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スレイヤーに魂を売ったトム・アラヤ その価値はあったのか?

「彼らは私を見て、『パパ、行ってらっしゃい』と見送ってくれる。『私たちは行かなくてもいいのよ。行かなきゃいけないのはパパよ』と母親が口をはさむ。『お前たちにも来て欲しいのだが』とお願いすると、『楽しくないもの。楽しくないのよ、パパ』と断わられる。そして私は『わかった』とツアーに出る」

ジェフ・ハンネマンの死を乗り越え、6年ぶりの新作『リペントレス』を発表するスレイヤー。さらにここ日本ではLOUD PARK15への参戦も決定しており、正に帝王の完全復活が目の前に迫っているのだ!!ウォーッッ!!

そんなバッチリのタイミングでトム・アラヤのインタビュー。さぞ本人も気合い入りまくっているかと思いきや……アララ。トム・アララヤ。かなりお疲れのご様子。いや、ホント、お父さん頑張って欲しい!お父さんは家族のために働いてるんだからね!「ちょっとー!お父さんのパンツと一緒に洗わないでって言ったでしょー!!」それ絶対禁句ね!!

トム・アラヤの声は疲れていた。今日は一日中アイダホのホテルにいて、電話インタビューやら昼間のテレビ番組やらをこなし、明日はまた別の場所へ。彼を捕まえるために、私は嘘の名前でフロントデスクに電話し、繋がることを望みつつ、しばらく待った。一回目は失敗。だが、二回目にして私の電話は、世界で最も有名なメタルミュージシャンのひとりである彼に繋がった。いかにもカリフォルニア育ちらしい、温かく、ゆっくりした彼の声を聞いたとき、後で父に『スレイヤーのメンバーにインタビューしたよ!』ってメッセージを送ろうと考えつつ、ヴォーカリスト兼ベーシストの彼に「ご機嫌いかがですか?」と聞くのだった。

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トム・アラヤはツアーでホテルにチェックインするとき、彼にとって特別の意味を持つマーシャル・アーティストとしての名前を使うらしい。彼と彼の家族は全員黒帯だ。六年前、アラヤと妻が、子供たちと「何か楽しい運動を」と一緒に始めたのだ。今や彼は、スレイヤーのメンバーで、唯一実際に殺せる能力を持つ人物…本物のスレイヤーとなった。私がそう言うと、彼は繊細でまじめな父親の口調になり、こう応えた。

「私たちは自己防衛のためにトレーニングをしているんだ。守ることの手助けに、という発想だ。攻撃ではなく防御。師範は、『人には二回チャンスをあげなさい。まず一回目はNOと言いなさい。でも二回目は二週間入院だ』と教えてくれたよ」

そう彼は笑った。彼はよく笑う人で、その後のインタビューでもしょっちゅう笑っていた。ステージの上では、荒々しいイメージと妖精のような叫びで知られるが、実際の彼は温厚なことで有名。ぶっきらぼうなギタリストのケリー・キング、ズケズケした物言いをするオリジナルのドラマーのデイヴ・ロンバード、遊び人で知られた名ギタリストの故ジェフ・ハネマンらの間で、彼はバランスを取る役割を果たしていた。スレイヤーのキャリアが非常に長いことを考えると、おっとりとした家長としてのトム・アラヤと、メタルの神様としてのトム・アラヤの対比は、とりわけ興味深い。

キングとハネマンがバンドを始めて間もない1981年に参加した彼は、ニューウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタルとパンクに夢中のガキだった。そんなロサンゼルス郊外の湿気ったガレージで生まれた音楽が、ヘヴィーメタルの中で最も影響力があり、最もタイムレスなジャンルへと変革していく様を経験してきた。彼らは、五回グラミーにノミネーションされ(うち二度受賞)、何百万枚ものアルバムを売り上げ、世界で最も大きなステージで熱狂的なファンを前にプレイして来た。世界で一番成功したメタルバンドはメタリカかもしれないが、スレイヤーもそれほど彼らと差があるわけではない。また、過去20年の間につまずいて情熱を失ってしまった他のバンドと違い、スレイヤーはつまずいたことがない。もちろん、時々間違いは犯したが、完全にファンを失望させたことはないのだ。だからこそファンは、最も愛されるアルバム『レイン・イン・ブラッド』がリリースされてから29年が経つ今も会場を埋め尽くし、まもなく発表される11枚目のアルバム『リペントレス』を心待ちにしているのだ。

奴隷のように彼らに仕えるファンからの称賛や崇拝をたっぷり受けているにも関わらず、トム・アラヤから受ける印象は、強烈な人というよりも、むしろ地に足がついている人という感じ。グラインド・コアはあまり知らないが、ハンク・ウィリアムズは好き。そしてザ・ストロークスも大好き。長い間、彼はキリスト教信者であることやカントリー音楽を愛することを隠さずに来たし、何よりもまず家族を大事にしている。どのようにして彼は今の立場に辿り着いたのだろう。ふと考えてしまう。

アラヤは隙を見ては家族の顔を見るために自宅に戻る。スレイヤーのツアー・スケジュールにオフの日がたくさんあるのもそれが理由だ。オフの日は午前11時までに家に帰れるよう最善を尽くすが、フライトが無かったり、時間の都合が合わない場合は、残念ながら帰るのを止めるとのこと。アイアン・メイデンのエド・フォース・ワンのように、スレイヤーにも専用機があればとても便利なのだろうが、30年活動してきても、まだバンドはそこまでには至っていない。「私は普通の飛行機に乗っているのに、人は私のことをすごくお金持ちだと思っている。そうじゃないのに。とにかく私は家に帰りたい。遠い街のホテルの部屋にいたくないんだ」

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今のスレイヤーは、ただのバンドというよりも、死とパワーについての速い曲を生み出す機械、ファミリー工場といった方がいい。それは柱となる4人はもちろん、彼らを取り囲むマネジメントから小売業者までに、フルタイムの仕事を提供する大きなビジネスだ。この機械は無慈悲で過酷だ。いや、次に発売されるアルバムのタイトルを借りるなら、『リペントレス(後悔知らず)』といった方がいいだろうか。スレイヤーは齢をとった。アラヤが参加したのは、1981年…彼が20歳のとき。34年もスレイヤーに捧げて来た。2015年の今、彼の声は疲れているように聞こえる。ヘヴィメタル・キングの一人という運命を受け止め、今もまだ未来への期待を持っていると同時に、たくさんの後悔も抱えているのだ。

犠牲、家族、死などについて、率直に彼と話した後、スレイヤーに魂を売った価値があったと彼は思っているのだろうかと、私はつい思いを巡らせてしまう。

30年以上もメタルをやってきたあなたは、サタニック・パニック(悪魔崇拝が疑われる者に対する社会現象)を経験し、このジャンルのスタイルや受け止められ方が変わっていく様子を目にして来ましが、メタルが一般社会に受け入れられる日は来ると思いますか?

新しいメタルはね。グラインド・コアとかいうんだっけ?彼らは、ピアス・ザ・ヴェイルとか、アスキング・アレクサンドリアとか、短い文のようなクレイジーな名前だよね。私たちはすっとばされたと気付いた。彼らはメインストリームへの入り方を知っている。彼らの音楽はラジオで流れているし、受け入れられ易いだろう。

出し抜かれたように感じますか?

いやいや(笑)。彼らは誰も出し抜いてなんかいない。本人たちはそう思いたいだろうけど、私は彼らが凄いなんて思っていない。「なんだこれは!」と思うようなバンドに、私は一度も出会ったことがない。

本当ですか?

子供たちが聴くから、この辺のバンドは良く知っている。娘は流行に敏感だから。娘に「どう思う?」と聞かれて、私が「うーん、いいかもね。良くプロデュースされている。残りの曲はどんな感じなんだ?」と訊くと、娘は「知らない」と応える。「最後までレコードを聴かなきゃダメだろ!」ってね(笑)。一曲や二曲だけじゃダメだ。私にとってはアルバムがすべてなんだ。そのバンドに本当の価値があるならば、素晴らしいアルバムがあるはずだ。そこに入っている曲のすべてが、「オイ、これは本当にヤバイ!」と思わせるような作品だ。残念ながら、現在はあまり無い。今は何でも即席の時代。使い捨て社会だ。

新作『リペントレス』が、そんなヤバいアルバムになるよう、相当あなたは努力したハズです。さらにあなたにとって変革のアルバムだとも思いました。ジェフがもうこの世にいない今、スレイヤーは再度実力を証明しなければいけないと感じていますか?

証明する必要は無い。私たちはこの作品を四年前に創り始めたんだ。時間をかけて完成させた。マネージャーに「君たち、そろそろ次のレコードを出すべきだよ」とせっつかれて始めたんだ(笑)。それからアイデアを出し始め、いくつか新しい曲を書いた。四年間に色々なことが起こった。ケリーはたくさんの曲を書き、ジェフはいろいろなアイデアを出したが、彼はギターを弾けない状態だったので、出来ることがかなり限られていた。ジェフはいつも曲を書いて、デモの中から良いと思うものを編集しては工夫していたよ。

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だから既にたくさんの素材はあったんだ。でも私は気がかりだった。なぜかというとジェフとケリーが曲を書いたから。歌詞は全員が取りかかったが、作曲はあの二人なんだ。そこが気がかりだった。二人は違った曲を書くし、車輪のバランスが取れないんじゃないかと(笑)。それにスタジオに入ったときの私とケリーの関係、そして私とジェフの関係は、とても違うんだよ。私とケリーの関係は、白黒ハッキリしているんだ。

ビジネス重視ということですか?

ああ、ビジネスだ。ジェフとは、いつもすごくオープンで、様々なことが交差することでマジックも生まれる。でもケリーは、マジックが生まれる余地を与えないんだ。すごく無駄が無くて、ある意味冷淡だ。このレコードがどんな風に創られていくのか少し不安だったので、私たちは話し合った。思っていることをすべて話した。その結果「OK、じゃあやろう」と握手した。

プロデューサーは「これはすごく良い。何も変えちゃだめだ」と気に入ってくれた。ケリーは、スローでヘヴィーなサプライズ曲も書いた。前にもヘヴィーな曲を書いたことはあるし、彼にとって初めてというわけじゃなかったが、あの二つのヘヴィーな曲は、どちらもスタジオで生まれたんだよ。最初は「これはいったいどんな曲になるんだ?」と思ったが、最後には、「これはいいぞ、スレイヤーらしい」と思うものになったんだ。

ジェフが亡くなったことで、曲の書き方も変わったと思いますか?

ジェフは、ヘヴィーなリフ、そしてメロディックなリフをたくさん書いた。それが彼の最も得意とするところだった。もちろん速いリフもいくつか書いていた。それがジェフの役割だったから、ケリーはこのレコードにもそういうものが必要だと感じたんじゃないかな。あの二曲で、ケリーは良い仕事をしてくれた。

アルバムの中で、あなたが一番気に入っている曲は?

二つほどある。先日リリースしたシングル曲「リペントレス」では、私が良いと感じるままたくさんプレイした。実際にどれを使うかという段階になって、プロデューサーに「どれも素晴らしい。ちなみに君はどのテイクが好きなんだ?」と聞かれ、私は「全部好きだが、私たちの状況を捉えているのはこれだ」と応えた。彼は「僕も同じだ」と同意したよ。そしてそれがアルバムに入った。怒りに燃え、攻撃的で、挑戦的なものだ。

今のあなたたちは、そういうスタンスを表現したかったのですね。

そうだ。この曲はそれを表現しているはずだ。そして後になって、歌の意味を知った。ケリーは、ジェフの視点から書いたんだ。ジェフが人生をどう見ていたか、ケリーが思うところを書いた歌詞なんだよ。スレイヤーでの最後の二年ほどを、ジェフはどんな風に乗り切っていたのか、ケリーは考えた。彼がそう話したとき、私は、「オーマイゴッド、私にもそれがわかっていたんだ。それでこのバージョンを選んだんだ」って思った(笑)。あのテイクには怒りがあり、プライドがあり、感情が溢れているんだ。

あなたは死を恐れていますか?

(しばらく黙った後に、ため息をついて…)いや、死ぬことはそんなに恐れていない。私が恐れるのは、死んだら家族がどうなるかということだ。彼らを置いていくこと。死ぬというのはそういうことだからな。人々を置いたまま自分が違うところに行くんだ。次のところへ。私は永遠に彼らのためにそこにいたいが、それは不可能だとわかっている。二年ほど前に父が亡くなったとき、私はそれに直面した。四月には、母が亡くなった。彼らはいつまでもいてくれるものと思っていた。母や父が、もはや自分のそばにいないということがどんなに大きな喪失か、わかっていなかった。両親が二人ともいなくなってしまうまで、それは本当にはわからないんだ。彼らが生きているというのは、守られていることのひとつの形だ。「ママ!パパ!」と駆け寄っていける相手は、もういないんだ。

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ヘヴィメタルは、どうして死に執着すると思いますか?

わからないな。私たちはそんなに死に執着していなかった。バンドを始めたとき、悪魔や悪霊について話をたし、今もそれについて書くが、あくまで社会的な側面においてだ。私たちはバンドとして成熟したんだよ。私たちが活動を始めた頃、人々に「ああ、サタニック・バンドだね。悪魔を崇拝しているんだね」なんてレッテルを貼られたりもした。私たちは悪魔を崇拝していないが、そんな風に曲を書いた。その後に、社会の悪や、人間や、私たちがいかに根源的に悪なのかについて、書くようになっていったんだ。一番恐ろしいのは私たち人間なんだ。まさに。

あなたたちは曲の中で、いつも社会や文化について触れてますよね。最も扱いにくかったテーマは何ですか?

一番大きなチャレンジだったのは、ジェフが「ジハード」という曲を書いているときだ(笑)。「いったい、何を考えてんだよ」と問い質すと、彼は「いや、やりたいんだよ。テロリストの視点からやりたい」とう。そして彼は、あの曲の歌詞のほとんどを考えた。だから私も本を読んだり、ドキュメンタリーを見たりして、アルカイダについて調べ、アイデアを書き留めたよ。そのアルバム製作に取りかかったとき、私が、「ジェフ、あの曲の歌詞は出来たのか?」と聞くと、「ああ、これが私のアイデアだ。どう思う?」と歌詞を見せてきた。読んでみて、私は、「これはすごくクールだ。曲のの終わりに関しては何か考えているのか?」と聞くと、「いや、まだだ」と言った。それで「私がが書き留めたものがあるんだが」と、文字通り、書き留めたものを取り出して、それを歌ってみた。順番はめちゃくちゃで、自分で書き直しもしていない本当にメモ書きのようなものだよ。私はそれを一回だけ歌ってみたんだが、すごく良かったんだ。だが、プロデューサーに、「もう一度やってみて」と言われても、同じには出来なかった。無理だった。

あなたはこの業界で長い時間を過ごしてきました。ビジネスの側面と、バンドを始めたときのような側面とをどう分けているのでしょうか?今も仕事というより楽しいことなのでしょうか?それとも半々ですか?

半々だな。でも、ちょっとビジネス寄りになっている気がする。私たちはずいぶん長いことやってきたから、スレイヤーはひとつの存在になったんだ。独立した存在で命を持っている。私たちがそれに息を吹き込んであげるんだ。それがまだちゃんと息をするように努力を続けないといけない。それが仕事の部分だ。一番楽しいのはステージに立っているときだ。

確かにステージの上では、いつも楽しそうですよね。

あれなんだ。バンドをやっていて一番楽しいのはあの瞬間なんだ。他は全部つまらない。移動も最悪だ。毎日やっていると、やりたくなくなる。ジェフもそう感じていたんだ。ジェフはすごく疲れていると感じていた。私たちみんながそう感じているようにな。いつも彼はテレポーターがあったらいいのにって漏らしていた。ステージにテレポートして、ショーをやって、またテレポートで家に帰れたらいいのに、って(笑)。

くだらない部分を全部取り去るということですね。

そう、まさにそういうことだ。馬鹿馬鹿しい部分を捨てることだ。みんな、この生活に特定のイメージを持っている。だけど認めたくはないが、いつか大人にならなきゃいけないんだ。言いたくはないが、大人にならないと。君も楽しい酔っぱらいじゃなくて、ただの陰気くさい酔っぱらいだ。

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45歳でそれをやっても、しゃれにならないですよね。

50歳でそれをやったらもっとひどい(笑)。だからある時点で大人になって、自分自身に敬意を払わなきゃいけないんだ。そういう言い方のほうがいいかな。

そして家族と一緒に武道をやって時間を過ごすのですね。

限られた時間ではあっても、それを楽しみに私は生きている。他はどうでもいい。他のことをやらなくてもいいなら素晴らしいが、さっきも言った通り、これだけ長くやってきて、この段階になると話が違うんだよ。人にはわかってもらえない。33年も…いや、ツアーであちこちを回ってきたのは実際のところ29年だが、とにかくそれだけやると疲れるんだ。人は、「あっちこっち行けて、すごく楽しいんでしょうね。こういうのとか、ああいうのとか見られますね」なんて羨ましがる。でも私はそう思えない。

移動車に一日中乗って、トイレ休憩があって、仕事をして、また車に戻るんですものね。

その通りだ。最近、新しいアルバムのプロモーションのためにヨーロッパに行ったんだ。ロンドンに三日、パリに一日、ノルウェーに一日、ドイツに二日か三日。「それは素敵ですね。パリではいろいろ観光しましたか?」と聞かれる。私はその人たちの顔を見て、「この部屋を見回してくれ」と言う。彼らは周囲を見回す。「これが私にとってのパリなんだよ。美しいだろう?」とね(笑)。誰かにそういうことを質問されたら、私はいつもそう答えるんだ。私たちはいつもホテルの部屋でインタビューを受けているのに、みんなが「ストックホルムは楽しまれましたか?」とかホザくんだ。私は周囲を見回し、部屋を指差して、「どう思う?これが私のストックホルムだ。素敵だろ?このカーテンは良いね。カウチも。ワンダフルだ」。そして窓を開けて、「これが私の絵画だ。写真だ。私はこれを眺める」と言う。世界中の空港がどんなだか、私は語ってあげられるよ。それは悲しいことだけど。

休暇に旅行するのも嫌ですか?

それが唯一、楽しいと思える時間だ。家族とどこかに行くときだけは、空港も、旅も、楽しいと感じる。

家族はあなたにとっての逃げ場のようですね。

以前、私はアメリカ国内のツアーには、家族を連れて行っていたんだよ。オズフェストとか、夏に長い間やるようなときに。最初のふたつのツアーは良かったが、その後は、私が家族をひきずって行かなければいけなかった(笑)。家族が私とどこかに行くということよりも、家族が私と一緒にいてもらうことが目的だったんだ。一緒にいられるのは楽しい。それなら、私はなんとかこなせる。ホテルの部屋に家族と一緒にいられるなら、何が起こっていようと構わない。私たちは一緒に外に出て歩き回る。私はショーをやらなきゃいけないから、ショーをやる。家族と一緒にまたバスに乗る。テレビを見たり、ゲームをしたり。そのおかげで耐えられた。だが私の幸せが、家族を惨めにしているとは思わなかった。

というのも、ステージに立たないのにツアーに付き合うっていうのは、家族にとってただの終わりのない旅なんだ。バスに乗って、バスを降りて。子供がやっと眠りについた頃に、「着いたよ、起きなさい」と言う。子供たちは7歳か8歳にもなっていなかったと思う。今じゃ16歳と19歳だ。ここ3~4回は、彼らはツアーに同行していない。私と一緒に来ていない。彼らも、私と同じなんだよ。私がなぜ旅に出るより家にいるのを好むのか、彼らはわかっている。彼らは旅に行くのがイヤで家にいたいから、私の気持ちがわかるんだ。友達もいるし、自分の物は全部家にあるのに、他のところなんか行きたくないに決まってる。

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彼らは私を見て、「パパ、行ってらっしゃい」と見送ってくれる。「私たちは行かなくてもいいのよ。行かなきゃいけないのはパパよ」と母親が口をはさむ。「お前たちにも来て欲しいのだが」とお願いすると、「楽しくないもの。楽しくないのよ、パパ」と断わられる。そして私は「わかった」とツアーに出る。

あとどれくらい、これを続けるつもりですか?

わからない。わからない。ナイトクラブにいる年寄りでいるのに疲れたときだろ(笑)。「隅っこにいる、あの気持ち悪い年寄り、誰だい?」なんてな(笑)。

あなたの履歴書には「スレイヤー」と書かれているだけなのでしょうね。引退した後にあなたがステープルズ(大型文具店)で働くとは思えませんし。

バーガー・キングかどこかに雇ってもらえたら御の字だ。公的年金じゃ足りないから、ちょっとは稼がなきゃいけない(笑)。

まあ、それまでにまだ2年くらいあることを願うよ。アルバムを創ったばかりだし。あと4、5年のために、私は魂を売っているんだ。

でも魂を売る相手として、最悪ではありませんよね?

たしかに。でも、そう伝えることで、よりハッキリと見えてくるんだ。「あなたは魂を売りましたね!」としょっちゅう言われるが、人生において、それはいつも起こることなんだよ。どんな仕事をしているのかにもよるが、自分の人生のかなりの部分を犠牲にするのは、必要なんだ。私にとって、それは魂を売るのと同じことだ。自分がやろうとしていることのために、自分の人生のかなりの部分をあきらめるんだ。このアルバム発売に同意したとき、私はアルバムを創らなければならず、さらにその後、最低3、4年はツアーをしなければいけないとわかっていたんだから。

あなたは今、おいくつですか?

えっと、今は2015年だっけ?54歳だ。私は年齢を感じないので、自分が何歳なのか、考えないとわからない。それで「今年は何年だっけ?」と、いつも尋ねる。しかし54歳だよ(笑)。年齢は考え方に過ぎないと、友達が教えてくれた。鏡を見て、「ああ、私は年を齢をとっているんだな」と考えたりもする。でも、考え方なんだ。私は自分が齢をとっている気がしない。同じくらいの年なのに、もっと老けて見える人を見かけたりするが、彼らは、齢をとった、と思い込んで、そういう振る舞いをしているんだ。だから老けて見えるんだ。

あなたが次のアルバムを創るときは、60歳近くになっているということでしょうか。

そうだ。恐ろしいね。

それこそ、まさに献身ですね。

そうだ。私は人生で多くを犠牲にしてきた。多くのものを逃してきた。気づきさえしない人もいるだろうが、たくさんのことを逃してしまうものだ。私には兄弟がいて、甥も姪もいる。彼らには誕生日がある。でも彼らはもうみんな育ってしまった。そういう瞬間を、私はたくさん逃してきた。自分の家族だってそうだ。私は結婚して20年になる。娘はちょうど19歳になったところで、息子は16歳になったところだ。私は彼らの成長過程の多くを見逃してきた。息子が生まれて最初の一ヶ月は一緒にいたが、次に見たとき、彼は歩いて、喋っていたんだよ。娘も同じ。娘が生まれた後に私は家を離れ、二ヶ月近く娘に会えなかった。娘に会うと、彼女は歩いて、話すようになっていた。だから家族を連れて行きたいと思うようになったんだよ。少なくとも、子供たちが成長するのをこの目で見て、いくらかは子供たちの人生の一部でありたかったんだ。

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でもその引き換えに、あなたはこの30年間多くの人に喜びを与えてきました。

ああ、でも私はそれを取引とは思っていない。

そのようですね。

取引なんかじゃない。みんな、それをわかっていない。人生のこの部分については誰も語らないし、話題にしようとも、触れようともしない。これは、一番悲しい部分。語るのが怖いんだ。

絶対に壊れないロックの神の幻想を壊したくないんでしょう。

私たちは絶対に壊れない。でも私たちは人間でもある。人生があるんだ。

はやくお家に帰れるといいですね。

ここにはあと12時間しかいない。今日は休みだ。私たちはべガスで1日を過ごす予定だ。ゴロ寝してテレビや映画でも見て、何かを食べて過ごすさ。

悪くないじゃないですか。

ああ、いいだろう?子供たちが一緒にいて、私に付き合ってくれたら最高なんだが。