「全員革ジャン姿で撮影はスタートしたんだが、まずトミーが革ジャンを脱ぎ捨てた。RAMONESの代名詞である8ビートよろしく、8秒後にはディー・ディー、続いてジョニーもね。彼らは残り4曲をTシャツでプレイしたけど、結局ジョーイは最後まで革ジャンをキメてたな」RAMONESの初代マネージャーであるダニー・フィールズ(Danny Fields)は、RAMONESの名曲「Danny Says」は自分について書かれたものでない、と語った。氏曰く「あれはもともと「Tommy Says」だった」とのこと。「なぜって、RAMONESのマネージャーは、最初トミー(Tommy Ramone)だったからだよ。あとから彼らは曲名を「Danny Says」に変えたんだ。でも俺は、一回もアイダホでブッキングしなかったけどな」。(この曲には「アイダホにいかなきゃとダニーは言う」という歌詞が登場する)これは、ニューヨークのウェストヴィレッジで、2時間半にも及んだ呑みの席に、私が彼から受けた課外授業の一幕だ。私は、心から敬愛するバンドのすべてを知っている、とそれとなく匂わせていたのだが、恥ずかしながらそれが勘違いだったと思い知らされたのだった。「皮肉なのはRAMONESについてまわるイメージで、すべてがそこに集約されている」とフィールズは強調する。そこで私は、注意深く彼の話を聞き直した。
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ひょっとすると、フィールズがやろうとした最もパンクなことは、皆が抱く誤解を片っ端から解いていくことだったのかもしれない。とはいえ、フィールズ自身は常に「パンク」という言葉を嫌っており、実際この機会に事実関係が正されることはほとんどなかった。しかし、客体性を帯びた真実がいくつか存在していたのは確かだ。私はこれからもRAMONESのアルバムを大切に保管するし(厳密には、MP3ファイルに変換化しているが)、フィールズは、自分で撮った写真を後生大事にしていくのだろう。これらの写真は、フィールズの写真集『My Ramones』で日の目を見ることとなった。First Third Booksから発売されたこの写真集には、RAMONESの記念すべき初ツアーの貴重な記録が収められている。既に本人の口からお伝えいただいた通り、アイダホの写真はここにはない。
「あれは素晴らしい曲だ」。フィールズは「Danny Says」を呑みの席でそう認めた。「あの曲はもっとヒットしてもおかしくなかった。あの曲はフィル・スペクター(Phil Spector)のプロデュースだったし、映画のタイトルにもなったんだ。あの曲には魂が宿っている」「皮肉といえばね、俺はほん少しの利益も得ていないんだよ」しかし、フィールズは憤慨する気など毛頭ない。彼は4人のRAMONESのオリジナルメンバーと共にした、ロンドンからカリフォルニアまでのツアーを愛おしげに話した。そしてときより、私の誤った情報を訂正するためだけに話を止めた(ついでに、ハーバード大学に通っていた経歴を持つフィールズは、私の誤った文法も訂正してくれた)。 私はRAMONESのすべてを知っていると誓っていたが、それはあくまで部分的に正しいに過ぎなかった。その中でジョニー・ラモーン(Johnny Ramone)の保守主義について言及した私は、それに対するフィールズの答えに感歎の声を漏らさずにはいられなかった。共和党や全米ライフル協会を支持したことで、凝り固まった彼のコンサバなイメージは、そういった部分ばかりが繰り返し話題にされ、ここ数年でさらに増幅されているようだ。こうしてRAMONESのリーダーでギタリスト、いまは亡き偉大なミュージシャンのジョニーは、哀しいことに人々をイライラさせるイメージばかりが先行してしまっている。さて、お次の話題へ。RAMONESはアメリカにおけるパンクロックの創始者だったのか? 「ロンドンではそのように解釈されることもある。RAMONESが現れた。しかし、ジョー・ストラマー(Joe Strummer)やSEX PISTOLS など、その後に登場したバンドたちに取って代わられた。なんにせよ、もしRAMONESが存在しなかったらパンクロックは停滞していたはずだ。このシーンは花開いた。それで十分だろ?」
現在、ロンドンでは、パンクロック生誕40周年を盛大に祝うため、「PUNK LONDON」という祭典が開催されている。ギグや展示会の開催、映画の上映などを連携させた1年がかりのプログラムだ。そして2016年7月4日、フィールズは大英図書館で行われるトークショーに登壇し、RAMONESのロンドン初公演について話す予定になっている。そのときの彼らのギグはアナーキスト精神に火を灯し、ロンドンをその後の「ムーヴメント」へと向かわせる契機となった出来事として語り継がれている。
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「タイミングがすごく良い。今年は今までにないくらいパンクロックが注目されているからね。パンクロック生誕40周年を祝う一大イベントのおかげで、ファン全員が当時のRAMONESの活動に目を向けている。今しかないだろう?これまで誰が気にしてたっていうんだ?」彼の著書『My Ramones』のリリースと、PUNK LONDONは、偶然にも重なった。「写真集に掲載された大量の写真には、新聞とかにも使われ、勝手に出回ってしまったものもある。だからまあ、写真集をリリースするのは今がバッチリってわけだ」
RAMONESのアルバムセールスが伸び悩み、1980年にフィールズは失脚した。だとしても、『My Ramones』で見られるように、彼がRAMONESと過ごした月日は、音楽史にとって、パンクロックにとって、そしてジャンルの垣根を越えた数多のものにとって、かけがえのない財産であることに疑いはない。その中でも本人的には、あるRAMONESのポスターを特に誇らしく感じているそうだ。そのポスターには「Ramones Get Noticed…」というタイトルが冠されており、RAMONESへの賛辞、励まし、そして痛烈な皮肉などから成るレビューで埋められている。RAMONESファンは、否定的なレビューを削除したがっているようだが、フィールズ本人は魅力的であると同時に滑稽に感じているようだ。「歴史は変えられない」と彼は一蹴する。RAMONESのオリジナルメンバー4人はこの世を去ったが、ニューヨークでは、スタジアム級の「ヘイ・ホー、レッツゴー」が、今もこだまし続けている。そしてニューヨークは、フィールズが永久に彼らのマネージャーで居られる場所なのかもしれない。そこは儚くも確かに存在し、あなたが望めばいつだって訪れることが出来る場所なのだ。