All official photographs by Arttu Kokkonen

あなたは、プライヤーレンチでぎっちり挟まれる感覚を知っているだろうか? 身長約190センチのフィンランド人メタル野郎にハグされたらわかる。私が保証する。ダニ(Dani)は、長い爪を私の腕に食い込ませながら、ステージ下のオーディエンスを眺めている。その視線はあまりにも熱心で、コカイン過剰摂取の疑いを抱かせるほどだ。

しかし、コカインはない。私は、酒さえ飲んでいない。私たちはいっしょに、GUNS N’ ROSESの「スウィート・チャイルド・オブ・マイン(Sweet Child O’ Mine)」を歌ったばかりなのだ。

パフォーマンス後、「だから俺は、カラオケが好きなんだ」と私の耳にツバを飛ばしながらダニは叫んだ。私たちは、10分前に会ったばかりだ。そんな私に、ダニはハイライズのジーンズを下ろして、尻に彫られたアクセル・ローズ(Axl Rose)のいびつなタトゥーを見せてくれた。「この地球で、今の俺ほどの解放感を味わったヤツが他にいるか?」

私の存在をすっかり忘れたかのように、ダニ〈十八番はGUNS N’ ROSES「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル(Welcome To The Jungle)」〉は、次の曲をiPadに入れるため、部屋の向こう側へ歩いていった。

カラオケといえば、みんな、日本を連想するだろう。高層ビルのなかに設置されたガラス張りの部屋、良心的な値段で、外界から遮断された空間で、絶叫してもかまわない。まさに映画『ロスト・イン・トランスレーション』(Lost in Translation, 2003)のワンシーンのようで、ここまで「私は生きている!」と実感できる経験はない。日本でカラオケが発明されたのは1970年代。ホテルやバーなどに設置され、はしご酒のあいだ、アフター5に親睦を深めるために利用されてきた。

あまり知られていないが、実はカラオケ・スポットが溢れる街が日本以外にもある。フィンランドのヘルシンキだ。首都にしては小さな街だが、カラオケ・バーやカラオケ・クラブが約30軒もあり、街を歩けば数分で見つけられる。勝手にカラオケを設置しているパブもあり、その実際の数は計り知れない。それほどの人気なのだ。メタル専門カラオケ・バーもあれば、ゲイ・カラオケ・バーもある。更にカラオケ・ブースを完備している公営図書館もある。フィンランド人のカラオケ愛は、日本人よりも強いかもしれない。

「カラオケは、おじさんたちがバーで楽しむもの、家族みんなで楽しむものだと思っていました」と語るのは、ヘルシンキ滞在1日目に出会った25歳のショップ・アシスタント、サッラ〈Salla:十八番はアルマ(Alma)「Chasing Highs」〉。「私の祖父も、カラオケ・マシンを持ちこんではよく歌っていました。それが、今ではクールなんです。毎週金曜、土曜の夜は、友だちとカラオケにふらっと行くのが普通です」

他のフィンランド人からは、こんな言葉を聞いた。「日本人みたいに、私たちはシャイで控えめ」。また、感情を表に出すのも得意ではないという。「英国人が、〈自らを変わり者で言い訳がましい〉というのと同じ」。慣れたトーンでそういっていた。「どういうわけか、カラオケになると、自分を表現できるんです」とサッラ。「フレンドリーになるし、自分をさらけ出せます」

何であれ、好きなものには、とにかく良い形であってほしい。そんな気持ちを吐露してくれたのは、今回、私がヘルシンキを訪ねた理由であるイベントの主催者で、タトゥー入りの20代女性、ジョジョ〈Jojo:十八番はサム・スミス(Sam Smith)「ステイ・ウィズ・ミー ~そばにいてほしい(Stay With Me)」〉。彼女は、厳しい表情で〈良い〉カラオケ・スポットと〈悪い〉カラオケ・スポットについて説明してくれた。悪い場所は、「ホストがおらず、みんなが勝手に曲をエントリーするところ。誰もサウンドなど気にしないし、みんな酔っぱらっているから手がつけられない。サウンド・システムもひどい」。ちなみに英国のカラオケは、まさにそんな感じだ。セルフサービス・スタイルはつまらないらしく、「そんなのは良いカラオケとはいえない。私が愛するカラオケじゃない」と彼女はいう。

「文化的に、フィンランド人は歌うのが好きだし、やるからには真剣になる」とジョジョ。彼女の説はもっともだ。フィンランド人は、十八番を家で練習してからカラオケに向かう。だから、人前で歌うときには、歌詞も頭に入っているし、完璧な状態になっているのだ。しかし、矛盾しているようだが、「シラフではできない。そう、フィンランド人は酒の力を借りている」とも。日本人にとっても、社会的交流におけるストレスをなくし、潤滑に物事を進めるのに何よりも必要なのはアルコールだ。また、不思議なことにアルコールは、カラオケのパフォーマンスも高める。

ジョジョは、微笑むと、薄汚い窓の外を指し示した。「見て。1年のうち8ヶ月は、暗くて寒い。そんな8ヶ月を、飲んで歌って過ごすの」

ところで私が今回ヘルシンキに来たのは、知らない誰かと軽くカラオケの話をするためではない。〈2017年度カラオケ世界選手権(2017 Karaoke World Championships)〉のためだ。

大会の準決勝は、金曜の夜。くすんだ半島のくすんだ街で、これ以上ないくらい孤独だった。会場は工業団地のなか、女性がひとりで歩く雰囲気ではない。バルト海から吹きつける凍てつくような風が、冷えて赤くなった私の手に沁みる。ひとっ子ひとり見当たらない。私が今ここで叫んでも、誰の耳にも届かないだろう。

そんなとき、唐突に音が聴こえてきた。たたりの叫びのようなこの曲はよく知っている。EVANESCENCEの『Bring Me To Life』。私の十八番だ。奇跡だ。これは天からのお告げだ。

会場は、〈タパハトゥマケスクス・テラッカ(Tapahtumakeskus Telakka)〉。中年の危機を迎えた父親が、キッチンを飾るとしたらこんなふうになるだろうな、といった感じの空間だ。アーケードゲームが置かれ、煌びやかな赤やピンクの飾り付け、角度をつけて設置されたスポットライト複数台…。後方には、表彰式のセットも設置されている。出場各国がステージを向いたテーブルについていていた。ステージには巨大モニターが装備され、歌詞も表示される。また、入場料を払えば、一般客も観覧できる。カテゴリーは、男性部門、女性部門、デュエット部門の3つ。ホストはフィンランド代表で、もちろん、日本代表の姿もある。その他ブラジル、カナダ、インド、フィリピンなど、たくさんの国々から代表が参加しているが、私の母国、英国代表の姿は見当たらない。残念ながら、我が国は、人生に欠かせないエッセンスを失ってしまったようだ。

ただ、私にとって幸いなことに、アイルランド代表がいた。アイルランド代表とは、のちに友人となった。華やかな、すばらしい3名の女性だった。そのうちのひとりが、40代のエレーヌ〈Elaine:十八番はシャーリー・バッシー(Shirley Bassey)「Hey Big Spender」〉だ。母親であり、ピアノ教師でもある彼女は、ダブリンのパブで酔っぱらいながらカラオケで歌っていたら、いつの間にやら国の代表となっていたという。彼女の仲間、ルイーズ〈Louise:十八番はプリンス(Prince)「パープル・レイン(Purple Rain)」〉と、マギー〈Maggie:十八番はTHE PROCLAIMERS「I’m Gonna Be (500 Miles)」〉は、始まる前からバカルディ・ラムを引っかけている。彼女たちに会ったのは、誰でも利用できる第2カラオケ・ルームだった。「もう本当、笑うために来たって感じ」とエレーヌ。

各国代表の選出方法は、正直、定かではない。とにかく、国でいちばんのカラオケ・パフォーマーとなり、決勝と同じ週のはじめにあった予選を勝ち抜いた参加者たちが、今日、ここに集まっている。

メインの会場へ戻ると、男性部門のロシア代表、ヴィクトル(Victor)が、ステージに立っていた。スキニージーンズと、黄色&黒のストライプ柄ネクタイで、NOFXのファット・マイク(Fat Mike)みたいな格好をしている。かなり乱れた様子の彼が熱唱しているのは、OFFSPRINGの「プリティ・フライ(Pretty Fly -For a White Guy-)」。しっかりとしたアメリカン・アクセントだが、歌詞の抑揚とロシアン・ヴォイスとの噛み合わなさが気になる。ステージ上を縦横無尽に跳びまわり、ジーンズについているチェーンが、メトロノームのように揺れている。「Give it to me babaaay !」。彼の懇願がこだまする。

ステージ前では、ヴィクトルの仲間たちが、たくましいゴリラのように胸を打ち鳴らし、ビールをまき散らし、大きな声援を送っている。ステージ前は、誰であろうと、国旗を掲げて振り回していい。また運営側は、貧弱な応援団しかいない出場者のために、公式WhatsAppグループで、参加者に声援するよう呼びかけていたようだ。それもあってか、日本代表の男性は、ずっとステージ前でニコニコしながら、全ての歌でノリノリだった。ロシアの応援団はごく少数だった、とあとになって気づいたくらいだ。

「これはひどいな。もっと個性がほしい」と隣にいた背の低いヒゲ面の米国人男性がつぶやく。彼の名はトレイシー〈Tracy:十八番はGOO GOO DOLLS「Iris」〉。ロサンゼルスから来たソングライター、ヴォーカル・コーチで、かつては大会の審査員も務めたという。そして今年は、ライブ・ストリーミングのホストだ。フィンランドのメタル・バンド、LORDIのヴォーカル・コーチをした、と3回も聞かされた。「自滅する参加者もいる」と彼は指摘する。「毎晩アフターパーティーがあるんだ。それに参加して、盛り上がりすぎたり、酒を飲みすぎたりして、声が潰れている」

私は、エレーヌが心配になってきた。「笑うために来た」という彼女は、きっとパフォーマンス前にアルコールを摂取しているだろう。

審査員の経験もあるトレイシーに、審査基準は何か訊いてみた。「テクニックと、ステージ上での存在感。あとは個性と選曲」と彼。「圧倒的な存在感がある最高の歌い手であっても、間違った曲を選べば、そこでゲーム・オーバー。試合終了だ。いかにもな曲を選んでもダメ。まあ、それを完璧に歌いこなしたら、もしかしたら、って場合もあるが」。「いかにもな曲とは?」と訊くと、トレイシーはレイ・チャールズ(Ray Charles)の「わが心のジョージア(Georgia On My Mind)」を歌い出した。なかなか歌い止めなかったので、私はうろたえた。

私たちが話をしていると、〈カラオケキング(King Of Karaoke)〉が堂々と登場した。背の低いインド人男性で、大きな赤いレザー・ジャケットを着て、インナーのTシャツの首元には、サングラスを引っかけている。キングの本名は、サヴィオ・ディーサ〈Savio D’Sa:十八番はレディ・ガガ(Lady Gaga)「You And I」〉。「2000年代からいままで、ずっとこの大会に出場している」とサヴィオ。会場内は暗いというのに、サングラスをかけたまま話してくれた。「だんだんしんどくなってきたけど、インド全土にカラオケを広めなくちゃならないからね」

サヴィオのパフォーマンスは、確かに卓越していたが、歌い手としての個性は薄かった。

赤い人工皮革のボディスーツを身にまとい、20センチ超えのヒール・ブーツでキメているのは、シンガポールの女性代表。母語で何かを歌うと、そのままパティ・ラベル(Patti LaBelle)の「Lady Marmalade」へと流れ、最後は180度開脚でフィニッシュ。続く北欧出身、ヤギのようなヒゲとアビエーター型のミラーサングラスが印象的なチャド・クルーガー(Chad Kroeger)は、AUDIOSLAVEを熱唱。彼は、私のカメラが彼に向いているのに気づくと、俺こそがチャンピオンだ、といわんばかりに、ものすごく挑発的な視線を送ってきた。更に、元チャンピオンのフィンランド男性代表は、全身黒の衣装をまとい、『アナと雪の女王』の「Let It Go ~ありのままで~」をフィンランド語で歌った。

彼の声と、優しい曲のチョイスは、彼自身の表情や体格、無造作なポニーテールと完全にミスマッチで、実に驚嘆した。トレイシーがいうところの〈良い選曲〉とは、こういうことかと納得した。顔色が悪く、尋常じゃない量の汗を流していた。顎をしゃくり、オーディエンスを見下すような視線を送る。1番のサビの終盤で、ヘアゴムを取り、髪の毛をバサッとひと振り。その瞬間、観客は「フゥー!!」と沸き立つ。完全なる勝利だ。曲の終わり、客席に背中を向けたと思ったら、涙目の顔で、バカにしたように、肩越しにこちらを見る。そして、ささやきよりも小さく、軽くキスするように、最後のラインだけ英語で歌った。「The cold never bothered me anyway(少しも寒くないわ)」

曲間には、スーツにブーツの司会者、マイケル〈Michael:十八番はビリー・ジョエル(Billy Joel)「White Wedding」〉が、次の出場者を煽る。彼はバックステージで、大会をもっと大きくしてたい、という野望を語ってくれた。大会を存続させたかったマイケルは、老齢の元主催者から大会の権利を購入したそうだ。彼は、英国人も今すぐ代表チームをつくるべきだという。私も本気で検討し始めた。エレーヌ、ルイーズ、マギーの3人もガヤガヤとはやし立ててくる。「自信もって! あなたもカラオケ上手だから大丈夫! 見たことないけど!」。でも、それが真理なのだろう。カラオケでは、みんながすばらしい歌い手なのだ。

夜10時。決勝進出者が発表された。エレーヌは、決勝に進出した。お祝いだ。またバカルディ・ラムだ。みんながハグや投げキス、お辞儀など、それぞれの文化ならではのジェスチャーで讃えあっている。決勝に残った出場者は、笑顔で拍手をしている。恨みがましい表情は誰にも見られない。それがカラオケなのだ。カラオケこそが平和。カラオケこそが調和だ。

そう、〈決勝まで〉は……。

そもそもカラオケとは何か? この週末、初めてその問題に向き合うことにした。オープンマイクのステージで、持ち曲を歌うのとは違う。特別にミックスされた専用のトラックもないし、歌詞の真意を理解している、といったプロフェッショナルさも期待されていない。モノマネ番組とも違う。歌マネはしなくてもいい。ドラァグ・ショーとも違う。今大会でも、女王の衣装を着たり、ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)の曲を歌った男性が2人いたが、そこに政治的、反動的な要素はなかった。

カラオケとは何か。実際のところ、それは誰にもわからない。十人十色のカラオケ哲学があるかもしれない。笑いに走る国もあれば、豪華絢爛に魅せる国もある。例えば、カナダと米国は、合唱団がブロードウェイのミュージカル・ナンバーを披露した。また、母国の伝統衣装を着て、民族音楽を歌う参加者もいた。各国それぞれのステージングなので、比べようがない。英語ネイティブの審査員は、自分たちが理解できる歌詞、できない歌詞、あるいは、自分たちに耳なじみがあるメロディ、ないメロディのあいだに生じる無意識の偏見をどのように取っ払うのか、私は不思議だった。

決勝戦は、英国人にとってはつらい時間だった。冷やかし、酒が入ったパフォーマーたちは、丁重に追い出され、残ったのは、真剣な歌い手たちのみ(エレーヌを除いて)だ。みんな、常温のはちみつレモン水を飲んで、ヴォーカル・コーチからマッサージを受けている。控室では、出番を終えた出場者が、審査員に視線を送るのを忘れた、あの音に充分なビブラートがかけられなかった、と本人にしかわからないほどの過失を気にして荒れたり、叫んだりしている。ある女性参加者がメイクポーチに怒りをぶつけると、中身が床に散らばった。

ファティマ・スアレス〈Fatima Suarez:十八番はアナ・ガブリエル(Ana Gabriel)「Mexico Lindo Y Querido」〉の瞳は涙に濡れ、キラキラしたソンブレロ(メキシコの帽子)とぴったりだった。メキシコが参加したのは今回が初めて。29歳のファティマはビッグ・チャンスをモノにしたのだ。「娘と1日中歌っています。それも毎日」と彼女。「今は、カラオケ世界大会の2014年度優勝者に、ヴォーカル・コーチを頼んでいます。本気で取り組むようになりました」。今大会での優勝は彼女にとってどんな意味を持つのか、と尋ねると、彼女はうつむいた。「優勝したら、私の人生の全てを音楽に捧げようと決めています。歌さえあれば、世界のどこへだって行ける。わたしはあきらめません」

それにしてもバラードに次ぐバラード……。溢れんばかりの激情、愛、大失恋、そういった歌に、私はすっかり食傷気味になった。

アイルランド代表のエレーヌ

そのなかで、アイルランド代表だけが私の希望だった。エレーヌは、男くさいロックナンバーにノって、マイクを振り回す。舌を突き出し、中指をおっ立てる。決勝進出者のなかで、歌の上手さはピカイチとはいえないが、アイルランド代表は、最高のパフォーマンスを披露した。非常に男らしかった。誰よりも男らしかったかもしれない。そして何より、彼女たちは楽しそうだった。

残念ながら、それでは充分ではない。エレーヌは、賞レースから脱落した。しかし、彼女はまったく気にしていない。彼女は最高に笑っているし、それがゴールだったのだ。私の母親を誇るような気分、と伝えると、マギーは「母親だなんてひどいじゃない、私たちはみんな姉妹でしょ」と答えた。次の参加者が歌い始めた曲は、またラブソングだった。それを聞き、エレーヌとマギーは不平を叫ぶ。私も彼女たちに乗っかった。

私は不思議でならない。ロビー・ウィリアムス(Robbie Williams)の「Let Me Entertain You」をカラオケ・ブースで仲間と叫ぶ、燃え盛るような哮りはどこからくるのだろう? 自分を完全に解放したとき、〈悪〉に身を投じたときに感じられるあの荒々しさは? カラオケ世界選手権はカラオケを誤解しているんじゃなかろうか。それとも、私が間違っているのか?

最後になり、審査員が勝者を発表すると、みんなひたすら泣き濡れる。微妙な角度で国旗を掲げて前に出ると、フラッシュがピカピカと光る。参加者の家族も泣いている。「私たちは、世界中から集まった〈ファミリー〉だ」という事実を再認識させる演出だ。そしてやたら長くて感傷的な曲が流れる。ミュージカルの伴奏みたいな曲だ。どうにも落ち着かず、早く会場から出たくなるような曲だった。

というわけで、私とアイルランド代表は、その感情に従った。カラオケ・バスに逃げ込み、フィンランド出身バンドTHE RASMUSの「In the Shadows」でウォーミングアップして、アフターパーティーに繰り出した。

バーに行けば、フィンランド人たちのカラオケ愛がわかる。カラオケの待ち時間は2時間。そうなると、ひたすら飲んで、誰かが歌っているのに合わせて、狂いノリするしかない。私は、カラオケ世界選手権のロゴ入りサイリウムをテーブルに打ちつけた。すると、どこぞのご夫婦が、またフィンランドに来たらうちのサウナにいらっしゃい、と誘ってくれた。私も、英国に来たら連絡してください、と返した。

私が〈真のカラオケ〉と〈真のカラオケ・ファンたち〉の姿を見出したのは、友好的なカラオケ大会ではなかった。ヤギヒゲのフィンランド野郎どもが、メタル・ナンバーに合わせてトップスを脱ぎ、お腹のタトゥーを顕わにしてノリ狂う。そこには羞恥心などまったくない。100%全力で真剣なのだ。

大会不参加のダサい英国人を代表して、ハローキティのパーカーに、ビール7パイントで気合を入れた私は、ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears)ヴァージョンの「アイ・ラヴ・ロックン・ロール(I Love Rock ‘N’ Roll)」でスラットドロップをかました。派手なスーツを着た中年のフランス代表の男性が、予備のマイクを見つけてバックコーラスで参加してくれた。私たちは、オーディエンスを大いに盛り上げた。私は、フロアに降り、アイルランド代表を見つけて、彼女たちといっしょにマイクに向かって声を張り上げた。笑いたいのに笑えないほど声がかれた。

カラオケ・スキルというのは、評価できるものじゃない。皮肉にも、世界大会によって、カラオケはルール無用、という事実が明らかになった。

カラオケはスタイルではない。最高の歌い手になれるチャンスであり、タガを外すためのフリーパスなのかもしれない。現実逃避というセラピーなのかもしれない。外界の雑音が遮断された状態で、3分45秒のあいだ、みんなが耳を傾けてくれる。それと同時に、誰かの曲を隠れ蓑にしているようでもある。知らない人の背中に飛び乗って、そのままべたべたの床を歩き回らせても誰も怒らない。セクシュアルであり、直観的でありながら、性別もない、プラトニックな世界だ。自分の伯母の結婚式で、a-haの「Take On Me」でダンスするのと同じくらい純粋で、心底、自発的な行為だ。私を見て、という気持ちはもちろんあるが、全員がそうなのだ。そこにはヒーロー崇拝も、ヒエラルキーもない。アウトロが終わったら、次のイントロだ。あるのは、カラオケ空間だけ。みんな外界のことなど忘れてしまう。

帰りのフライトを待っていると、エレーヌがWhatsAppグループに私を加えてくれていたことに気づいた。我を忘れた私たち4人が、いっしょにマイクに向かって叫んでいるビデオも送られてきた。メッセージは、エレーヌのイニシャル〈E〉とハートの絵文字で締めくくられている。くるったような動画だが、実に最高だ。