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スラッジ界のゴッドファーザー カーク・ウィンドスタイン(CROWBAR)に訊く

CROWBAR、DOWN、THE KINGDOM OF SORROWのカーク・ウィンドスタインは、あらゆるものを見てきたスラッジ界のゴッドファーザーだ。彼の目、白髪交じりの髭、そしてエモーションたっぷりに響き渡る声にも、彼の経験が溢れ出ている。

カーク・ウィンドスタイン(Kirk Windstein)は、あらゆるものを見てきたスラッジ界のゴッドファーザーだ。彼の目、白髪交じりの髭、そしてエモーションたっぷりに響き渡る声から、経験が溢れ出ている。その声は、何年も酷使されたため、嗄れたものであるが、しかし同時に、ニューオリンズ訛り特有の暖かみがたっぷり染み込んでいる。私が生まれた頃、彼のバンド、CROWBARは、既に活動を始めていた。2008年には、彼らの20周年記念ライヴのために、私はニューオリンズを訪れたが、今度は30周年記念が迫って来ている。信じられない。

今もなお、バンドパワーは健在。そしてバンドへの熱意、やる気スイッチも「ON」の状態のままだ。CROWBARは、11枚目のスタジオ・アルバム『The Serpent Only Lies』を、Entertainment One Music (eOne Music)からリリースした。それもあってか、ウィンドスタインの気分は良さそうだ。そもそも、機嫌の悪い彼を知らない。2011年には、過酷なメタル・アライアンス・ツアー(Metal Alliance Tour)に同行したのだが、そのときも彼はいつもご機嫌だった。CROWBARは、ここ数年はややペースを落としているが、成長期を経て確実にバンドは安定期に入っており、ウィンドスタインからも、活動に対する静かな喜びと平和な日常が感じ取れる。その雰囲気は、屈強なフロントマンのイメージからは懸け離れているが、穏やかさに嘘はない。

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ウィンドスタインは、ツアーの真っ最中だ。CROWBARは、いつもツアーをしている気がする。ニューヨークだけでも、ここ最近、4回は来ているらしい。しかし、スーパー・ドゥーム・バンドであるDOWN、そしてTHE KINGDOM OF SORROWでウィンドスタインは二役も三役もこなしていたあの頃に比べたら、今の活動は穏やかだ。現在の彼は、かなりリラックスしている。

ツアー中の彼は、演奏以外でも忙しい。間違いなく疲れているはずだが、ウィンドスタインは、今まで以上に愛想良く、口数も多かった。曲のリフから、信仰心、挙句の果てには酒癖まで、彼は話す気満々だ。私たちは、ブルックリンのメタル・バー「SAINT VITUS」のベースメントにある、威厳に満ち溢れたボロボロの皮のソファーに腰をおろして、話し始めた。

こんにちは!

おう、元気にしてたか?

はい、元気です。普通の生活をしていますよ。昼間の仕事をして、犬も飼って。彼氏とも順調です。ちょっとは成長したでしょう?

俺も同じだ。大まかにいうと、ビールを飲んで、水も同じように飲む生活だ。あまり運動はしていないが、ちゃんと食うようにしてるし、死ぬほどサプリメントも飲んでいる。あとな、「家族タイム」ってものを始めようとしてる。半分は外出して、もう半分は家で過ごす。すごく、順調だよ。

バンドがCROWBARだけになって、かなり健康的な毎日を過ごしているようですね。

かなり楽だ。2011年のある時期には、CROWBARで1ヶ月ツアーして、1週間休んで、そのあとDOWNで1ヶ月やって、10日間だけ休んで、KINGDOM OF SORROWで、メイへム・フェス(Mayhem Fest)に参加した。そのフェスも確か40日間くらいあったな。その間、俺はほとんど飲まなかった。ジェイミー・ジャスタ* (Jamey Jasta)が、「ちゃんと歌って、演奏して、インタビューを受けて、サインも終わってから、初めてビールを飲んでいい」なんてぬかしやがった。「お前は、俺に借りがあるだろ!」ってさ。だから、「ああ、そうだな、お前が正しい。俺は1日中、オ・ドウルズ** (O’Douls)と水だけにしとくよ。シラフでちゃんとするよ…」ってね。他のメンバーは、誰も酒を飲まないんだ。

前に、あなたがよくいっていたフレーズを覚えてますよ。「オールド・フール(マヌケな老ぼれの)のオ・ドウルズ」とは。

「ハヴ・ア・コールド・ワン・ウィズ・オールド・ワン(老ぼれに冷えたのを一杯)」ってのもあったな。

CROWBARは、11枚目のアルバムを発表しました。すごい数になりましたね。こんなバンド人生になるとは考えていましたか?

いろいろな道を通ってきたのは確かだ。しかし結果的に、バンドを始めたときから欲しかったものが手に入った。金持ちで有名なロックスターになりたかったわけじゃない。音楽を演奏する世界で、長生きをする能力が欲しかったんだ。自分の音楽で生計を立てたかった。それができたんだから、すごく感謝している。

まるでMOTÖRHEADみたいですね。

ああ、それだ! ゆっくりと、しっかりとな。これはレースじゃない。俺たちは変わらないで、すべてのジャンルの狭間で生き残ってきた。80年代後半から、現在までのあらゆるジャンル、そしてサブジャンルまで、すべての狭間だ。俺は、最近の音楽を「モール•ロック」と呼んでいる。「HOT TOPIC* 」に置いてあるようなヤツだ。俺たちは歳を取り過ぎたから、あんなのはもう無理だ。でも俺たちは、自分たちの音楽をやって、それでうまくいっている。それにファンにもすごく奉仕している。キラー・アルバムを出して、毎晩ステージでは完全燃焼する。これからも、そうやって続けていくんだ。

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ファンは今でも、CROWBARの作品、そしてライヴを楽しみにしています。すごく特別です。たいていのバンドは、これほど長く続きませんから。

この業界には、頂上があり、谷底がある。今、どのジャンルが熱くて、一番キテいるかで、高低が変わる。だがな、その頂上にも、谷底にも、惑わされてはいけない。自分のやるべき音楽、活動を続ければいいんだ。谷底でも、生き延びられるのなら…そう、持続させていくだけだ。今回のツアーからは、オリジナルメンバーだった「セクシーT」ことトッド・ストレンジ(Todd Strange)が戻ってくる。ヨーロッパではOVERKILLと共演する。本当に楽しみだ。

とにかく、CROWBARが長期休暇に入らなくて良かった。DOWNが盛り上がっていたときは、メールチェックする度に「はい! DOWNのヨーロッパ・ツアー決定!」とか、そんなのばかりだった。その度に、CROWBAR関連の予定を、すべてキャンセルしなければならなかった。DOWNが最優先、という契約をしていたから、かなり厳しかったし、どうしたらいいかわからなかった。まぁ要は、CROWBARにはない活動資金が、DOWNには十分あったというわけだ。

現在のCROWBARは、コンパクトなクルーで活動していますよね? 奥さまも物販を手伝っているとか

そうなんだ。ドライバーがローディーも兼ねているんだが、会場からもローディーが付くから助かっている。今回は、28日間で26回ライヴをするんだが、ここまで休みは1日だけだ。ずっとバスの中で生活して、毎日演奏だ。でもこのスタイルのおかげで、毎日金を稼ぎながら、同時に費用もだいぶ抑えられる。前に稼いでいた金額と、ほぼ同じくらい稼げている。もちろん、より多くの仕事をこなさなきゃならないから大変だけど。ライヴ数もかなり増やしている。嘘じゃない。

ダラスの「Gas Monkey」でのショーの前、俺は友達のジェイと一緒にUPSで、物販の入ったダンボール箱を調達した。14箱だ。その日、UPSの向かいにある大きな会場では、C.O.C.(CORROSION OF CONFORMITY)、CLUTCH、そしてMASTODONのライヴがあった。俺たちは、トラックに物販の箱を積んでいたんだが、友達のジェイは、その辺りにC.O.C.のメンバーがいないかと探していた。そしたら偶然、バスからペッパー(・キーナン:Pepper Keenan、DOWNのメンバーでもある)と、ウッディー(・ウェザーマン:Woody Weatherman)が降りてきた。そのまま彼らとハングアウトしたんだ。彼らは、もっと一緒にいよう、と誘ってくれたけれど、「悪いな、兄弟。こっちはDIYなファミリー・ビジネスなんだ。俺には仕事がある。ロビン* と一緒に、このクソみたいな量の物販を並べなきゃならないんだ」ってね。マジで俺たちは、丸一日しっかり働いている。

あなたは、すべてのレベルを経験してきましたよね。ボロボロのトラックでのツアーから、ビッグフェスの大トリまで。

すごく感謝しているよ。リッツ・カールトンで、自分の部屋がもらえたときは、とても気分が良かった。ロックスターの気分を味わえたな。だけどもちろん、うまくいかない日もある。今日もUPSに、物販会社が違う商品を送ってきていた。外で物販の箱をひっくり返してたら、ものすごく暑くなってきて、俺はもう汗だくだ。そんなときは、「クソ! もっといい生活ができたらいいのに」ってなる。俺はもう若くない…もう51歳だ。まぁ、トッドも戻ってきたし、ローディーもいるから、彼らがいろいろやってくれるけどね。そういえば、俺がローディーの話をしていたら、トッドがいったんだ。「こんなもの屁でもなんでもない! 俺は、これまでの16年間、夏のニューオリンズの冷房のない倉庫で、フォークリフトやらボブキャット* やらを扱って働いていたんだ。ツアーなんて、まるでジョークだ。これは、楽しい遊び…息抜きみたいなもんだ!」ってね。

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なるほど。

俺は、高校を出ているけれど、手に職があるわけじゃない。音楽がなかったら、何をしていたかわからない。いずれにしても大変な仕事をしていただろうよ。だから、自分が大好きなものに精魂込めたいね。いうまでもないけれど。

Photo by Paul Grosso

常にあなたは、バンドに喜びを見出してきたんですね。実は、それって難しいですよね。メジャー・バンドのメンバーとか、活動が完全に仕事になり、喜びを見出せなくなってしまうミュージシャンもいます。あるメジャーバンドのメンバーは、「一日のうち、楽しいのはステージに立っている1時間だけ。残りの時間は、乗り物に閉じ込められている。家族が恋しいだけだ」と愚痴っていました。悲しい話です。

気持ちはわかるよ。ロビンと一緒になったときは、正にそんな気持ちだったからな。一緒に住んでいる彼女の連れ子の長男は18歳なんだが、俺には他にも13歳の娘がいる。その娘と、前の女房と住んでいるときは、いつもツアーばかりしていた。娘は俺をパパと呼ぶし、パパがギターを弾きながら歌って、世界中を旅しているともわかっている。それが私のパパだとね。今、娘は、俺の家から一時間半くらいのところに住んでいるんだが、毎日会話はしている。滅多に会えないが、とてもいい関係だ。前の女房と俺は、娘が4歳の頃に離婚したんだが、本当に娘とはいい関係を保っているし、ロビンとの関係も含めて、上手く成り立っている。ロビンとは、いつも一緒だ。俺たちは仕事のパートナーだ。彼女は猛烈に働く。俺たちは、24時間、週7日、一緒にやっていくのが好きなんだ。

あなたにピッタリな女性を見つけたようですね。

彼女は、男連中と変わらない。女性らしいところもあるけど、最強の酒飲みたちに劣らず飲むんだ。だから上手くいく。日本で、ライヴのあとにバーで飲んでいたんだが、かなりのビッグバンドのメンバーと話したのを憶えている。「俺は世の中で欲しいものをすべて手に入れた。なのに、なぜ不幸なんだ?」と、彼は洩らした。その頃の俺は、離婚調停中だったから同じような立場だったけど、幸せを見つけられた俺は、本当にラッキーだよ。俺は、人としても、男としても、大いに変わった。前に比べて、かなりスピリチュアルになった。すべてのものに、心から感謝し、小さな物事に対しては文句をいわない。それがどんなに些細であっても、俺の持つすべてを、ありがたく感じる。そうなりたいんだよ。そしてネガティブな状況に、くよくよしない。宝くじに当たったのに、それにかかる税金に対して文句をいうヤツとは、友達にはなれない。おい、クソ野郎!お前は、パワーボール* に当選したんだ。20億もらったら、10億支払わなきゃならない…とか、どうでもいいだろ。俺はできるだけ、永遠の楽天主義でいたい。

「スピリチュアル」とおっしゃいましたが、瞑想をしたりするのですか? それとも、もっと伝統的な意味ですか?

俺は、信心深くはないが、神とイエスさまは信じている。カソリック系の家庭で育ったけれど、組織的な宗教の教えには従っていない。平和で、幸せで、できる限り最高の自分でいられるように努力をしている。だから単純にいうと俺のスピリチュアルは、ポジティブなヴァイブスってところだな。酒をやめようとしているヤツが、より崇高な何かを必要とするのによく似ている。俺は、すごく楽観的な人間だ。ロビンも同じタイプだ。だから目指すものが一緒なんだ。それが、俺たちの関係には重要だ。お互いが、違うレベルにいるのはよくない。そして上手くいかない。彼女もカソリック育ちだけれど、信仰はしていない。

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私もカソリック系です。教会に座って、ひたすら叩き込まれました。

彼らは、人を怖がらせようとする。天国への道には、ずっと罪悪感が続いている。懺悔するのもまったくおかしな話だろ。懺悔すべき何かがあるなら、神に告白すればいい。なぜ、他の誰かに自分の罪を告白するような、卑下な気持ちにならなければならないんだ?

ニュー・アルバムには、そのスピリチュアルな側面に触れている曲もあるようですね。でも、そんな風にパーソナルな面を公開するのに、不安はないんですか?

それはない。俺は心の内を率直に表現する。それをリスナーが受入れようが、拒否しようが、俺は変わらない。誠実で優しくあるよう努力している。みんなの力になろうともしている。そんな俺が嫌なら仲良くなれないし、それでいい。不安で眠れない、そんな夜はない。確かに俺は、自らの多くを曝け出してる。だが、いつも気をつけるようにしてる。ファンを追い払いたくはない。俺はインタビューで意見を貫くようにしているが、どこぞのクリスチャン・バンドなんかに間違われないようにしたい。他人がどうであろうと、それでいいんだ。友達には、まわりの意見を取り入れているヤツもいる。だが俺には、これが合っている。俺の考えが、相手と合致して、そいつを幸せにできたら満足だ。ただ自分の感情を表現しているだけなんだ。

Facebookのような場でも、ファンと深く交流していますよね。あなたのページは、いつでもファンからの投稿でいっぱいです。

世界中で、たくさんの友達ができたからね。彼らは、いわばスーパーファンだ。実際に彼らとスカイプで話したりもする。ブラジルのヤツから、ギターの練習の刺激になるように手紙が欲しい、と頼まれた。俺は座ってきちんと書いたよ。ロビンに、俺が書いているところを写真に撮ってもらい、いろんなもんにサインをして、その「ケア・パッケージ」をブラジルに送った。世界最高の気分を届けられた。すごく簡単だが、ブラジルのヤツにとっては、すごく意味がある。MOTÖRHEADのレミー(・キルミスター:Lemmy Kilmister)がそういう人間だった。DOWNのレコーディング帰りに、俺とペッパーは、よく「RAINBOW* 」に寄っていたんだが、そこにいるレミーは、とんでもなく優しかった。彼は、自分のウィスキーとタバコを持って、ビールを飲みながら、普通に話してくれる人間だった。俺もアプローチしやすい相手になりたい。俺にとって、レミーとの会話は重要な経験だ。尊敬する相手に会えたんだ。

DIOのロニー・ジェイムス・ディオ(Ronnie James Dio)もそうだ。オーストラリアのヘヴン・アンド・ヘル・ツアー(Heaven and Hell Tour)で、DOWNと一緒に回ったときは、どこへいくのも飛行機だった。その間ずっと、DIOと同じ飛行機で、同じシャトルバスだった。毎日、彼らと会えたんだ。ツアーの終わり頃だったかな、シドニーから、ニュージーランドのオークランドへ移動する途中、俺たちはみんなで、何時間も遅れている飛行機を待っていた。搭乗前の1時間、たまたまロニーと俺だけになったんだが、お互いかなり酔っ払っていて、俺はずっと彼に酒を奢ろうとしていたんだ。俺たちは、とても長い時間、深い話をした。彼は俺にメールアドレスをくれたよ。ツアーが終わって、アメリカに戻った。LAXで、それぞれ荷物を受け取り、俺は、彼に握手を求めた。すると彼は、俺をハグしてくれて、こういったんだ。「君に、神の恵みがありますように」

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熱狂的なファンにとっては、あなたこそが、現在そのポジションに立っています。あなたのサインを彫っているファンもいますよね。世界中のたくさんのファンから、そう見られている状況をどうお考えですか? どう自覚されていますか?

そういうのは、気にしないようにしている。俺の娘が知っているよ。ロビンが、俺の娘に初めて会ったときの話なんだが、一緒にランチを食べて、モールへ行った。俺たちはHOT TOPICにいると2、3人のファンが、俺を見つけたんだ。俺と写真を撮りたいと頼まれて、娘は大ウケしていたよ。自慢げだったな。そのクソHOT TOPICでは、ある曲が流れていた。聴いていると、「待てよ、これ俺の声じゃないか」と。どうやら俺がゲストボーカルで参加したTHE ACACIA STRAINの曲だった。店の男に確認すると、「そうだよ」って応えが返ってくると、娘は「パパすごい! ロックスターじゃん!」と喜んでいたよ。とにかく俺は、多くの大ファンと友達になった。そういった努力をしているんだ。

ニューオリンズには、そういうキャラクターが多いですよね。あなたも、「一緒にビールが飲めそうな人」に見えますもの。南部文化なのかもしれませんね。

文化の違いは面白い。俺たちは昨晩、ニューヨーク州のアルバニーにいた。ライヴのあとピザをオーダーしていた。注文係の女性に、うっかり「マーム(ma’am:ご婦人)」と声をかけてしまったんだ。彼女は怒っていたよ。けれど俺は、ウェンディーズのドライブスルーの店員にコーラを頼むときだって、マームっていう。たとえその店員が16歳くらいだったとしてもだ。俺とトッドが彼女に説明すると、意地悪ではなかったとわかってもらえたが、「私の名前は、キムです。ハニーとかって呼ぶのはいいけれど…マームとは呼ばないで」といわれたな。

そうですね。ニューヨークでは使いませんね。やはり「マーム」っていったら、歳を取っているように感じますよ。いわれたら、「はあ?頭おかしいんじゃない?」って。

俺も、初めて「サー(Sir:旦那さま)」って呼ばれたときを覚えている。決して忘れない。俺より若い、20歳くらいのガキで、俺とぶつかったんだ。「エクスキューズ・ミー・サー」っていわれた。今はもう、そういわれるのが普通の歳になったんだな。俺は、AARP* のカードを持っているから、51だって認めてやる。だが、元気だ。今までより良い生活ができるように、この4年間いろいろ変化させてきたんだ。

私はまだ28歳ですが、あなたほどタフではありません。

もちろん俺も疲れる。だがなぜか、ステージに立った瞬間に15歳に戻れる。たとえ何があろうとね。イマイチなライヴもあるし、客が少ないときもある。それでもステージ上で、「ここにいたくない」とは思わない。俺は元気だ。ステージに立っている。コピーバンドをやっていた頃の俺と、なにも変わっちゃいない。音楽への心からの愛と情熱があれば、すべて本物だ。ステージに立つと子供に戻れる。正直になれる。こんな年寄りのケツにも火が点くんだ。あとレッドブルだな。俺の新たなコカインだ。30秒でイッキできる。

もしバンドを辞めるなら、どんな理由が考えられますか? もしくは20年後に、BLACK SABBATHに参加していたいとか。

俺は、レミーのように生きたい。残念ながら彼は、不調のまま最後の2年間を送らなければならなかった。それでも彼はやり通した。少し昔のインタビューで彼は、「やれる限り完全にやり尽くす。引退したヤツも見てきた…つまらんヤツらだ」といっていた。昨日の夜、俺は考えた。この先、一生働くしかない。やれる限り、やり続けるしかない。最終的にウォルマートで、客のお出迎えをする羽目になったとしても、重要なのは今日なんだ。CROWBARに「New Dawn(新しい夜明け)」って曲がある。その通りなんだ。今を生きるために、ある日、目覚めなければならない。

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常に前進あるのみ…なんですね。ヘヴィーメタルの引退計画はない、と。

俺は、社会保障すら持っていない。ツアーだらけの暮らしをしているから当然だ。ただ、俺の安定した基盤は、家族にあるから、俺たちの内では、なんとなく老後をどうしたいかのプランがある。大事なのは今だ。今、迎えるべきは、今晩のライヴだけだ。俺の非常識で、狂っていたすべてが、今は同じ方向を向いて上手くいくようになった。昔に比べて、かなり考え方が変わったんだ。

悪魔を追い払えたようですね。

ほとんどはね。クスリとか、最強最悪の貧困時代とか、そういうのは終えた。今でもビールはたくさん飲む。飲み過ぎる。両膝の痛みがつらい。だから家に戻ったら、くつろぐようにしている。もちろん日々違うが小学校の幼馴染がいうには、その頃からずっと俺はこんな生活を送りたがっていたらしい。彼らに、お前の生活はどんなだ、と聞かれたので、俺はとても簡単だ、と説明した。毎日、同じ作業なんだが、まるっきり違う。機材運び、ショーのスタート。会場が変わってサウンド・システムも変わる。演奏時間も違う、観客も違う。でも、全体的には同じだ。単調だ。それでも飽きないのは、毎日違うからだ。

昨晩のアルバニーでは、取材が多いのがわかっていたから、俺は早めに寝なければならない、とロビンに伝えた。一日中仕事をしているから。今になって気付いたんだが、DOWNのときは何もする必要がなかった。夜の9時に、ステージに上がるまで、何一つしなくて良かった。だが、たくさんの責任を抱えながら演奏するのが自らのためになる。自分自身を整理できる。しっかりと油を注しておくんだ。手ぶらで来て、ポケットに金をいっぱい詰めて、今となっては、そんな退屈な日々も送った。それはでは、なんの幸福へも辿り着かない。

ステージが怖くなったりしませんか? 昨年は、本当に酷い事件もありました。

気にしてはダメだ。去年の12月にHIGH ON FIREと短いツアーをしてね。メンバーのマット(・パイク:Matt Pike)と話したんだが、彼らは、EAGLES OF DEATH METALの事件の3日後に、パリでライヴをした。マットは、「ドラムのデズ・ケンセル(Des Kensel)には家族がいるから、ヤツに訊いたんだ。『ライヴはできるか?』ってね。彼は、『やらない理由なんてないだろ』と断言した」そうだ。結局は、気の持ちようなんだよ。たまに神経を逆なでるような変なヤツもいるけれど、滅多に会わない。テロリストは、どこにでもいる。ヤツらにはプランがあるから、いつでもどこでも起こりうる出来事なんだよ。だから俺たちは、ベストな状況を願うしかない。怖がってもムダだ。すべてが安全であるように、会場に最善を尽くしてもらう努力を願うほかない。

恐怖にかられていては、ロックバンドは務まりませんね。

まぁ、そうだ。多くのバンドと同様に、俺たちも様々な場所で活動するようになった。東ヨーロッパやロシア、セルビア、ボスニア、ブルカリア、そしてルーマニアでも演奏する。おかしいかもしれないが、結局のところ、怖がっていてもしょうがないんだ。それに、会場まで来てくれるのは、俺たちの熱狂的なファンだ。彼らにとっては、すべてが新しい。まだ慣れていない。俺は、ドイツを「まともなヨーロッパ」と呼んでいる。彼らは常に俺達を理解しているが、ルーマニアのファンにとっては新しい音楽だ。ロシアでライヴをしたときは、ガキが800人くらい集まった。俺は、楽屋でずっと隠れていなければならなかった。演奏が始まった瞬間、そこは70年代のコンサートのようだった。ガキたちが叫びながら、ステージ前のバリケードまでダッシュしていた。観客が泣きながら、一緒に歌っているんだ。ライヴ後は、サインしたり、彼らと写真を撮ったりで、帰るまでに1時間ほどかかった。とても感動したよ。

今でもメタルミュージックはパワフルですが、アメリカに暮らす私たちは、その有難味を忘れてしまっているのかもしれませんね。

そういったタイプの国に行くと、自分たちがどれだけ幸せかを、思い知らされる。ライヴに来てくれたファンたちには、物販をできるだけ安く売る。いくつかはタダにしたり、おまけもつける。ギターピックは配りまくる。少しでも彼らが、良い一日を過ごせるようにしたい。チケットを買うのだって困難だ。それらの国の多くは、本当に厳しい状況にある。俺にとっても、そこでの演奏は、とても充実するんだ。

次世代のカーク・ウィンドスタインを生み出すのは、あなたかもしれないですよ。

それは確かだ。快く引き受ける!