長野市の隣人部落差別事件を取材、ニュースにして部落差別の現状を世に訴えるべく奔走する満若勇咲。前回に続くインタビュー第2部では時間をさかのぼり、彼の生い立ちから監督作『にくのひと』の一般公開中止にまつわる挫折体験、現在取材中の鳥取ループによる「全国部落調査」復刻版出版事件までを語りつくす。部落差別を追いつづける満若を衝き動かしているものは何か。

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いま満若さんが取材している「全国部落調査」復刻版出版事件について聞かせてください。事件を起こした鳥取ループ(示現社代表・宮部龍彦のハンドルネーム)は、どんな人ですか?

 年齢は40近く、本業はシステムエンジニアで、彼がつくったシステムは財務省でも使っているという噂で、SEとしては超優秀。出身地は鳥取県の部落との境界にあるようで、それため昔から同和教育や同和行政に馴染みがあり、かつ反感を抱いていたようです。とくに部落解放同盟に対して強い反感をもっています。

そもそも原本の「全国部落調査」はどういう目的でつくられたんですか?

 戦前、1936年に政府の外郭団体の中央融和事業協会がつくった調査報告書で、戦争に部落の人たちを徴集するために全国の部落を実態調査したものです。「全国部落調査」に記載されているのは、すべて当時の住所ですが、鳥取ループは当時の住所と現在の住所を付け合わせたものをウェブサイトで公開(「同和地区Wiki」)、さらに書籍化しようとして、それが差別を助長するとして裁判になっています。また、「部落解放同盟関係人物一覧」として解放同盟の関係者の名前や住所、電話番号を同サイトに無断で掲載し、これがプライバシー権などの侵害にあたるとして、掲載された200名以上の人たちから訴えられています。

取材対象として鳥取ループを選んだポイントはなんですか?

 誤解を怖れずに言うと、彼がいま裁判を起こされていることは自分にとって他人事じゃないと思ったんです。僕が『にくのひと』(07)を上映しようとしたとき、部落解放同盟から抗議を受けました。その理由のひとつがテロップで取材先の屠場の住所を出したことでした。屠場の住所を出すと、そこが部落だとわかってしまうというのが彼らの主張です。それに対して僕は、屠場のすべてが部落にあるわけではないし、公営の施設の住所を出すことになんの問題があるのかと反論しました。そもそも全国の屠場の一覧は農林水産省にありますし、調べればわかります。言うまでもないことですが、部落を晒すために住所を出したわけではありません。それでも僕には鳥取ループの行為を単純には否定しきれない葛藤があります。だからこそ僕は彼を撮らなければならないと思いました。どうやって撮っていくかは、まだ自分のなかで決めきれていないんですが。

ほかにも何か自分と鳥取ループに共通するものがあると思いますか?

 強いて挙げれば、僕の育ったところは京都の八幡市内で、大人になるまで知らなかったんですが、僕の家は部落に隣接した地域でした。ですから育った環境は、もしかしたら鳥取ループに近いかもしれませんね。通っていた小学校は部落の子が多かったそうです。近所には家賃が月3,000円と大人たちが噂していた団地がありました。小学生のころ、通学路だったので団地のなかを歩いていると、ヌウっと中学生が出てきてカツアゲされたり絡まれたりするんですよ。ただ友達もたくさんそこに住んでいたので、絡まれると嫌だなと思いながらも遊びに行っていたことを憶えています。

若いころに少々荒れるのは仕方がないのでは?

 わかります。でも、子供のころですからやられたほうは根にもちます。だから僕は単にヤンキーは嫌だなとしか思っていなかったですけど、一度そういう嫌な経験をした人が、その背景や事情を抜きにして感情的に一括りに、例えば、部落って怖いとこだよねと思ってしまう気持ちの流れはなんとなく想像がつきます。もちろんよくないことなんですが。

満若さんのなかに鳥取ループに対する怒りはあるんですか?

 正直、怒りというよりは好奇心のほうが強いかな……。取材は好奇心から生まれるものじゃないですか。なぜそんなことをするのか? という。
 いまの問題意識として、僕は差別されている人よりも差別する人のほうに取材対象として興味があります。なぜなら自分が理解できない、共感できないものを見ないと、問題の本質がわからないのではないかと僕は考えているからです。
 大事なのは、僕が部落出身者ではない立場でどうものを見るかだと思うんです。部落は、周囲の人間の眼差しによって残されてきたという考えもあります。ですから、僕がどのように部落問題を扱い、どういう見方をしていくかが、撮りながら問われています。

『にくのひと』を撮ったことでそう考えるようになったんですか?

 もちろん。もっと言えば、『にくのひと』を撮って揉めて、上映できなかったことでもち得た視点です。

『にくのひと』のことを聞きたいですね。

 どこから話しましょう。最初から話しますか。

うんと戻ってお願いします。満若さんの母校は大阪芸術大学ですね。映像学科に入ったのは、映画を撮りたかったからですか?

 僕が大阪芸大に入ったのに大した理由はなくて、それまで不登校だった時期もあったぐらいですからサラリーマンになるのは絶対に無理だと思ったからです。将来どういう仕事に就きたいかを考えて、映画が好きだったので、なんとなく軽い気持ちで映像関係に行ければいいなと。大学では1年と2年でざっくり映像を学び、3年から劇映画、アニメーション、ドキュメンタリー、表現映像、シナリオの5つのコースに分かれます。最初は僕も、ほかの大多数の学生と同じく、劇映画をやりたいと思ってました。

どんな映画が好きでしたか? 例えば、繰り返し観るような。

 『イージー・ライダー』(69)とか好きでした。

いわゆるアメリカン・ニューシネマみたいな映画が好みだった?

 僕はネクラなのでラブストーリーやコメディは観なくて、ラストでみんな死ぬような暗い映画が凄く好きです。ところが授業で、どうしてもシナリオを書くことができなかった。フィクションとして伝えたいものがなかったんでしょう。自分が劇映画に向いていないと悟りました。そんなときに『ゆきゆきて、神軍』(87)を初めて観て、ドキュメンタリーってこういうこともできるんだ、面白いなと思ったんです。そしてありがたいことに、ドキュメンタリーコースの教授が原一男さんだった。原さんに挨拶に行って、2年の終わりから3年生の授業にまぜてもらいました。

3年になって入ったドキュメンタリーコースは、満若さんを入れて何人ぐらい学生がいましたか?

 ドキュメンタリーのコースは凄くマイノリティで、学年約150人中3〜4人でした。みんな別々に作品をつくるので、そんなに仲良くした記憶はありません。僕はあまり友達がいなかったしサークルも入ってなかったので、大学ではひとりでいることが多かったです。

それで20歳のとき、実習で『にくのひと』を撮った。

 そうです。僕は高校時代から牛丼の吉野家でバイトをしてましたが、実際に牛が殺されて肉になるまでを見たことはありません。そのことがずっと引っかかっていて、撮ってみたいと思うようになりました。最初はわりと軽い気持ちです。ところが取材交渉のために屠場に連絡しても、なかなか上手くいかないんですね。芝浦の屠場に連絡をして「取材したいんですけど」と言ったら「無理です」と即答されて(笑)。食肉産業にまつわる歴史的な背景を考えると当たり前なんですけど、当時はそんなことさえ知らなかったんです。自主映画の関係者に相談すると「君、部落問題が絡んでることがわかってるの? 何も知らないで行ったらダメだよ」と諭されました。牛が肉になるまでを撮りたいだけなのに部落問題とか言われて鬱陶しいなと思いました。その後も会う人会う人から「そんなの無理だよ」「部落問題があるから簡単には行かないよ」なんて、自分ではやりもしないのに頭ごなしに言われるうちにムカついてきて、意地でも撮ってやると心に決めました。そうしてあちこち連絡していくうちに、ノンフィクションライターで、ご自身も被差別部落出身の角岡伸彦さんに出会ったんです。角岡さんは、著書『ホルモン奉行』でも取材されている兵庫県の加古川食肉センターを紹介してくれました。

相談したとき、角岡さんの反応はどうでしたか?

 本当に大丈夫かいな、みたいな感じだったと思います。それまで断られつづけていたので、「どうせ断られるんだったら会って断られたいです」と角岡さんにお願いしたら、「わかった。連れてったろう」と言ってくれて。それで中尾政国さん(加古川食肉産業協同組合理事長)に会ったんです。

中尾さんはどうでした?

 話が早くて、映画の主旨を説明したらその場で「ええよ」と二つ返事で了承してくれました。中尾さんは理事長なので実際に屠場で作業はしないけども運営をとり仕切っていて、ふだんはお肉屋さんです。それから肥育農家もやっています。
 できれば20代ぐらいの人を撮りたいと相談したら、「うちに若いのがおるで」と言って、24歳の職人さんを紹介してくれました。午前中は屠場で働いて、午後から中尾さんの精肉店で働いているそうで、さらに聞くと、その彼は部落の人ではなく、よそから移ってきた人でした。僕自身が外部の人間というのもあって、よそから移ってきて部落の人たちと溶け込もうとしている彼に興味をもちました。そんな自然な流れで彼を主人公にして取材がスタートしました。いざ始まったら何も問題はなく、職人さんたちも「(中尾)理事長がええって言うんやったら、うちらもええで」と言ってみんな協力的でした。

映画のなかの24歳の彼はストレートに物を言うし、兄貴っぽい魅力もあって主役に相応しいと感じました。彼とはすぐに打ち解けましたか?

 彼は高校を中退して16歳から中尾さんのところで働きはじめたそうです。若くして働いているので考え方は凄くしっかりしています。僕に対しては弟の面倒をみるようなノリもあったんだと思います。ずいぶん良くしてもらいました。

『にくのひと』には多くの屠場関係者が出てきますが、メインで撮っているのは24歳の彼、中尾さん、そしてもうひとり、40歳ぐらいの男っぽくて強そうな職人さんがいます。あの職人さんを選んだのはどうしてですか?

 職人長ですね。実際はもっと若くて35歳です。魅力的な方ですし、年齢の幅がほしかったのもあります。24歳の彼がいて、中尾さんが56歳、そして職人長。世代による考え方の違いが作品に映るといいなと思いました。

映画のなかではしっかり時間を割いて、まさに牛が肉になるまでの流れが、それぞれの持ち場の職人さんたちや関係者の人たちの姿と共に丹念に撮られていました。解体作業は1回で撮影しましたか?

 事前に見学させてもらいましたが、撮影は1回です。これまで僕は解体を見たことがなかったので多少はショックを受けるかなと思ってましたけど、意外と平気でした。加古川食肉センターの現場に入るまえに、見識を広げようと思って別のところで豚の解体も見ました。あとは鳥も。食文化の違いで、関西の屠場で扱うのは牛のほうが多く、関東は豚のほうが多いんです。

屠場の人たちと触れ合った印象は?

 関西のおっちゃん、おばちゃんのノリで明るかったですね。それは意外でした。よく考えたら当たり前ですけど、ふつうの職場なんだ、という実感をもてたのが凄くよかったですね。このオモロい人たちがオモロく見えるような映画にしようと思いました。

解体作業の流れを追った撮影と並行して、一つひとつの工程の詳細がとてもわかりやすく説明されていました。そこでの作業のもつ意味や道具や機械の使い方などを、ユーモアを交えながら解説してくれる元職人と機械担当のおじさんふたりの存在が、あの作品に明るい色づけをしていると感じました。

 あのおじさんたちはいつも屠場にいて、声をかけたら、「ほな、俺らが教えたるわ」と言ってくれて。結果的にああいう漫才みたいな画が撮れたんです。とても親切にしてもらいました。映画をご覧になった屠場の方たちもあのシーンを面白がってくれて、おじさんふたりのことを「何やってんねん」と笑って冷やかしてました。

女子中学生が解体を見学するシーンもよかった。解体の現場を目の当たりにした彼女たちの反応はさまざまで、きれいごとでは隠すことのできない戸惑いや恐怖のようなものまでリアルに撮れていました。

 凄くよかったですね。あれは狙いました。

撮影中、何か予期せぬ事態は起きましたか?

 半年かかって撮りましたが、なんの障害もなかったのが予期せぬ事態でした。その円滑さのなかに、のちにトラブルの芽があったのかもしれませんが。

24歳の彼が居酒屋で部落に対する考えを語るシーンについて聞きます。長くなるけど再現しますね。彼はこう言ってました。「俺はまあ、部落出身じゃないやん。せやけど、肉の仕事しとうってだけで敏感な奴から、お前はもう部落やって思われとうかも知れへんでと言われて、でもそんなん俺かまへんもん。べつに部落やからなんどいや、いう感じやもん。俺からしたらホンマ部落が何なん? みたいな。昔のこと知らんから、それもホンマあるんやろな。その子が部落出身や思って付き合いもしてへんし、ふつうにツレやから付き合いしとるわけや。ただ単に生まれた地区がそこだっただけの話やん」。若い彼の心情がとても素直な語り口で述べられているように感じました。

 どういう流れでああいう話になったか、はっきりとは憶えてませんが、「部落についてどう思ってますか?」と質問したんだと思います。僕は世代的に同和教育をきちんと受けていないこともあって、『にくのひと』をやるまえは、部落という言葉をリアルに聞いたことがありませんでした。知らないからこそ逆に先入観なく取材できた部分はありました。屠場には部落差別以外に、殺生に対する忌避感からくる職業差別もあります。部落差別とは異なるけど分け難い、重なり合ったような差別があるので、そこを彼の口から聞いておきたかった。

それに続けて「それよか逆にそれを笑いのネタにしてまうから──」と言って、自分たちの野球チームの名前を決める際のエピソードが語られます。メンバーが住んでいるふたつの部落の頭文字と賤称語を合わせ、「S・Kエッターズでええんちゃうん?」「怒られるやろなあ」と仲間内で会話があったと。多くの人に見せることを前提とした映画としては、かなり踏み込んだ表現だなと感じましたが、若い世代の彼が部落の仲間たちとのかかわり合いのなかで差別を軽く笑い飛ばして生きていること、そしてそれを弟分のように思っている満若さんにカメラを通して伝えようとしていることが理解できました。満若さんはあのシーンをどう思ってますか?

 軽はずみな発言のようにも見えるのが、逆にいいなと思いました。たとえ軽はずみであったとしても、彼のなかに部落というものに対する偏見がないからこそ出てくる言葉なので。

次のシーンは中尾さんのインタビューで、「何かバラエティみたいな感覚やな。なんでもお笑いみたいに済ましてしまうみたいな」で始まり、語り口は穏やかですが、そういう若い彼らの感覚を批判しています。

 あれがないと単純に軽はずみなだけに見えてしまうと思って入れました。

それに続く中尾さんの映像は、見ていて胸に刺さるものがありました。「部落やとかエッタやとか言われへん人いっぱいおんのに、まだ。現実問題よ。それはやっぱ厳しさみたいなのが現実あるんやって。彼らはたぶんまだわからへんし、そこまで深く考えてないから口に出すねん」と中尾さんは語ります。これは24歳の彼とチームメイトに向けた言葉ですが、満若さんも自分のこととして聞けたんじゃないですか?

 それはありますね。

そのあとのシーンでは、屠場で働く人たちが部落差別について、それぞれの人生経験に基づいたさまざまな意見を述べます。中尾さんは、差別されている者もまた差別をすることを指摘したうえで、さらに中尾さんご自身の差別意識を告白します。カメラのまえでよく話してくれたと思ったし、聞くほうもよく聞いたと思いました。

 僕は小学生のときにいじめられ、何かあるたびに教師に形だけ仲直りさせられて、そのころから性格が捻くれてるんです(笑)。道徳の授業も大嫌いでした。それはいまも変わらなくて、一面的な正義を掲げることに不信感があります。だから単純に「差別はいけません」と訴えるような作品には絶対にしたくなかったんです。過去に屠場を描いた映画は何本かありますが、例えば、小池征人さんが大阪の松原で撮られたドキュメンタリー『人間の街 大阪・被差別部落』(86)は、そういう意味で僕にはピンとこなかった。僕は誰だって何かしらの差別意識をもっているよなと思っていて、それはどうしても聞いておきたかったんです。その問いに中尾さんが正面から答えてくれたということです。

中尾さんのことをもう少し話してください。

 中尾さんは、昔、関口宏の「東京フレンドパーク」ってあったじゃないですか。あれに出てくるお笑い芸人の──。

その番組を見てないからわかりません(笑)。

 恰幅がいいから見た目は少し怖く感じますが、口を開くと「俺はチェ・ゲバラに憧れてたんだ」なんて言ったり哲学の話が出てきたりで、インテリなんです。そういえば、角岡さんは中尾さんを「屠場の哲学者」と呼んでました。「人間なんて死んだらおしまいだから魂なんて存在しない」と言うこともあって、僕も即物的なところがあるので気が合いました。人間的にも尊敬できる人でした。屠場への偏見を残さないためにも、もっとオープンにしていくべきだと考えていました。だから、中尾さんは自分の一存で映画を受けてくれた。中尾さんがいなかったらあの映画はできなかったですし、僕にとっては人生の師のような存在です。

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