年下と結婚しない限り、将来絶対ひとりになるし、平均寿命で考えれば、男性が先に死んでしまうから。結婚したって、子どもを産んだって、最期はやっぱりひとりなんだよ。だから、子どもとか結婚とかじゃなくて、自分がひとりでも、その選択をするかどうかを考えたほうが、後悔はないかもしれない。

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これから、どのような選択をして生きていくと思いますか?

そもそも、24時間を自分のことだけに使っていいなんて15年ぶりだから、これからの生活スタイルとか、何を目標にして生きていくか、まず自分を見つめ直してる。仕事を続けるなかで、良いパートナーがいれば、それはそれで楽しいだろうし。女友達と、老後のシェアハウスの話をしたりもしてる(笑)。朝、生存確認だけし合って、あとはそれぞれ自由に生活するシェアハウスとかもアリなんじゃないかな、とか。〈自分の選択に責任をもつ〉って大変だけど、案外ここまでくると、女性であるほうが楽チンになってきたんだよね。選択肢がたくさんあって、文句も言われず自由に生きられるほうが、大変だけど楽しいのかもしれないね。