ニュー・ウェイヴのススメ ①  ニュー・ロマンティック
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ニュー・ウェイヴのススメ ①  ニュー・ロマンティック

ニュー・ウェイヴのススメ ① ニュー・ロマンティック 派手な服とメイク!盛り盛りの頭!肩パット!王子様!!全世界の乙女からマーケットまで虜にした80年代の宝!ニュー・ウェイヴのススメ第1回は「ニュー・ロマンティック」です。

DEAD OR ALIVEのピート・バーンズ(Pete Burns)がお亡くなりになりました。享年57歳。「You Spin Me Round」が大ヒットしたのが1984年。遥か30年以上前の曲なのに、「ああ〜、この曲ね〜!」なんて、現在もピチピチしているのにはワケがあります。

  1. 旧ゲッターズ及び旧ワンレン=ボディコンたちが酒の席で「ユーロビート」「六本木」「マハラジャ」「荒木師匠」「W浅野」ネタとともに「DEAD OR ALIVE」ネタで盛り上がる。

  1. 盛り上がりも冷めやらまま、サービスエリアや駅の催事スペースで販売されている『80‘Sヒット系CD』の中に「You Spin Me Round」を見つけ、思わず購入してしまう。

3.
隣近所への配慮と自尊心から、家では爆音で再生できないCDをカーステで堪能する。同乗していた息子が成長し、イベサー、ヤリサー、なんちゃら研究会でもかけまくる。そして次世代へ続く。

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…って、勝手な妄想ですが、まぁ、やっぱ曲もいいし、2000年代に入ってからも、リミックスやらピートの復活やらで再ヒットしたのも大きかったのでは。間違いなく「You Spin Me Round」は、80年代を代表する名曲ですね。

実際、DEAD OR ALIVEを始め、80年代の英国アーティストは、当時の日本にも大きな影響を与えていました。特に派手なお化粧とキラキラのお衣装でキメてたユニセックスな方々は、普通にお茶の間にも浸透しちゃってた。小学生の私は、「俺はボーイ・ジョージ(CULTURE CLUB)派。ピート・バーンズはキモいから」「いや、ボーイ・ジョージなんてオカマだろ」なんて、どっちもどっちの口論を友達と繰り広げていたのを覚えています。(女子はDURAN DURANの「サイモン・ル・ボン派」と「ジョン・テイラー派」、さらに「ニック・ローズ派」に分かれていました。映画『ネバーエンディング・ストーリー』の後、「リマール派」が増えることになります)テレビ朝日の『ベストヒットUSA』や、テレビ神奈川の『ミュージックトマト』などで流れるミュージックビデオの影響や、シンコーミュージックの音楽誌「ミュージック・ライフ」&「ロック・ショウ」によるミーハー路線もデカかった。その流れは、スーパースター沢田研二にまで及んだのでした。

さて、「ニュー・ウェイヴのススメ:第1回」は、そんなジュリーまでも虜にしちゃった方々をご紹介。ニュー・ウェイヴという大雑把な枠のなかで、最もポピュラリティーを確立し、お金を稼ぎながらも、短命に終わったムーヴメント、そう、NOW!ニュー・ロマンティック!!(以下ニューロマ)

その始まりは1978年。「ニュー・ウェイヴのススメ:序章」でも述べましたが、既にパンクは終焉を迎え、時代はニュー・ウェイヴになっておりました。パンク・ムーブメントで「アンチ旧世代ロック」の旨みを味わったマーケットやメディアは、この「ネクスト・パンク商品」に群がり始めます。また、演者側も、暴力的で革ジャンやら安全ピンやらに振り回されるパンク、というスタイルに飽き飽きしておりました。しかし、パンクによって明らかにシーンは変わったのです。「自分たちの力でなんでも出来るんだ」。それに気づいた若者たちは、インディペンデント・レーベルやファンジンなどで、自由に音楽に触れていったのです。そして、ファッションと結びついたクラブカルチャーもそのひとつといって良いでしょう。そう、ニュー・ロマンティックは、ニュー・ウェイヴ・シーンのなかでは珍しく、そのルーツはクラブシーンから生まれたのです。

ロンドンのソーホーにあったBILLY’Sでは、「デヴィッド・ボウイ(David Bowie)&ROXY MUSICナイト」が繰り広げられていました。人気を集めたこのイベントは、さらにキャパの広いコベントガーデンのBLITZにお引越し。毎週火曜には「Club for Heroes」というイベントをスタートさせます。当時のこういったイベントでは、デヴィッド・ボウイ、ROXY MUSICはもちろん、CABARET VOLTAIREや、ベルギーのTELEX、イタリアのジョルジオ・モロダー(Giorgio Moroder)、ドイツのKRAFTWERK、そして日本のイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)など、新世代のエレクトロ/シンセサイザー系アーティストの楽曲がプレイされていました。で、このイベントを仕切っていたのが、THE MOORS MURDERERS、THE PHOTONSのスティーヴ・ストレンジ(Steve Strange)と、THE RICH KIDSのラスティ・イーガン(Rusty Egan)。要するに、彼らもパンクバンドの出身だったのです。BLITZでは主にラスティがDJをし、スティーヴはドアマンを担当していたのですが、そこには厳しいドレスコードがあり、派手な服や奇抜なヘアースタイル、メイクが必須の…まぁ、沢田研二みたいな格好じゃないと入店できなかったんですね。スティーヴは、あのミック・ジャガー(Mick Jagger)を相手に、「アナタはダメ!」と入店を断ったのは有名なお話。さらにこのBLITZのクローク担当だったのがボーイ・ジョージであり、「彼の恋人」という触れ込みでデビューしたマリリン(Marilyn)だったのでした。ファッション関係者やデザイナー、モデル、俳優、画家、パフォーマー、ダンサー、音楽ライター、そして、のちのSIGUE SIGUE SPUTNIK のメンバーなど、イケてる人たちが夜な夜な集まり、その人気は全国規模に。スティーヴとラスティは、マンチェスターやバーミンガム、リバプールなどに巡業するほどでした。

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そしてニューロマ・バンドも登場。これまた仕掛け人のスティーヴとラスティです。ここにTHE RICH KIDSのミッジ・ユーロ(Midge Ure)が加わって、1978年に結成されたのがVISAGE。1980年11月にはファーストアルバム『VISAGE』をリリースし、シングル「Fade to Grey」は各国でトップ10入りを果たします。また、同年に英国NO.1を獲得したデヴィッド・ボウイの「Ashes to Ashes」の影響も大きかった。このビデオには、スティーヴ・ストレンジをはじめ、BLITZのメンバーが出演していたんですね。このビデオのイメージも手伝って、ニューロマ旋風が吹き荒れるのです。

しかし、この頃はまだ「ニュー・ロマンティック」という言葉は浸透していませんでした。「カルト・オブ・ノー・ネーム(The Cult With No Name)」であったり、「ニュー・ダンディーズ(New Dandies)」であったり、「ザ・フューチャリスト(The Futurists)」であったり。そのなかではBLITZから取った「ブリッツ・キッズ(The Blitz Kids)」という名前が最も使われていたようです。じゃ、どこから「ニュー・ロマンティック」が来たのかというと、諸説ありますが、1979年にロンドンで結成されたSPANDAU BALLETからではないかと。BLITZでも演奏していた彼らは、男闘呼組もビックリの王子様×5人体制でブレイク。「新しいロマンティック」なんてどこかのメディアで称されたところ、その名がこのムーヴメントにぴったんこ。あっちゅーまに「ニュー・ロマンティック」という名前も広がっていったのです。

そんなニューロマ旋風は、ロンドンだけではありませんでした。こちらはちょっと違う軸で進んだバーミンガム。ジェーン・カーン(Jane Kahn)とパティ・ベル(Patti Bell)が生んだファッションブランド&ブティック「Kahn & Bell」は、エジプト、東アジア、アフリカなどのアートエッセンスを取り入れたデザインで人気を集め、ニューロマ系バンドの御用達ブランドに。そのなかには、王者DURAN DURANの名前もありました。また、BLITZの近くにあったヘレン・ロビンソン(Helen Robinson)によるブティック「PX」も、キラキラヒラヒラな衣装を提供。ニューロマは、こうしたファッションからの側面もあり、「The Face」や「i-D」などの雑誌でも大きく取り上げられ、遂に全世界を飲み込み始めるのです。

時は来ました。1982年、バーミンガムからやってきたDURAN DURANがデビュー。5人中3人が色男。残りふたりも中の上。5人はサードシングル「グラビアの美少女(Girls on Film)」で大ブレイクします。エッチなビデオで、日本中のニキビくんたちの股間も刺激しましたね。これに引っ張られて、ファーストアルバム『DURAN DURAN』は、イギリスチャート3位を獲得します。

同年、ブリッツ・キッズのボーイ・ジョージ率いるCULTURE CLUBもデビュー。「君は完璧さ(Do You Really Want To Hurt Me)」でイギリス1位に。うちの姉ちゃんは、ボーイ・ジョージ人形を買っていました。

そしてマルコム・マクラーレン(Malcolm McLaren)&ヴィヴィアン・ウェストウッド(Vivienne Westwood)の「SEX PISTOLSコンビ」は、アダム・アント(Adam Ant)とBOW WOW WOWを送り出し、もうひと稼ぎを図ります。

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さらに、これまで商業的成功を掴めなかったシンセポップバンドの先駆的存在ULTRABOXも、VISAGEを経て加入したミッジ・ユーロのお陰でブレイク。アルバム『Vienna』収録曲の「New Europeans」は、サントリーのCMにも使用されました。

そして、時代はニューロマ一色。「愛の残り火(Don’t You Want Me)」が大ヒットしたTHE HUMAN LEAGUE、DURAN DURANの弟的存在KAJAGOOGOO、現在はモンスターバンドに成長した初期のDEPECHE MODE(可愛い!)、嶋大輔もビックリの前髪爆発A FLOCK OF SEAGULLS、テレビ朝日「CNNデイウォッチ」を思い出すORCHESTRAL MANOEUVRES IN THE DARK(OMD)、英国の及川“ミッチー“光博ことマーティン・フライ(Martin Fry)率いるABC、「夕やけニャンニャン」でお馴染みのG.I.ORANGE、サヴァサヴァじゃなくて、ずっとカヴァカヴァと呼んでたCAVA CAVA、そしてここまで来ちゃうと、何がロマンティックかわからないCLASSIX NOUVEAUXと、楽しい毎日が続きました。

そして、そんな楽しい毎日はアメリカにも届きました。それが「第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン」。第1次が、THE BEATLES、ROLLING STONES、THE WHO、KINKSなどでして、要するに、英国のバンドがアメリカのシーンを侵略した、アメリカのシーンで成功を収めたってわけです。その第2波が、ニューロマを代表する英国バンドであったと。パンクよりもディスコの方が熱かった当時のアメリカ。ケーブルテレビでMTVが開局した当時のアメリカ。お茶の間でハンバーガーを頬張りながら、シンセポップ、ダンスポップをムシャムシャしていたんです。そして、すべてがドンピシャにハマり、ここに挙げたほとんどのバンドが、アメリカでもブレイクしました。

しかし、ハマればハマるほど、飽きられるのも早い。便利になったニューロマは、映画からテレビドラマ、CMなどにもフィーチャーされ、更に露出が激しくなります。また、レコード会社&マネージメント会社&演者側も、「もっと、もっと」を狙い、次の手を打ち始める。SPANDAU BALLETはふんどし姿でグラビアするし、CULTURE CLUBは「戦争ヘーンターイ(反対)」って、いきなり反戦歌するし、G.I.ORANGEなんて日本狙いのアイドルバンドでしたものね。残念ながらニューロマ団は、あっという間に消費され、1985年頃には完全にトホホな状態に。金をかけたマーケティング、大袈裟なサウンドアレンジ、芸能人みたいな演者、頭がデカすぎる、肩パット入れ過ぎなどなど、すべてが暑苦しいと感じる時代になったのです。また皮肉にも、ボーイ・ジョージの友人であるピート・バーンズのDEAD OR ALIVEが大ブレイクしたのがこの時期。はい、「You Spin Me Round」ですね。ストック・エイトキン・ウォーターマンにプロデュースされたDEAD OR ALIVEは、ダンス・アプローチに徹し、ユーロビートの源流である「Hi-NRG」というジャンルのなかで、クラブミュージックシーンを代表するバンドになるのです。

また、この時期のイギリスでは、パンクから生まれたインディペンデントレーベルによるシーンが台頭。特にTHE SMITHSの登場はマジで大きかったですね。等身大のロックが、またまた若者に戻ってきた。パンクがオールドロックをぶっ壊したように、THE SMITHS、そしてインディペンデントシーンがニューロマをぶっ壊したわけです。いつの時代にもぶっ壊し屋は出てくるもんですね。NIRVANAもそうですし。

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結局、ニュー・ロマンティック・シーンは短命に終わりましたが、もちろん、現在も活躍しているアーティストはたくさんいます。まずは、「ニューロマ・チーム」ではなかったのに、チームに入れられていた人たち…SOFT CELLのマーク・アーモンド(Mark Almond)や、JAPANの面々は、「ヘアカットバンド」なんて称されていた時代が信じられないくらい、オルタネイティヴな活動を続けています。特筆すべきなのはTALK TALK。「DURAN DURANのバクリバンド」と貶されていた彼らが、その後「元祖ポストロックバンド」といわれたり、PORTISHEADと絡んだりするとは。未来って明るいですね!

更に、CULTURE CLUBは完全復活しツアーも敢行中。新作の噂もあります。SPANDAU BALLETは「ニューイヤーロックフェスティバル」が似合いそうなオッさんになりましたが、これまたリユニオン。G.I.ORANGEなんて、昨年来日してくれました。また、ミッジ・ユーロはソロとして活躍し、大英帝国勲章も叙勲されているんですからねぇ。そしてなんていってもDURAN DURAN!一度も解散ぜず、山あり谷ありをやってきた彼らは、2015年のアルバム『ペイパー・ゴッズ(Paper Gods)』で、22年ぶりにビルボードチャート・トップ10入り! 各国でも大ヒットをかましてくれたのです。スゲー!

で、ここまでビデオを観ていただくとお分かりになるハズ。ニューロマというと、「ピコピコしたシンセポップ/ダンスポップ」の印象が強いのですが、それだけではなーい。バラエティに富んだ音楽でしょ。DURAN DURANはセクシーでファンキーなロックだし、CULTURE CLUBはソウル、R&Bのエッセンスあり。アダム・アントはR&R、ロカビリーときて、BOW WOW WOWはジャングルビート。更にSPANDAU BALLETなんかはAOR化しちゃうわけでして。「ニュー・ウェイヴ」という言葉同様に、「ニュー・ロマンティック」もさらにこのなかで細分化できるのです。音楽ジャンルというより、クラブやファッションから発信されたカルチャーと捉えるべきでしょうね。で、最新メンズ・ファッション情報によると、ストイックでミニマムなモードから、豪華でセックスレスなスタイルへ移行しているそうですよ。ニュー・ロマンティックな時代がまた来るかもしれない。ええ、ニュー・ロマンティックが止まらない!

ニュー・ウェイヴのススメ〈序章〉