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パンクの可能性を切り拓いた異端バンド SACCHARINE TRUST

「変わったグループだったと思うよ。 そのあり方こそ〈パンク〉と呼ぶことも出来ると思うけど」

マイク・ワットのメーリング・リストに入っているのですが、先週は写真と共にこんなのが来ました。

“d. boon's bday's today!”

D・ブーンが亡くなって今年でもう30年。でもマイク・ワットはこうして偉大だった彼の存在を今に伝え続けています。そしてそんな二人のMINUTEMENの逸話も以下インタビューにどっさりと。そう!MINUTEMEN、BLACK FLAGと共に、初期SSTを支えて来たSACCHARINE TRUST!パンクのイメージを覆す奇妙キテレツなサウンドは、いつの時代になっても新鮮そのもの。そしてオジサンになった今でも、トロットロでスカスカでジャジーで可笑しいパンク・サウンドを、ニコニコしながら放ち続けてるんだからスゴイー。D・ブーンもお空の上から「ギャハハハ!まだコイツらやってるよ!」と喜んでいることでしょう。

脚光を浴ることもなく、レコードもCDもろくすっぽ流通していないにも関わらず、未だ熱烈なファンを惹きつけてやまない、SACCHARINE TRUST(サッカリン・トラスト)。彼らはMINUTEMENやBLACK FLAGなどと共に、1980年代のカリフォルニアで暗躍した。そしてBLACK FLAGのメンバーであったグレッグ・ギンのレーベルSSTにビザールな作品を残している。

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ほとんどのLA産パンク・バンドは、ジャンプしながらレーガン大統領への怒りを口にしていた。そんな時代の中でも、SACCHARINE TRUSTは、楽曲、歌詞の両面で、パンクというジャンルの可能性を切り拓いていた。 デビュー・アルバム『Paganicons』は、現代社会から落ちこぼれた自意識過剰な音楽ファンを魅了し、「A Human Certainty」や「We Don't Need Freedom」といったナンバーでは、ワケ知り顔の政治批判をあざ笑うかのように、人間の弱さ、脆さを真摯に省察した。

ギタリストのジョー・バイザは、今もSSTがスタートしたカリフォルニアのハモサ・ビーチに住んでいる。

SACCHARINE TRUSTは、初期のSSTを代表するバンドですよね。

そうだね。MINUTEMENとBLACK FLAGと一緒にね。79年に初めてライブしたんだ。MINUTEMENと一緒だった。彼らは僕たちよりも半年くらい前から活動していたよ。

そのあとBLACK FLAG が、スター・シアターっていうサン・ペドロの映画館でのライブをブッキングして、それに呼ばれたんだ。終演後にBLACK FLAGのグレッグ・ギンとチャック・デュコウスキーが来てね、SSTに誘われた。本当に驚いたよ。

そしてSSTからデビュー・アルバム『Paganicons』をリリースするんだけど、その前にもマイク・ワットの企画によるコンピレーション『Cracks in the Sidewalk』にも参加した。プロデューサーはスポットでね、ハモサ・ビーチのスタジオ「Media Art」で録ったんだ。このスタジオはBLACK FLAGもよく使っていたよ。

『Paganicons』はどのように制作されたのですか? この作品は本当に長い間評価されていますね。

気に入ってもらえているのは嬉しいけど、なんだか不思議だね。ずっと前の作品なんだから。とりあえずスタートはMINUTEMENに影響を受けたんだ。そしてのマイクやD(デニス)・ブーンを通じて、THE FALLやGANG OF FOURなどイギリスのバンドも知った。その前はどちらかというと、ヴィジュアル系アーティストになりたいと思っていたんだけど、これらを知ってロックの新しいことをやってみたくなったんだ。

プロのミュージシャンになろうって感じよりも、簡単な気持ちで始めたんだ。それまでバンドをやったこともなかったし、 ギターもほとんど弾けなかった。初めはギターを鳴らすことから始まった。 ジャック(・ブルーワー)は、たまにベーシックなパンク・コード進行の曲をやろうとしたんだけど、やりたくなかったから、ベースでコード進行を作ったりしていたんだ。

その作曲方法が発展してファースト・アルバムが出来た。 アール・リバティとロブ・ホルズマンも加わった。 そしてBLACK FLAGの前座として初めて全米をツアーしたんだ。でもそのときにロブが脱退してトニー・シセロが加入した。バンド・メンバーはどんどん変わったね。そして楽曲も変化していった。 セカンド・アルバム『Surviving You Always』の頃、ジャズにかなり没頭していたから、それが楽曲に影響している。今考えてみると少し恥ずかしいけどね。

SACCHARINE TRUSTは当時のパンク・シーンからちょっと浮いていた印象があるのですが。

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変わったグループだったと思うよ。 そのあり方こそ、パンク、と呼ぶことも出来ると思うけど。

その通りですね。

現在のSACCHARINE TRUSTはベストだよ。ジャックがいて、ドラムはブライアン・クリストファーソン、ベースはクリス・ステイン。 初代のメンバーよりも長く一緒にいるよ。

『Paganicons』の再発はどうなっているのですか?

他のレーベルからリリースしたいんだけど、グレッグ・ギンが許してくれない。捕虜にされているようなものだよ。

SACCHARINE TRUSTは、どのような政治的立場にいましたか?

説明するのが難しいよ。政治的な主張はなく、中立だったんだ。 一時期、デニスが言うことはよく耳にしていたし、彼と一緒にいくつかの集会に参加もしたよ。 でも積極的に参加していたわけじゃない。わたしたちの音楽は政治的信条を反映させていなかったんだ。政治的信条とは一切関係のない個人の葛藤なんかについての曲なんだよ。

なるほど。その方が口に出しやすいし、レーガン大統領やグアテマラ内戦について大声をあげるよりも長く支持されますよね。

自分自身の問題で苦しんでいるときは、外で起こっていることに対処するのが難しい…そんな考えを曲に反映させたかったんだ。 外に目を向けるべき内的な問題が多くある。政治的なイデオロギーはないんだ。デニスとマイクは政治的信条についてオープンだった。それもいいけど、それは私たちのスタイルじゃなかった。

あなたたちはずっと一緒にいたんですか。

ああ。私はデニスと同じアパートに住んでいた。彼はちょうど上の部屋だったね。デニスとマイクはいつもセッションしたり、ミーティングをしたり、論争したりしてたね。 マイクはエネルギーに満ち溢れていて、よく話す男だった。 私たちが同時期にバンドを始めるなんて面白い偶然だよ。 デニスは、私たちのリハーサル見にやってきて仲良くなった。その前に、ロングビーチのサバーバン・ラーン・スタジオでTHE REACTIONARIES(※MINUTEMENの前身バンド)を観ていたから、彼のことは知っていたんだ。

それはTHE REACTIONARIESのファースト・ライブだったんじゃないですか。

そうなんだ。本当に素晴らしかった。ギュウギュウ詰めの暑い会場だった。 4曲くらいしかやらなかったんだ。終わってからデニスに近寄って「なんであんなに短かったんだ?」と話しかけた。すると彼は「ああ、ベースが逃げ出したんだ!」って。マイクは暑すぎて出て行ってしまったんだ(笑)。

彼らからの影響は。

一緒にライブをするとき、いつもマイクは「今夜はお前らをやっつけてやる!」と言っていた。本当にそのつもりでやろうとしていたことに気づかされたよ。 それを理解するまでに時間がかかった。 真剣勝負だったんだ。分かるだろう?

彼らから多くのことを教わったよ。彼らは私たちよりも先に成功した。それは本当に素晴らしかった。サン・ペドロは素敵な場所だ。みんなが新しいことをやりたがった。それは音楽に限らずね。

私は自分自身をミュージシャンやギター・プレーヤーだとは思っていなかった。ただギターをプレイしていただけ。良い音楽を創ろう…なんて考えずに自然に任せていた。自分でコントロール出来ることではないからね。