シェイン・マガウアン(ザ・ポーグス)「本当は金歯入れたかった」

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シェイン・マガウアン(ザ・ポーグス)「本当は金歯入れたかった」

「行かない。なにもかも我慢できない。クリスマスは好きじゃない。考えただけでもゾッとする。それにこの歯があっても、俺はそんなにたくさん食べないし」

2015年、クリスマス直前のダブリン。THE POGUESのシンガー/ソングライターのシェイン・マガウアン(Shane MacGowan)の自宅を訪れた。彼はリビングルームでソファーベッドに横たわり、片手に電子タバコ、もう一方の手にはウイスキー。更に彼のまわりには、飲みかけの白ワイン、残り僅かなスミノフのボトル、バート・シンプソンズのマグカップ、そしてたくさんのグラスが散らばっており、正面の椅子には、錠剤が詰まったドラッグストアの袋が置かれている。

彼は夏に骨盤を骨折し、現在はほとんど動くことができない。

「変な転び方をしてね。マジで最悪だ。松葉杖がないと、部屋の中さえ歩けないんだ。少しずつ良くなってはいるが、まだかかりそうだ。これまでたくさん怪我はしてきたけど、こんなに長くかかるとは」

彼は、この世代で最も偉大な抒情詩人の一人であり、そして史上最高のクリスマスソングと称される「ニューヨークの夢(Fairytale of New York)」を書いた男だ。あちこちのパブ、ショップ、くだらないクリスマスパーティーから彼のしゃがれ声が響き渡るこの時期が、1年のうちで最も、シェインを訪ねるのにピッタリだ。しかし今回は、彼が受けた歯科手術についても話を聞くことにしている。なぜなら、あの強烈な歯茎がなくなるのは大きな事件であり、このプロセスは、1時間のドキュメンタリー『Shane MacGowan: A Wreck Reborn(シェイン・マガウアン:残骸の再生)』として撮影されたくらいだ。

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手術前のシェイン

それにしても「残骸」というタイトルは少々手厳しい。

「いや、それは俺のアイデアだ」

そしてシェインの妻になって30年。ライターでもあるビクトリア・メアリー・クラーク(Victoria Mary Clarke)は、彼の隣でこう発言した。

「私は『新しい歯の夢(A Fairytale of New Teeth)』にしたかったわ。でも彼に反対されたの」

歯の色はホワイトニングでピカピカになった。それはビクトリアの要望であり、俳優のマイケル・ファスベンダー(Michael Fassbender)を見本にしたそうだ。

「『Tatler Man』の表紙が彼だったのよ。『こんな風になるかしら?』って歯医者に訊いたわ。そしたら『出来ます』って」

しかしファスベンダーの歯とは異なり、シェイン自身は、金歯を1本入れることを強く望んでいた。

「何年か前、休暇でギリシャの島に行ったんだけど、そこの漁師たちがとてもいいヤツらでね。彼らは虫歯が酷いんだけど、全員揃って金歯を1本入れているんだ。なぜかわかるか? それがヤツらの銀行預金なんだ。金に困っても口の中に金があるのさ」

シェインは続ける。

「それにしても手術前の俺の顔は酷かった。弛んでだんだ」

「そうだったわね。でも、今はいいわ」

「よくわからん」

「いえ、確実に良くなったわ」

彼女は立ち上がって彼の枕を真っすぐに直す。

よく聞く話だが、もしビクトリアがいなかったら、シェインはここにいなかっただろう。実際に、今も彼女は、献身的に彼の周りを絶え間なく動き続けている。二人の写真を撮るとき、彼はとても幸せそうな笑顔を見せた。

共通の友人であるTHE POGUESのスパイダー・ステイシー(Spider Stacy)を通じて、二人は出会った。場所は、北ロンドンのテンプル・フォーチュンにあり、今は閉鎖されたロイヤルオーク・パブ。

「お互いに悪態をついたよ」

「いいえ。アンタだけよ。『消え失せろ』って罵られた」

ビクトリアが言い返す。

「更にアンタは、『スパイダーに酒を奢れ』って」

「ヤツの誕生日だったけど、俺は金が無かったんだ」

その当時、ビクトリアは16歳。彼女はアイルランドからロンドンへ越して来たばかりだった。二人のデートはオーソドックスなもので、ノーザン・ソウルのクラブで踊ったり、深夜のホラー映画を一緒に観たり。

「キングス・クロスのスカラ座へ行って、ジョージ・A・ロメロ(George A.Romero)の『クリープショー(Creepshow)』とか『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド(Night of the Living Dead)』とか、あらゆるゾンビ映画を観たわね(笑)。夜明かしするのが好きで、レストランにずっといたわ。ギリシャ・レストランに13時間もいたことがあったわ。そこのウエイターが『ディナーもいかがですか?』って勧めるの。同じ所で、続けて二回も食事したのは初めてだった」

シェインは、THE POGUESのコンサート会場と彼女の自宅までのタクシー代を毎回払っていたという。

シェインは1957年のクリスマスに、英国東部のケントで生まれたが、幼少期のほとんどは、アイルランドのティペラリーで母親一家と過ごした。

「パブの中で育ったようなもんだ」

一家は、音楽と本に溢れ、アイルランド共和軍(IRA)の人が来ると、隠れ家として部屋を提供していたという。彼は熱心な読書家で、ジェイムズ・ジョイス(James Joyce)やウィリアム・S・バロウズ(William S.Burroughs)を読み漁り、ロンドンのウエストミンスター・スクールへの奨学金も獲得した。

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「俺は頭が良かったんだ。13歳の頃には英語はAレベルだった。でも、マリファナ、覚せい剤、LSDを覚えた。それで、逮捕されて退学になったんだ。でも別に何も気にならなかった。本当は学校に行きたくなかったから」

その後シェインは、数々の肉体労働やパブでの勤務をし、レコード店でも働いた。

1976年12月、彼は『Bondage』というファンジンを発行。表紙はSEX PISTOLSとTHE JAMだった。

「当時は、『Sniffin’ Glue』が一番人気のあるファンジンで、確か10ペンスで売っていた。俺の『Bondage』は30ペンスだったんだけど、これが結構売れてね。かなりの金を儲けたから仕事は辞めた。18歳頃の話だ。コンサートへ行って、クラブへ行って、女の子とデートして」

彼は1982年にPOGUE MAHONEというバンドを結成した。ゲール語で「Kiss my ass」を意味するバンド名だ。それはパンク・ロックと伝統的なケルト民謡を融合したオリジナリティー溢れる音楽だった。1984年までにバンドはTHE POGUESに変わり、パンクレーベル「Stiff Records」と契約。THE CLASHのツアーをサポートし、デビュー・アルバム『赤い薔薇を僕に(Red Roses For Me)』(1984)も発売した。ビクトリアはバンド初期のライヴについてこう語った。

「私は、アイルランド音楽をよく思ってないない地方の出身だったの。だから初めてTHE POGUESを観たときはショックだったわ。ふざけているかとさえ思った。周りのオーディエンスもそうだったはず。ドリンクやら椅子やらが飛び交って、危ないライヴだった」

しかし、エルヴィス・コステロ(Elvis Costello)プロデュースによるセカンド・アルバム『ラム酒、愛、そして鞭の響き(Rum Sodomy & the Lash)』(1985)で、THE POGUESの知名度は一気に上がる。ジョニー・デップ(Johnny Depp)は、シェインのことを、「20世紀で最も重要な詩人のひとり」と賞賛したことがあるが、確かにこのアルバム収録の「ザ・オールド・メイン・ドラッグ(The Old Main Drag)」や「ブラウン・アイの男(A Pair of Brown Eyes)」の歌詞を見ると、彼の意見が全く間違っていないことが分かる。

そして、サード・アルバム『堕ちた天使(If I Should Fall from Grace with God)』(1988)で、バンドは大成功を収める。今作に収録されており、先述の「ニューヨークの夢」では、イワン・マッコール(Ewan MacColl)の娘で、今は亡きカースティー・マッコール(Kirsty MacColl)がヴォーカルで参加している。

「カースティーが歌うのを聞くのはいいね。素晴らしいレコードだ、凄いレコードだ、と客観的にいい。いいレコードを創ったってみんなが知っている。ああ、俺たちはすごいバンドだった」

2013年にTHE POGUESは、クリスマスツアーのため再結成したが、それ以後は沈黙している。もう活動しないのだろうか?

「ああ、しない」

1991年、彼はアルコールの過剰摂取ため、THE POGUESをクビになった。ジョー・ストラマ―(Joe Strummer)を含め、数人の代理ボーカルを使ってバンドは継続したが、結局は1996年に解散した。2001年に彼らは再結成したが、「それはお金のため」とシェインは率直に認めている。

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「俺はTHE POGUESに戻り、またお互い嫌いになっていった」

「嫌いじゃないでしょ!」

ビクトリアが続ける。

「『アンタがバンド仲間を嫌ってる』という記事が出るたびに、彼らは怒っているわ」

「そうだな。俺はバンドをちっとも嫌いじゃない。ヤツらは友人だ。ああ、好きさ。バンド以前から、俺たちは長年の友だちだった。お互いに少しうんざりしただけ。ツアーを一緒に回らない限りは友だちさ。ツアーはものすごくやったからね。もう、うんざりなんだ」

シェインは、この赤レンガの家でほとんどの時間を過ごしている。玄関にはクリスマスリースが吊るされ、部屋の隅にはウィリアム王子とキャサリン妃のカードが着いた細長いクリスマス・ツリー、そして装飾されたチェ・ゲバラの絵がある。暖炉の上には「F**K U2」と走り書きされた鏡が置かれている。彼は、そのバンドを結成時から知っており、数か月前には車椅子で彼らを観に行った。そのパーティ―では、朝の5時まで起きていたそうだ。

私はシェインに、今年のクリスマスはどう過ごすのかを聞いた。

「クリスマスディナーには行かない。これは断言できる」

新しい歯があるのに?

「行かない。なにもかも我慢できない。クリスマスは好きじゃない。考えただけでもゾッとする。それにこの歯があっても、俺はそんなにたくさん食べないし」

「予定あるでしょ!」

と、ビクトリア。

「アンタのお姉さんたちとディナーに行くのよ。でもアンタはベジタリアンだから、七面鳥はナシ」

「俺はベジタリアンじゃない!ベジタリアンはいやだ!肉はずっと食ってきた。子供のころ、ほとんどアイルランドの農場で過ごした。ベーコン、キャベツ、ジャガイモを食べまくっだ。出されたものはきちんと食べた。ああ、もうベジタリアンじゃない。ラム肉は好きじゃないけど、他のステーキは気にならない」

クリスマスが誕生日ということに不満は無かったのだろうか?

「50年代、60年代の頃は、みんな金がなくて、クリスマス・プレゼントは靴下だったよ。だからイエス・キリストと同じ日に生まれて、最も心配しなくていいことは、靴下みたいなくだらないプレゼントを二つ貰わなくていいってことさ」

さて、シェイン・マガウアンは次に何をするのだろう。

「まずは、これを治したい」

痛めた骨盤を指さしながら彼は答えた。友人であるニック・ケイヴ(Nick Cave)のように小説を書くことはあるのだろうか?

「いいや。実際の人生の方が、遥かにずっと面白いからな」

シェイン・マガウアンなら、そうだろう。