タワーレコード創業者ラス・ソロモンが語る音楽シーンの過去・現在・未来

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タワーレコード創業者ラス・ソロモンが語る音楽シーンの過去・現在・未来

「これだけは真実だ。音楽は無くならない」

「若いヤツの社交場がなくなってしまった。街でどこに行きゃいいのかわかんなかったら、とりあえずタワーレコードに行けばよかったんだ」音楽、映像、書籍を扱う大型販売店、タワーレコード(以下、タワレコ)の盛衰を描いたドキュメンタリー映画『All Things Must Pass』(2015)で、ブルース・スプリングスティーンはタワレコへの想いを語った。監督は、俳優のコリン・ハンクス。

スプリングスティーンの言葉は、音楽業界がデジタル化する以前、タワレコを訪れた音楽ファンであれば、誰もが共感できるのではないだろうか。創業から半世紀、タワーレコードは、音楽ファンに商品以上の価値を提供し続けた。アウトローやミュージシャンを夢見みるキッズにとって、最新の輸入盤が手に入り、服装規定がゆるく、共通の話題で盛り上がれる仲間(通常、相手の方が知識豊富である場合が多いが)も見つかるので、人気の就職先となり、店舗数は膨らんでいった。

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『All Things Must Pass』の中で、エルトン・ジョンはコメントしている。「ハッタリではなく、全人類の中で、僕がいちばんタワレコに金を落としてるはずだ」。このドキュメンタリーには著名人7人へのインタビューが含まれているが、真の主役は、「タワレコ・ファミリー」ともいうべき、長きに渡ってタワレコを裏で支えた元従業員たちだ。創業者のラス・ソロモンは、16歳の頃から、カリフォルニア州サクラメントで父が経営していたタワー・カット・レート・ドラッグストアで、中古のジュークボックス用レコード販売を始め、その父の後店を引継ぎ、1960年、サクラメントにタワーレコード1号店をオープンさせた。

ラス・ソロモンと父親は、サンフランシスコ進出の話から、サンセット・ストリップでの乱痴気騒ぎ(当時の従業員は、経費報告書に「手押し車の燃料」という名目で、コカイン代などを計上していた)、さらに2005年、ナップスターとの合併により苦境に立たされ衰退期の話など、タワレコの歴史を包み隠さず語った。1999年、タワレコの資産価値は10億ドル(約1,200億円)になり、2006年、倒産した。

『All Things Must Pass』は、ロックンロール伝説とノスタルジーで構成されているものの、衰退する音楽業界に対しての意義深い示唆に富んでいる。タイトル通り、音楽業界の明暗を絶妙なバランスで伝えているのだ。

私たちは、サクラメントの自宅で暮らす89歳のソロモンと電話で会話した。今回の映画にまつわる話、彼が音楽業界に与えた影響、マイケル・ジャクソンをバックルームにかくまった珍事件の真相を、ラス・ソロモンは惜しげもなく語ってくれた。

映画製作が実現した経緯を教えてください。話を持ちかけられたのですか。それともご自身で発案したのですか。

最初にアイディアを持ち出したのは、サクラメントで店と共に育ったコリンだよ。ミーティングに呼ばれたんだけど、そんなアイデアは狂ってる、と伝えたんだ。馬鹿げてる、誰がそんなもん観るんだ。そんなの金の無駄遣いだ。それから4時間くらい話したかな、結局、のっかることにした。それから7年かけて、彼らは映画を完成させたんだ。

製作で1番難しかったことは何ですか。複雑な過去を振り返るのはつらくなかったんですか。

実は結構楽しかった。座って、カクテル片手に昔話をするだけだったんだ。出演するのは楽しかったし、他にもいろんな人が出演してくれたので、映画にも彩りが出た。ある意味、私は、自分の人生について話しただけなんだ。真面目な人間じゃないからなぁ…難しかったといえば、68年分の話を90分のドキュメンタリーにしなければならなかったから、頭を捻らされたことかな。巧妙な技術が必要だったろうが、彼らはなんとかやってのけた。しっかりとしたストーリーを組み立てながら、私たち全員の気持ちを汲み取ってくれた。それこそ、1番大事なことだろう。

サクラメントのタワレコ1号店。 1964年

気がつかない人も多いでしょうが、映画の中で気になったのが、タワレコが創業した1960年当時、タワレコのようにレコードを中心にあらゆるグッズを取り扱う小売店は他になかったのですか。その頃のレコード店の状況、音楽を入手する手段について教えていただけますか。

それじゃ昔話をしよう。1941年、まだ子供だったが、レコードを売り始めた。第二次世界大戦が始まる直前で、レコードは主に楽器店、たまに百貨店でも取り扱われていた。それ以外にレコードを買える場所はなかったんだ。傲慢といっても言い過ぎでない商売がまかり通っていた。楽器店は敷居が高いというか、正直、かなりつまらなかった。40年代、50年代、60年代と、クラッシックに特化した店はいくつかあったが、ポップスは全く相手にされていなかった。もう少し幅広いジャンルを取り扱う店もあったが、全ジャンルの作品を網羅する店はなかった。

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それから戦争が始まり、ビッグバンドは演奏を続けていたけれど、戦争が終わると、1年間くらい、みんな踊るのをやめてしまったんだ。そして突然、音楽が変わった。スウィングを演奏する古いビッグバンドの時代から、音楽は別モノに変化し、成長を遂げ、1960年に入った。半ばまで、大した変化はなかったけれど、また突然全てが変化して、あらゆるものが「素晴らしい!」と賞賛せざるを得ない状況になったんだ。私たちとって、1967年の「サマー・オブ・ラブ」はすごく重要だったんだ。サンフランシスコやロサンゼルスから、ものすごい熱気が伝わってきた。

あなたは「もしも」の話をするタイプには見えませんが、タワレコが違う歴史を辿り、今でも存続しているとしたら、どのような事業を展開しますか。今日の音楽業界を取り巻く環境に、どのように適応していたでしょうか。

(笑)。とてもいい質問だ。答えがあるかはわからないけど。日本のタワレコは健在で、店舗の売上も順調だ。日本は、ネットでの売上が全体の20%で、実店舗の売上が80%だ。そんな国は日本しかない。もし私が経営していたら、また違った形で進化しただろうし、音楽ビジネスから離れるようなことはなかっただろう。私たちも割と早くからダウンロード配信を始めたけれど、業績は芳しくなかった。それに、信じられないだろうが、アマゾンよりも前からオンラインでレコードを売っていたんだ。

だから、もしもタワレコを進化させる時間があったら、それぞれの街に合った商品展開に力を注いでいたかもしれない。それから、中古レコード販売にも手を出していたかもしれない。1度も手を出さなかったんだ。ベスト・バイのような格安販売店が登場して、人寄せのために価格を下げられてしまうと、対抗できる唯一の手段は、中古レコードの販売だけだ。やったことがないからなんとも言えないが、想像するのは自由だ。案外いけたかもしれない。あくまで推測だから、たいして重要なことでもないが。

なんだか皮肉な話ですね。今になってヴァイナルがブームになり、若い世代の間ではカセットテープすら人気です。

まあ、おもしろい現象だ。私もずっと考えていた。なぜなら、タワレコが健在だった時代、レコードを買っていたのはコレクターだった。おそらく、誰でも何かを収集した経験があるはずだ。子どもの頃は、紙マッチのケースだろうが何でもかんでも集めたりする。本を集める人もいるだろうし、芸術作品を集めるコレクターもいるだろう。世間のCD離れが始まると、音楽コレクターたちは収集するモノがなくなってしまった。そこで彼らは、アナログのほうが音質が良い、レコードのほうが暖かみがある、とにかくいろんな理由をつけて、アナログ盤の良いイメージを創りあげたんだ。空想の産物かもしれないけれど、それによって、雑誌の記事、ライナーノーツ執筆の仕事が、彼らに舞い込んだわけだし、何よりも、美しい収集品があると気づかせてくれた。そして昨今のヴァイナル・ブームだ。残念なことに、レコード業界はこのブームに無関係だし、支えてもいない。

タワーレコードのスタッフ、カリフォルニア州ストックトン店のオープニングにて。1974年

映画の中で、タワレコとミュージシャンの関係に迫ったパートがありました。例えばエルトン・ジョンがロサンゼルス店にリムジンで乗り付け、欲しいものすべて買い込んでいる映像、ジョン・レノンがサンセット・ストリップ店を宣伝する映像がありましたが、彼らとのやりとりで、印象に残っているエピソードはありますか。

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今でも好きなエピソードがある。ある日、ベット・ミドラーが店に来て、彼女のレコードを「ヴォーカル」セクションから「ロック」のセク ションに移動させた。当時、私たちは気にもしてなかったけれど、それを見て、アーティストが、自らの作品がどう扱われるべきかという当事者意識を持っているんだ、と気づかされた。

ブルース・スプリングスティーンは「若いヤツの社交場」と評していましたが、そのような雰囲気造りを心懸けていたのですか。

いや、自然にそうなった。店のカウンターで頑張ってくれた若者のおかげだ。全従業員がなんらかしらの形で音楽に携わっていたんだ。あの言葉は、ある意味、すべてのミュージシャンに通じる話なのかもしれない。彼らが行きたくなるような場所が他になかったんだ。なじみのない音楽的環境で、知らない音楽を愛するいろいろなタイプの音楽好きと、音楽について率直に語り合い、あらゆる音楽シーンの最新情報、状況を知ることができたんだ。そんな環境を楽しんだ音楽ファンが沢山いたはずだ。

忘れられない話がある。マイケル・ジャクソンが買い物できるよう、早めに店を開けたんだ。彼はレコード・ショッピングが大好きで、ショップの動向を知りたがっていた。それから、マイケルが来店者の様子をこっそり覗くために、スタッフが、彼をバックルームに隠れさせたりもしていた。タワレコでは、おかしな出来事が山ほどあった。

サンセット・ストリップ店。1992年

タワーレコードのような経営方針は、60年代には特異なものだったでしょう。服装規定も設けず、道端にいる人を店員としてスカウトし、昇進させたりもしたそうですね。なぜそんなことをしたのですか。

何も最初からそうしようと決めていたわけじゃない。スタイルを強要しなかっただけだ。スタイルは、生きていくうちに滲み出る。服装、言葉遣い、音楽のスタイルもそうだ。私は、生き方について誰にもとやかく言われたくなかった。どうして誰かに生き方、振る舞い、服装まで教えなくてはならないんだ。わかるだろう。世界中どこにいたってそうだ。カウンターの内側にいる店員は、カウンターの向こうにいる客と同じ格好をしているべきだ、って感覚はとても自然だ。だが1つだけルールがあった。靴は履かなきゃダメだ。まあ、気にするような店員はいなかった。服装のルールといえばそれだけだ。

マネージャーになると他店舗に移動になるのだが、マネージャーにはこう伝えるんだ。「よし、今日からここはお前の店だ。どこに何を置くべきかのガイドはあるが、変えた方がいいと思うのであれば、変えろ」。すると、みんなしっかり仕事をしてくれる。カウンターに立つ若者全員に、自分の担当部門は任せる。それが上手くいけば、不良の集まりが店舗マネージメントしている、という以外、普通の店と何ら変わらない。銀行や経営者が乗り込んできて、あらゆる行動を指図する時代は終わった。モラルなんていらない。誰かに何かの主導権を与えて、好きなようにやらせる。そうすれば、彼らも仕事に対してプライドを持つようになる。

1981年にオープンしたニューヨーク店とソロモン

タワレコのような地元のレコード店は、溜まり場の役割も果たしていたでしょう。クラブのような場所に集まっていた人が流行を生み、影響を与えていったようですが、それに匹敵する何かが、今の世の中にあるのでしょうか。もしくは、何かがそうなる可能性はあるのでしょうか。

いい質問だ。でもわからない。今はインディペンデントのレコード店や小規模なチェーン店ぐらいしかないだろう。アメーバ、オースティンのウォータールー・レコード、アトランタのクリミナル・レコードくらいしか思い浮かばない。あれやこれやと指示を出す運営本部がない、個人経営店ならそうなる可能性がある。今名前を挙げた店の連中は、今でも本気で音楽を大切にしている。だから、今でもそういった存在は、あるにはある。ただ、タワレコの時代よりも影が薄くなってしまった。

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倒産前、タワレコは世界中に拡大し、より企業的なイメージが強まり、小さな個人経営店を食いつぶすマシーンのようになってしまったとの批判もありました。

わからない。どこまでを「小さなレコード店」扱いするかによるだろう。つぶれたレコード店が、本当に優良で信頼できる店だったら、手は出さなかったはずだ。大規模で良質なチェーン店経営者が、小さな店を廃業に追い込むのは世の常だ。もし、君が経営する会社の商品が世間に受けていて、他の会社にはそれがないとしよう。品揃えだろうと他の要素であろうと、消費者にアピール出来ない企業は潰れて然るべきだ。

私たちに何が起きたか、というと、銀行が乗り込んできて経営を完全に乗っ取ったんだ。私たちのビジネスから魂が抜き取られた。ヤツらは将来性のある従業員を大勢クビにした。それだけでなく、ヤツらは全てを均一にし、厳格に管理し、コンピューター化させたんだ。何にせよ、私たちを私たちたらしめるモノが無くなってしまった。私たちが傷ついたのは、私たちに対抗しようとふっかけてきたヤツらがいたからだ。ベスト・バイだとか、その類いの連中だ。ヤツらは、レコードや音楽を、客寄せのために激安で販売し、それ目当てに来た客に家電を売りつけている。わかるだろ。これが世の中の常なんだ。いつか誰かが、より素晴らしい、あるいは全く別のアイディアでもって業界をひっくり返すんだ。

後悔はありますか。経験に基づくアドバイスがあれば教えて下さい。

私は何も後悔していない。ぼちぼちやっている。ただ、これだけは真実だ。音楽は無くならない。誰もが楽しめる娯楽だ。私たちの人生と文化にとって重要な要素であることに間違いはない。音楽に触れる方法は、これからも変わっていくだろうが、そこに音楽は響き続ける。もっと深く掘るべきだ。テイラー・スウィフトだけが全てではない。決してこれは意地悪ではないんだ。世の中には、もっと多くの音楽があって、誰も名前を知らないようなバンドが、聴いたこともないような音を出している可能性もある。それを流通させるのは困難だから、耳にする機会はほとんどないだろう。でもそこでは鳴り響いている。だから私は音楽を信じている。