BEYONCÉ『LEMONADE』解題

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BEYONCÉ『LEMONADE』解題

『LEMONADE』では、オーディエンスが今まで知らなかった、意義深いテーマや感情に向き合う新たなビヨンセを観せてくれた。普段は自らの生活を公にせず、何を公開するかを慎重に考える彼女だが、この作品では、試行錯誤や苦悩する自らの様子をありのままに見せてくれる。

レモンの絵文字、興奮気味のツイート、兎にも角にも、ビヨンセの6枚目にあたるビジュアル・アルバム『LEMONADE』に関する「#LEMONADE」のついた投稿が、今月、否、今年いっぱいは、あなたのタイムラインを埋め尽くすだろう。自身の名を冠した2013年のアルバムに続くこの作品で、歌姫は、全収録曲のMVがつながると1本のムービーになるよう仕込み、アーティストとして更なる高みに足を踏み込んでみせた。アメリカではこのムービーがHBOでプレミア放映され、記者を含むアメリカ国外の視聴者は、ライブストリームとペリスコープ(Periscope)を往き来し、ムービーが消えてしまうまでの数分間、リアルタイムで興奮をわかち合おうと躍起になった。ムービーはタイトル画面で各章にわけられ、パートナーの不倫を知って涌き起こる一連の感情を表現している。明らかに、彼女とジェイ・Zの結婚生活に立ち込めたであろう暗雲を示唆する内容だ。

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セレブリティ・ゴシップ・カルチャーではよくあることだが、アーティストのプライベートが反映された作品は、ゴシップ視点から解釈されがちだ。『LEMONADE』リリース直後の反応はまさにそういったところだろう。もちろん、この作品はアートであり、解釈は自由だ。とはいえ、約1時間のこの作品には、ゴシップ的解釈だけでは理解し得ない多くのメッセージが込められているはずだ。そこで、収録曲と随所にちりばめられたテーマを通して、ビジュアル・アルバム『LEMONADE』を読み解いてみたい。

直感:「PRAY YOU CATCH ME」

非常に美しいオープニングショットの後、ビヨンセのクレオール系ルーツに敬意を示す、ルイジアナと明らかにわかる光景が広がる。短いイントロに続いて、ムービーの中で繰り返し登場するモノローグが始まる。最初はよくあるナレーションのようだが、「あなたは私の父親みたい。イリュージョニストね。ふたつの場所に同時に存在できるの」というセリフで様相は一変する。ビヨンセの父でもある元マネジャーの不倫はあまりにも有名で、自分の夫が同じ振る舞いをした、と捉えても考え過ぎではあるまい。「I pray I catch you whispering, I pray you catch me listening(あなたがささやいている現場を押さえられたら。私が聞いているのに気付いてくれたら)」。具体的な証拠、問い詰める機会さえあれば、と願う気持ちを、ビヨンセが歌う。彼女がビルのレッジから飛び降り水中にダイブするシーンは、深みにはまってゆく心情をビジュアルであからさまに表現している。あらゆる信仰、信念において、水は変容と再生への道、と考えられている。

否定:「HOLD UP」

不気味な水中のベッドルームを泳ぎ、眠っている彼女自身の傍に辿り着くと、次のモノローグが始まる。ソマリ系イギリス人詩人ワルサン・シャイア(Warsan Shire)の『For Women Who Are Difficult To Love』からの引用だ。そして、ビヨンセが建物の中から現れ、彼女の歩いた階段を水が流れ落ちていく様子から、ディプロのプロデュースによるレゲエテイストの「Hold Up」がスタートする。ここで、ブードゥーや西アフリカの宗教的イメージが明らかになるのは、一部事情通の視聴者が投稿した通りだ。黄色のドレスに身を包んだビヨンセの姿は、愛と性と復讐の喜びをつかさどる、黄色がイメージカラーの「悪の女神オシュン」を彷彿とさせる。「What a wicked way to treat the girl who loves you(あなたを愛している女の子をこんな目にあわせるなんて)」と歌いながら「ホットソース」と名付けたバットを振りまわし、車のフロントガラス、消火栓、カメラのレンズを叩き壊す。

怒り:「DON’T HURT YOURSELF」

ビヨンセのルーツに再び敬意を表し、賑やかな通りをパレードするマーチングバンドとダンサーの描写に続き、怖しくも悲しいモノローグが始まる。「If it’s what you truly want, I can wear her skin over mine.(あなたが本当に望むなら、彼女の皮をかぶってあげる)」。シャイアの詩を再度引用し、彼女の夫、JAY Zの不倫に対する怒りにビヨンセが真っ向から向きあっているように思われる。歌姫がオーディエンスに心情を吐露しているのか、彼女のような状況にあるオーディエンスと癒しのストーリーをシェアしているのか、どちらにせよ想像の域を出ない。

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「Don’t Hurt Yourself」の舞台は薄暗い灯りのともるガレージ。ジャック・ホワイト(Jack White)がサポート・メンバーに加わり、レッド・ツェッペリンをサンプリングした野卑なロックだ。「Who the fuck do you think I am? You ain’t married to no average bitch, boy.(あたしを誰だと思ってんの? あんたはそんじょそこらの女と結婚したんじゃないんだよ)」。「アメリカで最も虐げられているのは黒人女性だ」と演説するマルコムXの声をバックに、ルイジアナの女性たちを写したモンタージュがテンポよく切り替わる。アルバム全体の狙いが、ビヨンセだけでなく、全ての黒人女性にとって、ある種のカタルシスであるのが明らかになる。間接的にせよ、彼女のペルソナがより政治色を帯び、素材の選択からその意図が伝わる。

無関心:「SORRY」

ビヨンセはバスの中で、複雑で印象的な白のボディペイントを施した10人以上の女性に囲まれている。ペイントを担当したのは、ナイジェリア系アメリカ人アーティスト、ラオル・センバーニョ(Laolu Senbanjo)。彼は、女神の魂と彼自身をつなぐ媒介であるヨルバの宗教儀式からインスピレーションを受けて創作する。その後、シーンはすぐに替わり、ビヨンセが玉座に腰掛ける傍らで、セリーナ・ウィリアムズが最高のトワークを披露する。アイザック・ヘイズの「Walk On By」がサンプリングされている、明るいテンポの「Sorry」は、捨てられた恋人の無関心で開き直った捨て台詞のようにも聞こえる。「Today I regret the night I put that ring on(あの夜指輪なんてしなければよかった)」

この作品の随所で、ビヨンセはアメリカ南部のあらゆる場所にいるアフリカ系女性の作品を取りあげている。意図的であるなしに関わらず、彼女がこういったつながり強調するのは、女性、というだけでなく、黒人である、という事実に訴えるべく表現しているのでは、と捉えられなくもない。

むなしさ:「6 INCH」

この曲は、赤のドレスをまとったビヨンセが炎の輪の中に佇むシーンから始まる。火は破壊だけでなく、再生の象徴でもある。曲がりくねった廊下を進むと、目に入るのは赤に染まった光景ばかりだ。フルカラーやモノクロだったそれまでの曲との決別だ。夜の街をドライブするカットは、何もない部屋でザ・ウィークエンドの軽やかなボーカルを従えたセクシーなミッドテンポの『6 Inch』を歌うビヨンセへと切り替わる。「Six-inch heels, she walked in the club like nobody’s business / Goddamn, she murdered everybody and I was her witness(6インチのヒールで彼女はクラブにずかずかと入っていった/何てことなの、彼女はみんなを殺し、私は目撃者になった)」。誰ともしれない夫の愛人のことなのだろう。背後で家が炎に包まれるなか、彼女は怒りをそこに捨て、次のステージへと軽やかに歩み去る。

説明責任:「DADDY LESSONS」

子ども時代と子育て期の映像に変わり、女性は妻、母、娘の三役をこなし精神的に疲れ切る、とモノローグが告げる。「私はあなたの夫の話をしてるのかしら? それともあなたの父親?」。彼女の台詞をキッカケに、カントリー風の「Daddy Lessons」が始まる。ビヨンセが馬に乗って旅するシーン、父親らしい振る舞いを織り交ぜながら、自らが父親と映る映像、娘のブルーと父親が映る映像を並列し、オーディエンスは歌姫の幼少期を垣間見る。2011年に父親との仕事関係を解消した後、彼の不倫が原因でふたりの間に亀裂が入った、との噂が根強く流れていた。彼女の結婚生活の苦悩に直面するなかビヨンセは、父も夫も許そう、と心境の変化を迎える。昔ながら作法で、彼女は憎しみを弔う。

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改革:「LOVE DROUGHT」

夢の中を漂うような「Love Drought」では、水と女性同士の連帯に備わった癒しをメッセージに、ビヨンセと何人もの女性が海へと歩みを進める姿を映しだす。共に腕を振りあげる姿は、女性と子どもを守る癒しの女神イエマヤを中心とするヨルバの神々オリシャをイメージさせる。「Daddy Lessons」は、父への怒りを鎮めるビヨンセを描いたが、「Love Drought」では、自らの結婚生活が再生に値する、と彼女が気付く。「You and me could move a mountain/ you and me could calm a war down(ふたりは山も動かせた/ふたりは争いも鎮められた)」。悲し気な曲調に乗せて、彼女はこう歌う。スーパーボウルでのパフォーマンスが世間を騒がせたが、ここでは、それを目前に控えた彼女の映像が流れる。家族がオープンフィールドで遊ぶ光景は穏やかさを醸し出す。断言はできないものの、彼女たちの結婚生活が本当の意味での平穏を探し始めた様子を表現しているのかもしれない。

許し:「SANDCASTLES」

ここまで聴きすすめると、ビヨンセが何を許そうともがいているのか明らかになる。しかし、あくまでも彼女なりのやり方だ。これまでの曲で表現した、全ての非難、内省、癒しは、情感たっぷりのピアノバラード「Sandcastles」でクライマックスに達する。飾り気のない部屋で、ビヨンセは弾き語りを披露する。オーディエンスがこれまで信じ込んでいたよりも、はるかに弱いジェイ・Zの第一印象を歌い上げる。ストリートからキャリアを積み重ねてきたアーティストとして、かつては、女性を心から愛することなどない、と公言した男を優しく見つめる目だ。Jay Zが怒りと侮蔑の対象になり、嘘であろうとなかろうと、彼の弱さが露呈し、オーディエンスを突き放してきたアーティスト2人の新たないち面が明らかになった。ヴィンセント・ベリー(Vincent Berry)とビヨンセが共作した歌詞は、まだ傷ついてはいるものの、希望を忘れていない彼女の心を表現し、普段は乱れなどない歌姫の声が「What is it about you, that I can’t erase baby?(あなたの何をどうしても消せないのかしら、ベイビー?)」と歌うパートでは、感情の震えがハッキリと聴き取れる。

再生:「FORWARD」

ここで再びシャイアの詩が引用され、ビヨンセとジェイムス・ブレイク(James Blake)のハーモニーが次に続くパワフルなシーンへといざなう「Forward」が幕を開ける。「It’s time to listen, it’s time to fight/ Forward(耳を傾ける時よ、戦う時よ/前を向いて)」。許しのプロセスに、忘却、という重要なステップを付け加える。女優のクヮヴェンジャネ・ウォレス(Quvenzhané Wallis)や公民権運動家リー・チェイス(Leah Chase)、警官の暴行により他界した黒人男性トレイヴォン・マーティン(Trayvon Martin)、マイケル・ブラウン(Michael Brown)の母親など、今は亡き、親愛なる個人の写真を手にした大勢の黒人女性が登場する。この曲でビヨンセは、フォーカスを自身の内から外に向け、手をとりあって癒しを求めよう、と呼びかけている。マルディグラ・インディアンのコスチュームを身につけた少女が、誰もいないダイニングテーブルの周りでタンバリンを叩く姿に、彼女のルーツが再度表現されている。

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希望:「FREEDOM」

ジャスト・ブレイズ(Just Blaze)との共同プロデュースによる、ゴスペルの影響を強く受けた「Freedom」は、黒人女性に立ちあがれ、と呼びかける鬨の声かのような作品。そのビジュアルとケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)の参加は、これ以上ないマッチングだ。ゼンディヤ・コールマン(Zendaya Coleman)、アマンドラ・スタインバーグ(Amandla Stenberg)、ブルー・アイヴィー(Blue Ivy)、発言を恐れない若い女性たちをフィーチャーしたこの曲で、ビヨンセはバレリーナのミカエラ・デプリンス(Michaela DePrince)と共に現れ牧師のような役まわりを演じ、女性たちは啓示を求めて集まる。ビヨンセは、通じ合える、と彼女が感じた黒人女性たちと経験をわかちあい、共に立ち上がる。なかでもコールマンとスタインバーグのような、自らのアクティビズムをアートに昇華する、逃げも隠れもしない新世代アーティストの擡頭を実感させられる。

「I break chains all by myself(私は自らの力だけで鎖を断ち切る)」とビヨンセは挑戦的に言い放つ。「I’mma keep running cause a winner don’t quit on themselves.(私は走り続ける。勝者は辞めたりしないから)」。アルバムの中で最もパワフルな曲で、ビヨンセは自らの解放だけでなく、特にアメリカでいまだに根強く残る体制上の不平等を解消するために何が必要なのかを、オーディエンスに告げる。理解し難く、他人と打ち解けない、と誤解されていたかもしれないが、ビヨンセが黒人女性として、世界をどう観ているのか、衒いなく表現できるようになったのは明らかだ。

償い:「ALL NIGHT」

この曲で、「愛と癒しによる再生」というアルバムのメイン・テーマが明らかになる。ジェイ・Zの祖母が90歳の誕生日パーティーで「レモンをもらったら、レモネードにするのよ」とスピーチする姿がフィーチャーされる。祖母だけのレモネードのレシピを共有し、ビヨンセは、女性のあいだで世代を超えて受け継がれる力を明らかにし、全ての黒人女性、そして、ひとりひとりが困難に直面して発揮する、立ち直る力を誇示する。警官による暴行、それが公正に裁かれない状況が続いているなかで、遺族が見せる姿こそ、その力を体現している。普遍的で誰にでも該当するメッセージではあるが、このオードが特定の相手に向けられているのは明白である。

「All Night」でビヨンセはOUTKASTの「Spottieottiedopaliscious」に触れ、壊れた関係を修復する決意を表明する。「Found the truth beneath your lies / And true love never has to hide / I’ll trade your broken wings for mine(あなたの嘘の奥にある真実をみつけた/真実の愛は顕われざるを得ない/あなたの折れた翼を私の翼と取り替えてあげる)」と廃墟を歩きながら彼女は歌う。こんなことが起きなければ公にされることなどなかったであろうビッグカップルの結婚式、母親の再婚、様々なカップルの幸せそうな姿、妊娠中のビヨンセなど、愛を切り撮った映像が流れ、家族全員で掴むハッピーエンドを迎える。

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「FORMATION」

この曲こそアルバムで表現したニューオリンズへのオマージュの集大成だ。MVをニューオリンズで撮影した結果、『LEMONADE』は、裏切り、愛、女性の団結、家族、癒しの意味を追求する黒人、そしてアメリカ南部が創りだすアート、という後ろ盾を得た。

悲嘆のステージ同様、『LEMONADE』は、オーディエンスが今まで知らなかった、意義深いテーマや感情に向き合う新たなビヨンセを観せてくれた。普段は自らの生活をあまり公にせず、何を公開するかを慎重に考える彼女だが、この作品では、試行錯誤や苦悩する自らの様子をありのままに表現している。どこまで真実に基づいたストーリーであるのかも定かでないせいで、「キレイな髪のベッキー(Becky with the good hair)」の正体を暴こうとする好奇心が過熱している。インスタグラムへの投稿(削除済み)をめぐってファッション・デザイナーのレイチェル・ロイ(Rachel Roy)を非難するファンさえ現れた。ありとあらゆる推測、憶測が可能な作品だけに、ある意味、話題ではあるが、『LEMONADE』をアートとして尊重し、下衆な勘ぐりをするよりも、作品そのものに圧倒されればそれでいい。

純粋で、赤裸々で、内省的な『#LEMONADE』のひとコマひとコマに自分自身が観えてしまう。時には強力な癒しを必要とするものの、黒人女性であることは素晴らしい、と再確認させてくれた。そして、感情に直裁に訴える南北アメリカやカリブにいまだ残る伝統的儀礼や図象は、自覚があろうとなかろうと、オーディエンスをアフリカへと結びつける。誰もが次のアクションを心待ちにする、ビヨンセのようなアーティストにとって難しいチャレンジなはずだが、魅力的なビジュアル・アルバムは、オーディエンスの期待をはるかに上回ったのだ。