「ダウンロードじゃわからない」「ストリーミングじゃわからない」はてさて、なにがわからないのだろうか? それは人からの言葉。RCサクセションもBLACK FLAGもジョン・コルトレーンもBUTTHOLE SURFERSもツェッペリンもMAYHEMもN.W.Aも、みんな誰かの口から聞いた。音楽が好みだったのか、そうじゃなかったのかは置いといて、先輩だったり、クラスのヤツ、好きな異性、おしゃれな友達の言葉があったからこそ、その音楽に出会えた。辿り着けた。周りの大好きなみんなからの言葉だ。

そしてレコード屋も。カウンター越に矢の如く放たれる聞きなれないアーティト名、バンド名、ジャンル名。矢が心のど真ん中に刺さるたび、音楽がどんどん好きになった。ずっとカウンター前を陣取っていた。今考えれば、大迷惑だったろうに。本当にすいません。そう、ダウンロードでもストリーミングでも、レコ屋さんの言葉は聞けやしない。そんなプレイリスト見たことない。だからもう1回、言葉を聞きにいこう。今度は大人の話も。

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第4回は、池袋の〈だるまや〉。西口では、マコトとG-BoysとBlack Angelsが、ドタバタを繰り広げていたが、〈だるまや〉があるのは東口。A.P.C.やアニエス・ベーを纏う女の子とのデートに活用したWAVEがあったほう、ブルーハーツとかG.B.H.とか有頂天とかG.I.S.M.とかトランスレコード祭りが開催されていた豊島公会堂があったほうだ。

〈だるまや〉では、いろんな音楽が流れている。クラシック、ジャズ、ヒップホップ、ワールドミュージック、プログレ、レゲエ、カントリー、ソフトロック、ソウル、テクノ、R&B、ブルース、ハードロック、ヘヴィメタル、フォーク、インディーロック、パンク、ニュー・ウェイヴ、エモ、ノイズ、歌謡曲、J-POP、続く…。要するに全部。オールジャンルを取り扱う中古盤屋の王道ながら、それぞれのレコードから放たれる音への愛情を御座成りにしている気配は微塵も感じられない。その愛情は、長年に渡って参加している〈レコード・フェア〉でも、全国各地に注がれている。翼の生えたマスコットのだるまちゃんは、世界に羽ばたき続けているのだ。

店主の萩原貴久氏に話を伺った。

レコードの量がすごいですね。お店も広いですし。

まぁ、そうですね(笑)。でも倉庫にもまだまだありますから、ここに並んでいるのは、ほんのいち部です。全部で10万枚以上はあるでしょう。もちろん、いいものばかりではありませんよ(笑)。

だるまやさんは、いつ創業されたんですか?

1995年にオープンしました。ずっと池袋なのですが、そのあいだに移転もしていますので、ここは3か所目になります。

開店されたとき、萩原さんはおいくつだったんですか?

27歳です。ただ、店を始める前は、2年間ほど通信販売のみで営業していたんです。これまであまり言ってなかったんですけど(笑)。

貴重な告白、ありがとうございます(笑)。通販はどこでやられていたんですか?

埼玉の自宅でやっていました。リストを印刷して、FAXなり、郵送なりで、お客さんに送って、注文を待つ…。当時は、それが普通でしたからね。店を始めてからも、しばらくはこのスタイルを続けていたんですけど、コストもかかりますし、時間もかかる。インターネットが普及してからは、WEBサイトに完全シフトしました。

萩原さんは、元々レコード屋さんになりたかったのですか?

音楽は好きだったんですけど、そこまでは考えていませんでした。進学のために上京したんですが、夜学だったので、昼間はずっとバイトばかりしていたんですね。そしたら段々、学業への興味が薄れて参りまして。

はい(笑)。

それで、19歳だったと記憶しているんですけど、新宿の中古レコード屋で働き始めたんです。現在はもう無いのですが、〈シカゴ〉というお店です。

ああ、老舗中の老舗ですね!

鰻屋の隣だったので、「臭い!」ってよくいわれていた店です(笑)。そこで2年ほど働きました。

その頃、学校はどうされていたんですか?

もう行かなくなっていました。最初の1年でリタイアです(笑)。

はい(笑)。では、そこからレコード街道をまっしぐらですか?

結果的にそうなりましたね。シカゴのあとは、吉祥寺と渋谷にあった〈芽瑠璃堂〉というレコード屋に入ったんです。ここは輸入盤店で、レーベルなどを運営している〈ヴィヴィッド・サウンド〉が経営するお店でした。

芽瑠璃堂も有名なお店でしたが、どんなジャンルを扱っていたのですか?

ワールドミュージック、ブラックミュージックが強かったですね。「ロックを買うなら、〈パイド・パイパー・ハウス〉、ブラックなら〈芽瑠璃堂〉」って感じでした。既にタワー・レコードもありましたけど、この2店の人気は本当に根強かった。私は、店舗に立ったり、本社で働いたりもしていました。1980年代後半くらいでしょうか。

芽瑠璃堂には、長くお勤めされたんですか?

ここも2年半くらいです。そのあとは、ロンドンを訪ねる日々が続きました。半年滞在して、帰国して、バイトでお金が溜まったら、またロンドンといった生活です。

ロンドンでなにをしていたんですか?

ライブを観たり、レコード屋に行ったり。まぁ、要するに遊んでいたわけです(笑)。ただ、その頃から自身のレコードが5000枚くらい溜まっていたので、通販でもやろうかなと、考え始めたんです。

現在のだるまやさんは、オールジャンルを扱ってらっしゃいますが、通販時代も同じような品揃えだったのですか?

いえ、最初は好きなものが多かったです。ブリティッシュロックとかパブロックとかですね。

そのときからお名前は〈だるまや〉だったんですか?

そうなんですけど、最初は仮の名前だったんです。ただ、友達がロゴとかもつくってくれたので、「もう、いいか」って(笑)。ただ、老舗っぽいのが良かったんです。それにレコード屋っぽい横文字の名前にはしたくなかったので、そこは僕のイメージと合っていたかもしれません。

通販から、店舗営業に至った経緯を教えてください。

たまたま池袋に良い物件があったんです。自宅からも1本ですし、それに当時、池袋にはレコード屋がなかったんですね。払える範囲の家賃だったので、そこでオープンを決めました。ただ、それでも在庫が足りなかったんで、最初は他のお店から、レコードを借りていたんです。委託販売みたいな感じですね。

でもずっと通販だったじゃないですか。他のレコード屋さんと繋がりはあったんですか?

うちは、通販時代からレコード・フェアに参加していたんです。そこでたくさんの先輩方と知り合いになりました。オープンの際は、そんな方々に助けていただいたんです。

レコード・フェアって、様々なレコード屋さんが出店する催事みたいなやつですよね。私もパルコとかでもやっていたのを覚えております。

店を始めてからのほうが、レコード・フェアへの参加は増えました。商業施設やホール、本屋、スーパーマーケットなどで開催されていましたから、バンにレコードを積んで、全国各地で販売していました。

私も何回か〈レコード祭り〉に行ったことあるんですが、のんびり午後くらいになって出かけると、既に欲しいものは買われていて、焼け野原みたいなになっていた印象があります。やはり、当時はすごかったのですか? ガンガン売れるような?

そうですね。開場前には、お客さまの長い行列ができていたくらいですから。90年代中頃がいちばんピークだったでしょうか。CDも売れる時代でしたからね。なかなか行けない全国各地の特色のあるレコード屋さんと、あらゆるジャンルが一堂に会するわけですから、本当に賑わっていました。もちろん売上も期待できましたけど、あれって3日間くらいやるんですね。ですから、夜は他のレコード屋さんと飲む。情報交換から、いろんな音楽の話もできる。それは、それは、楽しかったですよ(笑)。

やはり、開催される土地や、他に参加するお店の状況を考えて、持っていくレコードは違うんですか?

はい、その通りです。場所によって、売れるジャンルも違いますし、他のお店と同じような商品構成でしたら、お客さんにとっての魅力も薄れてしまいますから。保険になるようなものと冒険レコードを合わせたりしながら、そのときのベストに近づけるようにするんです。

すごいですね。頭のなかは、データだらけなんじゃないですか?

いえいえ、そんなことありません。結構、楽しんでやっています。感覚でしょうか(笑)。

〈青山レコード祭り〉のポスターが貼ってありますが、これは最近のものですか?

昨年の4月にうちの主催で開催したものなんですけど、これ以外にもずっと〈池袋CD & レコード・フェア〉というレコード・フェアを豊島区民センターで開催しています。店を開けた頃からやっているので、もう20年くらいになりますね。

やはり主催者となると、色々とご苦労があるのでは?

苦労というか、やることはいっぱいありますね。まず場所をおさえます。それも抽選なので、確実に取れるかどうかもわかりません。また、区民センターといっても東京なので、他に比べて賃料が高いんですよね。例えば、某地方のレコード・フェアなら、1テーブル5000〜7000円で出店できるのに、東京だったら1万円を超えてしまうんです。ですから、それを了承してくださるお店を集めなくてはなりません。

なるほど。確かに東京だからといって、その分レコードの値段を上げるわけにはいきませんものね。

あとはプロモーション業務もしなくてはなりませんね。フライヤー、ポスター、DMの用意とか。会場の設営作業、レジ係のスケジュール管理、売上の集計など、やることはたくさんあります。でも、各地の主催者のかたも同じことをやられていますから、それぞれの持ち回りみたいなものですよ。

レジ係も各お店のスタッフさんがやられているんですか?

はい。これはいかにも日本的なんですよ。海外のレコード・フェアは、各店がレジとか金庫を用意して、それぞれがそこで精算するんです。でも日本はレジを1箇所にまとめて、レジの品番ボタンでお店をわけているんです。そうすれば、お客さんもいちいちお財布を出さなくていいし、店の人たちも交代で食事も休憩もできる。すごく効率的なんです。

確かにそうですね!

終わったら集計して、経費を抜いた売上を各お店に渡します。お互いが信頼していないとできませんよね。違う店のレコードを持ってきても、自分の店の品番を押しちゃえば、自分の売上げになるんですから。そんな信頼関係で成り立っているのも日本的なんですよね。海外では考えられません。

現在もだるまやさんは、各地のレコード・フェアに参加されているんですか?

はい。要望をいただいて、条件が合えばやっております。ここ最近なら、山野楽器さんとか、千葉、横浜のそごうさんなどでもやりました。現在もレコード・フェアは頻繁に開催されているんですよ。そんなに回数も減っていないですし、うちも月1〜2回は参加しています。さすがに東京は少なくなりましたけど。

東京は、なぜ少なくなったのでしょうか?

やはりレコード屋がたくさんあるからでしょう。何百件もありますから。パリなんて10件くらいしかありませんよ。

そうなんですか! 2000年代に入って、レコードバブルが弾けたといわれますが、東京は今でもレコードの街なんですね。

ええ。これだけお店があるところは、世界中探してもどこにも見当たりませんね。

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