Charles Bronsonデビュー20周年記念! マーク・マッコイを強行取材

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Charles Bronsonデビュー20周年記念! マーク・マッコイを強行取材

マーク・マッコイは「自分は昔を懐かしむような人間ではない」と言った。それでも私はCharles Bronsonのデビュー20周年を迎えた現在だからこそ、デビューから今、未来における彼の音楽や芸術について聞いてみた。

“Hardcore Before Mark McCoy Was Emo Semen”.
(マーク・マッコイ以前のハードコアはEMOザーメンだぜ!)

…とは、カリフォルニアのパワーバイレンス/スラッジコア・バンドSPAZZの曲のタイトル。こんな曲が存在するほどマーク・マッコイはハードコア・シーンにおいて特別な存在なのでした。そして彼が在籍していた伝説のバンドCharles Bronsonがデビュー20周年を迎えました。それなのにマッコイは当たり前のようにバンドの再結成はせず、記念盤のリリースもせず、現在の活動を真摯に続けていくのみ!このインタビューを読んで頂いたら分かります。この男、すんごい真面目!そしてすんごく意志が強い!こちらの近影からも静かなる闘志がヒシヒシと感じられますね。

「I can’t be friends with you because you like Epitaph」
(お前とは友達になれない。だってお前はエピタフ好きだから)

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…なんて叫んでいた天然パーマ君もスゲエ大人になりました。でもその心はあの時と全く変わっていないのでした。

Charles Bronsonはイリノイ州デ・カルブ出身。90年代半ばにわずか3年間活動しただけのバンドだったけど、バンドと同名のアクション・ムービースターのチャールズ“う~ん、マンダム”ブロンソンのように依然として人気の高い伝説的バンド。メンバーは同時にLos Crudos、MK-Ultraにも在籍していて、この3バンドによって世界中がシカゴのハードコア・シーンを注目することとなった。Charles Bronsonは1997年に解散したが、メンバーは次の道へと進んでおり、特にヴォーカルのマーク・マッコイの働きっぷりと言ったら!現在もシーンのキーマンとして大きく君臨している。

解散後、マーク・マッコイはサンディエゴからアムステルダムまで股にかけて、多くのバンドを結成したり、デサインやアートワーク・アーティストとしてのキャリアに乗り出したり、更にはYOUTH ATTACK RECORDSも立ち上げた。このYOUTH ATTACKは、元々Charles Bronsonの海賊盤リリースを防ぐため設立されたのだが、現在では100もの作品をリリース。マッコイ自身のプロジェクトや、他の新しいバンドを輩出する大きなプラットフォームになっている。

彼は「自分は昔を懐かしむような人間ではない」と言った。それでも私はCharles Bronsonのデビュー20周年を迎えた現在だからこそ、デビューから今、未来における彼の音楽や芸術について聞いてみた。

——Charles Bronsonのファースト・ショーから20年が経ちましたが、現在はどんな状況ですか。

僕はついていると思います。YOUTH ATTACKのおかげで、クリエイティブな人達と一緒に好きな事が出来ているのですから。誰にも左右されず、自分のやりたい事を追求出来るならば、それ以上の幸福は要りません。僕の音楽や芸術活動はすごく手間がかかるんです。数年間もかかるプロジェクトもあります。だからしっかりとゆっくりと納得行くまで進めて行きたい。疲れ切って想像力も無く、質の悪い作品を作る人が未だにたくさんいますが、僕はそうなりたくない。だから更に一所懸命頑張らないといけないのです。そういう事が自然に出来るようになるには、世の中の物事と距離を置くことだけが必要ですね。僕は目に入るものの殆どに興味が持てないので、その代わり自分の世界を築き上げたいです。

——デビュー当時、パンクやハードコアとはどのように付き合っていましたか?

当初の僕はまだまだ世間知らずで素直だったと思います。両親は大学に入れてくれたし、時間もたっぷりあった。だからライヴにもたくさん行けたんです。毎週バンドを観に行きました。でもライヴに行くうちに90年代のパンク/ハードコア・シーンがちょっとおかしいんじゃないかって思うようになりました。当時のハードコア・シーンに関わった人の大半がなんだか劣等感とか罪悪感みたいなものを持っているような気がして、更にそれをアピールしているような気がして。劣等感とか罪悪感が彼らのやる気の源で、誰がそれを一番持っているのか?みたいな競争をしているように感じたんです。それは何だか教会みたいで…。彼等の音楽はすごく好きだったけれど、僕がそのようなシーンの一員だと思ったことはありません。それがCharles Bronsonスタイルの基本なんです。もちろん僕らも反抗的で、文句を歌ったりしてましたが、その一方で僕たちはシーンの外側にいるとずっと思っていました。矛盾してますよね。(笑)でもだからこそ自由に取り組む事が出来たと思うのです。現在それらについて懐かしみたいとは全く思いません。ハードコアは依然として生き続けているので、昔を美化する事には全く興味がありません。

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——あなたが昔を懐かしまないとしたら、Charles BronsonとかDas Oath(Charles Bronson解散後マッコイが始めたUSとオランダの混成バンド)の再結成には全く興味はないと思いますが。

僕は再結成するバンドを常に哀れに感じています。友達はやって来たり、去って行ったりするものです。一人を失くしたとしても新しい仲間を見つければいいのです。それが人生です。同窓会とか行くといつも思うのですが、みんな過去の事ばかり話して、未来に進むことを恐れている気がします。死が現実味を帯び始めると、それが理由で再び子供の頃に戻りたくなったり、赤ちゃんを作ったり、バンドを再結成するとか思っちゃうんでしょうか。とんでもなく絶望的な行動だと思うのです。

——YOUTH ATTACKは誕生からどう変わりましたか。Charles Bronsonのディスコグラフィーをリリースする役割を果たすためだけだったこのレーベルが今のような大きなレーベルにまで成長すると思っていましたか?

Charles Bronsonが解散して僕はニューヨークに引越しました。その2年後にCharles Bronsonのディスコグラフィー盤をリリースしたのですが、それまでは学校が忙しくてハードコア・シーンとは離れていたんですね。でもようやく修士号を取って時間が出来たので、再びシーンに目を向けるとワクワクするようなバンドがたくさんいることを知って。それでまたのめり込んだんです。でもレーベルをするにあたって、コンピューターも持っていなかったし、経営についての基礎も分からなかった。ただ分かっていたのは、仕事とか事業として取り組みたくはなかったって事です。それだけでした。レーベルは感情というよりも意志の力でやっていけました。なぜなら事業としての視点からは成功とは程遠いものでしたから。今も全く賄えていませんが、それは問題ではありません。僕が考えていることは、5年後どこにいるだろうとか、401k計画(アメリカの確定拠出個人年金制度)を持つべきだろうか、なんて事ではなくて、次の、明日の一歩を踏みだすことだけです。僕はレーベルが大きくなることは望まないし、実はもっと前みたいに小さな形に戻れば良いと思っています。音楽界があれこれどう思うのかに対しても無関心です。僕の活動は彼らからは認められていませんが、数人が僕の作品を楽しむのであれば完璧。僕の一番気になるところは作品の完成度です。

——あなたはたくさんのバンドで活動して来ましたが、その中で大好きだった特定のバンドはありましたか。比較出来ないでしょうか?

Charles BronsonとDas Oathは親友と始め、曲作りもみんなで直感的にやってました。それに比べるとFailuresは楽しいという感じは無かったのですが、元々それが目的であり、限界まで全力を尽くしたので、色々な意味で他のバンドよりも満足感が高かったです。Failuresの『DECLINE AND FALL』はたった14分のレコードなんですけど制作に3年ほどかけました。以前のバンドの作品は雑な感じだったので、違うアプローチでもっとゆっくり進めることが重要だったんです。それで毎週バスに乗って、ニューヨーク市から5時間ほど離れているマサチューセッツ州のデッドエアー・スタジオでメンバーのウィル・キリングワースによる録音で作ったのです。僕たちは疲れ切るほど頑張ってもなかなか気に入ったものが出来なくて、結局次の週末にもう一度来て、また最初から全部をやり直す…そんな感じでした。僕たちは何千ドルもバス代に費やしたに違いありません。そしてウィルは我慢強かったです。

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——続いてDas Oathについてなのですが、メンバーの半分がアメリカで、残りのメンバーがオランダにいたことを考慮すると、活動は大変だったのではないですか?

Das Oathの予定は、いつも前もって、時には数年前に計画されていました。僕たちは絆がとても強かった。今回は僕とネイト(・ウィルソン)がアムステルダムに行く、次回はオランダ・チームがアメリカに来る、こうして活動してたんです。もちろん僕たちにはお金がありませんでしたが、若かったので不安定な生活でも構いませんでした。ドラムのマルセル・ヴィベンガはオランダの政府から音楽家の活動応援のための手当を与えられ、他のメンバーはレーベル事業を開始していましたから、何となくツアーが出来るようになったんです。でも結局マルセルは手当をもらえなくなり、ジェロエン・ヴリィジョフとネイトは安定した仕事を始めたのでレーベルをやめました。徐々にバンドは消えて行ったんです。

——Virgin Mega Whoreへの訴訟について聞かせてください。(マッコイがCharles Bronsonのジェフ・ジェレンとやっていたキーボード・ディスコパンク・ユニット。ヴァージン・メガ・ストアから訴訟された)

頭のおかしい彼らは僕と話そうと何回も家までやって来ました。僕は彼らの意図が良く分からなかったので数週間連続で彼らを避けました。彼らは連絡せず突然現れ、ルームメイトが僕は不在だと嘘をつくことは珍しくありませんでした。でも彼らはシカゴでジェフを捕まえたんです。ジェフは電話で「ヴァージンに対して名誉毀損を犯したため、6万ドルの賠償金を求められるとの出頭命令を受けた」と。私たちは大爆笑しました。何言ってんだろうと。更にヴァージン側弁護士たちが持っていた事実の多くは正しくなかったのです。というのも、ウェストコーストにも同名のガールズ・パンク・バンドがいて、彼らはみんな同じ一つのバンドだと思っていたのです。(笑)僕は「バンドは解散した」と彼等に伝えました。そして彼等は訴えを取り下げました。しかしそれから6か月も経たないうちに、Virgin Mega WhoreのCDはヴァージン・メガ・ストアで売り出されたんですけどね。(笑)

——皮肉的ですね。(笑)フェリックス・ヴォン・ハボック(Destory !、Code-13などのシンガーで音楽ライター。HAVOC RECORDSも運営している)との長い確執について教えてくれませんか。

すいません、それは話題にすべきものではありません。孫武も言っています。「コツは敵の心を取り乱すことにある。これによって彼らは私たちの本音を読み取れなくなる」と。

——では質問を変えて。あなたは音楽とアート、最初に興味をもったのはどちらですか?

アートでした。私が絵を書くことに才能があると聞いたのは6歳の時でした。ある日警察官が、子供達への安全に関するアドバイスをするため教室を訪れました。優しそうな警察官は、安全について書かれたぬり絵をおみやげに持って来てくれました。僕は顔の無い警察官に悪魔のような表情を念入りに描いたことを覚えています。ああ、その絵がまだあればよかったのに。とにかく描ける時はいつでも描いてましたね。授業中には戦闘シーンや迷路みたいなのを描いてお父さんにプレゼントしてました。まあ、現在の僕の絵もその頃と変わってませんが。

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——あなたのアートワークの作品で特に気に入っているものを教えてください。

ピエロのジャケットのSQRM『Rodeo LP』が、僕にとってのクラシックです。私たちが喜んで我慢する不満を、悲惨な質の悪い化粧をしたピエロが、涙がこぼれそうに表現するさまは悔しくてたまらないものです。あと、顔が厚切りのコンクリートになっている上級将校ジャケのHoaxセカンドLPも大好きです。兵士達をどん底に引きずりおろす、岩で出来ているパラシュートの反復的広がりと、指揮系統の愚かな、自滅的真髄を表現することでした。

——あなたの芸術からは死に対する根本的な焦点も感じられます。このHoaxのジャケットもそうですし、「Manners Journal VOL 1」「When I Die」シリーズからもそういう印象を受けます。

死の受け入れは僕が生きていることを実感することに役立っています。日々の重要性を認めるかどうかは僕次第です。僕は死を恐れるよりも受け入れようと頑張っています。

——それは「Manners Journal」シリーズと結びついていますか。暴力的で、性的であるようにも思われますよね。

性と暴力はドキドキするもので、それらの力に興味がそそられています。僕の人生は脆い。僕は不安定に人生を歩んで行きますが、僕のやる気を起こすのは人生の強烈さにあります。

——次の芸術作品はなんですか。

ドイツのデュッセルドルフのスローボーイ・ギャラリーで「Devouring Ghost」という4月のソロ展覧会のために作品を制作しているところです。僕はこのシリーズを2010年に始めて以降、絶えずそれに取り組んで来ました。この展覧会は9つの絵で構成されていて、それぞれの絵は仕上げるのに約5か月から8か月間かかりました。このイベントは2009年のロサンゼルスのホープ・ギャラリーでの「Hallow」展覧会の続きとなります。前の作品よりも建築的で、より深いものとなっていますよ。

——音楽は?

Failuresのアンドリュー・ジャックマウ、ウィル・キリングズワース、Suburbaniteのクリス・オコイン、そしてイアン・ジャシスニンと共にAbsolute Powerという新しいバンドを結成しました。僕たちは慌てずにアルバムに着手します。リリースが本当に楽しみです。あとYOUTH ATTACKからはデンバー出身のCity Hunterによるデビューアルバムを出します。僕はこのバンドに本当に夢中なんです。最近の中ではベストですね。またThe Reposはもうすぐ「Poser LP」を録音するためにスタジオに入ります。そのアルバムも期待出来ますよ。

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