「ダウンロードじゃわからない」「ストリーミングじゃわからない」はてさて、なにがわからないのだろうか? それは人からの言葉。RCサクセションもBLACK FLAGもジョン・コルトレーンもBUTTHOLE SURFERSもツェッペリンもMAYHEMもN.W.Aも、みんな誰かの口から聞いた。音楽が好みだったのか、そうじゃなかったのかは置いといて、先輩だったり、クラスのヤツ、好きな異性、おしゃれな友達の言葉があったからこそ、その音楽に出会えた。辿り着けた。周りの大好きなみんなからの言葉だ。

そしてレコード屋も。カウンター越に矢の如く放たれる聞きなれないアーティト名、バンド名、ジャンル名。矢が心のど真ん中に刺さるたび、音楽がどんどん好きになった。ずっとカウンター前を陣取っていた。今考えれば、大迷惑だったろうに。本当にすいません。そう、ダウンロードでもストリーミングでも、レコ屋さんの言葉は聞けやしない。そんなプレイリスト見たことない。だからもう1回、言葉を聞きにいこう。今度は大人の話も。

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記念すべき第1回は、〈創業昭和36年「音楽文化のリサイクル」〉 を謳う〈中古レコードのタチバナ〉。神奈川県横浜市青葉区鴨志田町という住宅街のど真ん中に位置しているため、お宝をDIGるには、田園都市線青葉台駅から約10分、バスに乗らなくてはならない。しかし、「まもなく中谷都、中谷都、中古レコードのタチバナ前〜」と優しくアナウンスされるので、乗り過ごす危険性は皆無。ご安心ください。

元々〈中古レコードのタチバナ〉は、神奈川区六角橋に本店を置き、横浜市内で数店舗を営業していた。そして2012年に現在の場所へ移転。50年以上にも渡って、音楽シーン及び音楽産業の酸いも甘いも噛み分けて、聞き分けて、肌で感じてきた。SP→レコード→CD→MP3→ストリーミングなんて変遷もなんのその、〈タチバナ〉には、いつも時代の音楽が鳴っているのだ。

二代目店主である横山功氏と、素敵なお母さまが出迎えてくれた。 

お店のキャッチコピーにもありますように、〈創業昭和36年〉って、すごいですね。もう57年も営業していらっしゃる。

いえいえ、大したことありません(笑)。うちの親父が始めて、それを継いでいるだけです。

六角橋でスタートされたそうですが、当時から中古レコードの専門店だったのですか?

元々は新譜の店でした。レコードの買取はしていたんですが、中古盤も店に出しはじめたのは、私が小学校6年生くらいのときだったかな。

お母さま:レコードのレンタルが始まった頃ね。

紹介が遅れました。横山文子77歳です。私のお袋です。

お母さまもよろしくお願いいたします! レンタルレコードといえば、〈黎紅堂〉とか〈友&愛〉とかですか?

お母さま:そうそう。〈黎紅堂〉は、三鷹でスタートしたんですよ。70年代後半だったかな。それまではウチもずっと新譜の店だったの。

SP盤とレコードの切り替えの頃に、親父が商売を始めたんです。世の中がちょうど塩ビ(塩化ビニール)になっていった時代ですね。

お父さまは、元々音楽がお好きだったんですか?

そうですね。でも、うちは元々、鶏肉屋なんです。でも親父が中学校のときに、肺結核をやっちゃって、体が弱かったから、鶏肉屋はできなかった。「お前は、鶏肉屋とは違う商売をしなさい」と祖父にいわれていたそうです。商人の家だったので、金物屋さんだったり、お好み焼き屋さんだったり、親父の兄弟たちは、皆〈タチバナ〉って名前で、商売をやっていました。そのなかのひとつが〈レコード屋のタチバナ〉なんです。

お母さま:寝ているときにずっとラジオを聴いていたって。クラシックとかラテンとかタンゴとか。店をオープンしたときは、自分のレコードを飾っていましたよ(笑)。

では、お父さまの影響もあって、「自分がレコード屋の跡を継ぐんだ」という気持ちは、ずっとあったんですか?

いや、なかったです。もう反発の塊ですよ(笑)。

そうなんですか(笑)。

絶対にやりたくありませんでした。だけど自分のなかで残ったのは、結局レコードなんですよね。

レコード自体はお好きだったんですか?

好きでしたねぇ。多少、みんなより詳しいというのもありましたし、そういう風に育ってきましたから。

当時は、他になにかやりたいことがあったんですか?

バンドです。バンドをやりたかったので、家を出ちゃいました。

やっぱり音楽なんですね(笑)。

店に、大学生のバイト兄ちゃんとかがいたわけですよ。やっぱり彼らの影響は大きかったですね。それに六角橋だったから、神奈川大学もすぐ近くで。当時の神大は学生運動が本当にヤバかった。そんな兄ちゃんに教えられて、小学生なのにPINK FLOYDを聴いたり(笑)。中学になったらバンドブームでしょ、オールディーズも人気あったし、パンクも。そして高校になったらハードコア。80年代はなんでもアリでしたね。

どんなハードコアを聴いていたんですか?

G.I.S.M.とかTHE EXECUTEとか。王道ですよ(笑)。

最高ですね(笑)。ちなみに横山さんは、どんなバンドをやっていたんですか?

まぁ、ロックとかです。でもやっぱり食えなくて帰ってきちゃいました。

お母さま:好きなだけでは、プロにはなれませんよ。

それで店を手伝っていたんです。そしたらだんだん「レコード屋の倅だったな、俺」みたいな気持ちになりまして(笑)。普通に業務も出来ていましたし。

お母さまは、やはり継いでほしいと考えてらっしゃいましたか?

お母さま:やってくれたらいいなとは思っていましたけど、嫌なら別に。でもお父さんは喜んだよね。

確かに喜びましたねぇ(笑)。でも親父は、俺がやるとなったら速攻で引退しちゃいました(笑)。

横山さんの代から、中古レコード専門店になったんですか?

はい。2000年代になって、新譜がキツくなってきたんです。新譜って売値が決まっているから、この店の規模で、これくらいの在庫があって、従業員が何人で、各店舗の合計家賃がいくらかってなると、赤字ラインが決まっちゃうんです。

タチバナさんは、何店舗かあったんですか?

いちばん多かったときは、7店舗ですね。

すごい!! 全部横浜周辺ですか?

はい。それぞれ新譜と中古の店舗にわけていたんですが、六角橋に3店舗、東白楽とあざみ野に1店舗ずつ、あと戸塚にも2店舗ありました。でも新譜が厳しくなって、それでも話題作が出れば、一瞬でも売り上げは上がるし、周りの店もどんどん閉店していたので、なかなか新譜をやめられなかったんですね。結局、完全に新譜をやめるのに10年くらい掛かりましたね。

でも新譜って、返品できるんですよね?

できるんですけど、それが新譜をやめる決定的な出来事にもつながりまして(笑)。

ぜひ教えてください!

2000年代の頭、ある某大物女性シンガーのベストアルバムが出たんですけど、それのコピー盤が出回りまして。

ああ、ディスカウントショップとかにも並んでいるような。

はい。当時うちは、そのベスト盤を2日間で1000枚位売るパワーがあったんです。

すごい!

そういう時代だったんですよ。でも、そのベスト盤と同じコピー盤が、ディスカウントショップでは1980円で並んでいたんですよ。それも発売日に。

ああー。

いくらなんでも、これではウチの正規盤は売れませんでした。お客さんも怒っちゃうし。それで「これはどういうことだ?」ってメーカーに電話したら、「売れている店もあるのだから、それは買った方が悪い。返品も受け付けない」みたいなことをいいだしたんです。でもあきらかに誰かがデータを流していないとコピー盤も出回らない。

メーカーの誰かが流した?

それはわかりませんが、完全にコピーされていたんです。それでメーカーに食い下がったら、今度は、部長さんみたいな人に「ウチの商品を卸さなくしますよ」っていわれたんです。ふざけんなと(笑)。日本では、新譜を扱う店って、返品というシステムがあるんですけど、全部が返品できるわけではなく、仕入れた枚数によって、返品枠が決まります。さらに作品が出るたびに、メーカーに販売促進費として2万とか3万とか出して、プロモーションキットも買うんです。このときのシンガーもそうでした。そういう大物作品をたくさん仕入れ、販促キットを使って大きく展開するんです。そして、仕入れれば仕入れるほど、返品枠も広がる。その枠を使って、残ったものを返品しても、他の作品…例えば、ジャズとかクラシックの作品を仕入れられるから、そっち系のお客さんも喜んでくれる。ですから、売れ線作品というのは、確かに必要だったんですけど、あまりにこのときは酷いと思い、新譜をやめようと決意しました。

(編集部追記:記事掲載後、このコピー盤に関して、読者の方から「他国からの輸入盤では?」とのご指摘がございました。横山氏は、倉庫での確認作業もされましたが、在庫がなく、判明することができなかったため、現段階ではこのままの表記とさせていただきます。ご了承ください。)

当時、既に中古盤のストックはあったんですか?

はい、買取もやっていたので、中古盤のストックはありました。

お母さま:「いつかこういう日が来る」って、先代に先見の目があったんですよね。だから、どんどん買取をして貯めていたんです。

あとは、神田、神保町にある〈レコード社〉の亡くなった井東冨二子社長から、私は色々教わりました。私たちは、要らなくなったものを欲しい人に売る、リユースの商売をしているんですけど、右から左にするのは誰にでもできるんですよ。でも、その社長がいうには、「ただのリユースをしていれば、資本を持っているところには勝てない。お客さんに商品を渡すだけでなく、音楽文化自体をリサイクルして、楽しんでもらわなければならない」と。

ああ、それで〈音楽文化のリサイクル〉を掲げてらっしゃるんですね。

はい。さらに社長は、「アンタのところみたいな歴史がある店は、まずはレコードを貯めなさい。5年、10年経ったら、その時代ごとパッケージして売れるから」っていう考え方をしていたんです。実際、今うちに並んでいるのは、大体90年代とかに買ったレコードなんですよね。

え? 現在買ったものではなく、当時買ったものが店頭に出ているのですか?

はい。それが一般的な中古屋さんとの違いですね。ウチって「何でコレが今あるの?」みたいな品揃えだと思うんですけど、それは買い取ってすぐには出さないからなんです。もちろん、すぐに出すレコードもありますけど、ほとんど、一旦倉庫に入れて、状態のいいものだけを残しておくんです。それが〈音楽文化のリサイクル〉なんですよね。状態のいいものを、時代ごと丸々パッケージにして売っていく。例えば80年代のロックをパッケージしたら、当時の棚がそのまま再現できているような感じです。さらに何十年かしたら、同じようなサウンドでありながら、リバイバルした昔のモノと新しいモノがいっしょに売れたりするかもしれない。そういう時代の文化をパッケージして売っているんです。

すごいですね。確かにタチバナさんのレコードは、すべて美品ですよね。本当に当時に売られていた新品みたいです。

でも、買い取ったときは美品だと思っていても、今見たら汚く感じるものも多い。グレーディング(コンディション表記)っていうのは、年々上がっていく物ですから、廃棄しなければならないレコードもたくさんあるんです。だから〈買って、捨てて〉という商売なんですよ。結局1000枚買っても、すぐ売れるものが50枚あったら大当たり。大当たりを「高く買います」というのが、有名なところだと、ディスクユニオンさんとか、専門店さんですよね。「お客様の家が、ウチの倉庫です」っていう考えです。でも、僕らはそうではなくて、当時はゴミでも、時間が経ったら500円なり、1000円になるような商品を、倉庫から店に出すっていう考えなんです。結局トータルにすると、ウチも専門店さんも1000枚を同じくらいの値段で買い取るんですけど、大当たりの50枚を中心に値段を付けるのが専門店さんで、1000枚に値段を付けるのがウチなんです。

じゃあ、倉庫からは店に出すレコードは、日々回転していると?

はい。何十年ぶりくらいに箱を開けるんですけど、わざと整理はしていません。つまらなくなっちゃうじゃないですか。例えば、この箱が松田聖子だとわかっていたら見ないですよ(笑)。だから、洋楽だろうが邦楽だろうがクラシックだろうが、状態の良い物だけを揃えておいて、20年くらい経って開けると1、2枚は抜けるんです。それでまたシャッフルして、新しいものを足して、積み直して、また寝かす…っていう作業です。

その作業は、毎日やっているんですか?

毎日といえば毎日ですね。外に借りている倉庫に行くのは、年に何回かになりますけど。

在庫は何枚くらいあるんですか?

わからないです。もう全くわからないです(笑)。

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