ニール・ヤング 
粗悪な音源を垂れ流すテクノロジーとの闘い
Illustration by Andrea Domanick

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ニール・ヤング  粗悪な音源を垂れ流すテクノロジーとの闘い

音楽は、人間の魂の滋養になるが、ストリーミング・サービスが提供するMP3のクオリティだと、私たちは、音楽に含まれる栄養の、ごくいち部しか得られないと彼はいう。神から授かった、魂の権利を、金満企業家たちに奪われようとしている。ニール・ヤングは、その状況と闘っている。彼にとって、闘わない、という選択肢はない。

「キレイだよ」とニール・ヤングは、ここ最近、彼の頭のなかで流れている新しいメロディについて語った。テキサス州オースティンのダウンタウンにあるホテル〈フォーシーズンズ〉のスイートルームで、ニール・ヤングは、組んだ両脚を手で叩き、リズムを刻んでいる。大きくはだけた黒いシャツの下には〈Third Man Records〉のTシャツだ。「だけどそのメロディにのる歌詞は完全に侮辱だ。全部そう。だから、みんな相当混乱するだろうね」。黒いトリルビーハットの下にある彼の青い瞳は、空調の効いた部屋を眺めていた。彼が歌詞で攻撃するのは、ストリーミング・プラットフォームとアルゴリズムだという。呪詛と音楽だけが2018年に生きる私たちの、怒りとフラストレーションを率直に表現できる言語なのかもしれない。彼はそれを積極的に利用する。「《Profane(冒涜)》というアルバムタイトルになる予定だ。美しいメロディに乗って聴こえてくるのは罵倒…過激な作品だよ」

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72歳のヤングは、これまで、40にもおよぶスタジオアルバムをリリースし、天才として、無法者として、アイコンとして、60年もの伝説的キャリアを築きあげてきた。彼は今でも、世界救済を目指し、邪魔者には容赦ない怒りをぶつける。インタビューの名目は、今年3月23日からNetflixで配信されている映画『パラドックスの瞬間(とき)』(Paradox)だった。ヤングがミステリアスな〈黒い帽子の男〉を演じる、シュールな新感覚ウエスタンだ。しかし、すぐに話題は、2017年にヤング自身が立ち上げた大規模なオンライン・プロジェクト〈ニール・ヤング・アーカイブス(Neil Young Archives)〉に移った。このアーカイブは、THE SQUIRES初期のサーフソングから、ソロ時代のフォーク、知られざる名盤『トランス』(Trans, 1982)や『Everybody’s Rockin’』(1983)、そして2017年リリースの最新作、老いてなお盛んな『ザ・ヴィジター』(The Visitor)まで、全作品を網羅している。もちろん、音質はマスター音源並みだ。ヤングは、反戦、反モンサント、反腐敗政治など、あらゆる社会問題について積極的に発信するアクティビストとして有名だ。ここ数年でもっとも話題になった彼の活動といえば、粗悪な音源を垂れ流すテクノロジーとの闘いだ。

ヤングによると、音楽は、人間の魂の滋養になるが、ストリーミング・サービスが提供するMP3のクオリティだと、私たちは、音楽に含まれる栄養の、ごくいち部しか得られないという。ヤングが執拗にPR活動を続けてきた配信サービス〈Pono〉(普及はすっかり絶望的だが)や、ロスレス音源によるアーカイブへのこだわりを理解するには、彼の観点を共有すべきだ。神から授かった、魂の権利を、金満企業家たちに奪われようとしている。ニール・ヤングは、その状況と闘っている。彼にとって、闘わない、という選択肢はない。

最近、〈ニール・ヤング・アーカイブス〉をつくるために、過去の全カタログを振り返ったそうですが、時代の変遷に合わせて音楽をつくっていた、かつての自分に想いを馳せるのは、どのような作業でしたか?

大して何も考えていないよ。もしかしたら、いつもアーカイブを眺めて昔の自分を偲んでいると勘違いされてるかもしれないけど、アーカイブなんてただの年代記だからね。既に起きた出来事を並べておくためのプラットフォームにすぎない。私は今、手元にある全作品をどうにか整理しているところなんだ。ただ、たまには自分の作品を振り返り、没頭するときもある。それができるのは素敵なことだよ。これまでの音源を聴けるのもうれしい。今の音質は最悪だから聴きたくないんだ。巨大テクノロジー企業が音楽を蔑ろにしているからね。今のリスナーの大半は、音楽がどれほどの損失を被っているか、気づいてもいない。音楽がみんなに届き、愛されているのはすばらしい。だけど、リスナーに届いている音楽の響きは、本来の5%程度だ。30、40、50、60、70、80年代の音楽は特にそう。〈MP3〉だか何だか知らないが、新しい規格のせいだね。音楽の世界観を5%も再現できてないかもしれないよ。もし、私が画家で、自分のカラフルな作品がセピアで鑑賞されていたら最悪だよ。そんな気持ちが原動力なんだ。だからオーディオ・テクノロジーを進歩させようと努力してる。

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私は生き字引みたいなもんだから、開けて然るべき扉や窓があるとわかっているんだ。君たちみたいな、音楽を愛し、音楽シーン全体を愛し、音楽にまつわる全てを愛している音楽ファンが、扉の向こうにある今まで知らなかった何かを聴いたり、感じたりするべきなんだ。だからこそ、レコード会社の連中を問い詰める。「どうしてお前らは、音楽の真相に通じる金の扉を閉ざしてしまうんだ? フランク・シナトラ(Frank Sinatra)、キャブ・キャロウェイ(Cab Calloway)、ジミー・リード(Jimmy Reed)、マディ・ウォーターズ(Muddy Waters)、グレン・ミラー(Glenn Miller)の古い音源なんて、どれもお宝じゃないか。どうしてそんな大事な曲のクオリティを、オリジナルの5%しか伝えようとしないんだ? そんなことして、何のメリットがあるんだ?」とね。

音楽を貶めるテクノロジーとの闘いを続けていると、音楽の未来やご自身の未来に悲観的になりませんか?

いや、私は楽観的だ。人間の精神は、あらゆる問題を克服できると信じている。現状が未来の兆しだ、なんてことも考えていない。今は、振り子の最下点だ。現状は良くない。特に最大の懸念事項は、腑抜けのリーダーが、いつまでもトップの座にかじりついていることだよ。あの野郎は、子どもたちにとっても最悪のロールモデルだ。とんでもないね。でも、それよりもヒドいのは、あの男の見境のない行動が地球環境に与えているダメージだ。イヤになる。

今起きている出来事すべてが最悪だ。でも、みんな気づき始めてる。私のアーカイブに、Facebookアカウントでログインするユーザーもいるけれど、正直、やめてほしい。どうしてもFacebookからログインしたいユーザーについては、ランディングページでFacebookの真実を説明するから、必ず読んでもらいたい。そうすれば、みんなが利用しているサービスの実情がわかる。ただ、実際私もまだFacebookを利用している。それは、私たちの活動を知りたがっているファンに発信するためなんだ。みんなに、私たちが何をしているのか知ってもらいたい。本当は、直接サイトに来てもらいたいんだけどね。私たちのサイトには利用規約なんてないし、みんなの動きを追跡したり、情報を悪用したりもしない。Facebookを使わなければ、私たちのサイトは安全だよ。とにかく、私たちがみんなのプライバシーを尊重していることをわかってほしい。例えば、10歳以下の子どもたちにポルノを進めるようなアルゴリズムなんてのがあったら…。

悍ましいし、実にディストピア的ですね。そんなアルゴリズムがあるなんて、信じられません。

テクノロジーの誤用だ。本来、テクノロジーは、人生を充実させるためにあるんだ。だけど今は、良いヤツが良いヤツのために創ったツールを輩どもが悪用している。悪人がテクノロジーを操っている。開発者が自らの責任を否定するのは、絶対に、絶対に間違いだ。開発者の責任に決まっているだろう。だけど、アイツらは責任を認め、規制しようとしない。責任を果たそうともしない。でも、影響力には必ず責任が伴う。何が起きているのか、みんなに知らせなくちゃダメだよ。情報を開示しないと。

とにかくどうにかしないといけない。私のためじゃなく、アートのためだ。若いアーティストが活動したいのにできない状況なんて有り得ないだろう。どうしてそうなるかというと、楽曲の価値がなくなってしまったからだよ。曲を発表して、ある程度資金を得て、アンプを買ったりバンドのためのツアーバスを買ったり…当然の活動ができないんだ。すばらしいレコードをリリースして、それがたくさんのリスナーに届いても、金にならないんだからどうしようもない。私の楽曲、作品だってそう。私の楽曲に金を払ってくれても、CRAZY HORSEには払ってくれないし、彼らに印税も入らない。しかも、私たちが老いぼれだからじゃないんだ。誰も知らない、未来のミュージシャンも同じ目にあうんだよ。今、10歳かもしれないそいつらは、将来、どうやって活動すればいいんだ? 無理だよ。どんなアートも、かなり深刻な状況だろう。でも、私は悲観的になりたくない。どうにかポジティブな道を探さないとね。

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アートが商品化され、誰もアートと商材の違いがわからなくなりつつある気がします。将来、みんなは、精神や存在を揺さぶるものというより、アクセサリーとしてアートを捉えるようになるかもしれませんね。

プラットフォームが孕む致死的な欠陥だよ。

〈アート=投資財〉になっていますよね。

最低だ。

ストリーミングに活動の場を移すミュージシャンが増え、音楽はどんどんストリーミングというプラットフォームに吸収されていくのでは?

そんなことはないよ。絶対に。心配しなくていい。

では、何が振り子を逆側に揺らすきっかけになるんですか?

アートは酸素みたいなもんだ。私たちはそれに救われる。オリジナルに立ち返ればいいんだ。テクノロジーがそれを実現できることを、私は証明しているんだよ。みんな、私のアーカイブと同じクオリティーをだせるんだ。ビジネスに呪われたレコード会社以外はね。解決したい問題だ。事実を明らかにすれば変わるはずだよ。そんな未来がくるだろう。もしそれが叶わなくても、私は死ぬまで尽力するし、そのあとは誰かが志を引き継いでくれるはずだ。

絶対に実現する。アートは不滅だからね。アートを潰すことなんて、誰にもできない。でも、アートは呼吸しなくちゃならないから、空気を送ってやらなきゃいけない。やりすぎてもダメだよ。今、アートは喘いでいる。だから呼吸できるようにしてやるんだ。アートが息を吹き返したら、みんなの人生も充実する。

今、みんなは、音楽から溢れる悦びを享受できてない。オリジナルの世界観の5%しか再現されていないんだから、音楽がちゃんと聴こえてないんだ。名盤をレコードで聴いて、音楽に浸りきっていた頃に、私が全身で享受していた感動を、今のみんなは識らないんだよ。異変がおきたから。だから、50、60、70年代が最高なんだよ。みんな、音楽そのものを実感できたから音楽に浸れたんだ。今はなくなってしまったけれどね。だけど、もし、それを取り戻せたら、すべてが順調に進むはずなんだ。今のリスナーは、昔みたいに自由じゃないかもしれない。でも、デジタルで音楽を聴いているリスナーだって、もっともっと自由になって、音楽を吸収して、感じて、魂が悦ぶのを実感できるはずなんだ。それこそアートのあるべき姿だよ。でも、テクノロジーがそれを阻んでいる。大罪だ。

テクノロジーのおかげで音楽を聴くことへの敷居が低くなっている、という悪魔の囁きも聞こえてきます。もちろんこれは、ミュージシャンに金なんて払わなくていい、粗悪な音質に合わせた粗悪な音楽でいい、という主張ではないはずです。しかし、すべては、音楽制作テクノロジーが手頃になってしまったことに由来する気がするんですが…どうでしょう。

敷居が低くなるとしたら、クオリティーにアクセスする敷居が低くならないと。もちろん、価格は同じままでね。高価でいい理由なんてない。価格が同じままなら、それが良いんだ。これは、音楽そのものに限った話だよ。辛気臭い話だけど、なんとかならないことはない。克服できる。そのためには、みんな、もっと聴かなきゃいけない。今、みんなが聴き取っているより、もっともっと聴かなきゃいけない奥深さがあるんだ。60年代がすごかったのは、みんなそれを感じていたからだよ。コンサートにいってたから、というだけじゃない。レコードを聴いていたからなんだ。レコードには全てがあるんだよ。

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レコードはサウンドの宇宙だ。ありとあらゆるモノが詰まっている。オリジナルの演奏を鏡みたいに映しているからね。さざ波が消えたシャスタ湖に映るシャスタ山のみたいに、完璧なんだ。それがレコードだよ。ハイレゾだろうがそうじゃなかろうが、いや、特に、低いビットレートのデジタル音源は、オリジナル風に擬似構築してるだけなんだよ。鳴った音をそのまま再現しているんじゃなくて、あくまでもオリジナル風にね。扱いやすいようにしているだけ。最高の解像度じゃなきゃ、デジタル音源に美は宿らない。20世紀に比べれば、最高音質にするのなんて爆安だ。昔はメモリの都合で妥協するしかなかった。でも、今はメモリなんて気にしなくていい。ストリーミングにメモリなんて関係ないからね。

こんなに必死になってるのは、音楽に育てられたようなもんだからなんだ。私の人生はアート、音楽あってこそだよ。だからこそ、音楽プラットフォームを取り巻く状況と闘うべきだし、問題を解決すべきだ。これ以上長引かせるべきじゃない。

アーカイブという形式についてはどうお考えですか? テクノロジーがありますから、何かさらなる可能性があるのでしょうか? もしかしたら、全てがオンラインに記録されることで、音楽がないがしろにされてしまうのでは?

〈あの感覚〉が聴こえない限り、そうだろうね。あの感覚はオンラインじゃわからないから、すべてが使い捨てになってしまう。ネット上にある曲はすぐに移り変わる。まるで壁紙じゃないか。壁紙を替えれば、いつでも好きに雰囲気を変えられるんだ。明日は違う曲にして、気分を変えようだ!? クソだよ。みんな、何にも得るモノがないなんて、気が滅入るよ。例えば、みんなが大好きだった1975年の曲を流す。何百万枚と売れた曲だよ。みんなが熱狂してたんだ。だけど、今のみんなは「なんか普通の曲だよね」で終わらせてしまう。それは、聴ける曲が多すぎるから、曲の真価が聴こえないんだよ。曲を感じられていないんだ。〈感じる〉ことが全て。それこそ、私の主張で、テクノロジーが実現しなきゃいけない。アーカイブは、作品を順番に並べて、きちんとまとめるためにある。書籍だろうと、映画だろうと、歴代の米国大統領についての研究であろうとね。

おかげで家も整理できますね。

そう。アートに尊重する新しいアルゴリズムが不可欠なんだよ。それこそ、なにより大切なんだ。

ジャーヴィス・コッカー(Jarvis Cocker)は、音楽がどんどんアロマキャンドル化している、といっています。

それも電子キャンドル。小さな電源スイッチでオン/オフできるようなね。ゴミも出なくて清潔。みんながそれで満足してしまったら、ちょっとがっかりだ。君たちは、音楽ライターの仕事を続けるべきだ。すばらしい仕事だよ。私は、今の音楽を、ゴミだ、スカスカだ、という気はない。みんな、本気でつくってるんだ。でも、別の窓からも観てほしい。その窓から眺めると、これまで観たこと、感じたこともなかった新しい世界があるんだよ。そして、音楽を30分じっくり聴いてほしい。ウィードをキメて音楽を聴こう。いや、何をしていてもいい。ウィードをキメながらでも、ビールを飲みながらでも、散歩しながらでもいい。深呼吸して、音楽を聴くんだ。違った感覚を体験するはずだよ。魂の悦びがわかるんだ。最高のクオリティーで魂が歓喜する。粗悪な音楽プラットフォームじゃそれは無理だ。