2018年1月、8会場をジャックし、総勢104組が出演したサーキットフェス〈フェスボルタ〉に、THE三洲(ザ サンシュウ)の姿はあった。若手インディーズバンドや10代の地下アイドルでごった返すライブハウスの後方で、ステージを静かに見守る彼は、出演者の保護者でも、アイドル目当てのファンでもない。現在60歳、両耳に補聴器をつけている彼も、このフェスのステージに立つ〈出演者〉だ。

出演時間が迫り、THE三洲はステージ裏へ姿を消す。昼どきだからか、人気の出演者とタイムスケジュールが被ったからか、彼が出演するライブハウスのお客さんの入りはまばらだ。しばらくして、ライトがステージを照らすと、THE三洲が姿を現した。ステージに登場した60歳は、上裸だった。

ふつう、上半身に落書きをした60歳のおじさんが現れたら、笑いが起こりそうなものだが、笑っている客はひとりもいない。笑うどころか、客席には、ヒリヒリした緊張感さえ漂っている。客が少なすぎて静かだったのかもしれない、と今は冷静に想像できるが、その時は完全に、彼の醸し出す空気にのまれていた。マイクを握ったTHE三洲は、顔をくしゃくしゃにして「Yeah!!」と絶叫した。

THE三洲のステージが始まった。楽曲はオリジナル、演奏はカラオケ。私は、歌詞を理解して音楽をエンジョイしたいタイプなので、はじめは、必死に歌詞を聞き取ろうとした。だが、全身の毛穴から絞り出すように発声する彼をみて、歌詞なんてどうでもよくなってしまった。たとえ歌詞がすべて「Yeah!!」だったとしても、同じように感動していただろう。THE三洲のロックは、言葉を飛び越えて、私の目の奥のほうにグサグサ突き刺さった。

60歳以上のミュージシャン、彼よりも影響力のあるロックミュージシャンは、世の中にはたくさんいる。他のお客さんがTHE三洲のロックに何を感じたかはわからないが、私は、彼のロックに、将来への不安、老いへの恐怖をはね除ける強さを見いだしてしまった。THE三洲は、どのように歳を重ね、未だにロックし続けているのだろう。

THE三洲がロックに目覚めたのは、中学生の頃だという。当時の彼にとって、ロックは〈子守唄〉だった。授業でつくったラジオで、夜な夜な、ラジオから流れてくるロックを聴きながら、彼は眠りについていた。高校生になり、軽音楽部に入部した彼は、バンドを始めた。DEEP PURPLEやLED ZEPPELINが登場し、ハードロックというジャンルが確立した1970年代、〈音量のデカさ〉がロックを表現するうえで重要視されていたという。「当時は、音がデカければデカいほどロックだったんです。とにかく、もっとでかい音が出ないかな、とアンプのツマミをMAXまでひねってみたり、『おまえバカか、そんなでかい音で聴いて』って周りから怒られるくらい、ウォークマンから音を漏らして、ロックを聴いてましたね」。彼にとってのロックは、〈子守歌〉から〈音量のデカい音楽〉になった。

THE三洲は、高校を卒業してもなお、バンドを続けた。バンドメンバーは、歳を重ねるにつれ、生活の安定、結婚や就職のため、ひとり、またひとりと、バンドから抜けていく。

「とにかくプロになりたかったけど、バンドがいつも長続きしなくて。当時、だいたい音楽雑誌のうしろのページにバンドメンバーの募集が載っていて、そこでメンバーを集めていました。でも、30歳を超えたあたりかな、30歳のメンバー募集なんてほとんどなくなって。40歳にもなると、同年代の仲間なんてひとりもいなくて。いたとしても超プロか、音楽は趣味、と割り切ってるか、どっちかでしたから、ひとりでロックをやろうと思ったんです。耳鳴りも、そのくらいからだったかなぁ」

〈趣味〉として割り切れずにロックを続けていたTHE三洲に、難聴の初期症状が現れた。

きっかけは、健康診断だった。聴覚検査にひっかかり、医者から「会議や、ガヤガヤしたところで、声が聞き取りにくくないですか?」と訊かれたが、そのときはピンとこなかった。ある日、強烈な耳鳴りが彼を襲った。やまない耳鳴りに不安をおぼえ、すぐに耳鼻科を受診すると、難聴の初期症状だと診断された。

「若い頃、あれだけ大音量で音楽を聴いてたし、心当たりはもちろんありました。でも、歳をとって聴力が落ちるのは自然なことなので、僕は他の人よりもちょっと早かったかな、くらいに捉えています」

50代になり、聴力以外にも、THE三洲の身体に変化が現れた。「五十肩ですね。左腕はあがるけど、右腕は肩くらいまでしかあがらない。でも、まぁしょうがないか、って。パフォーマンスで腕をあげられないとカッコ悪いので、身体をそらすことで、腕をあげているように見せて、ごまかしてます」

プロになって売れるために、ロックを続けていたTHE三洲の上半身に光る〈X〉は、彼が還暦を迎えてから描きはじめた。「〈X〉は、俺がこれまで受けてきたダメ出しです。プロを目指して、これまで活動して、こんだけ〈X〉をもらったけど、やるぞ、って意味で。60歳を過ぎてからの音楽活動は、〈おまけ〉だから」

自身のこれからの活動を〈おまけ〉と言い放つのには理由があった。彼が還暦を迎える数年前、認知症になった母の介護のため、彼は40年続けたロックから離れたのだ。

「母の介護に追われ、ロックから離れて1年が経ち、俺は何のために生きているんだろうな、って感覚に陥りました。結婚して子供がいれば、全然違うと思うんですけど。逃げるようにして練習スタジオに行って、息抜きのつもりで歌ってみたんです。そしたら、まだ声が出て、歌える自分がいました。練習スタジオなので、もちろんだれも聞いてないんですけど。まだ表現ができる。自分の作った歌に、自分の想いをのせられる。60歳になった自分にも、まだ何かができる、ということに、喜びというか、生きがいというか、〈生きている〉っていう手ごたえを感じたんですよね。いつまで続くかわからないけど、これから先、生きてくうえで、ロックは俺に必要だなって思ったんです」

自分のため、60歳になり音楽活動を再開したTHE三洲は、自分のロックをどのように捉えているのだろうか。

「母の介護が始まる前は、ロックは目標であり、希望でした。だけど今は、ロックは目標でも希望でもない。若い人よりも、明日がある可能性は少ないわけだし。将来に向けて歌ってるわけでもなんでもないんです。将来を感じないわけだから。カッコつけた言いかたかもしれないけど、自分の今日を支えるために、ロックをやるんです。若い頃やってたロックと、今やってるロック、そこが全然違う」

この先、どのように歳をとっていきたいか、と最後に訊ねると、目を瞑り、眉間にシワを寄せながら、彼は必死に言葉を紡いで、質問に応えてくれた。

「どう考えても、ロックで世の中の不平等さや不満を解決するのは、不可能だろうけど、それでも、死ぬまで〈不満足さ〉を感じられる感性を持っていたいです。長生きして、いつ死んでもいいからこそ〈危険を侵してでも行動しよう〉というパッションを持っていたい。その感性まで歳をとらないようにしたい。盆栽いじってる場合じゃないだろと。そういう想いが、60歳になった今はあるかな」